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王妃候補は女神の末裔【最終話】

 第一神殿に次いでカスタリア王城へと入り、ヘルメスからの歓待を受けて帰国の途についたディオーネとアルフレッドである。


 帰国後は結婚式に向けて多忙な日々を過ごし、それがようやく落ち着いた頃、ネヴェルネス王国は春の季節を迎えた。


「どうした姫、明日は主役ではないか。王太子宮に戻って早めに休むと良い」


 その日の執務を早めに終わらせ、ベッティーナの居室へと足を運んだロドルフは瞠目した。アルフレッドとの婚儀を翌日に控えたディオーネが、ベッティーナと談笑しながらロドルフの帰りを待っていたのである。


 抜き打ちでの訪問とはいえ、ディオーネに対するロドルフの態度は明らかにおかしい。正面から顔をまともに見ようとしないのだ。


「陛下。わざわざ姫が婚儀の前日に来てくれたのですよ。きちんと話を聞いてあげませんと」

「う、うむ」


 歯切れの悪いロドルフは、来訪の目的が何なのか察しがついている。


 あれこれと雑談を挟んでソファーに近寄る気配を見せないロドルフに代わり、立ち上がったディオーネが自ら距離を詰めた。


「陛下」

「あー。改まった挨拶は不要だぞ、姫」

「では一言だけでも」


 にこりと可憐に押し切られて、とうとうロドルフが観念する。


「こうして両陛下と夜の時間を過ごすのも久しぶりですね。最近はネヴェルネスに来た頃の夢を見たりして懐かしく思います」


 そうか、とロドルフが無難に答えた。


 日が沈んだ夜は嫌が応にも感傷に浸りやすい。その脳裏に庇護した当時の、十四歳のディオーネの姿が蘇る。


 ネヴェルネス王城に入ってからしばらく、ディオーネは大人からの盲目的な愛情に不慣れな様子だった。


 生まれ持った才能に努力を重ね、知識やマナーを習得するにつれて自分に自信がついたのだろう。少しずつ心を開いていく様子がロドルフには愛しく、ベッティーナと実の娘のように大事に慈しんできた。


 不可能なことだと知りながら、いつまでも手元に置いておきたい気持ちは今でも変わることがない。大切な掌中の珠なのだ。


 そのディオーネがロドルフの目の前で少し照れたようにはにかんだ。


「何の後ろ盾もないわたくしに、陛下はいつも深い慈愛を注いでくださいました。楽しく、かけがえのない日々でございました。……これまでわたくしを見守り、お導き頂きましたことを心から感謝いたしております」

「ディオーネ姫」

「わたくしの大好きな、お父様」

「……おおっ」


 ネヴェルネスの賢王と名高いロドルフの目に光る粒が浮かぶ。


「父と呼んでくれるのか、姫よ」


 ロドルフはこれまで一切、自ら進んでディオーネに触れたことがない。庇護のため止むを得ず後宮に入れたものの仮の側室という立場上、ロドルフなりの線引きであり配慮してきたつもりだ。


