鬼の城
「あ、見えたよ!」
京が風とバギーのエンジン音に負けないように叫ぶ。遠くにポツリと鬼士院の灰色の城壁が見える。鬼士院に来るのが初めての京は興奮している様子だ。しばらく走ると急に道が良くなる。アスファルトも黒々としており、道幅も広く、歩道が整備されている。道の両脇に小綺麗な店がちらほらと見え始める。鬼士院の城下に入ったのだ。
鬼人達を世間から隔離する目的建てられた鬼士院であるが、江戸時代になると院を出て暮らす者達が増え始め、院の周りに鬼人たちの村ができ始める。これが城下町の始まりだ。製薬業や警備業などを中心とした鬼人ビジネスの発祥はすべてこの城下だ。今でもそれらの会社の本社は東京、大阪といった里の大都市ではなく、鬼士院の城下に置かれていることが多い。鬼人にとってのブランドというわけだ。城下は今でも鬼の裔たちが多く暮らす一大鬼人コミュニティとなっている。
今では鬼人たちは鬼士院の桝形の中に閉じ込められているわけでなくこの日本という国の中に普通に溶け込み暮らしているわけだが、鬼人と町人の間にはなかなかに埋めがたい溝がある。やはり寿命が違うというのが大きい。鬼人は一般的な町人の倍ほども長生きなのだ。結果、人生における価値観や物の見方が違ってくるのも仕方がないと言える。
現代の鬼人たちの社会構成観はこうなっている。まず鬼士院は全ての鬼人にとっての国であり故郷であり庇護者である。その成立の理由やこれまでの経緯から鬼士院と日の本は対等なパートナーもしくは取引相手であると考えており、この考え方は現在の鬼士院と日本政府の間の微妙なすれ違いを生む原因の一つとなっている。自分たちのいる鬼人社会を鬼門とか鬼界と呼び、対して鬼力を持たない一般の人々が暮らす社会全般を里と呼ぶ。鬼門と里。鬼人と里人。鬼類と町人。別々の社会に暮らす別種の人間というわけだ。
鬼士院に近づくにつれて道には車やバイク、馬の姿が増え、歩道にはカメラをかざす観光客の姿も見える。
「わぁ、賑やかだね」
「夏の観光シーズンはこんなもんじゃないぞ。道路だって何キロも前から渋滞さ」
渋滞で車列が動かなくなると道の両脇からわらわらと物売り達が湧きだしてきて車に群がる。鮮やかな色遣いの袴に番傘を持っているのは鬼士院名物となっている占い師たち。辻占といってもやっているのは城下の鬼人ばかりで、皆鬼士院の発行した占い師の免状を持っている。占い師は鬼人にとっては結構ちゃんとした職業だ。里の感覚で言うカウンセラーや分析官に近いイメージだ。もっともこういった里の観光客相手の時は予言者的な演技もしてみせるらしいが。後は花や飲み物、これも鬼士院名物の揚げパンの売り子たち。夏休みなどは城下の子供がアルバイトにやったりする。占い師や売り子たちは鬼士である城太郎たちには軽く会釈をするだけで近寄ってこない。
城太郎たちの乘ったバギーは観光客用の駐車場への道をそれて鬼士用の入口へと向かう。車の数がぐっと少なくなる。と、ひょいと黒い影が目の前に飛び出してくる。キュンッとタイヤを鳴らしてバギーが停まる。鬼士でなく里人の運転する車であれば轢かれていただろう。
猿⁉と一瞬見紛うほどのボロボロの服― というか、ぼろきれをつま先から頭まで全身に巻き付け、眼は黒く紗の入った水泳用ゴーグルで隠している。ゾンビだ。背丈からしてまだ子供らしい。黒に近いオリーブ色のぼろきれは毛羽立って少し臭った。彼らがぼろきれで全身を覆うのは肌の皺や黒子、アイリスパターンを隠すためだという。
少年ゾンビはちょこちょこと飛び跳ねるようにバギーに近づいてくる。
「オッサ ヌゥク カワンケェ?(おじさん、肉買わない?)」
