狩り
鬼士袴に着替えた二人はコジロウを伴って宿坊の部屋を出る。
「ルームキー持ったか?鍵の閉じ込みなんてやると恥ずかしいぜ」
「うん。大丈夫」
二人は宿坊エリアを出て城太郎の師匠紫龍公孝伝兵衛のいる住居棟へと向かう。最初に長岡京に清良院が建てられた際、そこには早良親王を祀るための本殿と鬼人たちの住居、そしてそれらを取り囲む巨大な石垣しかなかった。鬼人が増え、院の仕事が増えるにしたがって本殿はいつの間にか巨大な五重の塔となり、院の政務を行う亀甲塔、事務全般を行う水墨塔が建てられ、衣食住を賄う店が立ち並び、学校や病院、観光客を受け入れるための土産物屋や宿泊施設が建てられた。生き物が新陳代謝を行いながら成長するように増改築を繰り返してきた鬼士院は今では巨大な立体迷路となっている。今でも日々どこかで工事が行われており道や店の位置が猫の目のように変わる。そのため院の建築営繕局では院内向けと観光客向けに「今週の地図」を発行しているほどだ。
院内に房を持ち、日々ここで暮らす者たちにとってもこの迷宮の道を完璧に把握するのは難しい。そこで犬の出番である。鬼人同様、体内に鬼虫を宿した鬼犬たちを訓練しサポート犬とするのだ。彼らは並外れた嗅覚と聴覚、動物的勘でもって危険を察知したり、獲物を追い立てたりするだけでなく、この迷宮内で素早く目的地や人物の位置を嗅ぎつけ、鬼士たちを迷うことなくそこへ導くのである。
城太郎と京は師の待つ住居棟エリア、蜂屋塔の近くまで歩くとコジロウの鼻先に師から送られた手紙文を近づける。手紙文には師が好んで使う香が焚き込んである。
「コジロウ、じいちゃんの家まで頼むよ」
城太郎と共に暮らすようになるまでは伝兵衛の鬼道場に住み込んで暮らしていた京はその頃の名残で伝兵衛をじいちゃんと呼ぶ。コジロウは初めの一二分は迷っていたが、すぐに確信に満ちた表情になると自慢気な表情で城太郎と京を振り返って小さくワンと吠えた。ズンズンと力強く歩き始める。城太郎と京はコジロウの後ろを付いていく。
「お久しぶりです師匠。息災のご様子で何より」
「うむ。挨拶はよいが正雪、師匠の前で飴を頬張るとは何事か。それだからお前は官職の声がかからんのだ」
「いや、師匠、実はここに来る途中鉄也兄さんに挨拶をして来ましたので。砂漠の街で喉をやられてしまいまして」
「ふん、下手な言い訳しおって、全く」
紫龍公孝伝兵衛。城太郎の鬼道の師である。現在鬼士院の錬成事務局幼年課課長補佐を務めている。出世街道の入口に立ったといったところか。口は悪いが情に篤いタイプで、様々な事情で親元を離れざる得なかったり、身寄りがない鬼類の子の里親を務める篤志家でもある。京も伝兵衛の鬼道場に身を寄せていた一人だ。兵庫藩にある伝兵衛の鬼道場は今では城太郎ら弟子達が共同で運営している。そして今でも「義弟」と「義妹」が二人ずつ道場で生活している。
「まぁいいじゃないか公孝。飲み物をタダにしてやれと言ったのは俺だしな」
ニヤリと笑ってそう言ったのは鬼士院の外交事務局で次官を務める辛丸雄山栄太郎。伝兵衛の岳父で院内での伝兵衛の後ろ盾でもある。
「まったく、タダ酒に卑しく飛びつきおって」
ご立腹の伝兵衛だったが城太郎の後ろに控えている京を見て顔が緩む。
「元気だったか京。このだらしない兄を見習うでないぞ?」
「はい、公孝様もお元気そうでなによりです。兄者にはいつも良くしていただいています」
