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神力と媚香


 側室待遇は表向きだという言葉に安堵したのも束の間、不穏を告げられたディオーネとナイア、その傍らに立つミラベルの注目がロドルフへと集まる。


「まずは、そうだな。姫は『血に酔う』という言葉を覚えておいでか」

「はい。城塞での引見時に陛下が質問されたお言葉です」

「結構。『血に酔う』とは女神の血にあてられる現象を指す。つまりディオーネ姫、其方のお血筋のことだ」


 直裁的に、しかしなるべく衝撃を与えないようにと、事実へ導くための推論をロドルフは慎重に確認していく。


「姫はその御身から花のような香りが匂い立つことを承知だな。自身で感じることはないが、カスタリア王女の特質なのだと申されていた」

「はい、その通りでございます」

「それは歴代の王女の身に宿る治癒の力が、体内に留まりきれず漏れ出たものだと推察するが、間違いは無いだろうか」

「ええ……おそらくは、そういうものだと存じます」


 うむ、と膝の上で両指を組んだロドルフの真剣な眼差しがディオーネに向けられる。


「ディオーネ姫よ、実はだな。その香りはカスタリアの国民であれば等しく実害はない。ただ心が安らぐだけの芳しい花の匂いだ。だが国外では効力が異なり、何故か媚薬を含んだ香りとなって飛ぶ」

「……?」

「しかも、そこらの調合師が作ったものより余程に強力な代物でな。対象は男だけ……逆を言えば国外の者であっても女性であれば体に異変は起きない。そこはカスタリアでの作用と同じようなのだ」


 その証拠に、とロドルフは近衛師団分団長のミラベルの名前を口にする。


「ラウルから報告が上がっている。其方や第三分団所属の者たちは姫の救出時に感じるものがあったのではないか。花の香りについてだ」

「……ランダル兵と対峙した場所が森の中であったため当時は気に留めていませんでしたが、周囲に何となく甘い花の匂いが香っていたと記憶しております」


 虚をつかれて息を呑んだミラベルだったが、努めて冷静に当時の状況を思い返す。望む答えを得られたロドルフは次いでベッティーナへ話を振った。


「王妃は姫と初対面だったが、異変はないようだな」

「ええ。意識をしてみれば芳しい匂いがする程度で、体調に変わりはございません」

「つまりだな。同じ国外の者でも女性は簡単に看過してしまう程度の、ただの花の香りに過ぎないことが分かる。姫を救出した際、初めに異変に気づいたのはラウルだ。弟は日頃から胆力を鍛えているため媚薬の香り……媚香を咄嗟に防げたのだが、その後背にいた男性兵士らは軽くあてられてしまったのだろう。今尚、効果を体外に抜くため秘密裏に療養している」


 同じ場面に遭遇しながらそのような仕儀になっていようとは、と驚くミラベルの隣で、ひゅっ、とナイアが息を呑む。


「かく言う私も、女神の血にあてられそうになった一人ではあるのだが。結果的に私とラウルは媚香を拒絶することができた。一度跳ね除けてしまえばどういう理屈か、やはり花の香りがする程度の認識に変わるのだよ。おそらく以降は、媚香の影響を受けることはあるまい」


 これまで双眸を瞬かせるだけのディオーネだったが、あっ、と声にならない声で瞳を大きくさせたのは引見時のロドルフの様子に思い当たる節があったのだろう。元よりロドルフが嘘をついているという考えは微塵もなく、ただひたすらに理解しようとして、こてりと首を傾げた。


「陛下、発言の許可を頂けますでしょうか」

「遠慮はいらぬ。不明な点があれば何なりと質問をお受けしよう」

「あの……媚香というのは、本来どういうものなのでしょうか」

「んん?」


 まさかの問いかけにロドルフは言葉を詰まらせる。カスタリア前王妃の嫌がらせで、教育の全てを取り上げられたというディオーネの言葉に合点がいくと同時に、果して異性の自分が口に出しても良い話題なのかと非常に窮した。だが既にディオーネには「何なりと」と伝えてしまっている。


「媚香というのは媚薬の一種でだな。本来使用すれば男女問わず……」

 

