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鬼類たちの狂想曲  作者: Niino
7/21

 春を迎える前に取り替えられたらしい畳はまだ青々として、よいイグサの香りを漂わせている。上級職や代議員達の居室などを除けば院でも毎年の畳替えはやらないらしく、宴会場となったこの大広間も畳替えは三年振りだという。岩と砂の町からやってきた城太郎と京にとっては真新しいイグサの香りがことさらに素晴らしいものに感じられ、二人はまるで森の中にいるような心地よさを覚えた。

 宴会場には四つの卓が一つの島となったものが全部で八つしつらえられている。部屋の奥に一段高くなった演台があり、少し間を開けて島が三、三、二と並んでいる。席は事前に決められており、辛丸、伝兵衛、城太郎、京の四人は真ん中の列の一番窓側の島に座る。四人とも鬼士袴を身に着け帯刀している。通常なら宴会の席に得物を持ち込んだりしないのだが、この宴会については事務局から「得物を持って正装」の指示があったから、労をねぎらう目的ではなく外部から呼ばれた鬼士達の顔見世を重視した宴会なのだろう。城太郎は声に出さずに「面倒臭ぇ」と口を動かし伝兵衛にひと睨みされる。

 五分と待たずに真ん中と後ろの二列の島が埋まった。つまり外部から呼ばれた鬼士達は六組ということになる。風祭宗円とロシア系鬼士の顔も見える。宴会の開始時間七時を一分ほど回ったところで最前列の客が入ってくる。院の幹部たちだ。院の実務上のトップである事務総長、副長、各事務局の局長、精錬鬼師団の団長、副団長、各藩の鬼人代表である代議員で構成する評議会の議長、副議長。いわゆる高級鬼士たちだ。院長と副院長は基本政治には関わらないため、事実上この鬼界の舵取りを担うエリートたちである。総務事務局の総務課長が立ち上がり演台に上がってマイクを取った。

「院総務事務局の平子でございます。定刻となりましたので始めさせていただきます。では、事務総長の青風院剣山よりご挨拶申し上げます」

 黒い総髪をなびかせながら剣山が壇上に上がる。御年百二十歳。院史上最年少の事務総長である。里の年頃で言うと四〇代後半と言った見た目である。

「まずはわざわざ長岡の地まで足を運んでくれた鬼人諸君に院を代表してお礼申し上る。ささやかではあるが小宴を催し歓迎の意を表したいと思う。しかし、酒と料理に手をつける前に皆に伝えなければならないことがある」

 剣山は言葉を切って場内を見回す。内心はどうかしらないが表情は鎮痛だ。

「先週の金曜日のことだ。もう耳にした者もいるかもしれないが、防衛省より当院に派遣され王宮守備隊副隊長として奮闘中であった斎藤壮真君が亡くなった。まずは皆で斎藤君に黙祷を捧げよう」

 平子が腹から響く声で「全員起立!」と号令をかける。城太郎たちも立ち上がる。呼び集められた他の鬼士達も素直に従っている。平子の「黙祷!」の声に全員頭を垂れる。ゆっくり十ほど数えたところで「直れ」の声がかかった。剣山は身振りで着席するよう求めると、演台の下手のほうを指した。

「では彼の友人であり同じく防衛省から当院に派遣され精錬鬼士団副団長を務める甲斐雅樹君の言葉を聞こう」

 濃紺のスーツ姿の男性が演台に上がり事務総長に一礼するとマイクの前に立った。場内に向かって一礼。出席者たちも黙礼を返す。

「壮真とは防衛省の剣道部で知りあいました。同じ鬼類であることからすぐに打ち解け、私たちは家族ぐるみで旅行や食事に行く仲になりました。彼の死を、彼の妻に伝えたのは私です。私には電話の向こうで泣き崩れる彼女にかける言葉がありませんでした」

