第83話 世界の変化と三強、そしてクロの道
『英雄の逆鱗』から一年。キャンバス大陸は、鉄と蒸気の煤けた色に塗り替えられていた。
かつて魔獣車や馬車がのんびりと砂埃を上げていた街道には、漆黒の鉄路が敷かれている。四大都市国家を繋ぐ『魔導列車』の開通は、単なる荷運びの手段ではない。人の移動を加速させ、物価を揺らし、昨日までの「高価な希少品」を、今日には「ありふれた日用品」へと叩き落とした。まさに、世界を飲み込む産業革命の真っ只中であった。
そんな喧騒を余所に、クロは――。
朝からヒメとの日課である訓練に励み、洞窟の中で地面を舐めていた。完全敗北である。
「マスター。本気出してよ。練習にならないよ」
土煙の中で、ヒメが完全に呆れた声を出す。クロはゆっくりと上体を起こし、口の中の砂を吐き捨てた。
「……もうすぐ勝つ。待ってろ」
「いつもそれ言うけど、いつになったら勝てるの?」
「うるせえよ。今に見てろ。三強だか知らねえけど、引きずり下ろしてやる」
「それは私に勝ってから言ってほしいな」
ヒメは今や『三強』の一角に数えられていた。複数のドラゴンを素手で殴り倒し、『ドラゴンスレイヤー』の異名を冠する少女。他の二人は、唯一のSランク冒険者である英雄アレス、そして黒の国の王ロック・ドラゴスト。一国を一人で滅ぼす戦力を指すその異名は、今の世界における絶対的な序列だった。
訓練を切り上げ、二人は拠点である酒場へと戻った。
キッチンではロウとカゲが、開店に向けた仕込みに追われている。ウィッチは店内に施された魔術回路の点検に余念がない。
「ウィッチが戻ってきてくれて助かる。お前がいない間は本当に大変だったんだから」
ヒメがシャワー室へ向かいながら声をかけると、ウィッチはマッスルポーズを作って胸を張った。
「任せるのだ! 休みをしっかりもらったから、今日から全力で頑張るのだ!」
クロがシャワーを浴びて上がってくると、カウンターの隅にある魔導受信機がけたたましい音を立てていた。カゲがそこから吐き出された一枚の紙――緊急を示す「赤紙」を引き抜き、クロに差し出す。
クロは無造作にその紙を受け取り、中身に目を通した。
『元気にしてるか。今すぐ会いに来い。手土産も忘れるな。イリア・ロドス』
「……ったく。中身のない文章送りつけやがって」
クロは苛立たしげに髪を掻いたが、すぐに立ち上がった。
「じじい。王様宛の土産を作っておいてくれ。準備して行ってくる」
「主、行かれるのですか。いつもはあれほど面倒がっておられたのに」
カゲの問いに、クロはローブを羽織りながら短く答えた。
「しょうがねえだろ。一年前の借りがある。顔くらいは出すよ」
中央ギルド国家の城へ到着すると、見慣れない男が迎えに来た。金髪を後ろに流し、隙のない所作をした色白の男だ。
「クロ様、お待たせいたしました」
「見たことない顔だな。新顔か?」
「はい。今回の経済成長を機に大臣を仰せつかりました、マルコスと申します。以後、お見知りおきを」
深々と頭を下げるマルコスに案内され、クロは王の私室へと入った。
そこには、豪華な食卓を前にした王、イリアが待っていた。一年前よりも少し背が伸び、王としての威厳が体に馴染み始めている。
「やっと来たか。遅いぞ」
「これでも急ぎで来た方だ。ほれ、土産だ」
クロは差し出された手に、包みを置いた。
「魔獣の肉で作ったハンバーガーだ。出来立てだぞ」
「おう、わかっているじゃないか。……マルコス、お前は席を外せ。二人で話す」
「かしこまりました。失礼いたします」
マルコスが音もなく退室し、部屋には二人だけが残された。
イリアはハンバーガーにかぶりつき、満足そうに喉を鳴らす。
「で、用件は何だ。わざわざ赤紙まで寄越して」
クロが目の前の料理を一口つまむと、イリアは食事を止め、真っ直ぐにクロを見つめた。
「お願いがあるんだ」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないだろう」
「何も言ってないから怪しいんだよ。周りに聞かれたくない話なんて、面倒事に決まってる」
イリアは苦笑し、子供特有の潤んだ瞳でクロを覗き込んだ。
「わかってるね。……実はさ、中央ギルド国家が列車の開発権を持ってから、内部で不穏な動きがある。僕が調べようとしても、表面上は何も問題が見つからないんだ」
「それを俺に調べろと?」
「いいや。それは僕がやる。クロに頼みたいのは、冒険者試験の『試験官』だ」
クロはためらわずに言い放った。
「断る。ガラじゃねえ」
「そう言うなよ。名家が地位だけで上に登り、質が落ちている。事故を未然に防ぐ意味でも、お前が必要なんだ」
「やらねえよ。他を当たれ」
席を立とうとしたクロに、イリアがわざとらしく大きなため息をつく。
「いいのかなあ。魔獣を狩り放題にしているどこかの酒場が、営業許可を取り消されてもいいのかい?」
「……わかったよ。やればいいんだろ。文句言われても知らねえぞ」
「交渉成立だね。Aランクまでの試験官だ。よろしく頼むよ」
クロは不機嫌そうに鼻を鳴らし、部屋を後にした。
残されたイリアは、冷めかけた食事を見つめ、独り言のように呟いた。
「頼むよ、クロ。……思ったよりも、事態は最悪なんだ」
いつも読んで頂きありがとうございます。
キャンバス続きを書きます。
不定期になるかもしれませんが、やっぱりこの作品は完全に終わらせたいと思いました。
初めての方は2章から読んでもわかるのでよかったら、過去の投稿も読んでみて下さい。




