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鬼類たちの狂想曲  作者: Niino
11/21

来客

 城太郎と京は初日の院内巡回を終えて宿坊一階のレストランにいた。甲陽はまだ院内警備に就いている。客分鬼士は目立つ昼間の間だけいればよいということか。コジロウは隣の部屋で食事を与えられている。隣室が宿坊に逗留する鬼士達の式足(鬼士が使役する動物。犬や猫、鳥など鬼士によって様々であるが、どれも鬼人同様に体内に鬼虫を飼っている所謂「鬼が憑いた」動物たちである)の食事会場になっているのだ。同室にはもちろんアリッサもいるわけだが、城太郎が餌をやる姿を見て多少は安心したのか、それとも腹が空いていたのか、コジロウはチラとアリッサの方を見ただけで怯える様子もなく鹿肉のミートボールと白菜のひたひた煮の皿に顔を突っ込んだ。アリッサもタライほどもある皿で同じものを貰って食べている。

 城太郎と京は朝と同じビュッフェスタイルだ。食べ盛りの京は皿にステーキと唐揚げ、ローストビーフを山盛りにしている。別の皿にはご飯と好物のだし巻き、もちろん鬼虫に活力を与えてくれる海藻類も摂ることを忘れない。伝兵衛の鬼道場で暮らしていたときも朝昼晩とワカメやひじき、もずくをたっぷり食べていたのだ。鬼人たちは幼少の頃からこうして海藻類を食べて育つので食事に海藻類がないと何か物足らないという者も多い。味噌汁はワカメだし、酢の物はもずくだし、煮豆ならひじき豆となるわけだ。

 城太郎は刺身の盛り合わせの皿(もちろん刺身の脇に大量のワカメと海葡萄が添えられている)と鮎の塩焼き、瓶ビールだけだ。洒落た足付きのビールグラスにビールを注ぎ小口に空ける。

「あの二人、多分戻ってくるな」

「戻ってくるかな?」

 京は慌てて分厚い牛肉を飲み込んでから言う。

「あぁ。軍や警察からあいつらの代わりを送り込まれちゃかなわないだろうからな」

「いてくれるだけでいいってこと?」

「まぁそういうことだ。それにな」

 城太郎は刺身を一切れ頬張る。次いでビールをもう一口。

「あの二人、柄は悪いが腕はまぁまぁだからな。院の鬼士みたいにプライドに捉われていないから面白い攻撃をしてくる。多分組み技が得意なんだろうな。個の戦いより仲間と組んで集団戦のほうが得意なタイプだ」

 京は城太郎が喋っている間に唐揚げを口に放り込む。

「僕も多分コンビ技が得意なんだろうなって思ったけど」

 城太郎は今度は海葡萄を口に運んでコリコリと噛む。グラスをグイと呷る。京は大根の千切りをローストビーフでくるんで口に入れる。

「お前ならどう戦う?」

 京はモグモグやりながら「んー」と考える。

「できれば室内。じゃなきゃ森とか、そういうところに誘い込むかなぁ。で、一人ずつやっつけていく」 

 城太郎はグラスにビールを満たす。

「まぁそれが正解だな。もっとも正解は立場によって変わる。俺みたいな現場の執行官ならまずは戦いを避ける。多勢に無勢、仲間と組んでかかってこられたら勝ち目はないからな。戦いを避けておいて相手を見極める。相手の勘所、頭がどれかを見極めて一対一で勝てそうならそいつを潰す。で、後は連中の仲間が空中分解するのを待って、こっちも応援を頼んで残りを片付ける。もっといいのは修行を重ねて出世することだ。院に登るか、城付の鬼士になるか、そうすればああいう連中もそうそう手が出せん。あとは演武や誇り高い鬼士同士の立ち合いだけやっていればいい」 