ゾンビは普段ゾンビッシュと呼ばれる言葉でコミュニケーションを取る。無論元は日本語なのだが独自の言語体系として発展したため、里の住人や鬼人からするとほとんど外国語に近い。ゾンビの中にはこのゾンビッシュしか話せない者が多く、彼らの立場をより一層ミステリアスで孤立したものにしていた。
「イランケェ。ワッパー コヤンケェ レソ ヌッコロ ニャーゴン ヌゥク(いらないよ。どうせ犬とか猫の肉だろ、小僧)」
城太郎が滑らかなゾンビッシュで答える。
「オッサ ジャポンゴ マイヤンケェ。ジョウヌゥク ヤムヤム オードーク(おじさん言葉うまいじゃん。上物の肉さ。美味しいよ)」
「ワトォ ヌゥク?(何の肉だ?)」
少年ゾンビはククッと喉の奥で笑った。
「ユーヤッケ(夕焼けさ)」
夕焼け色の肉。つまり人肉だ。
「ワッパー コロッソ ヤタ ヌゥク?(お前が殺して捌いたのか?)」
「チャウンケェ。オダブッツ ゴロン ミッケ(違うよ。死体を見つけたのさ)」
「ナムナムサン デ ミッケ?(墓場でかい?)」
京が口を挟んだ。少年ゾンビは京がゾンビッシュを解することにちょっと驚いたようだ。
「キルイヌゥク カウンタック(鬼人の肉なら買ってやる)」
「オンマァケェ?キルイヌゥク カウンケェ?(本当かい?鬼人の肉なら買うのかい?)」
「オンマデェ。ンナ ワッパー ドン コロッソ キルイ(本当さ。まぁ小僧には鬼殺しは無理だろうがな)」
城太郎は少年ゾンビに一円銀貨を一枚放ってやる。少年は慌てた様子もなく銀貨を空中で掴む。城太郎はバギーのアクセルを踏んだ。バックミラーの中で少年ゾンビは同じ場所でじっと佇んでいた。
鬼士専用のゲートで門番に認可状を示す。
「師匠からのお呼びなんだ。急ぎ登城せよとのことで」
「紫龍、紫龍と― あぁ、あった。紫龍正雪城太郎さんだね?それと一野京くん?」
門番の鬼士がクリップボードに挟んだ来城予定者リストにチェックを入れながら二人の顔を覗き込む。顔を確認しているわけではない。嘘の匂いや演技の気配が無いか確認しているのだ。感覚の鋭い鬼人は微かな汗の臭いや心拍数の変化、目の動きで嘘を見破ることができる。城太郎は「そう」と答え、京は黙って門番に黙礼する。
「伝兵衛様のお呼びかい」
紫龍公孝伝兵衛。城太郎の師だ。鬼士院で働く事務官の一人で院内に房を持ちそこで寝起きをしている。鬼門のエリート官僚というところか。
「しかし一体何事だい?何だが怪しげな連中も集まってるが。伝兵衛様から何か聞いてるか?」
「いえ。何も」
門番はジッと城太郎と京の顔に視線を当てて反応を見ていたが、諦めて手元のボタンを押した。紅白の縞に塗られたバーが上がる。
「そこで電話とパソコン、カメラやレコーダーの類を預けてくれ」
城太郎は軽く手をあげてバギーを動かす。ゲートをくぐって脇の車寄せスペースにバギーを停める。係員がプラスティックのトレイを持って近づいてくる。鬼士院の中では事務局エリアなど一部の区画を除いて通信機器の使用や内部の撮影が制限されているのだ。城太郎たち外部からの訪問者が院内でインターネット回線を使えるのは、宿坊の各フロアに数台ずつ置かれた共用PCだけだ。外部との連絡を取りたければこれを使うか、伝書鳩、バイク便を使うしかない。隠して持ち込んだことがばれると罰金を取られる上に機器は没収されてしまう。おまけに下手をすると機密漏洩罪に問われる場合もあるので城太郎と京は素直にスマホとPC、タブレットを係員の持ったトレイに入れる。