 場内はシンと静まり返っている。

「壮真を殺した相手を、私は許すことができない。残された彼の妻、子ども、そして彼の同僚たちも同様です。みんな悲しみにくれています。一日も早く犯人が見つかり裁きを受けることを願ってやみません」

 一礼して演台を降りる甲斐。平子がマイクを取り「続いて調査の状況について警護事務局より説明する」と告げる。誰かが小さく「早く喰わせろよ」と呟くのが聞こえた。

「警護事務局警備課の立冬花です。斎藤副隊長の発見時の様子並びに捜査の進捗状況についてご説明いたします」

 伝兵衛が「警備課の係長じゃ。立冬花一族の御曹司でな。年はお前と対して変わらんがもう院に官職を得て係長じゃ。お前も少しは見習うがいい」と囁く。城太郎も「心します」と囁き返す。辛丸は何も言わず口の端で小さく笑う。

「詳細はお手元にお配りした資料に一通り記載してありますので概要のみ申し上げます。斎藤副隊長が発見されたのは朝の六時過ぎ。大講堂では剣道部や合気道部など武道系倶楽部が朝練習を行っています。発見者はその日の鍵当番だった合気道部の湯河崎職員です」

 資料には顔写真付きで湯河崎咲良職員の経歴、職歴が記載されている。湯河崎職員も城太郎より若い。代々福井藩の重臣を務める名鬼門出身だ。

「大講堂の正面入り口を開けたとたん異臭に気付き堂内を確認、すぐに天井に突き刺さっている人影に気付いたそうです。天井はドーム状になっており高さは一番高いところで十m二十㎝。斎藤副隊長が突き刺さっていたのはそのドームのほぼ中央、多蜀灯具のすぐ横になります。高さは十mを越えています。そこに床掃除用のモップの柄で刺し止められていました。モップ部分は現場に残っていました」

 犯人は床の上にいた。そこからモップの柄で斎藤副隊長を串刺しにしたまま天井に投げたとするととんでもない怪力だ。まず斎藤副隊長を放り投げ、後からモップの柄を投げて射止めたのならとんでもない運動能力の持ち主ということになる。いずれにせよ犯人は怪物的な能力の持ち主。邪鬼だろう。優れた運動神経を持つ鬼人であれば、バスケットボール程度の物を天井に向けて放り投げ、そこに槍を投げてボールごと天井に突きさしてしまうことは可能かもしれない。無論二十回、三十回と試してようやく一回できるかどうかだろうが。

「―というわけでありまして、現場の痕跡から犯人は一人と思われます。ここまでのところで何かご質問は?」

 最後列で手の上がる気配がした。

「宴会だって聞いてたんだがな。捜査員会議か何かの間違いだったか?」

 立冬花が笑って軽く頭を下げた。

「皆さんには早速明日の朝から仕事に取りかかっていただきたいのです。仕事の内容についてご理解いただく必要がありますのでもうしばらくご辛抱を」

 演台に女性が一人上がる。警備事務局の課長だと伝兵衛が囁く。

「立冬花、あとは資料に眼を通して貰うとして、重要なポイントだけ私から説明しよう」

 立冬花は「はい」と返事をして場内に一礼すると演台を降りる。女性課長がマイクを取る。里の年頃で四十半ば、鬼で百前後といったところか。先程と同じ声で「説明はいいから酌でもしろって」の呟き。わざと耳に届くように呟いている。

「施設警備担当課長の吉久良です。そちらの鬼士殿には後ほど私が直接お詫びしましょう。さて、大事なポイントだけお伝えします。今回の事件ですが、斎藤副隊長を殺害したのは邪鬼だと思われます。状況からして半邪鬼、初期の邪血病患者ではないかと思われます。鬼人を越えた力を発揮しながらも理性を失っていないからです。邪血病は末期にならないと血液検査での判定が難しい病です。特に初期のうちは医学的検査で発見するのは難しい。患者本人が自身の体調変化、鬼虫の異変に気付き、脳波、細胞診、M型菌反応テストなどの詳しい検査をして初めて診断が下せますが、この院内の人間を直ちに全員検査することは不可能です」