 京はまじめな表情で頷く。

「でも兄者なら、ああいう地元衆も上手くあしらえるし」

 城太郎は「そうかもな」といってビールをゴクリとやる。

「問題はな、あぁいう手合いと上手くやれる鬼士はなかなか出世しないというところさ」

 二人はしばし会話を中断して皿の上の物を片付ける。

「RBF、使っちゃったね。バレたかな?」

「どうかな。犬だけのつもりだったが、イルクーツォも巻き込んだみたいだしな」

「義信がさ、おかしな動きしてたよ?宗円様はスマホ持ってるんだよね?義信も持ってるなら録画してたのかも」

「ま、それならそれでいいさ。バレたら減るもんでもないしな」

「そりゃそうだけどさ」

 京は箸の先で皿に残っただし巻きをつつく。

「皿に盛った料理は残すなよ?」

「分かってるよ。ここの卵、あんまり美味しくないんだ」

「贅沢を言うな。予科や錬成所では食事も修行さ」

 京はだし巻きを口に放り込んでろくに噛まずに飲み込む。二人は食後のフルーツを食べ終えレストランを後にする。

「ねぇ、寮に戻らないとダメかな?」

「明日は一限から結絡縫の授業だろ?少人数クラスで須寺先生に教えてもらえるんだ。機会を逃すな」

「分かったよ」

 京は憂鬱な様子で宿坊棟を出て寮の方へ向かう。城太郎は京の背を見送ってエレベーターに乘る。部屋の前でポケットをあちこち探してカードキーを取り出す。ドアのカードリーダーにカードをかざす。一瞬間を置いてカシュッと音がしてロックが解除される。ドアを押し空けようとして城太郎の動きが止まった。

「―?」

 匂いだ。香水と女の体臭。はっきりそれと分かるほど強いものだ。城太郎は懐の短刀を握りしめると部屋の灯りを点けた。ソファに座っていた人影が立ち上がる。ふわりと良い香りが舞った。

「お帰りなさいませ、正雪様。黙ってお邪魔して申し訳ありません。咲江と申します」

 深々とお辞儀をする女性。メイドだ。菫色の単衣の制服からすると王宮付のメイドのようだ。まだ若い。二〇前後だろうか。これくらいの年頃だと里人も鬼人もあまり差がない。

「部屋の掃除かな?しばらく出ていようか?」

 咲江は少し恥ずかしそうに目を伏せた。頬と耳が赤い。

「あの、お昼間はお見事でした。あんな大きな犬を簡単に手なづけてしまわれるなんて。驚きました」

「あぁ、あれ見てたのか」

 城太郎は苦笑して頭を掻く。

「正雪様の手があの犬に飲み込まれてしまって、わたしもう、今にも正雪様の手があの黄色い大きな牙に噛み砕かれてしまうんじゃないかと― 体がグラグラ揺れるぐらい心臓がドキドキしてしまって」

「それは― 悪かった。でももう収まったろう?」

「いいえ」

 咲江はきっぱりと首を振るとキュッと唇を噛みしめて顔を上げた。

「王宮の窓から見ていました。院内で騒ぎが起こればあっという間に王宮に伝わりますから。若い女性が多いですし皇鬼様にお仕えする重圧も重なって皆そういった刺激に飢えているのです。手の空いているものは皆双眼鏡を奪い合いながら見ておりました」

「そうなのか― ストレスの発散になるような派手な立ち回りでなくて申し訳ない」

 城太郎は照れ隠しなのか顎の辺りを指先で盛んに撫でている。

「いいえ。わたしもう息をするのを忘れるくらい夢中になってしまって。皆宗円様の立ち居振る舞いがよいだの、三四郎さんが凛々しくて格好いいとか騒いでいるのですが、わたしは正雪様のお姿に心を奪われてしまって」

