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キャンバス~色なき世界のアービトレーター≪仲裁人≫~  作者: ぶーたん
第5章 産業革命編

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第90話 守りたい心

クロは、自分に子供ができたという事実を知ってから、どうしていいか分からずにいた。

かつてない動揺を隠せないクロに、朝からシンが無邪気に絡んでくる。


「アニキ! 子供の名前とか決めました?」

「女の子だったら、甘やかしまくりですよね」

「男ならどう鍛えますか?」


「……あー、めんどくせえ。シン、出かけるぞ」

じっとしていられなくなったクロは、シンを連れて酒場の巨大な冷凍庫へと向かった。

「なんですか、ここ。寒いっすよ……。っていうか、この魔獣の在庫、エグくないですか?」


クロは床に刻まれた転移の紋章に立つと、一瞬で姿を消した。

「ちょっと待ってくださいよ! どこ行くか言ってからにしてください!」

シンも慌てて紋章に飛び乗る。視界が歪み、次に目を開けた時、そこは熱気と鉄の匂いが立ち込める見知らぬ工房だった。


「……ここ、どこですか?」

「見て分かんねえか。工房だ。お前の装備を作るんだよ」


アニキが自分のことを考えてくれていた――その事実にシンは胸を熱くした。

「アニキ……自分、嬉しいっす!」


クロの後をついていくと、奥から赤ん坊を抱いた屈強なドワーフが現れた。

「よう、バール。なんだその赤ん坊。託児所でも始めたのか?」

「久しぶりに来たと思ったら、相変わらず失礼な野郎だ。見て分かんねえか、うちの子だよ」


「……ったく、どいつもこいつもガキ、ガキかよ」

「そりゃあ我が子は可愛いもんよ。なあスパナ、このお兄ちゃんは愛想が悪いねえ」

バールが赤ん坊をあやす姿を見て、クロは複雑そうに視線を逸らした。

「……まあいい。こいつの武器と防具を新調してやってくれ」


バールは品定めするようにシンを睨みつけた。

「まさかとは思うが、そこのセンスねえガキの装備を作れってのか?」

「そうだ。なんとかしてやってくれ」

「ドワーフの職人なめてんじゃねえぞッ!!」


バールの怒号に、シンは腰を抜かしそうになった。その勢いで赤ん坊が泣き出してしまう。

「ああ、ごめんよ。怖かったねえ……。おいクロ、早くこいつを連れて帰ってくれ!」


そこへ、奥さんのネイルが帰ってきた。

「あらあら、どうしたの。あなた、子供の前で怒鳴らないでって言ったでしょ」

ネイルが赤ん坊を受け取ると、嘘のように泣き止む。その様子をクロは呆然と見つめていた。


「……すまねえ。ついカッとなっちまった。話だけは聞こう」

バールはシンの現状を聞いた。武器の重心が合っていないこと、防具のサイズが動きを殺していること。

「おい兄ちゃん、シンっつったか。そんな恥ずかしいもん、今すぐ捨てちまいな」


「……え?」

シンは絶句した。それは名家として受け継いだ、誇りそのものだったからだ。

「これは、祖父から受け継いだ大切な装備なんです。腕利きのドワーフなら、これを鍛え直すこともできるはずだ!」


「名家だか何だか知らねえがな、道具を使いこなせてねえ奴に『直せ』なんて言われるのは、道具への冒涜なんだよ! いいか、まず装備が古すぎる。技術は進化してんだ、こんな骨董品じゃ話にならねえ。剣先が重いのは昔の流行りだが、今の戦い方には邪魔なだけだ。防具も、見た目重視のただの鉄だ。今は魔獣の素材を混ぜて耐久を上げるのが常識なんだよ。こんなゴミ、市場でも売ってねえぜ。冒険者としての格の低さが道具に出てらあ。……ネイル、お前もそう思うだろ?」