「相手が半邪鬼なら不活剤を注射したらどうだ?」

 M型共生細菌不活剤。鬼虫の活動を鈍らせる薬だ。完全に邪鬼化し暴走をコントロールできなくなった鬼虫には効果が薄いが、半邪鬼には効果がある。半邪鬼だけでなく一般の鬼人にも有効だ。元々は鬼士院が邪鬼対策に研究していた薬だが、今では対鬼人テロリスト用にと警察や軍もこの薬を備蓄している。

「院の鬼士全員に不活剤を打てば院が機能しなくなってしまいます。それに一時的に不活化するだけでは邪血病はなおりませんし、不活剤で鬼力を発揮できない状態で邪鬼に襲われたら対抗のしようがありません。それに半邪鬼を見つけるには邪鬼化するところ、現場を抑える必要があります。不活剤で邪鬼化できなくしてしまっては意味がないのです」

 今度は誰も何も言わなかった。吉久良が続ける。

「半邪鬼捜索の指揮は警備事務局の局員が執ります。皆さんには捜索隊に加わっていただき、半邪鬼を発見したら討伐隊の支援に回っていただきます。まぁ捜索といっても遺留品や痕跡はもう調べつくしているので、城内の警備補佐といったほうが正確化もしれません」

 ロシア系の鬼士が口を開いた。

「役回りは心得てるつもりだ。余計な仕事をする気もさらさらねぇ。そのほうが安全だしな。なんならサービスで観光客と一緒に写真に写ってやってもいい。だがもしだ、偶然邪鬼を見つけたら、そん時は殺っちまっていいのかい?その場合の褒賞はどうなる?」

 訛のないナチュラルな日本語だ。

「報酬は契約内容に従ってお支払いします」

 契約書に邪鬼を退治した場合の褒賞金額など定められていない。余計なことをするなということらしい。吉久良はしばらく演台に留まったが、質問がないと判断して「後は資料をよく読み込んでおいてください」と言って演台を降りる。再び平子がマイクを取る。

「では最後に今回院外からお招きした鬼士の皆さんをご紹介しておきましょう」

 チラと手元のメモに視線を投げる。

「兵庫藩西宮鬼道事務所東分所所長、紫龍正雪城太郎殿、弟子の一野京殿」

 城太郎と京は立ち上がって演台に上がり一礼する。二人とも鉄紺色の鬼士袴に紅サンゴの数珠飾り。城太郎の腰には愛刀「霧雨丸」。結絡師の京は腰に輪にした組紐の束を吊っている。着物の胸元に緑色の風呂敷が覗いている。

「ロシア国鬼士、イルクーツォ・カエデ殿、イシグロ・クレンショウ・イワン殿」

 ロシア系の二人が立ち上がって演台に上がる。イルクーツォ・カエデは里で三十、鬼で六十半ばぐらいの女性鬼士、イシグロ・クレンショウ・イワンは同年代か少し若いくらいに見える男性だ。二人とも背が高い。イルクーツォは城太郎とほぼ変わらない背丈に見えるから百八十前後、イシグロは二mを越えていそうだ。夫婦や恋人といった雰囲気はないので仕事だけのペアなのだろう。二人とも彫銀細工の飾りがついた漆黒の革鎧を付けている。任務に就くときには飾りは取ってしまうのだろう。イルクーツォは髪も黒。女性鬼士には珍しく短めにカットされている。瞳の色は氷のような鋼色だ。得物は蝶のようなブレードの両刃斧。柄の先端に丸く穴が開いている。ここにロープを通して振り回すこともできそうだ。イシグロのほうはバイソンの毛を思わせるゴワッとした茶色の長髪。瞳の色も茶色だ。得物は棘の付いた鉄球棒。品の良い高級な釘バットといったところか。

