地下迷宮
「どうだ?何か臭うか?」
「さっきから探ってるんだけど」
話しながらも嗅覚に神経を集中させる京。
「ほとんど臭いがしないんだよなぁ。意外と空気が流れてるからかな、ここ」
二人は地下道に入って十分ほど歩いている。五感に優れた鬼人とは言え、灯りひとつない地下道を古地図を頼りに歩くの難儀なことだった。城太郎はもちろん嗅覚の鋭い京も卵に異臭に繋がるような何かを嗅ぎつけることはできなかった。動物は冷温庫に入れないのでコジロウは宿坊に残してきている。
「卵の異臭と邪鬼、消える邪鬼と地下道。こりゃ嵌ったかもと思ったんだが。ま、そう上手くは行かないか」
二人はペンライトで足元を照らしながらゆっくりした歩調で進む。城太郎が立ち止まって手に持った地図を照らす。
「枝道に行き当たるはずなんだが」
城太郎の声は冷静だが、京は何となく襟足にひんやりしたものを感じる。
「京、北、分かるか?」
鬼人は生体磁石の働きが活発で古代人や渡り鳥のように星や太陽に頼らなくても「北」がどちらかを感じることができる。
「さっきから何か変な感じがするとは思ってたんだけど、動いてるみたいだ、北が」
「俺もそう感じる。最初は気付かなかったが、地下道を進んでいくと段々とズレが大きくなるみたいだな」
城太郎はペンライトで周りの壁を照らしたり、地図を睨んだりしていたがやがて地図を畳んだ。
「こりゃ戻る手だな。院の地下道を甘く見てた」
鬼士院の地下に蜘蛛の巣を何層にも重ねたように広がる地下道。元は鬼人たちが掘った院内の連絡通路や万一の場合に備えた脱出経路、食料や貴重品の保管用などのために掘られたものだったが、そこに埋葬品目当ての盗掘や政府の掘った進入路などが加わり、院内の各色の思惑も重なって密かに新しい穴が掘られたり、あるいは塞がれたりと、もはや全容を把握している者は皆無と言っていい。また厄介なのが盗掘者やスパイの侵入防止のために地下道内に鬼人の感覚を狂わせるための結界が仕掛けられていることだ。磁石と水と空気の流れを巧みに組み合わせ、要所に鬼力を反射しやすい素材と逆に鬼力を透過させやすい素材を配置することで乱鬼流を発生させる仕組みだ。地下道内を歩く鬼人たちはこの乱鬼流に感覚を狂わされてしまうのだ。
引き返そうとする二人だが、まるで通路が動いているのではないかと感じるほど元来た道に戻れない。今通って来たはずの自分たちの気配すら消えてしまっている。緩やかに登ったかと思うと今度は下りだす。チェックポイントだったはずの分かれ道が出てこない。二人はいつしか無言になっている。明らかに地下道内で迷ってしまっているという現実が重くのしかかる。
「まずいな、こりゃ」
城太郎が重くるしい雰囲気を変えようとするかのように口を開いた。
「同感。でもどうしよう」
二人は立ち止まってトンネルの前と後ろに明りを投げてみるが、そこにはただ虚しく闇が続くばかり。
「さて、俺たち少し考えたほうがよさそうな状況だぜ」
城太郎は壁を背に地面に座り込む。京もそれに倣う。こういう時は無駄に体力を消費しないほうが賢明だ。
「さて、俺たちがここにいることを知らせる方法は無さそうだ。携帯も無線もないし、当然ここには内縁電話も無いしな」
「入場の時の係の人、僕たちが出てこないことに気付くかな?」
「多分無理だろうな。俺たちが部屋に戻らないってことにジイさんや宿坊の受付が気付いて探し始めてくれたら、あの時書いた受付簿の氏名がヒントになるだろう。あと明日の朝に冷温庫に作業員が入ったとき、あの台車が動かされていることと天井のフェンスが外れていることに気付いてくれればいいんだが。いずれにせよ時間はかかるが俺たちが地下道に入ったことは誰かが気付くだろう」
