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キャンバス~色なき世界のアービトレーター≪仲裁人≫~  作者: ぶーたん
第5章 産業革命編

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第87話 星を隠す帳(とばり)

クロとアクスは青の国へと足を踏み入れていた。

広がる水路を流れる水は、一見すると透き通り、何の違和感もない。クロは膝をつき、水を手ですくって一口飲んだ。


「んー。……特に問題ねえな」


アクスはクロに呆れていた。

「当たり前でしょう。青の国は私が常に浄化しているから、周辺はきれいなままよ。問題なのは、水路から少し離れた場所なの」


アクスの案内に従い、歩くこと三十分。青の国の都が遠く小さく見える距離まで来た。

「この辺りからよ。汚染が深刻なのは」


「……おい。ここって、俺が直接取引してるリンゴ酒の農園の近くだろ。ふざけんな、俺の楽しみを奪う気かよ」


クロは農園の土を手に取り、指でこすって匂いを嗅ぐ。どこかで嗅いだことのある、鼻を突く嫌な臭いだ。彼はためらうことなく、その土を一舐めした。

「なっ……何を、汚いですよ!?」

アクスが悲鳴のような声を上げる。


クロはペッと土を吐き出すと、鋭い目で地平線を睨んだ。

「……まずいな。だが分かった。この味と匂い。魔導石が燃えカスになった時の、あの独特な硫黄の臭いだ。魔導列車の排気と同じだな」


「本当ですか? ですが、この辺りに魔導列車は走っていませんけど……」


「悪いが、一緒に来てもらうぞ。確かめたい場所がある」


二人は一度、青の国の『ディスカラー』へ戻ると、転移魔法を使ってグレーゾーンへと向かった。かつて「英雄の逆鱗」と呼ばれた戦いの跡地。そこに店舗を作っておいて正解だった。


「……っ、これは」

転移した瞬間、アクスが口元を押さえた。

大気を震わせる地響きのような重低音。新時代の鼓動とも呼べる工場の稼働音が、夜の静寂を塗り潰している。

外の空気を吸った瞬間、クロも確信する。農園の土を食べた時の、あの「焦げた魔力」の匂いが充満していた。


クロはアクスを連れ、巨大な工場の群れへと歩みを進める。

深夜だというのに、工場には不気味な明かりが灯り、高くそびえる煙突からは絶え間なく黒い煙が吐き出されていた。


「監視塔がありますね。……警戒されているようです」


「ああ、あの監視は『視る』能力に長けてるな。これ以上近づけば、ネズミ一匹逃さずバレるぞ」


「じゃあどうするのですか? このままじゃ、何もわかりません」


「工場はあそこだけじゃねえ。……ついてこい。もっと監視の緩い場所を探す」


クロは監視の穴を探し、工場の側面を隠密に移動する。ちょうど、疲れ果てて居眠りを始めている監視員がいる工場を見つけた。

「あそこなら調べられそうだな。……おい王様、走れるか? いや、めんどくせえ」


クロはアクスをひょいとお姫様抱っこすると、一気に走り出した。

「ちょっ、な、何を……!?」

「静かにしろ。バレるだろ」

アクスは恥ずかしくて顔を隠しながらも、クロの腕の中で口を噤んだ。


工場の側面に辿り着くと、そこには太い排水パイプが地面を這っていた。

「これですか……?」

暗がりで見えないアクスが手を伸ばそうとするのを、クロが片手で制し、代わりに自分が触れた。


パイプから漏れ出す水は、ドロドロとした泡を立て、鼻が曲がるほどの激臭を放っている。

「これだな。土の匂いと同じだ。手も簡単に溶けるぞ。……自然には悪いものだろうな」


アクスはその惨状に、自身の浄化の力が及ばない恐怖を感じ、唇を噛んだ。

「……ひどい。こんなこと、許されるはずがありません! 乗り込みますか?」


「いや、一度引くぞ。お前は中央ギルド国家へ戻って掛け合ってくれ。王が言った方が効果あるだろう。……太陽が出る前に離れるぞ」

クロは遠ざかる工場の明かりを振り返った。


「こんなことまでして国を発展させたいなんて、私は思いません……」


「王としては正しい判断だな。……ここからは俺の仕事だ」


「何をする気ですか?」


「誰がこの毒を流して、誰がそれを隠してるのか……元凶を突き止める。中央のあのガキ、イリアにも釘を刺されてるからな。『余計な真似はするな』ってよ。あいつも急激な変化に頭を抱えてるんだろうが、俺に指図するたぁ威厳もクソもねえ言いぐさだったな」


夜が明け始めるとともに、空から雨が降り出した。

だが、それは恵みの雨ではない。空の煙を吸い込んだ、どす黒い『黒い雨』だった。


クロは黒いマントを広げ、アクスを雨から守るように包み込んだ。

「ジウジウ」と雨粒がマントを焼く音を聞きながら、二人は黒い雨に濡れる巨大な工場を、ただ静かに見つめていた。


「アクス。お前は国に戻って、あのガキ(イリア)に頼れ。これはもう、一貴族や一商人の仕業じゃねえ。……『時代』そのものが毒を吐いてやがる」


「……っ。わかりました。信じてみます、彼を」


雨は激しさを増し、工場の黒い輪郭だけが、怪物の牙のように闇に溶けていった。

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