「ここにいるは身内ばかりじゃ。ジィと呼ぶがいい。正鬼道流儀と錬成万葉はちゃんと読んでおるか?何度も繰り返し読んで実際にやってみることが大事じゃ。兄のように手を抜くでないぞ」
「読んでいます。本文だけじゃなくじいちゃんの書き込みも」
俺も手は抜いてませんよと言う城太郎を無視して伝兵衛が嬉しそうに頷く。
「あの書き込みは我が師紫龍良寛周作自身が修業時代に書き込んだもの。それを弟子の儂がいただいたのじゃ。もちろん儂自信が気付いたことも書き加えてあるが。結絡の方も修練を積んでおるようだな。その指先を見れば分かる。幼い頃から糸繰りの上手い子だったが」
伝兵衛が少し遠い目になる。その様子を見て城太郎は心の中でこっそり小さく溜息を吐く。幼いころから京は伝兵衛のお気に入りであった。あからさまな依怙贔屓こそしないものの、京を見る眼差し、かける言葉の端々に愛情が溢れていた。感覚に優れた鬼人たちがそれに気付かないわけがない。義兄弟たちもすぐにそれに気づき、ほんの少し京とは距離を置いていたし、京自身も義兄弟達の困惑に気付いていたようだ。無論その才能を見抜いてのことだろうが、道場生の中には「師の隠し子ではないか」とか「美少年である京に特別な感情を抱いているのでは」などと噂する者もいた。城太郎ですらひょっとするとそれらの噂は的を得ているのではないかと感じるときがあった。伝兵衛は鬼士院に上がる事になったとき京の世話を城太郎に託した。同時に城太郎は兵庫藩内の比較的大きな町の鬼士事務所の分所に分所長として赴任することが決まった。それまで目立った功績もなく、里出身で鬼門に有力な血縁者もいない城太郎の選任は大抜擢と言えた。地方都市の分所長風情のことなど鬼界で大きな話題になることはなかったが、紫苑流の人間は皆内心「?」と思ったことだろう。候補者であれば流派の内外を問わず大勢いたのだ。この話を聞いた者は口にこそ出さないものの「京の保護者」を引き受けた見返りだと感じたに違いない。そんな中で城太郎こそが適任だと言ってくれたのは師の伝兵衛と京だけだった。伝兵衛は「儂が多くの弟子からあの分所に最も相応しい者を選び推薦した。それだけじゃ」とニコリともせずに告げ、京は「兄者の風合いはあの町の雰囲気にぴったりだから」選ばれると思っていたと真顔で言った。
「そう僻むな正雪。公孝がお前を褒めないのは期待の裏返しだ。お前はもっとやれるのにと歯痒いんだ」
辛丸が得意のニヤリを浮かべながら城太郎に声をかけた。城太郎は少し無理して笑顔を作り「もちろん分かってます」と答え、伝兵衛は「ふん」と鼻を鳴らした。
「ところで師匠、突然のお召ですが今回の用向きは?」
「うむ」
伝兵衛はチラと辛丸に視線を投げてから話し始めた。
「この後の宴席で警護事務局から詳しい事情を説明することになっておる。二人ともそのつもりで聞いておけ」
伝兵衛は茶を一口含むと着物の襟元を軽くしごく。大切な話をする際の伝兵衛の癖だ。もっとも本人もその癖を自分で分かっていて「大事な話だからよく聞け」という意味合いでわざと相手に見せているのだ。俺に分所長への推薦を告げるときも同じ仕草をしていたなと考えながら城太郎は「はい」と応える。
「院には政府からの出向職員が何人かおるのは知っとるな?防衛省から二人、警察庁から一人、厚労省から一人。里風に言うと全員M型共生細菌保有者、全員鬼類じゃ。防衛省の一人は文官でな、院では精錬鬼士団の副団長を務めておる。もう一人は軍の佐官でな、王宮守備隊の副隊長じゃ。警察庁の者は警備事務局の参事官、厚労省の者は保健事務局の参事官を務めておる。どれも充て職ポストでな。代々政府からの出向者が務めておる。儂の知る限りは出向者は皆鬼人族じゃな」
