第84話 名家の試験
ギルド試験会場の隅、クロは木箱を枕にして寝転んでいた。
(もっと飯を食っておけばよかったな。腹が減った。さっさと終わらせるか)
まどろみの中、不快な金属音が近づいてくる。
「……るせえ。静かに歩けよ」
思考を遮るように、コツンと小石が頭に当たった。周囲からクスクスと下品な笑い声が漏れる。
ゆっくりと起き上がると、そこには豪華な装備に身を包んだ5人の冒険者が立っていた。その遥か後方、群れに馴染めず、ボロボロのマントを深く羽織った女が一人、所在なげに座っている。
一番前で、訓練場の砂埃を忌々しげに払いのけているのは、赤髪をなびかせた騎士だ。
「石を当てたのはお前か」
「僕じゃありませんよ。それより、さっさと試験を始めてください。僕たちの貴重な時間を無駄にしないでほしいな」
騎士は周囲と顔を見合わせ、また嘲笑を浮かべた。
「……そうか。じゃあCランク試験を開始する。合格者は、あそこに座ってるボロのマントの女。お前だけだ」
クロが指差したのは、後方にいた女だった。会場が凍りついた。
「おい、ふざけるな! まだ何もしてないだろうが!」
「……うるせえな。俺が合格って決めたんだ。お前らは足音がデカすぎて、後ろの女が気配を消しているのにすら気づかなかっただろ。魔獣に食われる前に帰れ」
クロは愕然とする騎士たちを無視し、女の方へ歩み寄った。
「私、何もしてませんけど……」
「いいんだよ。俺の試験は俺が基準だ。……名前は?」
差し出されたドッグタグには『シノブ』と刻まれていた。
「シノブ、か。……お前、飯は食えてるのか」
「えっ? あ、いえ……昨日の夜から何も……」
「そうか。なら、俺の店に来い。給料は出せねえが、賄いは俺が作る。好きなだけ食っていい。宿もあるぞ」
「……本当ですか? お願いします!」
「おい! クソ試験官!」
耐えかねた騎士が叫ぶ。
「僕は名家ルミナスの男だ。シン・ルミナスだぞ! 僕のようなエリートを落として、そんな浮浪者を拾うなど、ギルドに報告して首にしてやる!」
「名家? 知らねえな。身の丈に合ったランクで遊んでろよ」
白々しく返すクロに、シンは逆上して剣を抜こうとした。だが、抜くよりも早く、クロのマントが生き物のように伸び、シンの腹部を強打した。
シンは力なく地面を転がり、数メートル先で止まった。
「……ガハッ、あ、が……」
豪華だったはずのルミナス家の鎧は泥にまみれ、ひび割れている。
「まだやるの?」
クロは飽き飽きしたように声を出す。
「ふ、ふざけるな……っ。僕は、名家ルミナスを背負う……最高のエリートなんだ……っ! こんな、どこの馬の骨とも知れない酒場店員に……っ!」
シンは膝をガクガクと震わせながら、執念だけで立ち上がった。充密した目でクロを睨みつけ、折れそうな腕で剣を構え直す。
「僕の、最高速の……っ、秘剣を見ても……同じことが言えるかぁぁ!」
限界を超えた踏み込み。だが、クロはその突進を鼻先でかわすと、無防備なシンの背中を、まるでゴミを払うように足の甲で軽く蹴り飛ばした。再び地面に顔面から突っ込み、今度こそ動かなくなったシンを見下ろして、クロは言い捨てた。
「どこが高速の剣だ。遅すぎて、目を瞑っても避けられるわ。……じゃあな」
クロは二度と振り返ることなく会場を後にした。
その翌日。
急な呼び出しがかかった。Aランク試験の再試験――相手は、昨日落としたシンの父親、ランド・ルミナスだった。
「お前か。我が息子に泥を塗り、名家を愚弄した無能な試験官とは」
ランドは観客の前で大仰に剣を抜き、クロに向けた。
「負けるな親父! あんな奴、簡単に倒してくれ!」
端で傷だらけの顔をしたシンが喚いている。観客たちは名家の勝利を疑わず、地鳴りのような歓声を上げた。
クロはそんな騒音を無視して、観客席の隅に、所在なげに縮こまっているシノブを見つけ、歩み寄った。
「……おい。お前、昨日の今日で何やってるんだ。店に来いって言っただろ」
シノブは肩を跳ねさせ、申し訳なさそうに視線を落とした。
「あ、あの……すみません。昨日お店に行こうとしたんですけど、お腹が空きすぎて動けなくなっちゃって……。そしたら、ここで座ってるだけで小銭とパンをくれるって言われて……」
「……。やっぱり不憫だな、お前。その小銭は返してこい。そんな名家の茶番に付き合う必要はねえ。今日からうちで働け。看板娘になればチップで稼げるし、宿も賄いも保証してやる」
「本当……ですか? 本当に、行っていいんですか?」
「ああ。……シノブ、お前は入り口で待ってろ。すぐ終わる」
「貴様ぁ! 私を無視してどこへ行く!」
ランドが背後から切りかかる。クロは振り返りもせず、紙一重でそれを避けた。
「……息子よりは速いか」
クロはランドの顔面を踏み台にして跳び、試験場の中央に着地した。
「一発だ。俺の一発を耐えられたら合格。ダメなら、今日からあんたはDランクだ」
「どこまでも舐めた真似を……ルミナス家秘伝の剣を見よ!」
ランドが踏み込み、鋭い一閃を放つ。だが、クロは悠然と目を瞑った。
(目を瞑った!?)
シンは驚愕した。父の剣は一国を支えるAランクのそれだ。避けることなど不可能なはずだ。
しかし、クロはまるで未来が見えているかのように、最小限の動きで全ての斬撃をスカしていく。焦ったランドの剣が大振りになった瞬間――クロの拳が、その顔面に沈み込んだ。昨日のシンのように、ランドが力なく転がっていく。
「立ってくれ親父!」
シンの悲鳴が響くが、ランドはピクリとも動かない。
クロは無造作に歩み寄り、ランドの首からドッグタグを取ると、自分の端末と重ねてデータを上書きした。
「……よし。今日からDランクだ。身の丈に合った生活をしろよ。さて、シノブ、帰るぞ。今日はハンバーグだ」
「……あ、はい!」
呆然とする周囲を置き去りに、クロはシノブを連れて風のように去っていった。
周囲はルミナス家の敗北を受け入れられなかった。
「クソ試験官が……」
シンは、倒れた父と、遠ざかるクロの背中を、ただ絶望の中で見送るしかなかった。
この一件により、クロの名は「名家殺しの型破り試験官」として裏社会とギルドの間に広まっていく。そして同時に、依頼はパタリと途絶えるのだった。