「そ、そうか。それはどうも」

 咲江はそっと自分の胸に両手を添える。

「どうしても心臓の高鳴りが収まらないのです。虫が騒いで仕方がないのです。居ても立ってもいられず、こうして恥も外聞も投げ捨ててお部屋をお尋ねした次第です、正雪様」

「いや、それは― どうしたものか」

「どうぞ、一夜限りのことと気楽にお考えください。わたしはこのような恥知らずな行いをするのは初めてですが、院内ではよくあることなのです。今頃宗円様のところにも別の女中が押しかけているはずです」

「君の知り合いの女中かい?」

「知り合いだけでなく、ひょっとすると他の女中方も。その中で誰がお世話をするかは宗円様がお決めになります」

「参ったな。噂に聞いたことはあったが、てっきり鬼士院伝説の類だろうと思っていたよ。夜這いがかかるなんて」

「失礼な言い方になりますが伝説だと笑い飛ばすのは、力の無い魅力に乏しい鬼士様方です。誰もそういった方の部屋を尋ねたりしませんし、強くて紳士的な鬼士様は院の外で自慢話をしたりしませんから」

 咲江はそっと城太郎に近づく。香りが更に強くなった。まるで蘭の温室にいるようだ。

咲江は城太郎の間の前に立つと、そっと城太郎の首筋を撫で、耳元に口を寄せる。湯気が立ちそうな熱い囁き声。

「さぁ、お風呂を入れておきましたから。咲江もご一緒させてください」

 熱く潤んだ瞳が城太郎を見つめる。城太郎はビールの酔いが十倍にも感じられた。首筋を咲江の指先が這う。城太郎はそっとその手を取った。

「ご苦労。湯あみの準備も出来ているとは気が利くな」

 城太郎はハッとして振り返る。緑の羅紗を体に巻き付けた女性が立っていた。艶のある黒髪をアップにまとめており簪には大粒のエメラルドが嵌っている。キリっとした目鼻立ち。羅紗の上からも優美な曲線を描く体の存在感が感じられる。

「あ、あの―」

 咲江の表情は凍り付いている。体中から匂い立っていたものが綺麗に消えていた。

「正雪殿のお相手は私がしよう。下がってよい」

 咲江の視線はおろおろと女と城太郎の間を彷徨う。

「聞こえぬか?下がれ、女中」

 咲江は小さく頭を下げると逃げるように部屋を横切ってドアに向かう。パタンとドアが締まりカシャッと音がしてオートロックがかかった。城太郎は目の前の女性を見つめた。

「何だ、城太郎?一目惚れでもしたか?構わんぞ、晒したいだけ阿保面を晒すがいい。私を見てそうなる殿方は多い。すっかり慣れているのでな。おっと少々自慢が過ぎたな」

 城太郎は呻くように言った。

「あなたは― あの時の」

 占い師だ。夕暮れの院で出会った女占い師。

「ようやっと思い出したか。あの時はマスクと化粧で素顔を隠していたが、私ほどのいい女をすぐに思い出せぬとは、お前、少し飲み過ぎたのではないか?」

「しかし、どうやってここに?」

「そんなことどうでもいいではないか。お前の疲れを癒してやろうとこうして尋ねたのだ。普通は手を取って頬ずりしながら礼を言うところだぞ」

 女占い師はそう言いながら口元に人差し指を当て「静かに」と合図し、ゆっくりと後退る。これも緑色の布靴の踵で何かをギュッと踏みつける。床でパチッと音がして小さな青白いスパークが散った。廊下で「あっ」と声が上がりバタンと物音がした。京の声だ。女は素早くドアに歩み寄りドアノブを引く。廊下に尻餅を突いている京を「早く入れ」と室内に引っ張りこむ。

「寮に戻らなかったのか?」

「ごめん兄者、宿坊を出るとき変わった気配を感じたから。兄者に何かあったらと思って」

 女占い師は床から何かを摘まみ上げてしげしげと眺めていた。京の使う絹糸だ。どうやら何か異変を感じ取った京はドアの隙間から室内に糸を這わせて中の様子を探っていたらしい。