「台湾総統府鬼道研究院、陽俊男殿、李美玲殿」

 台湾から招かれたらしい男女が壇上に上がる。お世辞抜きの美男美女でにこやかな笑顔を浮かべながら歩く姿は結婚式の新郎新婦入場を思わせる。城太郎達と同じ鬼士袴を来ているが飾り刺繍や留め具、身に着ける装飾品は金や宝石を使った華やかなもので雰囲気がかなり違う。二人とも城太郎と似たような年頃に見える。里でいうと二〇代半ば、鬼の見た目で三〇半ばといったところか。ちなみに城太郎は今年の秋で三四になる。陽は腰に諸刃の直刀を差している。髪を黒く長い布でまとめ余った布を背に垂らしている。李は髪を渦巻状にまとめ金の簪で留めている。背には艶消しを施した黒い自動小銃。アーマライトM16。誰もがゴルゴ13を思い浮かべるあれだ。李は黒髪に一筋銀のメッシュを入れている。と、思ったら左目だけが淡い砂色だ。オッドアイだ。鬼人にはオッドアイの者、変わった髪の色をした者が比較的多い。髪はメッシュでなく地なのかもしれなかった。

「西国鬼士連合、山田弁慶殿、鈴木須佐之男殿」

 巨漢の二人が薄ら笑いを浮かべながら立ち上がる。歩き方もなんだか汚い。がに股で肩を揺すって歩く。上背だけならイシグロの方が高いが肉の厚みならこの二人だ。どちらも身長百九十㎝前後、体重は百五十㎏を越えているだろう。鬼士相撲の力士崩れといった風情だ。山賊風のワイドパンツがパンパンに張っている。大きな布地に丸く穴を開けただけの物を素肌の上から被り、その上から腰と肩から斜め掛けに革ベルトを巻いている。ベルトは弾帯になっておりショットガンのカートリッジが隙間無く詰め込まれている。右腰に銃身と銃床を切り落とした上下二連式ショットガン。山田は腰ベルトの背に採石場の石工が使いそうな柄の長いハンマー、鈴木は巨大なスパナを差している。

「ニュージャパンテレコム探偵事務所、風祭宗円殿、弟子の不破義信殿」

 二人が演台に移動する。平子が「お二人は事件前から偶然城内に逗留されていたため、今回特別にご協力をいただくことになりました」と説明する。

 宗円は光沢のある濃い紫のスーツに薄桃色のシャツ、緋色のネクタイ。指輪やピアスの類は付けていないが、タイピンとカフスボタンにはサファイヤが嵌め込まれており、腕時計にはダイヤが散りばめられている。義信は宗円より少し明るめの青紫のスーツに白いシャツ。青いネクタイ。シンプルな銀のタイピン以外は何も付けていない。

 二人とも得物を身に付けていない。鬼士探偵を名乗る宗円は、自分たち探偵は院の鬼士や町の鬼道事務所の執行官と違い絡まった事実を解きほぐすのが仕事である。だから探偵として仕事を受ける時は誰かと闘ったり倒したり威したりする必要がなく、したがって重い剣や銃などの得物は不要であると言っている。仰々しい得物を持たず、ビジネススーツなど平服で仕事をし、笑顔を絶やさず庶民のレベルまで降りていくことを躊躇わない宗円は里での人気が高い。

「以上で院外からお招きした鬼士の方々の紹介を終わります。食事を運ばせていただく前に一点だけ、明日は九時に謁見の間に集合願います。正装して得物をお忘れなく。朝食は宿坊一階レストランにて七時からとなります」

 平子が喋り終わると同時に制服姿のホールスタッフがビール瓶と先付けの小鉢を持って大広間に雪崩れ込んでくる。城太郎が懐から懐中時計を取り出す。八時五分過ぎだった。

「正雪、京、まずは幹部の皆様に挨拶じゃぞ?」

「はい」

「はい」

 城太郎はげんなりした表情を浮かべないよう臍下に力を込め鬼力を奮い立たせた。

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