係員から預り証を貰い、バギーに乘って地下駐車場へ続くトンネルを下る。指定された駐車エリアをようやっと探し当てバギーを停めた。「どの区画に停めたか覚えといてくれよ」と京に告げる。「むしろ忘れるほうが難しいと思うけど」と応える京に「よい鬼士になるには素直な心が大事なんだぞ」と兄貴風を吹かせてから城太郎は荷物を下ろす。旅慣れている二人は荷物も少ない。
「とにかく一旦宿坊に入ってひとっ風呂浴びようぜ。それから師匠に挨拶だ」
「はい、兄者。仰せの通りに」
「それでいい。素直が一番だぞ。ついでに俺の荷物も持ってくれるとなおいいんだが」
「荷物は自分で持ってよ。無くすと困るものもたくさん入ってるんだから置き引きに気をつけてね。僕、受付を済ませてくるから」
「何だよ、鬼士院の宿坊に置き引きがいるもんか」
少し不服気な城太郎に背後から声がかかった。
「いやいや油断は禁物。彼の言うとおりだ」
振り返るとパリッとした鳩色のスーツに身を包み、少し癖のある長髪を綺麗に撫でつけた優男が立っていた。見覚えのある顔だ。男は笑って右手を差し出す。
「随分とゾンビッシュがお上手だね。最近は錬成院でもゾンビッシュを教えるのかな?」
どうやらどこからかゾンビ少年とのやりとりを見ていたらしい。
「独学ですよ、風祭さん。子供の頃はゾンビの友達も多かったですから。春や秋の農繁期になるとやってきて畑仕事を手伝うんです。その期間中は町はずれにキャンプしてね。同じ年頃の子供たちとよく遊んだな。ゾンビッシュだけじゃない、狩りの仕方や山での過ごし方も彼らから教わりました」
二代目風祭宗円。有名な鬼人探偵だ。その卓越した事件解決能力と整った見た目のせいでマスコミにも頻繁に顔を出している。
「失礼な言い方だったかな?許してくれ給え。改めまして風祭宗円です。よろしく」
「お会いできて光栄ですよ。紫龍正雪城太郎といいます」
宗円は声に出さずに「おお」と口を動かす。
「紫苑流一門のお方か。やれやれ、ようやくお話しのできる方が現れてくれたか」
「どういうことです?」
「今この鬼士院には随分と怪しげな連中が集まっていてね」
宗円は眼で受付ロビーの奥を見ろと合図した。城太郎がさりげなく視線を向けると、革製の甲冑に身を固めた異国の鬼士が二人、宿坊ではなく院の事務局員と話をしてる。係員の姿が隠れてしまうほどの巨漢の男女だ。服装や訛、容貌からするとロシア系に見える。様子からすると夫婦というわけではなさそうだ。
「まぁ鬼士院や錬成院では異国の鬼士は珍しくありませんが。それにしてもあの風体、少し浮いてますね」
「そりゃそうだろう。何しろ海外から来た仕事屋だからね」
「仕事屋ですか?」
「正規の鬼士があんなバトルスーツを着るもんか。一応表向きはロシア大使館付きの鬼士ってことになってるんだろうがね。どう見ても大使館経由で送り込まれたロシアの鬼人兵だよ。ここ数日ああいう連中が何組か城内に入ってる。城太郎君、何か知ってるかね?君たちは何のために呼ばれたのかね?」
「分かりません。師匠からとにかくすぐに来いと」
城太郎は申し訳無さげに肩を竦めて見せる。京が戻ってくる。宗円の顔を見て小さく黙礼する。
「やぁ、お弟子さんかな?」
「ただの義弟ですよ。京、風祭宗円さんは知っているな?」
「はい。はじめまして宗円様。宗円ミステリアスファイル、いつも楽しみに観てます。一野京と申します。お会いできて光栄です」
京は胸の前で指先を軽く合わせてお辞儀をする。
「よろしく京君。義信、お前もご挨拶しなさい」
いつの間にか宗円の後ろに京と似た背格好の少年が立っていた。少年も宗円と同じく鬼士服ではなく黒灰色のスーツを着ている。細い体にピタリと吸い付くようなスーツは既製品ではなく仕立てたものだろう。生地は光線の加減で玉虫色に光る。