「これを使って室内を探っておったか。感心感心。どちらが師か分からんではないか、城太郎?」

 女占い師が体に撒いた布の下から何か取り出す。

「京よ、お前にいいものをやろう」

 二つの輪。丸く巻いた二本の鞭だ。布の下にこんなものを隠しているようには見えなかったがと城太郎は首を捻る。

「一角牛の革で作った鞭だ。大事に使うがいい」

 一角牛。額に一本角を持ち赤い燃えるような体躯をした牛だ。祭事用にごく少数が飼育されているだけであり、その革は柔軟にして強靭。鬼力をとてもよく通す。城太郎も写真などで見たことがあるだけで実物は見たことがなかった。京は女占い師から鬼力の一撃を喰らったことも忘れ、小さく溜息を洩らしながらその見事な鞭を受け取る。

「こんなに凄いもの、貰っても―?」

「その鞭を自分の指先同様に扱えるよう修練を積むのだ」

「あ― ありがとうございます」

「礼などよい。それより京よ、その鞭は院を出るまでは城太郎に預けておけ。錬成院の寮では時折私物が消えてしまうことがあるのでな。私も覚えがある」

「はい」

 京は名残り惜しそうな表情で鞭を城太郎に預ける。

「では京よ、もう寮に戻るがいい。もうすぐ門限だ。門限を破ると後が何かと面倒であるし、明日に障ってもいかんからな。須寺はしっかりした筋の良い結絡師だ。やつの授業は学ぶことが多いはず。しっかりと学べ。よいな?」

 京はそんなことまで知ってるのかと少し驚いた表情を見せたが、素直に「はい」と答えて部屋の外に出て行った。

「さて城太郎、座って話さんか?あればウイスキーでもいただこうか」

 美しい女占い師は自分から咲江がかけていたソファに腰を下ろすと長い足を組んだ。

「あなたは一体何者です?」

 ただの占い師ではない事は明らかだ。城太郎の問いに女占い師は一瞬戸惑った表情をしたがすぐにカラカラと笑った。

「そうか。まだ名乗っていなかったな。自己紹介をせねばならん事など年に一度あるかないかでな。なにしろ私の代わりにお付きの者たちが行く先々で私の名を触れまわってくれるのでな。信濃川鶴野だ。お前の自己紹介は省くがいい。もう知っているからな、城太郎」

 城太郎の顔付が変わる。

「信濃川― 皇鬼様―?」

 信濃川鶴野。鬼士院副院長。緑の宮様。王宮に住む四人の皇鬼の一人である。

「いかにも。まぁ今は公務外のプライベートな時間だ。副院長閣下とか、面倒臭い呼び方をせず鶴野でよい」

「副院― いや、鶴野様はなぜ― ここにおいでに?いや、そもそもなぜ占い師の真似事など―?」

 若干しどろもどろの城太郎。鶴野は白く長い指先で部屋の隅を指す。

「棚に栄太郎の差し入れた酒があろう?少し飲もう。その方がお前も落ち着くだろう」

 城太郎は封の切られていないウイスキーの瓶、グラス、水差し、氷の入ったバケツを用意するとソファの前のローテーブルに置く。恐々と「水割りでよろしいですか?」と尋ねると鶴のはソファの背に肩肘をつきながら楽しそうに「生でよい」と答えた。グラスにウイスキーを注ぐとき城太郎の手は少し振るえた。それを見て鶴野は楽しそうに笑った。鶴野にグラスを渡す。鶴野はグラスを口元にあてると、形良い顎をツイと上げて一口飲む。

「栄太郎め、少し酒を惜しんだな。いや、奴の部下の差配かな」

 鶴野はそう言ってグラスに指を入れるとクルクルと掻き混ぜる。指の雫を舐めてから城太郎のグラスにも指を入れてクルクルとやった。鶴野が目で「飲め」というので城太郎はウイスキーを一口含む。驚くほど豊かで芳醇な香りが喉と鼻腔一杯に広がる。舌と喉に柔らかく絡みつきながら胃へ落ちていく様が目に見えるようだった。そこそこ良い酒を鶴野の鬼風が極上の美酒に変えてしまったのだ。