城太郎は小さく溜息を吐く。道に迷ってしまった以上下手に動くのは状況を悪くするだけだ。
「京、糸持ってるか?」
「ごめん。三mのしか持ってない」
長い糸巻きでも持っていれば糸の伸びる範囲で帰路を確保して周囲を探索することもできる。城太郎のその考えを察して京は謝ったのだ。
「謝るのは俺の方だよ。ここに来る前にもっと慎重に考えれば良かったのさ。とにかくここに居て助けを待つか。一晩の辛抱だ」
幸いなことに地下道内は暑くも寒くもない。二人はできるだけ居心地のよさそうな滑らかな壁を探して腰を下ろすとペンライトを消した。京は目を閉じてトンネルの中の空気の流れを感じる。ごく僅かだがやはり空気の流れがある。普通の地下トンネルや洞窟であれば空気の流れを追って出口を探せるがこの鬼士院の地下道網はそう簡単に行かないだろう。京は諦めて目を閉じた。
どれくらい時間が経ったのか。不意に小さな音のうねりが二人の耳に届いた。暗闇にいるせいか普段よりも聴覚が研ぎ澄まされてる。城太郎と京はその音の波動に集中する。その波動は徐々に近づいて来るようだった。城太郎がそっと京の二の腕を掴む。「喋るな」という合図だ。波動は更に近づいてくる。人だ。人の足音。しかし二人の捜索に来た者のものとは思えなかった。気配を殺した忍ぶような足取り。二人はそっと立ち上がり、身を隠せる岩肌の出っ張りがあるところまで猫足で下がる。息を殺して待つ二人。やがて遠くにポツンと明りが見えてきた。明りは点いては消えを繰り返しながら徐々に近づいてくる。
人影だ。向こうからやってくるのは明らかに人型のシルエットをしている。少なくとも邪鬼ではないが邪鬼使いかもしれない。城太郎は首の後ろに吊った革鞘から細長いナイフを抜く。邪魔になるので長刀を持ってこなかったのだ。京は鶴野から貰った風呂敷を持っている。暗闇の中、二人は無言のまま阿吽の呼吸で意思疎通を行った。まず京が風呂敷で相手に奇襲をかける。怯んだ相手に城太郎が攻撃を仕掛ける。二人は毒蛇のような冷徹さで相手が近づくのを舞った。人影の足音の波動が近づいてくる。
次の瞬間、京が体を翻して風呂敷を人影に投げつける。一枚の板のように飛んだ風呂敷は大きな蛸のように人影の顔に貼り付く。
「ンゴォッ」
人影が驚きの声を上げたところに城太郎が飛び掛かる。
「動くな!」
人影の首筋にナイフをあてがいながら壁際に押し付ける。京がすかさずペンライトの明りを人影に向ける。
「あっ!」
「お前―」
壁に押し付けられた小さな人影は全身にオリーブ色のぼろきれを巻きつけ、目にはゴーグルを嵌めていた。
「お前、あの時の―」
院に到着した日、城太郎たちに肉を売りつけようした少年ゾンビだった。少年ゾンビはただ黙ってゴーグルの奥の瞳を城太郎に向けていた。
「お前― ここで何を?」
城太郎は少し落ち着きを取り戻し、ナイフを背の鞘に戻す。少年ゾンビは怒るでもなく怯えるでもなく、城太郎を見ながら顔を覆うボロを取り去る。意外なほど綺麗な白い顔が現れる。ゴーグルを外す。感情の抜けた大きな目が城太郎を見据えている。そしてゾンビ少年は左腕を覆うボロを脱ぎ白くて細い腕を剥き出しにする。懐に手を入れると黒い棒のようなものを取り出す。明りで照らしてみると一本の短刀だった。美しい漆の肌に螺鈿細工の施された、ゾンビの持ち物と思えない、明らかに高価と分かる一品。少年はその短刀をそっと城太郎に差し出した。戸惑う城太郎。少年は握りしめた短刀を城太郎の胸元に突き付けるように差し出すとこう言った。
