旅人
体内に鬼虫と呼ばれる共生細菌を飼い、超常の力を発揮する鬼人たち。懲りずにこの世界観の話ばかり書いてます。要はこの世界観を自分が気に入ってるだけなんですが。
書くたびに細かい設定が違ったりしてるんですが(笑)まぁパラレルワールド、マルチバースものだと思って気にせず読んでいただけると嬉しいです。
「あっ、ねぇ兄者、ヤマドリのほろ打ちが聞こえたよ⁉」
少年は両手を耳の後ろにあてがって聴覚に集中するために目を閉じた。
「そうかぁ?バイクとかじゃないのか?」
年嵩の青年が応える。青年は年季の入ったバギーカーの脇で、未舗装の土道の上に寝転がり、バギーのシャーシを覗き込んでいる。スチールパイプのフレームで組み上げただけの車体にエンジン、ヘッドライト、ハンドルにアクセル、ブレーキ、クラッチペダル、横に並んだシートが二つ。必要最小限のものだけが取り付けられたバギーだ。頑丈だけが取り柄のようなバギーだが、どうやらパンクらしい。左の後輪がペタンと萎んで象の足のようになっている。
「こんな山道、バイクなんて滅多に通らないと思うけど」
「かもな。京、予備のタイヤ取ってくれ。工具とジャッキもな。車軸もちょっと痛んでる。やれやれ、少し時間喰うな、こりゃ」
兄者と呼ばれた男は起き上がって「ふう」と息をつく。初夏を迎えようとする山の日差しは強い。京は荷台から荷物をどかすと工具箱を取り出し、大きなスペアタイヤを外す。
「京、お前はコジロウと一緒に辺りを見回れ。あまり遠くへ行くな?何かあったら呼子で知らせろ。タイヤを履き替えさせて応急修理が終わったら呼ぶから」
「分かった。辺りを一回りしたら釣りしてもいい?」
「あぁ。ただし警戒は怠るなよ?この辺、いかにも出そうだしな」
「了解。コジロウ、行くよ」
荷台の隅っこでむくりと白い毛皮が動く。白柴犬だ。コジロウは優雅な身のこなしでバギーから降りると尻尾をクルリと巻きながら京と呼ばれた少年にくっついて歩く。二人は森に入って行った。
少年は名を一野京といった。年は十三。鍔広の麦藁帽を被っていてもすっきりと整った容貌をしていることが見て取れる。兄者と呼ばれていた青年は紫龍正雪城太郎。城太郎は鬼士院の認可状を受けた鬼士だ。つまり二人の関係は鬼士とその弟子という関係に近いが、まだ若い城太郎は正式に弟子をとることができない。そのため今の京はあくまでも城太郎が面倒を見ている見習いの小僧っ子にすぎず、そのことが二人の関係を気の置けない兄弟のようなものにしていた。二人とも筒袖の単衣に裾を膝下で鉄砲百合のように絞った細身の袴を付け、腰にはちりめん皺の入った長い木綿の兵児帯を巻きつけている。典型的な鬼士の装束だ。京はまだ帯の長さが余ってしまうのか、引きずらないように左腰の位置に大きな蝶結びを作っている。
「さぁコジロウ、少しそこら辺を見て回ろうか。特に何も感じないけどね」
コジロウは分かったとばかりに京を見上げ、耳をひょこひょこ動かしたり鼻をひくひくさせたりし始めた。辺りに盗賊や追い剝ぎ、ゾンビといった連中や狼や大山猫のような危険な獣が潜んでいないか探っているのだ。
「大丈夫そうだね。も少しあっちの方へ行ってみよう」
京も耳に手をあて、鼻から大きく息を吸い込んでいる。野生動物のように目と耳と鼻を目一杯研ぎ澄ませて辺りの様子を探っているらしい。京もコジロウと同様にほとんど足音を立てずに歩いた。木陰に入ると森の空気はまだ涼しく汗をかくようなことはなかった。盗賊相手の狩りや鬼人同士の戦いになれば汗の匂いにも気を配らないといけない。京とコジロウは深海を往く潜水艦のように、気配を殺したまま森の中を移動する。そうやって二人は三十分ほど辺りを探って回った。
「何もいないな」
京は城太郎の姿が見えるところまで移動すると懐から小さな呼子を取り出し、頬を膨らませて呼子を吹いた。音はしない。どうやら人の可聴域を外れた音域で吹いているらしい。ほんの五六秒であったが呼子の音でメッセージを送ったのだろう。バギーの下に顔を突っ込んでいる城太郎が手を振って応えた。
「さて。釣りでもしようか。毎日カロリーメイトと缶詰のコンビーフじゃ背が伸びないしね」
