第85話 落ちぶれた名家
シノブが店員として入ってから数日。
最初はたどたどしくしていた彼女だったが、ウィッチが趣味で買っていた『忍者衣装』を着せてみたところ、驚くほど見事に着こなした。シノブは「気配遮断」や「身体強化」に長けた隠密系の能力者だったらしく、その素早い動きで注文をさばく姿は、またたく間に客たちの評判となっていた。
今日は特に客が多い。シノブが残像を残さんばかりの速度で料理を運ぶのを、クロはカウンターで酒を飲みながら呑気に眺めていた。
そこへ、脳天を揺らす重い拳骨が飛んでくる。
「働かんか、このバカたれが!」
ロウが血管を浮かせて怒鳴っていた。
「いてえな、じじい。いいだろ、優秀な店員を連れてきたんだから。無給で働いてくれるんだ、文句ねえだろ」
「このアホんだら! お前が働かんでどうする! 呼び込みにでも行ってこい。お前がルミナス家を叩き潰したせいで、公式の依頼がさっぱり来なくなったんじゃぞ!」
「……ったく。わかったよ、行けばいいんだろ」
クロは渋々店を追い出され、中央ギルド国家の街並みを歩き出した。
「呼び込みったって、この辺は店が多いからな……。そうだ、試験場にでも行って、不合格になった連中でもスカウトするか」
試験会場に近づくと、人だかりと異様な怒号が聞こえてきた。
1対1の決闘形式でランク昇格試験が行われているようだが、土煙の中にいたのは、あのお坊っちゃま――シン・ルミナスだった。
シンは飛んでくる魔法を、不格好に転がりながら避けていた。
避けるたび、周囲の観客から凄まじいヤジが飛ぶ。
「名家なんて潰してしまえ!」
「当てろ! 殺してしまえ!」
「今までの恨みを晴らすいい機会だ!」
「私たちの怒りを思い知れ!」
シンには、かつての栄光の重みすべてが「憎悪」となって降り注いでいた。
魔法を剣で受け流そうとすればブーイングが飛び、前に出ようとすれば、足元に観客がこっそり放った妨害魔法の石が転がり、シンは派手に転倒する。
クロはその光景を見て、言葉にできない苛立ちを覚えた。
「クソ……っ。なんで、みんなあんなにルミナス家に仕えていたのに……!」
シンの叫びに、対戦相手の魔法使いが冷笑を浮かべる。
「仕えていた? 違うね。僕たちはルミナスの『ブランド』に付いていただけだ。名家じゃなくなった君になど、何の価値もないんだよ」
魔法使いが杖を構え、致死量に近い巨大な火球を放つ。
シンは逃げる気力も失い、ただ静かに目を閉じた。
「……ったく。まだ終わってねえのに、負けを認めるなよ」
周囲は爆炎が直撃したと思い歓声を上げたが、煙が晴れると、そこにはクロが立っていた。炎はクロの手元で霧散し、何事もなかったかのように平然としている。
「お、お前は昨日の……! なぜここに! これは正当な試験だぞ!」
魔法使いがうろたえる中、人だかりから顔に深い傷のある試験官が歩み出た。
「困りますよ。部外者が試験の妨害をされては……」
「試験? 笑わせんな。俺の目は誤魔化せねえ。てめえもこっそり妨害魔法を混ぜてただろ。これはただの集団リンチだ。試験官失格だな」
「あなたには分からないでしょう、この傷の痛みは!」
試験官が逆上して叫ぶ。「こいつの父親に、動きが遅いというだけで付けられた傷だ! 他の観客も皆、ルミナス家に不満がある者ばかりだ! 私たちは正義を執行しているんだ!」
「ふーん。それで? 正義なら多人数で寄ってたかってハメていいのかよ。……真っ向から挑んで、実力で黙らせりゃいいだろ。そんな根性だから、お前もいつまで経っても二流んだよ」
「抜かせ! なら、型破りと言われた試験官もろとも潰してやろう! いでよ、ストーンゴーレム!」
巨大な岩石の巨像が召喚され、クロ目掛けて拳を振り下ろす。
「もうだめだ……」
腰を抜かしたシンが呟く。
「そんなだからDランクんだよ。この程度で怯えてたら、魔獣なんか相手にできねえぞ」
クロは振り下ろされた巨大な拳に向かい、魔力を込めた最短のパンチを放つ。
「『魔撃』」
轟音と共に、ストーンゴーレムの腕が塵一つ残さず消し飛んだ。
「う、嘘だろ……私のゴーレムが、一撃で……」
絶望する試験官に歩み寄り、クロはその顔面に重い一撃をお見舞いした。
シンは、逆光の中に立つクロの背中を、魂を奪われたように見つめていた。
「……かっこいい」
騒ぎを聞きつけた中央ギルドの衛兵が集まる中、一人の男が優雅に現れた。大臣のマルコスだ。
「……なるほど。私怨による試験の私物化ですか。これは看過できませんね。衛兵、この試験官を連行しなさい。資格剥奪の上、禁固刑に処します」
マルコスは冷徹に沙汰を下すと、クロに向けて薄く笑いかけた。
「クロ様、正義感は結構ですが、公務執行妨害はいただけませんね。……今回は不問にしますが、次は『代償』を払っていただきますよ」
クロはこってりと絞られたが、結局お咎めなしで解放された。
店に帰ると、そこにはなぜか、入り口の前で正座しているシンがいた。
「……兄貴! お帰りなさい!」
「なんでお前がいるんだよ。冒険者の仕事はどうした」
「兄貴のところで、一から勉強させてください! お願いします!」
クロは溜息をつき、店内に招き入れた。
「まず、その鎧で接客するな。あと給料はないぞ。いいのか?」
「はい!」
「……わかった。おいカゲ、こいつの制服を用意しろ。シン、お前はまず髪を切ってこい。ここは飲食店だ。あとこの店に身分も国籍もねえ。来た奴は全員『客』だ。わかったか」
「わかりました! 明日、出直してきます!」
シンは清々しい顔で走り去っていった。
「……あの小僧、大丈夫か?」
ロウが心配そうに呟く。
「どうにかなるだろ」
クロは楽観的に答え、シノブが運んできた酒を煽った。