「不破義信と申します」
薄っすらと微笑んだ義信は城太郎に向かって軽く頭を下げ、京には視線を当てただけだった。
「いかがかな、夕食前にバーで軽く一杯」
「せっかくですが、少し疲れていまして」
「そうかね。じゃ、後ほど宴会で」
「それでは」
宗円と義信が行ってしまってから城太郎が口を開く。
「風祭宗円がここで何をしてるんだ?俺たちと同じ件かな?数日前からここに逗留している様子だったが」
「一週間前からだって。書庫の古文書を調べてるらしいよ。何でも先々代の鬼士院長の秘宝を探してるんだとか」
「ふん、名探偵が聞いて呆れら。王鬼の秘宝だって?ただの山師じゃないか。にしても京、お前何でそんなこと知ってるんだ?」
「ほら、あのボーイ君。彼に聞いたんだ。兄者が宗円様と話しているのが見えたから」
「ふうん。チップを掴ませて探りを入れたのか?」
「チップだけじゃないよ。後でこの宿坊のサイトのコメント欄に彼の名を書き込んでおく約束なんだ。とても親切な対応で気持ちよかったです―とかって」
「まったく、如才ないこって」
「あ、そうだ。コジロウの予防注射の証明書を受付に見せなきゃ。先に部屋に行っててよ。あ、荷物は彼に運ばせてあげてね」
鬼士院の紋が入った白い鬼士服姿のボーイが心得たとばかりに笑顔を浮かべて駆け寄ってくる。城太郎は荷物をボーイに任せ、旧式のリフトに乗り込んだ。
部屋に入った二人はまず風呂を使った。先に城太郎が入り、京は後から入る。正式な師弟関係でないとは言え、事実上の師であり保護者である城太郎を立てるのは京にはごく自然な事だった。部屋にはエアコンが備えられていたが二人はそれを使わず、窓を開けて外の空気を入れて久しぶりの湯で火照った体を冷ました。
「いつからだよ、部屋の鍵がカードになったの。風情がないねぇ。鍵って感じがしないよな。前に来たときは真鍮製で、つまみの部分がこんな風に三つ葉のクローバーみたいな飾りになっててな。鍵山なんて前歯が欠けた程度の単純な作りさ。あれ多分他所の部屋の鍵穴でも回せるんじゃないの?しかも結構デカくて重くてさ。ちっちゃな子が遊ぶ魔法少女のステッキぐらいの大きさだったぜ?そいつをみんな首から下げて歩くもんだから肩が凝ってさ。あれマッサージを呼ばせるための戦略かもな」
城太郎が冷蔵庫に入っていた北星ビールをラッパ飲みしながら言う。京はソーダ水の瓶を持っている。繰り返し再利用された瓶には細かな傷が付いている。
「兄者は古いなぁ。今時もう真鍮製のバカでかいシリンダー錠なんて使ってるホテルないよ。そんなの田舎のペンションくらいさ。大きなホテルだと電子錠のほうがずっと部屋の管理がしやすいんだよ」
「観光客相手の部屋ならともかく鬼士用宿坊だぜ?守るべき伝統ってもんがあるだろ、俺たち鬼士には。ま、許してやるか。飲み物がタダなんだし」
部屋に入るとテーブルに宿坊の支配人のメッセージが置いてあった。冷蔵庫の飲み物をご自由にお飲みくださいとのこと。なぜそんな厚遇を受けるのか思い当たるフシはなかったが遠慮する理由も見当たらないので、二人は風呂上がりにこうして喉を潤しているというわけだ。
「兄者もう飲んじゃだめだよ?これからお師匠様に挨拶でしょ?」
「分かってるって。ちゃんと考えてるよ。ハッカドロップを舐めて匂いを誤魔化すから」
城太郎はハッカドロップの缶をカラカラと鳴らしてみせる。京は「怒られても知らないよ」と溜息をつく。
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