京は見回りの際に目を付けておいた茂みに猫足で近づくと、米粒らしきものをパラパラと撒く。三ヵ所に撒き餌をして少し離れた倒木の陰に身を隠すと懐から小さな輪にまとめた黒い糸の束を取り出す。京が糸の輪を持って指先で勢いよく弾くと糸は綺麗に真っすぐ伸びて行って、先端が米を撒いた茂みにふわりと落ちる。まるで渓流釣りの名人がやるキャスティングのようだった。三本の糸を投げ入れた京は糸の端を右手の人差し指と中指、左手の人差し指に結び付けると倒木の後ろに座り込む。軽く尻でいざって座りの良い場所を探すと、靴を脱いで禅を組む。コジロウも京の横でクルリと丸くなる。二人から生き物の気配がすぅっと消えていき自然に同化する。
二十分後、京の右手の中指に微かな振動が伝わってきた。タイミングを計って「フッ」
と気合を入れ糸を引く。ケーンと鳴き声がして次いでバサバサッと大きな羽音が聞こえる。茂みの中で大きなヤマドリがもがいていた。足に糸の先が綺麗に巻き付いてる。糸の先に括り輪を作っているわけでも、針を付けているわけでもないのに糸はヤマドリの松の枝のような足をしっかり捉えて離さなかった。京は素早くヤマドリの首を絞める。動きを止めたヤマドリに軽く手を合わせて、また倒木の裏に戻って禅を組む。ラッキーなことに十五分後には次の得物がかかってくれた。またヤマドリだ。しかも先程のより一回り大きい。
城太郎が無防備な態勢で車の修理をしている間はすぐ側にいるよりも、少し離れたところから忍び寄る敵に備えなくてはならないが、幸いなことに山間部では結構頻繁に出没する山賊の気配も感じられない。さて、もう少し釣りを続けようかどうしようかと考えているところに呼子の気配があった。コジロウもむくりと顔を上げる。木々の間から覗くと城太郎がこっちを見て手招きをした。
「戻ろうか、コジロウ」
京は手ごろな木の枝を拾い、両端にヤマドリを二羽ぶらさげて担いでバギーまで戻る。
「とりあえず応急修理だけだ。車屋に見せないとダメだな。一時間ほど走れば村がある。そこで修理だな」
「村かぁ。甘いものが食べたいな」
「あぁ。俺も喰いたい」
三人はバギーに乗り込み村を目指して走り始める。山を越えると多少はましになったものの、それでも道は未舗装のままだった。山間の道を一時間と少し走ると、少し赤身がかたクリーム色の岩盤が剥き出しになった採石場が見えてきた。どの山もまるでレゴで組み上げたように四角く山肌を抉られている。岩切村と書かれた標識の手前からようやく道が舗装道に変わった。バギーの乗り心地が格段に良くなる。
村の端にある飯屋の脇でバギーを停める。ジャイアンツの野球帽を被った少年が近づいてくる。
「いらっしゃいませ鬼士様。お食事ですか?」
「あぁ、食事とアルコールだ」
「鬼士様が飲むやつ?」
「いや、こいつの燃料用の。それと村に車屋はあるかい?修理をしたいんだ」
「あるよ。じゃ中に入って食事してて。修理屋呼ぶよ。ワンちゃんはそこの柵に繋ぐといいよ。後でワンちゃんのお水、持ってこようか?」
「頼むよ」
城太郎から駄賃の粒銀を一粒渡されると、少年は帽子を取って「あっざーす」と叫び駆け出して行った。店先でコジロウを待たせ飯屋に入る。店主が前掛けで手を拭きながら出てくる。
「こいつを調理して貰えませんか?一羽はお代に取ってもらって結構なので」
「唐揚げでいいかね?じゃ飯と調理の分のお代はこいつでいただいときますよ」
店主は二人に奥のテーブルを勧めると厨房に引っ込んだ。代わっておかみさんが蕎麦茶の湯呑と急須を持ってきてくれる。おかみさんがワンちゃんもご一緒でよろしいですよと言ってくれたので二人は丁寧に礼を言ってコジロウを店内に入れた。
しばらくして先程の少年が駆け込んでくる。
「修理屋さん呼んできたよ、鬼士様」
店の入り口に立っていた油まみれのツナギ姿の男がペコリと頭を下げる。京が席を立って修理屋に車を見せながら状態を説明する。京が戻ってくる。
「兄者、店に持って行って修理するって。特急でやるから一時間くらいだって」
城太郎が京に車のキーを渡す。傍らの刀を撫でながら尋ねる。
「鬼士たるもの、車に貴重品は残してはいないよな?」
「うん。ここに」
京は帆布製の肩下げ鞄を叩いて店の表に出ると待っていた修理屋に車のキーを渡す。車屋はバギーを運転して自分の店に帰っていった。京が戻るとちょうど料理が運ばれてくるところだった。ざるに盛られた蕎麦。丼いっぱいのすりおろした山芋。茄子とオクラ、トマトが入った味噌汁。最後にまだジュウジュウと油の爆ぜているヤマドリの唐揚げ。あれほど大きく見えたのに羽根と内臓を処理すると大きめのまくわ瓜といった大きさになっている。帽子の少年がコジロウにも皿を出してくれた。煮込んだスジ肉におからを混ぜたものらしい。