「ただの里人が院内に入っても― 色々と難しいでしょうから」
「確かにな。ただこういう時代だ。里人も自由に院に出入りできるようにしろとか、鬼人ファーストを改めて心のバリアフリー化を進めろなどと言わせないようにするのも我々外交事務局の重要な仕事だからな」
伝兵衛が頷いてから続ける。
「これはまだ外部には発表されていない事だ。五日前、防衛省出向組の武官が死んだ。殺されたのだ」
城太郎と京が息を呑む。殺人。院内での殺人。
「講堂のな、丸天井に突き刺さっておった。モズの早贄のようにな。血を抜かれカラカラに干からびたミイラのような体が丸天井の一番高いところに箒の柄で刺し止められておった」
城太郎と京は無言。城太郎は記憶の中の講堂を思い浮かべ、あそこには丸天井を這い昇っていくための梯子や、或いは屋根側から中に入るための天窓があったかなと考えた。伝兵衛が面白くなさそうにフンと鼻を鳴らす。
「お前は知らんだろうが二年前に天井崩落防止ための補強工事があってな。太い鉄骨を菱格子に組んで耐震性能を上げたわけだ。ありがたくも社会資本耐震基盤整備交付金なるお国の補助金をいただいてな。おかげで講堂はお里の耐震基準をクリアした立派な建物に生まれ変わったわけだ。五百年の歴史がある飾り天井を台無しにしてだがな。補強工事の際は足場を組んだがもちろん今はない。鉄骨自体も直径五十㎝のパイプ状でな。丸くてなんの取っ掛かりもない。血を抜かれて多少は軽くなっているとはいえ人一人抱えてパイプを伝っていくのは鬼士でも無理だろう。もちろん今も昔も天井に入口や煙突などはない」
「そうですか。じゃぁ、やったのは―」
「邪鬼だろうと考えているよ。警護事務局の局員も邪鬼の仕業だろうと言ってる」
辛丸が応える。
「だろう―というのは?」
「香りが薄い。私も現場を見たんだが、周辺にまで邪鬼臭がプンプンするといった感じじゃやない。講堂内に入ってみると気付く程度だ」
「犬は?邪鬼臭の跡を追いましたか?」
「無論やろうとした。だがそこら中にヤマニンニクやイヌヨモギの粉が撒かれていてな。追えなかった」
「粉に風は?風の香りは残っていました?」
城太郎が尋ねたのは粉に鬼風の名残り、つまり残留鬼力はなかったかということだ。鬼力は鬼士によって風合いが異なるので個人の特定に有効なのだ。
「残っていなかったそうだ」
城太郎は顎先に手をあてて考える。大講堂の天井は一番高いところで十m以上ある。人間をそこまで放り投げ、同時に箒の柄を投げて天井に標本のように刺し止めてしまうのはいくら鬼士でも無理だ。やはり鬼虫の暴走によって爆発的な力を発揮する邪鬼の仕業だろう。その割に邪鬼特有の腐臭は薄い。そして自らの臭いを消し追跡をかわすための工作までしている。人の理性が残っている証拠だ。まだ初期の邪血病、半邪鬼かもしれない。
「耐震用の鉄骨材ですが、パイプの中は調べましたか?中空なんですよね?」
「さすがに切って中を見るところまではな。弓矢を使った打音検査とあとは鬼力を流してみたが、中に誰かが隠れているとか何か仕掛けがあるようには思えん」
京はパイプの中に大きな赤い目をした蛇人間のような邪鬼が潜んでいる様子を思い浮かべてソクッと肩を震わせた。邪鬼の情報は公開されないことが多く、鬼人里人を問わず邪鬼の画像すら見たことがないという者が多い。そのため邪鬼の偽写真、偽動画が出回ることが多く人々の妄想や恐怖を煽る結果となっている。
