その1
渇ききった口腔に白砂が入り込み、わたし、ベルティア・スクーディアは小さく咳き込んだ。指笛を鳴らすためにもショールを口元から剥がさなくてはならないのに。
完全に油断してしまった。
わたしは悔しくて歯を噛み締める。案の定ざりっ、と硬く細かな音がして、ますます眉間に皺が寄ってしまった。
(これだから砂漠は面倒なのよね)
失敗したのは自分のせいだとわかってはいても、つい毒づいてしまう。
あー、もう! かっこ悪いったらない!
決まりが悪すぎて苦虫を噛み潰していると、横から声がかかった。
「大丈夫か」
淡々とした口調で問いかけてきたのは、相棒の護衛案内人テディック・ランガースだ。彼はわたしより七つ年上の二十四歳だけど、それより年上に見えるくらい落ちついた雰囲気を持っている。物心つく前から一緒にいるわたしでさえ、たまにサバを読んでいるんじゃないかと疑わしく思ってしまうくらい。まあ、だからと言って、決して外見が老けているわけではないし。わたしの兄さんには負けるけど、端正で彫りの深い顔立ちをしているとは思う。褐色の肌は真っ白な肌をしているわたしとは違って健康的に見えるし、赤茶色の短髪と茶色の瞳もそんな彼の個性を際立たせている。対するわたしは翠の瞳に青紫色の長髪だし、ロングソードを背負い筋肉質なテディックよりずっと細い体型だ。今はお互い白のショールとフード付きコートで隠してるけど、並んだらかなり対照的なコンビだろう。
ちなみに、彼が背負っているロングソードは旅の傭兵だったというテディックのお父さんの形見だ。フードの中身はだいたいが黒いシャツとズボン。靴も黒いブーツで統一しているみたいだけど、そんなに黒が好きなわけではないらしい。一方、わたしはというと、水色のシャツとタイツに白いプリーツスカート。ブーツも白で統一している。仕事中は大抵この出で立ちだけど、これは特に気に入っている。何しろテディックのお母さんであるリルサおばさんに仕立ててもらったものなのだから。それなのに、この砂と風のせいで今日も砂だらけだ。
ああ、手入れが大変だろうな。内心で溜め息を吐いていると、テディックが近づいてくる。鋭い嘴
(くちばし)に焦げ茶色の羽と背中にコブを持つ生き物、ラムスから手を離し、水筒を差しだしてきた。
「ありがとう」
わたしはラムスの腸でできた水筒を受け取り、少量だけ含み口を濯ぐ。それから、気を取り直して右手を、他人より赤いと評判の口元へ軽くあてた。
纏めたはずの少しカールがかった髪が風で頬にかかる。くすぐったさに堪らず髪を避けたあと、指の一点に息を吹き込んだ。足元へ力を込めると、さらさらとした砂に爪先が埋もれる。
(熱い……)
恐らく表面よりは温度も高くないのだろうけど、砂には十分すぎるほどの熱が篭っていた。沈みすぎぬようバランスを取りつつ、意識を唇に集中させる。
青空に高く澄みきった音色が響き渡った。地下から水がじわじわと浸みだしてきて、砂の色を濃いグレイへと変えていく。わたしは指笛の音色をさらに上下へうねらせる。低音から高音へと乱高下を繰り返すうちに、地下からでてきた水がたちまち勢いを増し、広い湖のような水溜りを創り始めた。さらにその周囲から次々と植物が生えてくる。巨大な実を蓄えたルディの木や赤い小さな実を持つナルの木が水溜りの周囲を覆い、足元がふいに盛りあがりだした。地面に青々とした野草が生えてきたからだ。
(いつもより小ぶりだけど、急場しのぎならこれくらいで十分よね)
できあがった小さなオアシスを眺め、わたしは満足する。唇から指を離すと、真横から声がかかった。
「お疲れ」
「うん」
肩を叩かれ、テディックを振り仰ぐ。微笑みを浮かべてみせると彼の目尻が少しだけ緩んだ。そんなテディックの表情にわたしはちょっと落胆する。一緒に水浴びだってしていた仲なのに、近頃彼の態度はどこか他人行儀だ。幼馴染でしかも仕事の相棒でもあるから、いざという時いつも守ってくれるし心配だってしてくれる。軽口だって言い合える仲なのは変わらないのに。それでも、テディックとわたしとの間には、何故か深い溝のようなものが存在していた。今だってそう。こんなふうに一線引かれているのは正直言って辛い。