「鬼士様、こんな田舎で仕事かね」
客は城太郎たちだけだ。店主は暇を持て余しているらしかった。
「鬼士院に行く途中なんですよ」
「鬼士院ならもっと南に下って二号線から行くほうがよいでしょうに。楽で安全。山賊の心配もないでしょう?二号線沿いの街なら」
「確かに。実は鬼士院に行く前に舞鶴に寄りたくて。兄弟子が執行官をやってるんで」
「そうですか。ま、鬼士様ならいらぬ心配でしょうが、十分にお気をつけなされよ。最近は山賊だけじゃありません。ゾンビ共も徒党を組んで襲ってきますから」
ゾンビ。家や職を持たず、田畑を荒らし、盗みに物乞い、時には犬や猫の屍食すら厭わない、戸籍や住民票、マイナンバーからも解放された生活者の蔑称だ。城太郎は店主の気遣いに礼を言ってとろろ蕎麦を啜り込んだ。店主は手近の椅子を引き寄せて腰かけると、この辺りは土地が痩せていて米が取れないために蕎麦栽培が盛んになったこと、石切り場も昔ほど活気がなく村も寂しくなったこと、五年ほど前に赴任してきた軍の鬼道執行官は村に溶け込もうとはせず、とっつきにくくあまり村のためには動いてくれないことなどを愚痴った。
「前任の鬼士様は鬼士院から来られた方で。大層よいお方で村人皆が慕っておりましたが。遠三国清之助様というお方で。御存じですかな?」
「えぇ。直接面識は無いのですが。確か一旦鬼士院に戻られてから今は大阪藩の鬼士院分院に赴任されたと聞いています」
店主はほうほうと盛んに頷きながら「そうだそうだ」と呟いて店の奥に引っ込むと、小さな四角い紙箱を持って戻ってくる。この村で取れた花崗岩を細工したペーパーウエイトだという。蓋付きで中に小物をしまえるようになっている。ぜひ記念に持って帰ってくれと店主は箱を城太郎に押し付けた。京はひたすらに蕎麦を喉に流し込み、ジューシーなヤマドリの唐揚げにかぶりついている。あらかた皿が空になると、店主は「おーい母さん」と店の奥に呼びかけ、やって来たおかみさんにコーヒーとデザートを持ってきてくれと頼んだ。遠慮する城太郎を「いや、気にせんでください」と遮る。事前に準備していたのかあっと言う間にコーヒーカップと豆かんの器が運ばれてきた。甘いものに飢えていた京はお礼を言うなり糖蜜のかかった豆かんを口に運ぶ。
「鬼士様、鬼士様の任地はどちらでしょう?」
店主がさりげない調子で切り出して来る。城太郎は失礼にならない程度に適当にあしらう。どうやら店主たち村人は軍から派遣された執行官が気に入らず、早く交代しないものかとことあるごとに話し合っているらしい。城太郎はすました顔で機会があったら鬼士院の知り合いに話しておきましょうと告げてこの話を終わらせた。
「鬼士様!」
タイミングよく帽子の少年が飛び込んでくる。車の修理が終わったらしい。表に出て修理屋に礼を言い金と銀の粒をいくつか渡す。修理屋は金をポケットにしまうと胸の前で手を合わせてお辞儀をした。
「じゃ、アルコール入れるね⁉」
少年が元気よく倉庫の方へ走っていく。アルコールの入ったドラム缶を乗せたリヤカーを引いて戻ってくる。少年は慣れた手つきでガラスコップに少しだけアルコールを注ぎ城太郎に差し出して確認を求めた。城太郎は少し匂いを嗅いで「うん。上等なアルコールだ」と頷く。少年は照れたように笑って車のタンクにホースの先を突っ込みポンプをキュルキュルと回し始める。しばらくして少年は手を停めると流量計の数字を見て、少し空を方を見上げながらブツブツと呟く。代金を暗算しているらしい。
「えーとぉ、二十二リットル入ったから、十五円四〇銭だよ」
京が鞄から金入れを出して少年に尋ねる。
「兵庫藩の藩札って使える?」
「うち、現金は日本銀行か蓬莱銀行しかダメなんだ。電子ならゼニックスか丸電、カードは青桜かJPC、後は金銀プラチナ」
京は黙って茶色い革の財布から日本銀行の十円札を二枚取り出す。
「釣りはいい。ごちそうさま」
城太郎はそう少年に告げて店の入り口でこちらを見ている主人とおかみさんに会釈する。
「さ、行くか」
「うん」
城太郎と京は耳覆いのついた帽子を被りゴーグルを掛ける。城太郎は小さく警笛を鳴らし手を上げて挨拶をする。バギーは砂まみれのアスファルトの上を東へ向かって走り出した。
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