近所のラーメン屋が殺し屋を始めた
何をとち狂ったか知らないが、近所にあるラーメン屋が殺し屋を開業した。
店の入り口にはでかでかと「殺し屋始めました」と達筆な張り紙。
この店は昔ながらのラーメンを作ることで有名で、その味は可もなく不可もなく普通。
ホームセンターのフードコートで売ってるラーメンよりちょっとおいしいくらい。
アパートの一階で営業しているそのお店は、家主が経営している。
だからクソみたいな客入りでもかろうじて営業を続けられているのだ。
こんな風に盛大にディスっている俺ではあるが、このラーメン屋を懇意にしている。
何故なら、存在感が極限まで薄い俺の注文を聞き逃さずに、ちゃんと気づいてくれるからだ。
異様なまでに影が薄すぎる俺からしたら、非常にありがたい。
ファミレスとかでも注文を聞かれずに数時間は放置されるからな、俺は。
なじみの店が殺し屋なんて始めたもので、これは捨て置けないと思い、さっそく理由を尋ねてみることにした。
「なぁ……あれってマジなの?」
俺は店内に掲示されたメニュー表を指さしながら店主に尋ねる。
ラーメン500円
チャーハン450円
餃子400円
チャーシュー麺650円
と……メニューが並ぶその一番端には『殺し屋 価格応相談』との文字が。
……バカじゃねぇの?
「まっさかぁ!」
眼鏡をかけた白髪頭の痩せこけた店主は笑いながら言う。
店内もきれいだが、この人も不快感を一切感じさせないくらいに清潔感がある。
彼が着ている白い服には沁み一つない。
「あれはなぁ……客寄せの一環だよ。
お前もあの張り紙を見て食べに来たんだろ?」
「え? うん……まぁ」
確かに彼の言う通りなのだが、これが客引きになるとは思えない。
事実、店にいる客は俺一人だけだ。
「でも、そんなにうまくいく?」
「ふふっ、今に見てろって」
店主はそう言ってにやりと笑う。
今まで変人だとは思っていなかったが、さすがに彼の正気を疑わざるを得なかった。
その五日後。
再び店を訪れた俺は、案の定の光景に何故かホッとしてしまった。
今日の客はいつも見かける常連が二人だけ。
殺し屋効果は全くなかった。
「やっぱダメだったなぁ~」
俺がそう言うと、店主は機嫌が悪そうに鼻を鳴らす。
ちょっと言い過ぎたかなと申し訳なく思っていると、店に一人の男の子が入って来た。
彼は目の周りに青タンを作っていて、髪の毛がぐしゃぐしゃ。
背負っているランドセルには靴底の跡がくっきり。
半べそを書きながら店主の前へ行って一言。
「殺し屋下さい!」
おお……なんと。
小学生の男の子から殺しの依頼が来たよ。
店主はどう答えるのだろうか?
「ふふっ、まぁ座りなよ」
にっこりと店主がほほ笑むと、男の子は背負っていたランドセルをおいてカウンター席に座った。
しばらく無言でラーメンを作っていた店主だが、先に来ていた常連二人に注文の品を出した後に、男の子にもラーメンを出す。
「え? いいの?」
「ああ、食べな」
「ここスマホ決済使えますか?」
「使えないけど、お金はいらないから大丈夫だよ。
遠慮なくお食べ」
店主の優しい言葉に警戒心を解いたのか、男の子は安心した面持ちでラーメンをすすり始める。
「……おいしい」
大して珍しくもない醤油ラーメン。
ペラペラのチャーシューに、こしの弱い麺、やけに薄味のスープ。
ありがたがって食べるようなものではないのだが、男の子は夢中になって食べている。
「おやじ、俺もラーメンひとつ」
「…………」
店主はじっと男の子を見つめている。
俺の注文に気づいていない。
……ちくしょう。
「なぁ、君。
良かったら、依頼内容を聞かせてくれないか?