ネイルも冷ややかに同意した。

「そうね。職人のプライドに関わるわ。こんな装備を鍛えたなんて知られたら、うちはやっていけない。それでも、その『ガラクタ』にこだわるの?」


シンは立ち尽くした。家柄を捨てるのか、強さを取るのか。

クロはそんな緊張感を切り裂くように、ひらりと手を振った。

「俺は関係ねえから。ちょっと中央貿易都市を散歩してくる」


気まずい沈黙の中、ネイルが「とりあえず採寸だけはしましょうか」と促した。シンは防具を脱ぎ、バールに筋肉の付き方まで厳しくチェックされる。

「……まあ、素材はある。あとはお前次第だ。欲しけりゃ作ってやるよ」


シンは頭を冷やすため、一度外に出た。

「ありがとうございます。……ちょっと、アニキを探してきます」


工房を飛び出したシンの目に飛び込んできたのは、見たこともない巨大な壁と、ひしめき合う店の大群だった。

「これが中央貿易都市……。すごい迫力だ。アニキ、どこに行ったんだ……」


シンは直感に従い、あえて薄暗い路地裏へと足を踏み込んだ。アニキならこういう場所にいそうだと思ったからだ。すると、奥から少女の悲鳴が聞こえてきた。


「嫌、やめて! 離して!」

「うるせえ! お前の親父のせいで仲間が捕まったんだ。お前を人質にして、あいつを引きずり出してやる」


男たちが少女を組み伏せていた。

「やめろッ!」

シンは反射的に飛び出し、男の手を振り払った。


「なんだ、正義の味方気取りか?」

「子供に手を出すような悪党は許さない!」

「悪党か。……じゃあ、その後ろにいるのが『悪党の子供』だとしても、お前は守るってのか?」


シンが少女を見た、その一瞬の隙だった。

下から突き上げるような拳がシンの腹部を直撃し、彼は壁まで吹き飛んだ。

「揺らいだな。中途半端な正義じゃ誰も守れねえ。こいつの親父は裏の賭博師だ。摘発された時、自分の子供を盾にして俺たちの仲間を売りやがったんだよ!」


シンは血を吐きながら、へこんだ鎧を抱えて立ち上がった。

(……俺も、名家の看板がなきゃ、ただの弱い男だ。でも、この子も『看板』のせいで殺されるなら、今の俺と同じだ。親が誰かなんて、関係ない……!)

「……子供に、何の関係がある……。親は親だ、子供は子供だろ! 悪党の子供は悪党か? 違う……人は、自分の道を選べるはずだ!」


「うるせえ、綺麗事言ってんじゃねえ!」


男の拳が再び迫る。シンは少女を抱きかかえ、目を閉じた。

だが、衝撃は来なかった。


「…………がっ!?」

見開いたシンの前で、クロが男の拳を無造作に片手で受け止める。絶妙なタイミングで現れた黒の王は、無言で男を睨みつけた。その瞳に宿る凄まじい殺気が、路地裏の空気を一瞬で凍りつかせた。


「……ひ、ひいっ! 覚えてろよ!」

男は腰を抜かし、一目散に逃げ去っていった。


「帰るぞ、シン」

クロは振り返りもせず、そのまま歩き出す。シンは少女に優しく語りかけた。

「……何があっても、君は君の人生を行くんだ。いいかい?」

「ありがとう、お兄ちゃん……」


工房に戻ったシンの瞳には、もう迷いはなかった。

「バールさん。……お願いします。新しい装備を作ってください」

もう、家柄なんて関係ない。自分は一人の冒険者として生きていく。

決意の証として、シンはこれまで執着していた銀の鎧を、処分してもらうために差し出した。


「……やっと家柄を捨てたか。少しはまともな面構えになったじゃねえか」

クロが、珍しくシンを短く褒めた。


装備を脱ぎ捨てたシンの体は、昨日よりもずっと身軽に感じられた。

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