「すごい。こんな酒飲んだことありません。光栄です」

「気にするな。京にだけ贈り物をしては不公平というもの。嫉妬というやつは厄介な感情だからな。ほどほどの嫉妬心は野心や向上心の助けにもなるが、時に人を悪魔に変えてしまうこともある」

 鶴野はあっという間に空になった城太郎のグラスを取り上げると自らウイスキーを注いでくれる。再び指で掻き混ぜてから城太郎に手渡す。城太郎は恐縮の表情で両手でグラスを押し頂く。

「そう硬くなるな。恐縮する必要もない。この酒はいわばお前への手付金のようなものだ」

「手付― ですか?」

「そうだ。特別なことをしろとはいわん。栄太郎と公孝に頼まれた仕事があろう?」

「はい― 他の客分鬼士達の動きを見張れと」

「とりあえずそれでよい。栄太郎達に報告するのと同じことを私にも教えてくれ」

「師と辛丸様にはこの事は話してよいのでしょうか」

「構わん。二人にはな。緑の宮から状況報告を命じられたくらいに言っておけ」

「承知しました。それで、鶴野様―」

「ん?何だ?」

 鶴野は氷の欠片を一つ取り齧り始める。

「恐らく客分鬼士達の動向など鶴野様は先刻承知でございましょう。院内の至る所に使い鬼がいるでしょうし、彼らの動きはむしろ私よりもずっとお詳しいはず」

「ふむ。最近はドローンやら隠しカメラやら歩行型ロボットやら、なにかと便利な機械も多いしな。で、何だ?」

「なぜ私なのでしょうか。確かに客分鬼士達の中では一番院に近い側にいますが、鶴野様なら使える手駒も多いはず。私より優秀で、私のようになぜ?とは聞かない手駒が」

 鶴野は「ふむ」と言って氷を齧る手を止めると、残った欠片を城太郎の口に押し込む。城太郎は驚きながらもそのままキャンディのように氷を口中で転がした。

「離れて暮らす我が子が兄と慕う鬼士。気になって当然だろう?」

 城太郎は思わず氷を飲み込んでしまった。冷たい物が胃へスッと落ちていく。

「京が?鶴野様の?」

「そうだ。私の子どもの頃によく似ている。見た目だけではない。風合いも糸繰りの才もな。男児であったのがつくづく残念じゃ。女児であれば赤の宮を倒すために私自ら鍛えてやったものを」

 城太郎は躊躇いがちに尋ねる。

「院に残すことはお考えにならなかったのですか。赤の宮様の子のように」

「三四郎のことか?」

「はい。風祭宗円様に教えられました」

「あの鬼人探偵とやら、あまりあちこちに首を突っ込んで大怪我せねばよいがな。三四郎は院に残されたわけではない。慣例に従って院外に出されたがその実力で戻ってきたのだ。錬成院に主席合格。血は争えんものよ。もっとも本人はそんな事情は知る由もないがな」

 鶴野は赤い口紅のついたグラスをテーブルに置く。

「三四郎の父親はな、ふふ、まぁいつかその時が来たら教えてやろう。誰もが知る名鬼士なのだ、彼の本当の父親は。生まれてすぐ日向丘の家に入った。取り換えっ子でな」

 院長、副院長を目指せるのは女児だけだ。とはいえ男児であっても皇鬼と名鬼士の子には違いない。その身に受け継がれた才能を無駄にせずにすむよう、皇鬼の子が男児であれば身元を隠して院外に出される。よくある方法が同時期に生まれた名鬼門の子と取り替えっ子をするやり方だ。