君は一体だれを殺したいんだい?」
男の子がラーメンを食べ終えるタイミングを見計らって、店主が優しく声をかける。
すると彼はクラスメイトと思しき人物の名前を、一人、二人と告げ始めた。
彼が上げた名前は6人分。
一人残らず殺して欲しいという。
「彼らを殺したい理由を聞かせてもらえるかい?」
「ええっと……」
「どんなことをされたのか、話してくれればいい」
「あのね……」
男の子はその6人から毎日のように暴行を受けていて、もう死にたいと思っているらしい。
筆舌しがたいほど生々しい詳細に、話を聞いているだけでハラワタが煮えくり返る。
殺し屋を雇いたくなる気持ちも分からなくもない。
「そうか……」
話を聞き終えた店主は、悩まし気に眉を寄せる。
そして重々しい口調でこうのたまう。
「申し訳ないが……
未成年の依頼は引き受けられないことになっているんだ」
「えっ……」
店主の言葉に、男の子は表情を曇らせる。
そりゃぁ……助けてもらえると期待して依頼しに来たのに、ダメだなんて言われたら落ち込むわな。
てゆーか最初から断れよ。
「でも……そいつらから君を守ってやれるかもしれない」
「え?!」
「オジサンには強い味方がいるんだ。
ねぇ……お二人さん?」
店主がそう言うと、ラーメンをとっくに食べ終えた常連の二人が立ち上がり、男の子の両脇に座る。
「俺も昔、いじめられていたんだ」
「学校が終わった後ならオジサンたちが守ってやれるぞ」
とっくに定年退職してオジサンなんて年じゃなくなった老人たちは、男の子を励まして親身に話を聞き始めた。
心なしか、彼の顔が少しばかり明るくなったように感じる。
男の子はすっかり元気になり、飛び出すように店を後にした。
その背中を優しそうに見守る三人の老人たち。
ちょっとだけ感動した俺だが、結局ラーメンは食べ損ねてしまった。
さて、家に帰って来たわけだが。
どういうわけか扉が開かない。
するするとドアノブが滑って動かないのだ。
いったい何故かと不思議に思っていると、背後から女の声がする。
「あなた……まだ自分の正体に気づいていないのね」
耳元でボソッと呟くような声。
振り返ると長い黒髪を前に垂らして顔を隠している女がいた。
「いや……誰だよお前」
「私を見ても驚かないなんて、見込みがあるわ」
「顔を髪の毛で隠してるだけだろ。
今日日、そんな幽霊がいても怖くねーよ」
「そう……ならこれを見ても驚かないでね」
白いワンピースを着た女は部屋の扉に向かって歩いて行く。
すると、扉をすり抜けて中へ入っていくではないか。
「は? 何がどうなってんの?」
「いいから……こっちへ来て」
扉から腕だけが出て来て手招きをする。
明らかに異常なことが起こっているのだが……俺は変に冷静だった。
扉へ向かって歩いて行くと、俺の身体はすり抜けて部屋の中へ。
玄関先で俺が仰向けに倒れている。
「え? なにこれ……」
「死んだのよ、あなた」
「へ? なんで?」
「ゴキブリを踏んづけて体液で滑って後頭部を打ったの」
うわぁ……なんて嫌な死に方。
よく見てみると俺の足の裏にはゴキブリの残骸が……おぇ。
「最悪な死に方だな……」
「ようやく自分が死んだことを受け入れたようね」
「うん……つかさぁ、あんた誰なの?」
「見て分からない? AKURYOよAKURYO」
だろうね。
いかにもって見た目だし。
「その悪霊様が俺になんの用ですか?」
「あなたもAKURYOにならない?
一緒に人間を呪い殺すの。
楽しいわよ」
「いや……」
「言い方を変えてみましょうか。
一緒に殺し屋にならない?」
殺し屋と聞いてちょっとだけ心が動いてしまった自分が情けない。
「あの……少し考えさせてもらってもいいですか?」
「好きなだけ悩むといいわ。
どうせ時間なんていくらでもあるんだから」
自称悪霊の女性はにやりと口元をゆがませる。
くだんのラーメン屋は相変わらず閑古鳥が鳴いている。
しかし、殺し屋の張り紙を見て駆け込む子供は多い。
そんな迷える子供たちの話を、店主は毎回丁寧に聞いている。
常連たちも協力的だし、場合によっては他の大人も巻き込んで、いじめを解決することもある。
殺し屋とは名ばかりの立派なヒーローだな。
「さぁ……次のお仕事よ」
先輩の悪霊女が俺の肩に手を置く。
「次は誰を呪い殺すんですか?」
「婚活詐欺師」
「依頼人は?」
「騙された人」
「……ですよね」
俺はこの世に未練を持って地縛霊となった人たちから依頼を受け、恨みを晴らして成仏するお手伝いをしている。
ターゲットを呪い殺すことで彼らは常世の呪縛から解放され、天へと昇っていけるのだ。
割とやりがいのある仕事だったりする。
「俺が成仏できるのはいつなんですかね?」
「この仕事に飽きたら」
「……さいですか」
殺し屋という仕事にあこがれていた俺は、この状況を楽しんでいたりする。
成仏できるのはまだ先になりそうだ。