 いま初めて、ロドルフはディオーネに触れる。最初で最後の父娘の抱擁だった。


 静観していたベッティーナがソファーから立ち上がり、軽く両手を広げる。


「母のもとにもいらっしゃい、姫」

「はい、お母様」


 代わる代わる抱きしめられたディオーネは幼子のようにベッティーナの胸に甘えた。美しく艶やかなその白銀の髪をベッティーナが優しい手つきで撫で付ける。


「何かありましたら、すぐ母に相談なさい。幸せになるのですよ」

「はい……ありがとう存じます」


 抱擁が終わると二人は微笑み合った。その様子を、ようやくソファーに腰を落ち着かせたロドルフが穏やかな眼差しで見つめている。


 心の底から満ち足りた、幸せな結婚式前夜だった。 




 ―――翌日。


「姫様、王太子殿下がお迎えに参られましたよ」


 女官長エマからの取り次ぎに、婚礼衣装を身に纏ったディオーネが振り返る。


 首回りから両袖にかけて繊細なレースがあしらわれた乳白色のドレスは、カスタリア風を意識して袖が手首に行くほど広がり、花嫁の清楚感を引き立てている。


 ふんわりと薄衣を幾層にも重ねたスカートに、引き裾に至るまで施された刺繍のすべてが豪奢で麗しい。


 多忙なベッティーナが手ずから指示し完成させた、ネヴェルネス随一の意匠を凝らす最高級品のドレスである。


 入室したアルフレッドは思わず息を呑んだ。


 アルフレッドもまたディオーネと揃いの白を基調とした衣装に、華やかな婚礼用の装飾を身につけている。装飾の一部にはさり気なく紫色の宝石が使われていて、ディオーネの高貴な瞳の色と対をなす仕上がりだ。


 その白い服装にはネヴェルネス王家特有の黒髪がよく映えた。前髪を上げた様も普段と違い、見慣れない新鮮味がある。貴公子然とした色気に拍車がかかっていた。


「美しいです、アルフレッド様」  

「ははは、先に言われてしまったな」


 お時間です、とアルフレッドに付き従って来た王太子宮の筆頭女官ナタリーが告げる。


 アルフレッドがエスコートのため腕を曲げると、そこに笑顔のディオーネが軽く手を添えた。


 エマとナタリーの先導で、一行はディオーネの歩調に合わせてゆっくりとネヴェルネス王城の離れにある聖堂へと向かう。


 今日ばかりは王城に勤める侍従や女官、近衛兵士ら全員が正装を纏い、磨き上げられた廊下で次々と頭を下げて主役の二人の門出を祝った。


「……やはり、口がいいと思うのだが」

「いえ、額です」

「どうしてもか?」

「どうしても、です」


 ならば仕方がない、と目を細めたアルフレッドがあっさり引き下がる。どうせ認められないのは分かりきったことで、じゃれ合いのようなこのやり取りでディオーネの緊張も多少は解れたようだった。


 きっとそれを見越してアルフレッドが冗談を交わしてくれたのだろう。いや、あわよくば半分はディオーネが頷いてくれたらという期待があったのかもしれない。


 先導は途中で婚儀を取り仕切る聖職者たちに引き継がれる。


 聖堂前に到着すると、ほとんど間を置かずして入り口の二枚扉が開かれた。


 婚儀に参列する顔ぶれは国王ロドルフと王妃ベッティーナ、第二王子マリユスと王弟ラウル一家の四人、そして王太子の婚姻について長年気を揉んだ老宰相を筆頭とする数人の重臣らとその伴侶だ。


 末席では特別に参列を許されたナイアが同じく非番のミラベルの隣で早くも涙ぐんでいる。


 真っ先にその姿を視界に入れたディオーネは二人に微笑んでみせた。共に笑い、共に迷い、ネヴェルネスでの生活を身近で支えてくれたのがナイアとミラベルだ。


 少しでも恩返しができたかしら。祭壇まで敷かれた絨毯の上をアルフレッドと進むディオーネの胸中に、熱いものが込み上げてくる。


 婚儀の式次第は大司教の主導のもと滞りなく進められた。


 神話を説かれ、花婿と花嫁が主神である原初の女神に誓いを立てる。いよいよ残すは大司教が祝福を与える頃合いとなった終盤のことだ。


 にわかに嗚咽が聞こえてきて、前列のテオドールはその出処にぎょっとした。


 ネヴェルネスの黒獅子と他国から恐れられ、最高司令官として長らく軍部の頂点に君臨する父ラウルの背中が大きく震えていたのだ。


 顔は見えずとも男泣きと呼ぶに相応しいほど号泣しているのだろう。新郎の父であり新婦の養父でもあるロドルフでさえ毅然としているのに、と呆れつつも苦笑するテオドールである。