「京の父親は里人でな、それとは知らずに不活化した鬼虫を体内に宿している隠れ鬼人であった。顔立ちも仄かに香る風合いも私の好みでな。闇夜に乗じて宿坊の部屋を尋ねたのだ。今夜と同じようにな」

 鶴野が懐かしそうな表情になる。

「まさか私も里人相手に一晩で子を授かるとは思っていなかったが。その夜、京が我が体内に宿ったのだ」

 鬼人全般に言えることだが、里人に比べると妊娠しづらい傾向にある。鬼人と里人の間では更に妊娠率は低くなる。

「お前にも分かるだろう?この狭い小さな鬼士院という城の中であっても政治というやつはなかなかに複雑で一筋縄ではいかぬものだ。皇鬼である私が里人の子を生み、その子を院内に留めるのはもちろん、鬼門の子と取り替えるのも難しかった。そこで栄太郎と公孝を頼ったわけだ」

「そうだったのですか」

女児であれば今頃は皇鬼候補生として熾烈な争いの渦中にいたはずである。

「城太郎、このことは心の奥に秘めておけ。人前で口にしたら舌を引き抜く。いいな?」

「はい」

 もし女児であったなら競争に敗れたとしても母の庇護の下、豊かさと平和が保証された生活を送れたはずだ。繕いだらけの服を着て氷砂糖を何よりの楽しみにするような幼少期も送らずに済んだろう。

「私は皇鬼として十人の子を産んでいる。そのうちの五人が男児であった。女児五人のうち皇鬼に挑戦できそうなのはまぁ一人だけだな。難しいものだ」

 鶴野はウイスキーを注ごうとする城太郎を制して言う。

「私は喋りすぎだな。しかし京がお前を慕っている理由が少しわかった気がする」

「いや、私など― そんなお褒めいただくほどのものでは」

「勘違いするな、城太郎」

 鶴野は苦笑を浮かべる。

「お前は人が良いのか何も考えていないのか、危なっかしくて黙って見ておれぬところがあるのだ。あの咲江という女中、本当にお前に惚れて夜這ってきたと思うのか」

「…」

「あいつは白の宮が飼っている女忍者だ。得意は房術でな。私が来なければまんまと術中に嵌っているところだぞ。あの女は女陰に毒を仕込んでおってな。あのまま誘いに乘っていればお前は正気を失いあの女の操り人形にされていたところだ」

「ま― そんな―」

「言ったであろう?この院内でうかうかと人を信用するなと。京はお前のそういう人柄の良さ、表裏の無さに惹かれ慕っているようだが、お前には京の兄、保護者としてもう少ししっかりして貰わねばな」

 鶴野はすっかりしょげかえった城太郎を優しく見つめながら立ち上がる。

「さて、どうやら大丈夫なようだな。湯を使うか」

「鶴野様、大丈夫とは?」

「風呂だ。咲江は房術を使う。風呂の湯にも薬を入れたかもしれんと思ったが、この匂い、どうやら大丈夫なようだな。多分お前相手にそこまでする必要なしと考えたのだろう」

「はぁ」

 鶴野は肩を落としてソファに座り込んでいる城太郎を見下ろしながら言う。 

「で、どうするのだ?」

「?」

 鶴野は右手を左肩の辺りにあてがうと体を覆っていた緑色の布を一気に剥ぎ取る。輝くような真っ白な裸身。城太郎は完全に石になってしまった。石の体の中で心臓だけが激しく脈打ち体を砕いてしまいそうだった。

「来い、城太郎。温まろう」

 城太郎は差し出された鶴野の手を取った。指先でパチンと何かが弾けた。堰を切ったように熱いものが溢れ出し感情の奔流に流されるまま城太郎は立ち上がった。

お読みいただきありがとうございます。

もし拙作がお気に召したようでしたら感想など寄せていただけると励みになります。

お時間あれば他の作品も覗いてみてください。

よろしくお願いします。

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