 十四歳の娘を前にして何を説明しているのだろう。どことなくひんやりと冷気が漂ってくる感覚がして我に返ったロドルフは、チラリと横目で王妃に以後の説明を託した。


「ディオーネ姫。媚薬というのは愚かな男が己の情欲のために閨で使用する、浅ましい興奮剤のようなものです」

「う……うむ」


 託してみると、それはそれでベッティーナによる辛辣な解説である。男として酷い言われようだなとロドルフは内心思わないでもないが、改めて見渡した室内は女性ばかりが居合わせている。対する男は自分一人で、弟を同席させれば良かったかと後悔する程にどうにも分が悪い。肝心のディオーネを見てみれば顔を真っ赤に染めて俯いており、どうやら媚薬の意味は理解したようだとロドルフは反論の矛先を収めて話を戻すことにした。


「この『血に酔う』現象は姫が国外に出たことで明らかになったものであり謎も多い。そもそもの原初の女神の権能は豊穣と繁栄……つまりカスタリア王女が受け継ぐ女神の力に男が惹き寄せられるのだろうとは推測する。だが安易に実証が出来ない以上は、カスタリアへの帰還まで姫を男性の目に触れさせないことが肝要だ。私の側室として後宮に迎えた理由もこの辺りにある」


 納得した表情のミラベルと、渋々ではあるが認めざるを得ないという様子のナイアに対し、ディオーネは顔を赤らめたまま思案げに目線を伏せている。ベッティーナからの目配せで女官長が動き出すと、テーブルの上の冷めたお茶を新しいものと取り替え、今度は焼き菓子などの若い娘が好みそうな菓子を添えた。


「思いもよらぬ話ばかりで姫も心の整理が追いつかないことでしょう。ここで区切りをつけて、ひと息入れましょうか」

「うむ、そうか」


 提案した王妃が一口含んだのを皮切りに、金縁に小花柄を模した美しいカップをそれそれが口に運ぶ。ほっ、と体内だけでなく室内の温度も上がったような和やかな雰囲気を受けて、ようやくディオーネも肩の力が抜けたようだ。折良くベッティーナが話しかける。


「ディオーネ姫。何もそう難しく考えなくても良いのです。あなたはまだ十四歳。陛下と軍部元帥以外の、男性の目に触れることを避ける。これさえ自覚しておけば、あとはここにいる者たちがどうとでもいたします。そのためにこうして集まってもらったのです。あなたは何の憂いもなく、伸び伸びと健やかにお過ごしあるとよい」


 まさか自分が媚香を撒き散らす存在になろうとは、まるで世間で言うところの痴女に当たるのではないのかと悶々と羞恥に耐えていたディオーネである。表情は厳しくとも温かい王妃の眼差しに触れて、こくっと素直に頷いた。


「ありがとう存じます」

「姫よ、カスタリア王国の復興については間もなく開かれる臨時の国際会議にて良いように取り計らう算段をつけておる故、こちらも心配はいらぬ」

「重ねてのご配慮、痛み入ります」


 恐縮するディオーネに焼き菓子を勧めたベッティーナは、陛下、と話の流れを変える。


「ディオーネ姫の今後の教育についてですが、わたくしにご一任下さいませ」

「うむ、それが良かろう」


 難しい話題はこれでお終いにしようというベッティーナの意思表示に、ロドルフも同意して茶菓子をつまむ。


「わたくしの教育……ですか」

「ああ、そうだ。淑女が身につけるべき作法や刺繍に始まり、言語に歴史、ネヴェルネスの文化や風習……何でも姫が好むものを学ばれると良い。せっかくこうしてネヴェルネスに滞在するのだ。教育に留まらず、私達が同伴もしくは許容の範囲であれば近くの庭園を散策するなどして、ネヴェルネスの季節も楽しまれよ」

「良いの、でしょうか?」

「恙無きことは勿論のこと、姫の毎日が充実することを私達も願っている」


 ぱっ、と花が咲いたようにディオーネの頬に上気が宿る。凛と自分を律するこれまでの態度から一転、素に近い年相応の笑顔を向けられてロドルフは不思議な高揚感に包まれた。何としてでもこの笑顔を守ってあげたい、と生じた使命感はどうやらベッティーナにも通じるところがあったらしい。細めた目元に慈しみを湛えている。