 これでは半年後に迫ったエミリエンヌとマリユスの婚儀で一体どうなるのか、想像に難くない。


 テオドールの隣に並んだエミリエンヌが、更にはエミリエンヌと目配せをしたマリユスが肩をすくめて密かに笑い合う。


「……―――それでは最後に、女神からの祝福を」


 参列者の感情はさておき大司教が抑揚のない声で宣言すると、ディオーネと向かい合わせになったアルフレッドが無駄のない所作で片膝をついた。


 本来ならば王族の冠婚葬祭すべてを取り仕切る立場の大司教が祝福を贈り、式を結ぶのが通常である。


 だが原初の女神を主神と仰ぐ国教側から、女神の末裔にして聖地カスタリア王国の神官長でもあったディオーネに、大司教といえども祝福を贈るというのは不遜にあたるのではないかと申し出があったのがひと月前の話だ。


 そこで協議を重ねた結果、花嫁であるディオーネ自ら花婿に女神の祝福を贈るという特例が立案されたのだった。


 この話を聞いたとき、一国の王太子を公衆の面前で片膝立ちさせることにディオーネは恐縮したが、当のアルフレッドが問題ないと快諾しロドルフ夫妻の後押しもあれば反論の余地はない。


 前もって事情を知らされている参列者達が見守るなか、屈んだディオーネがアルフレッドの額にそっと口づけを落とす。


 優しく触れた唇が離れ、晴れて夫婦となった二人は目を合わせて微笑んだ。


「きゃっ……!」


 立ち上がったアルフレッドが感無量とばかりにディオーネを抱きしめる。


 あらあら、おやまあ、というどよめきと共に聖堂は盛大な拍手に包まれ、新たに誕生した王太子夫妻を皆が祝福した。

 

 アルフレッドが耳打ちをする。


「私も幸せだ。ディオーネ、私を選んでくれてありがとう」

「アルフレッド様」


 二人の成婚を知らせる聖堂の鐘が、ネヴェルネス王城に鳴り響いた。それを合図に王都内の教会が一斉に鐘を打ち鳴らす。


 リーンゴーン。リーンゴーン。


 王都に住まう国民は歓喜の声を上げ、この後の国王一家のお出ましに備えて王城に足を運ぶ者もいれば、今日は祝日だと昼間からの振る舞い酒に舌鼓を打つ者もいる。


 街中の食堂が開放され、あちらこちらで賑やかな祝宴が始まった。


 教会の鐘は王都周辺から更に地方へと重なり合いながら徐々に波及していく。街から街へ、村から村へ。ついには北西部の国境近くにある城塞まで鐘の音が届いた。


 満を持して城塞から放たれたのは空の祝砲だ。一定の間隔で何度も何度もそれを繰り返す。


 最終的に数十発に及んだ祝砲の音は国境を超え、険しい山の合間を抜けた。


「えっ……!」

「いま何か聞こえたような……」


 長閑な田園風景が広がる、カスタリア王国南部の第一神殿領。農作業に精を出していた領民達が一斉に手を止めた。


 近くの神泉からは、こんこんと水が湧き出ている。極端に暑くも寒くもない穏やかな気候、肌を包むような柔らかな風。普段の暮らしと何も変わらない。


 遠く微かに大砲の音が続いた。


「本当だ! 聞こえるぞ!」

「直系王女殿下のこ成婚だ!」


 今日はネヴェルネスも晴天だろうか。どこまでも青く澄み渡る空を見上げて、ネヴェルネス王国の王太子妃となったディオーネの幸せをカスタリアの民も心から願った。


 ―――完

ついに最終話となりました!

ここまでお読みいただいた皆様、メッセージやいいねを下さった方々に励まされての執筆でした。心から感謝いたします(*^^*)


最後に☆のマークをタップして評価いただきますと、次作への意欲に繋がります(*^^*)

よろしくお願いします。


ディオーネとアルフレッド、結婚おめでとう♪

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