この物語の世界観Ⅱ 鬼虫は船に乘って
鬼虫と呼ばれる共生細菌は箒星に乗ってこの星にやってきたと考えられている。当時の記録が残っているが、延暦一〇年、西暦七九〇年、都の上空を虹色に輝く箒星が流れた。箒星は地上に近づくにつれ太陽のように輝き、都は真昼のような明るさになったという。箒星は地上に激突する前に上空で粉々に砕け、散りぢりになりながら都やその周辺に降り注いだ。この遠い遠い宇宙の彼方からやってきた流れ星に鬼虫が付着、いや乗っていたのだ。「乗っていた」というのは、文字通り鬼虫がこの流れ星を乗り物として使い、運転していたのではと考えられる形跡が見られるのだ。記録に残っている箒星の観測位置と時刻、発見された隕石や衝突の痕跡から計算すると、この流れ星は通常の隕石にはありえない不自然な落下軌道を描いている。うねうねと蛇行しながら明らかに人口密集地域を狙って落ちたと思われるのだ。この時地上に降り注いだ隕石の欠片のうち幾つかは今でも鬼士院に保存されており、院内にある宝物殿に行けば見ることができる。
この箒星の落下以来、都に鬼人が現れ始めた。この箒星はどこから来たのか。遥か彼方の星人が種子を撒くように流れ星に鬼虫を託して放ったのか。鬼虫自身が自らの意思で小さな隕石に身を潜め宇宙をさすらったのか。詳しいことは誰にも分からない。分かっているのはこの隕石が少なくとも数千万年は宇宙を流れ続けていたであろうことだけだ。長い長い旅路の末に彼らは地球という安住の地に辿り着いた。地球には彼らの宿主として相応しい条件を備えた人間という生物が豊富に存在していたのだ。鬼虫たちは箒星と言う宇宙船を飛び出し、人間たちと同化すべく地上に降り注いだというわけだ。
鬼虫にはいくつかの種類が存在する。一型から六型までの基本六形態にそれぞれの亜種を含め、現在一二種類の鬼虫が確認されている。この一二種類の鬼虫たちはそれぞれ見た目にも機能にも違いがあり、攻撃担当と守備担当、エンジン役とブレーキ役といったように、宿主の中で互いに補完し合いながら生きている。鬼門に生まれた者は幼少の頃から鬼虫の長い旅と箒星の中での共助の様子、人との出会いと鬼類の誕生について親から聞かされたり絵本を読んだりして育つ。城太郎や京のように里に育った者とは生活全般を通じた価値観の形成に大きな違いが出てくるのだ。自分が鬼虫を飼っている、鬼虫に憑かれている、鬼筋の者、鬼人、鬼類などと呼ばれる存在であると知らずに鶏鳴(体内の鬼虫が増え活発に動き出し鬼力を発するようになることをこう呼ぶ。第二次成長期の始まり頃に鶏鳴を迎えることが多い)を迎える里出身の鬼人たちは、その日を境に鬼として生きることを求められる。里人としての人格ができあがった後に鬼人の文化や考え方を学ぶ必要があるのだ。鬼虫たちの長い旅や鬼門の成り立ちなど、錬成予科校に入学するときに貰う入学準備資料(いまどきの少年少女向けにマンガで描かれている)で初めて知る者も多い。生活の中で自然と鬼門の常識や価値観が醸成されていく鬼門出身者と里出身の鬼士の間のギャップは意外と大きいのだ。
鬼虫の発する力を「鬼力」とか「鬼風」と呼ぶが、鬼虫が鳴きだす(鬼力を発揮し始める)と鬼士院の鬼道修練施設である錬成院か全国に六カ所ある鬼士院分院に併設された錬成館、警察大学校の鬼士警官養成所、防衛大学の鬼学科の何れかに入るか、そうでなければ経験豊富な鬼士の弟子となる決まりになっている。これは社会に悪鬼を増やさないためでもあるが、人類と鬼類をきちんと色分けしておきたい政府の意向でもある。城太郎は鬼士としてはまだまだ青二才の部類であり弟子を取ることを許されていない。京を弟子として紹介できず便宜上義弟と呼んでいるのはそのためである。年齢的なことでいえば風祭宗円もまだまだ鬼士としては若手である。ただ鬼道探偵としての名声を持つ宗円は鬼界と里の中枢に多くのコネを築いている。基本鬼門は縁故とコネの社会である。宗円が若くして弟子を抱えることを許されているのも当然と言えば当然である。
鬼虫は宿主から安全な生存環境と栄養素を貰う代わりに様々な見返りを提供している。まず健康と若さ。鬼人たちはとにかく病気をしないのだ。特に風邪やインフルエンザ等、感染症にはまずかからない。万一かかってもすぐに治ってしまう。そして怪我に強い。鬼力を発揮できる鬼士の場合、力の強い者ならちょっとした切り傷、擦り傷の類ならじっと見ている間にじわじわと組織が再生していく様子が視認できるほどだ。病気をせず怪我の治りも早いから鬼士は里人と比較して長命だ。平均寿命は女性で一九〇歳、男性で一八〇歳。やはり鬼の世界でも女性の方が強い。二次成長の終る頃までは里人とほぼ同じスピードで加齢するが、それ以降途端に齢をとらなくなる。会社を定年退職した里人よりも一五〇歳の鬼道士の方が若々しく見えるほどだ。
鬼虫の研究は古くから行われているが、まだ分からないことの方が圧倒的に多い。かつては鬼士院内でのみ行われていた鬼虫研究も、現在では防衛省や一部の国立大学でも研究が行われるようになっている。五年程前に鬼士院と総務省、文科省、厚労省、防衛省といった省庁が共同で国立鬼学研究所を立ち上げており、現在鬼虫研究は国家的重点取組事業に位置づけられている。
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