「我々は邪鬼退治のために呼ばれたというわけですか?」
城太郎の言葉に少し困惑が混じる。邪鬼は簡単な相手ではない。鬼虫の機能が暴走することによって大型の野生動物並の膂力、脚力を発揮するばかりか爆発的な鬼力を発揮するようになる。並の鬼士が対峙できるものではない。精錬鬼士団と院警備団が特別チームを組んだうえで、ライフルやショットガンといった火器も使用する必要がある。
「退治できればそれに越したことはないが、まずは見つけなければ」
「それは分かりますがわざわざ外部から鬼士を集めるのはなぜです?」
辛丸が苦笑を浮かべる。
「政治だ。武官が殺されたのだぞ。しかもやったのは邪鬼だ。防衛省はもちろん政府も黙ってない。鬼害事件には彼らは敏感だからな。ここぞとばかりに院内に軍と警察を入れさせろと言ってきた。なんとか断ったが外部の調査員を入れるという条件を吞まされた。無論院内でも極秘に対策チームの編成を行っている。探索も邪鬼狩りも院主導でやる」
「神戸城髑髏蜘蛛事件や翡翠丸事件のようなことなってはいかん。院内であのような鬼害事件を起こすわけにはいかんのじゃ」
伝兵衛が有名な過去の鬼害事件の名を挙げた。いずれの事件も邪鬼によって多数の鬼人里人が犠牲になっている。
「正雪、わざわざお前を呼んだのは外から来た連中に好き勝手をさせぬためじゃ。邪鬼狩り隊の様子を逐一我らに知らせてもらいたい。」
「つまり私と京も邪鬼狩り隊に加わるのですか?」
「邪鬼を狩るのは院の対策班がやる。正雪は外部の連中が無茶をしないように調整役兼監視役を務めてくれればいい。きっと君にも京にもいい経験になる。邪鬼狩りに参加する機会は滅多にないからな。どうだ、悪くない仕事だろう?」
鬼士にとって邪鬼狩り隊に選ばれることは、できれば何か理由をつけて断ってしまいたい災難であると同時に名誉と出世へのパスポートでもある。
「父上の言う通りじゃ。お前なら海千山千の曲者相手でも上手くやれるであろう。無論邪鬼探しも手伝ってもらうが、討伐隊の先頭に立てとは言わん。外部から来た鬼士に好き勝手させぬよう目配りしてくれればよいのだ」
城太郎は宿坊のロビーで見かけたロシア系鬼士を思い出していた。そもそも自分にあんな連中を御すことができるだろうか。
「兄者なら大丈夫です。ね?」
珍しく口を挟む京。城太郎は思わず憮然とする。
「しかし、私は邪鬼のことなど何も知りませんし」
城太郎は最後の抵抗を試みたがもう辛丸も伝兵衛も聞いていなかった。
「そんなことぐらい承知しておるわ。お前のために院の保管庫から秘蔵の資料を借り出しておいた。まずは現場の映像を見るのが早かろう。京や、テレビをつけてこのディスクを再生しておくれ。邪鬼退治に参加した鬼士団員のスマートグラスで録画した映像じゃ。こんなもの他所では見れんぞ?」
「はい」
京は伝兵衛から受け取ったディスクをプレイヤーにセットする。何の前置きも無しに、ぎこちなく揺れる画面が映し出される。狭いトンネル。下水道か何かだろうか。白い懐中電灯の灯り。緊張した鬼士の息遣い。コンバットブーツの底がジャリジャリと小石を踏みつぶす音。画面の右上で作戦時間を記録するタイマーが動き続けている。
「十分程度の映像じゃ。早送りぜずにこのまま見るとしよう。そのほうが緊張感も伝わるでな」
城太郎は聞こえないように鼻の奥で小さく溜息をついた。
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