 こうして王妃ベッティーナと仮の側室ディオーネの面会は穏やかに幕を閉じた。


 


 その夜も更けた頃、執務を終えたロドルフは夜着を纏い、ワインを片手に再び王妃の私室で寛いでいた。


「何やら上機嫌ですこと」

 

 こちらもすでに寝支度を終えたベッティーナが、目を通していた書物から顔を上げて夫の核心を突く。

 

「ディオーネ姫ですか」

「ああ。姫は愛らしかろう」

 

 昼間の可憐なディオーネの笑顔を思い出して、ロドルフは満足げに赤い液体を揺らす。一度媚香を防いでしまえばその影響を受けないと伝えはしたものの、もしかしたら軽くあの花の香りにあてられているのかもしれない。そう思えるほど、ロドルフの心は十四歳の少女に魅了されていた。但しそれは男女の情では決して無く、どちらかと言えば娘を溺愛する父親のような心境である。

 

「特に最後の打ち解けた笑顔は可愛らしかったですわね。教育の話だというのに、あのように喜色を露わにされるとは思いもしませんでした」

「姫は十一歳の時に全ての教育を取り上げられたらしいからな。再び学べる環境を手にすることができて嬉しいのであろう。……姫には幸せになってもらいたいものだ」


 ロドルフが姪以外の令嬢にここまで肩入れするのは非常に珍しい。対面の長椅子に座るベッティーナは膝の上の書物をパタンと閉じた。


「もしもあなたが望むのであれば、わたくしは姫を本来の意味での側室として迎えても構わないのですが」

「ベッティ」


 一瞬で酔いも覚める妻の発言に、ロドルフは手にしていたグラスを机に置く。立ち上がってベッティーナの隣に座り直すと、すかさず腰に手を回して自分に引き寄せた。


「そなたはいつもこうだ。だから、仮であっても姫を後宮に据えるなど避けたかったのだ」


 王妃ベッティーナは、ネヴェルネス王国より更に南に位置する海洋国家ハセルの王女として生を受けた。ハセルは一夫多妻でも有名な国で、その王族となれば多くの側室を抱えることが常である。そうした環境で育ってきたベッティーナ自身も側室腹で、後宮というものに対して非常に寛容な認識を持っている。


 約二十年前のロドルフが王太子時代に側室を迎えなければならなかった時も同じ有り様で、その実、ロドルフの最大の敵は側室をごり押しする父王でも対立する両派閥の貴族達でもなく、迎えても良いではありませんかと悋気を見せずに勧めてくる最愛の妻だったのである。


 こうなるとベッティーナに対する自分の愛情が一方的なもののように思えて、ロドルフは酷い焦燥感に駆られてしまう。決してそうではないことは理解しているはずなのに。


「私には其方がおればよいのだ、ベッティーナ。姫に対して保護者以上の感情は持たぬし、今後も真の側室にするつもりは無い。姫はいずれカスタリア王国にお返ししなければならぬ大事な預かりものだ」

「数年後には姫がカスタリア王国の女王として即位される、と考えてよろしいのですね」

「私はそう見立てている」


 ベッティーナの下ろした栗毛の髪を一房、ロドルフは手に取って指の腹で撫でる。ネヴェルネスの容姿とは異なるベッティーナの彫りの深い目鼻立ちと琥珀色の瞳は、互いが婚約者候補として初めて出会った頃と何ら変わることなく美しい。ロドルフの一目惚れだった。


「分かりました。いずれ国を治める方として遇し、心して姫の教育にあたろうと思います」


 決意を伝えたベッティーナが珍しく夫の肩にしなだれ掛かる。日々の公務に邁進するロドルフが、そっと国王の肩書きを外した瞬間であった。

着々と味方を得るディオーネ。ロドルフとベッティーナは政略的な婚約者として出会ってからの恋愛結婚です。ネヴェルネスでも王族は一夫多妻が認められていますが、ロドルフとラウルの妻は正妃のみです。


次は、新生活の幕開け、です。

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