第10話 運命を書き換えた日
研究棟にて、深夜。
クロは4歳になっていた。獣化して研究棟の屋根の上で遊んでいた。
「今日は曇っていて、お日様が見えないや。もっと高い所に行きたいな。あ、ブラッド!」
「何やってるんだ、クロ!今日は大人しくしてろって言われただろ!」
「別にいいじゃん。みんな忙しそうなんだから、一人で遊んでるだけだよ」
「分かったから、そこから降りろ!怪我したら大変だ。今そっちに行くから」
クロはブラッドが来る前に研究棟から飛び降りた。心配そうに手を伸ばすブラッドをよそに、勢いよく着地する。
「危ないだろ!なんで待てなかったんだ!」
「このくらい大丈夫だよ!」
ブラッドが軽く拳骨を食らわせると、獣化が解けたクロを左腕で抱え、研究室に連れていった。
「ブラッド君、クロ君を連れてきたのかい?」
ブラッドは事情を説明し、深々と頭を下げた。
「まあいいだろう。今日は君に頑張ってもらうから、一緒にはいられないよ」
「所長、私がクロを見ていますので」
ディーテがブラッドからクロを抱きかかえ、優しく頭を撫でた。
「まあ、ディーテ君が見てくれるならいいか。データ君、準備はどうだね?」
「はい。あと5分で行けます」
「では、エレメントコア最終実験に移る。実験体は研究員のブラッド君だ。今までの弱い魔力の実験体では、火、氷、雷の3つの力が拒絶反応を起こし、吹き飛ばされてしまった。ナッシングの実験体でも失敗し、今回こそは魔力の扱いに長けたブラッド君に、長年の準備をしてもらった。これを最後にしよう」
エレメントコア実験とは、能力を持っている人間にさらなる能力を付与しようという、能力者社会を変えるような実験である。しかし、成功例はなく、各国が軍事目的で研究を進めていたものの、無理に触れると死亡してしまう事件も発生し、近頃は禁止条約の話が出てきていた。そのため、今回失敗すれば、研究所としては身を引こうという話になっていたのだ。
研究室はいつもより緊張の色が濃かった。ディーテ以外は皆、忙しそうにキーボードを叩き、画面を睨みつけている。
「データ、魔力放出量は?」
データはクロをちらりと見やり、キーボードを叩きながら冷静に答えた。「今から実験が始まりますが、クロの魔力は常に安定しています。まるで、何もかもを受け入れる器のようだわ。」
そんな中、クロだけはエレメントコアの光をただじっと見て、大人しくしていた。
ブラッドはクロの頭を優しくなでると、覚悟を決めた表情で実験室に向かった。実験室の扉が閉まると、一呼吸置いた。
「所長、いつでも行けます」
「データ君、エレメントコアの出力を上げてくれ」
「はい。出力開始します」
ボタンを押すと、エレメントコアは光を増していく。
「エレメントコア、出力100%です!いつでも行けます!」
データの言葉で、所長がマイク越しに指示を出す。
「では、始めてくれ。健闘を祈る」
ブラッドは白衣を脱ぎ、ナイフで左手を切った。血がエレメントコアに触れる瞬間、血が飛散する。
「だめです!魔力に強い反発を確認!もっと近づかないとだめです!」
ブラッドは死を覚悟し、エレメントコアに向かって走り出す。だが、やはり吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。それを見て、ディーテはクロを抱きしめる力が弱くなる。その隙に、クロは研究室を出ていった。
外では、屋根を壊そうとするかのような大雨が降り注いでいた。
「ブラッド君、無事か!返事をするんだ!」
研究室が失敗の空気に包まれる中、クロは実験室に入っていた。無邪気にエレメントコアに歩みを進める。
「所長、まずいです!このままではクロも吹き飛ばされてしまいます!」
「データ君、急ぎ止めるんだ!」
「もうやっています!でも、すぐには無理です!」
クロがエレメントコアに導かれるように触れると、3つの光がクロの中に入っていった。
目を覚ましたブラッドは、クロが実験室にいることに驚きながらも、全力でクロを抱きしめた。
「何があったんだ!クロ、無事なのか!」
「ん?何もないよ」
何も変わらない笑顔でブラッドを見つめる。一同は沈黙した。所長は興奮を隠せない。
「エレメントコアは確かに取り込まれたはずだ。なのになぜ何も起きないんだ?データ君、魔力に変化はないか?」
データはモニターを睨みつけ、かすかに震える声で報告した。「いえ、今まで通りで何も変わったことはありません。しかし、このデータは、人類の歴史上あり得ない規格外のデータです。所長、この子は……」データはそこで言葉を切った。
一同が困惑する中、急にクロは寝てしまった。いくら揺さぶっても起きず、研究は中止を余儀なくされた。
クロは7日間、目を覚まさなかった。
ディーテ、データ、ブラッドの3人は、交代でクロのことを見守っていた。ブラッドはクロを見ながら、自分のせいでこんなことになったと、自分を責めていた。
「もっと色々な話をしてあげたかった。なんで俺の代わりにこんなことに……。代わってやりたいなんて、俺には言う資格はないのかもな。命の恩人だ。クロ……」
涙がクロの頬に当たり、伝っていった。様々な感情が湧き上がってきて、ブラッドは泣いてしまった。今日だけは許してほしい、これからは笑顔でいると心で誓った。そのとき、クロが急に手を伸ばし、ブラッドの涙に触れる。
「なんで泣いてるの?悲しいの?」
「いや、お前が起きて嬉しくてな。つい涙が出ちまった。身体は問題ないか?」
ブラッドは笑顔で答えた。
「何が?普通に動くけど」
「そうか。それならよかった」
ブラッドは強く、それは本当に強く抱きしめた。
「ちょっと、苦しいってば!」
「ああ、ごめん。つい、もう目を覚まさないかと思ってな」
クロは目を輝かせた。「夢の中で、火の熱さ、氷の冷たさ、雷の速さ、それらがすべて自分のものになったのを感じたんだ。それよりブラッド、放出系の使い方教えてよ。夢の中で3つの色が一緒に遊んでくれたんだ」
ブラッドは、やはりエレメントコアがクロの中に入っていったのだと確信した。取り出し方など存在するはずがない。ここからは前例のない話だ。
ブラッドは決意した。(この能力は軍事的な脅威になる。世界が知れば、この子は研究対象ではなく兵器として扱われる。この笑顔を守るためには、所長と俺たちだけの秘密にするしかない)
「分かった。だけど、みんなに起きたことを言わないとな」
ブラッドは笑顔でクロに手を差し出した。
「うん」
クロはブラッドの手を握る。この時までは知るはずがなかった。この先に、大きな後悔があることに……。




