この物語の世界観 鬼士と必殺技
鬼人の力の源は鬼虫である。亜種を含め一二種類の鬼虫達はそれぞれ見た目や機能に差がある。箒星に乗って数百万年宇宙をさすらううちに互いの役割分担が進んだためだろう。鬼人の体の中にはこの役割の異なる鬼虫が数種類同居している。体内の鬼虫が一種類だけという鬼人はこれまでのところ確認されていない。また一二種類全ての虫を飼っている鬼人も見つかっていない。鬼人は皆、一二種類のうちの数種類の虫を体内に飼っているわけだが、同じパターンの虫を飼っていても体内での割合が違うと鬼風に明確な違いが出てくる。同じ風合いの鬼風を吹かせる鬼士には親兄弟を除けばまずお目にかからないと言っていい。その親兄弟の鬼風ですら当人たちにはきちんと区別がついているし、一卵性双生児のように最初は見分けがつかなくても付き合ううちに次第に判別がつくようになってくる。つまり二つと同じ鬼風は存在しないということだ。これは鬼虫の種類や割合だけでなく、宿主の性格や生活環境までもが鬼虫に影響を与えるからであろう。その裏返しで鬼虫が宿主の性格形成に影響を与えているとも言える。
鬼虫は親から子へ、子から孫へと受け継がれていくわけだが、得意な武術や使用する得物も親から子へと受け継がれることが多い。親が子に鬼道、武道の手ほどきをするのは自然なことであり、当然ながら剣士の子は剣士に、銃士の子は銃士にと、親が得意とする技を子も学んでいくのが一般的だ。鬼虫の特性が遺伝し、武も受け継がれれば、自然と得意な技というものも親から子へと伝わっていくことになる。つまりその家に代々伝わる得意技、代名詞となるような技が生まれてくる。つまり必殺技だ。
名鬼門の鬼士達が使う必殺技は、雑誌や動い画サイトでも公表されており、相手を倒すための技というよりも、観客を沸かせ自分の強さをアピールするためのもの、歌舞伎の見得切りに近い。
例えば鬼士探偵として有名な二代目風祭宗円の必殺技は「グラン・フィナーレ」。眼術の一種であり相手の胸中を洗いざらい吐き出させる、いわば自白光線である。彼は事件の謎解きの最後に「グラン・フィナーレ」を発動させ、犯人に心の下痢を起こさせるのだ。涙と鼻水を垂れ流しながら犯行動機や手法、現場の様子など犯人しか知り得ない情報を喋りまくる犯人の横で、悲し気に首を振ったり、額に手を当てたり、「何て事だ」と呟いて両手を広げたりと、自分が解決した事件の背景にあるドラマに酔いしれながらのパフォーマンスを行うことを常としている。城太郎の師である紫龍公孝伝兵衛の必殺技は「迅雷衝」と呼ばれる雷撃技である。剣士である伝兵衛は鬼力を剣に乗せ、剣先から雷のように放つことを得意としてる。このように有名鬼士やそれなりの地位にある鬼士達の技は鬼界のみならず里にも知れ渡っている。「ゴブリンマガジン」や「鬼道通信」などの鬼道系雑誌ではしょっちゅう鬼士の必殺技特集をやるし、最近では動画サイトにも自分の技の動画を掲載する鬼士も多いからだ。
一方で城太郎のような現場の鬼道執行官や、イルクーツォのようなフリーの鬼士たちにとっての必殺技は少し意味合いが違う。犯罪捜査、民民同士の調停や斡旋、代理人としての武力交渉(つまり相手代理人との立ち合い)あるいは今回のような雇われ仕事など、常に結果を残さなければならない者にとっては、必殺技は自分を助けてくれる心強い切り札である。有名鬼士達と違って彼らは自分の必殺技を教えたがらない。先程の義信がそうであったように、自分の手の内は晒さずに相手の得意技、必殺技を知ろうとする。少しでも自分を有利な立場に置くためだ。
実は義信の見立て通り、城太郎はアリッサに餌を与える際自身の得意技を使っている。城太郎の得意技の名は「RBF」。それがどのような技なのかはこの先明らかになっていくだろう。まだ若い義信も、京も当然得意技を持っているが、今のところその技を知っているのは互いの師ぐらいだろう。二人に限らず若い鬼人たちは日々、自身の技が必殺技として人々の口に上ることを夢見て修行に励むのだ。
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