「鬼類の肉なら買うんだろ?」
少年が放ったのは綺麗な日本語だった。すこし灰色ががった瞳でジッと城太郎を見つめながら、さぁ早く取れと言わんばかりに短刀を差し出している。
「鬼類の肉なら買うって、言ったよな?買ってくれよ、俺の腕。俺の左腕を売る」
城太郎と京は呆気に取られたように顔を見合わせた。
「ま、まぁとにかく落ち着け。腕を売るって、こいつでお前の腕を切り落とせってのか?」
少年はクッと顎を引いて短刀を城太郎に押し付けようとする。
「そうだ。新鮮な鬼類の肉だ。骨付き肉だ。血も飲んでいい。そこら辺の肉屋では売ってないだろ?貴重なんだろ?」
「俺たちを見てみろ。道に迷ってな。肉を買うどころじゃないんだ」
「ここから出たいのか?出たら買うのか?」
城太郎は手を振って少年を押し留める。
「落ち着けって。腕を売ってどうするつもりだ?」
「戸籍を買う」
少年はサラリと言った。
「戸籍を買って人間になる。鬼士じゃくてもいい。鬼士になるのは大変なんだろ?人でいい。もうゾンビでいるのは嫌だ」
「戸籍って― 誰からそんなこと吹き込まれたんだ?お前が考えるほど簡単じゃないぞ?それに腕を売るっていったってな、裏マーケットにコネでもないと無理だ。そもそも腕を無くしてその後どうする?」
「俺は鬼類だからまた生えてくるんだろ?何年かすれば」
「何言ってるんだ。鬼人でも腕を再生するのは大変なんだぞ?いくら若くても二年間はかかる。しかもその間毎日のように病院に通って再生治療を受けなきゃならないんだ」
「腕― 無くてもいい。とにかく戸籍を買う金がいる。買うのか?買わないのか?」
「まぁ聞け。お前、名前は?」
「亜由良鉄心」
少年はそう言って短刀の鞘を城太郎に見せる。金文字で亜由良鉄心と彫り込まれている。
「俺は城太郎だ。こいつは京。とにかくゆっくりと事情を聞かせてくれ。肉の話はその後だ。時間はたっぷりあるしな」
「ここから出るんじゃないのか?出たら肉を買うか?買うなら出口に案内してやる」
「出口を知ってるのか⁉」
「知ってる。どうするんだ?長くここにいたくない」
城太郎と京がハッとした表情になる。
「なぜ?なぜ居たくないんだ?」
「ヤバい鬼がいる。邪鬼っていうんだろ?あいつに出くわすとヤバい」
城太郎と京は顔を見合わせた。やはり邪鬼はいた。この地下道を通っていたのだ。京太郎が感じた卵の異臭もやはり邪鬼と何らかの関係があったのだ。
「どうするんだ?」
鉄心が返事を迫る。
「分かった。お前の腕の話は後だ。だがお前の望みが叶うように必ず手伝ってやる。道案内をしてくれ」
「本当か?本当に俺を手伝ってくれるのか?」
「あぁ。約束だ」
鉄心の決断は早かった。
「よし。きっとだぞ」
「分かった。ここの地下道に詳しいのか?冷温庫に行けるか?野菜とか肉とか食料品が貯蔵してある場所だ。俺たちはそこの天井にある穴から地下道に入ったんだ」
「あそこか。銀色のパイプがたくさん並んでる?冷たい空気の噴き出してるあの入口か?」
「そこだ」
「よし。早く行こう。この前見た邪鬼もそっちの方に行った。あいつには会いたくない」
三人は鉄心を先頭に地下道を歩き始めた。
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