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新たな門出

 カスタリア王国の少年王ヘルメスが帰国の途につき、ネヴェルネス王城に日常の平穏が戻ってから数日後のことである。王太子アルフレッドと第二王子マリユスは父に呼ばれ、揃って国王執務室へと足を運んだ。


 執務机に座るロドルフは機嫌が良い。カスタリア側との折衝で無事ディオーネをネヴェルネスに留め置く運びとなったこと、成果を導き出した息子達の成長は然ることながら、最後にヘルメスが語った置き土産も理由の一つだ。


 世界の創造主の末裔であるカスタリア国王が断言したということは、連綿と続くネヴェルネス王家の系譜に誤りはないのだろう。正統性を認められ、自分の代でこの上ない僥倖に巡り合ったとロドルフは感慨深く思うのである。


「此度の外交は何かと多難であったが、皆で結束し最良の結果を得たと私は評価している。そこでお前達に褒美というわけではないが……まずはマリユス。エミリエンヌ姫との婚約を来月正式に発表する。婚儀はアルフレッドとディオーネ姫の婚儀の半年後だ。異存はないな?」

「はい。異存ありません」

「ラウルにはまだこの決定を知らせていない。今日は夜会もある。お前からエミリエンヌ姫に直接伝えてあげると良い」

「ご配慮、ありがとうございます」


 マリユスが一礼をすると、続いてロドルフはアルフレッドに視線を移した。


「アルフレッド。既にヘルメス王から打診を受けているだろうが、私のほうにも重ねて進言があった。ディオーネ姫が望むのであれば、共にカスタリア王国を訪うことを許可する」


 え、と不覚にも声を上げたのはアルフレッドの隣に立つマリユスだ。自身の婚約発表の件よりも余程驚いた顔で兄を見つめた。


「どういう経緯で兄上達がカスタリア王国を訪問される話になったのですか? それもヘルメス陛下からの招聘(しょうへい)で?」

「ああ。実は……」


 ヘルメスが滞在する客殿に単身で出向いた日のことをアルフレッドは思い返す。


『……あのさ。一度でいいから、姉上をカスタリアへ帰すことは出来ないかな』


 至近距離でそう話を持ち出したヘルメスは雄弁に語ったのだった。


『永久に、ということではなくて数日の訪問という形で。姉上は二度と戻らないと覚悟してカスタリアを離れたわけじゃない。心残りもあると思うんだ。王太子妃となり何かと制約される前に、僕はその憂いを払拭してあげたい。別に姉上が帰国されたからといって無理難題を押し付けたり、監禁しようという思惑はないよ。心配ならば貴方が付き添えばいい』

『私も? 他国の王族にカスタリア入国の許可を与えると?』

『今回の押しかけたお詫び、というわけではないのだけれど。姉上のつ・い・で・に、ネヴェルネスの王太子を歓迎してやってもいいと言っているんだ』


 てっきり、兄とヘルメスは相容れない仲のままで終わったと思っていたマリユスである。回想を交えたアルフレッドからの説明に、意外にも腹を割って対話したのだなと目を丸くしながら相槌を打った。


「そのようなやり取りがあったのですね、理解しました。話の腰を折ってしまい申し訳こざいません、父上」

「ああ、構わぬ。幸いにもしばらくは重要な国事がない。婚前ではあるが伴侶としてディオーネ姫に同道し、カスタリアの見聞を広めるのも良いだろう。但し、姫に帰国の意思があることが前提だ。無理強いはならぬぞ、アルフレッド」

「畏まりました」


 弟と同様に礼儀正しい所作で頭を下げたアルフレッドの脳裏に、噴水庭園でのディオーネの姿がよぎる。


 母国へと戻るヘルメスの背中を長い間見送り続けたのは、一種の羨望ではなかったのだろうか。帰郷の話を進めるに際し、父の忠告どおり無理強いをするつもりはないが、時には自分の感情に素直に甘えて欲しいとディオーネには願う。そのためならば出来うる限り説得もするつもりだ。


「私からの話は以上である。二人とも戻って良いぞ」


  ロドルフから解散を命じられたところで、部屋の隅に控えていた侍従長オーバンが進み出てアルフレッドの前で腰を折った。


「王太子殿下にはこのまま王妃陛下のもとへ足をお運び下さるよう、ご伝言にございます」

「母上が? 珍しいな」


 事情を知っていそうな父に目配せをすると、ロドルフは軽く肩をすくめた。どうやら父も母の用件は知らないようだ。


「あちらこちらと人気者だな、アルフレッド。早くベッティーナのもとへ行ってやれ」

「お叱りかもしれませんよ。それでは御前を失礼いたします」

「父上、私も近衛師団の仕事に戻ります」


 茶々を入れてきた父を残して、アルフレッドはマリユスと共に執務室を退出する。婚約が決まりエミリも喜ぶだろうな、とひと声かけて弟とも別れると、廊下で待機していた王妃付きの女官らを伴って母の部屋へと向かった。


 女官同士の取り次ぎ後、入室してみれば執務机が置いてある居間に母の姿はない。代わりに在室の女官長エマが、バルコニーへ出るための扉にアルフレッドを誘導する。


「母上はそちらか」

「はい、先程からお待ちでございます」


 何だか近頃はバルコニーに縁があるな。そう思いながら屋外へ出ると案の定、冷たい外気がアルフレッドの身体を包んだ。


「来ましたか」


 遙か先の王都を見下ろしていたベッティーナが振り返る。その凛とした佇まいは寒い季節の澄んだ空気と調和していて、王妃の気高さをより強調するかのようだ。


「母上。カスタリア国王の来訪の折には薔薇園にてお心配りをしていただき、ありがとうございました」

「お節介かと思いましたが、良きように運んでようございました。そのヘルメス陛下からディオーネ姫の里帰りについて進言があったとのこと。お父上から具体的な話は聞きましたか」

「ええ、先程」

「もしも貴方達が揃ってカスタリアへ旅立つことになれば、日程的にも帰国後は結婚式の準備に追われることでしょう。婚儀前の貴方と気兼ねなく話せる時間は今しかないと思いましてね」


 ですが、とベッティーナはその大きな琥珀色の瞳でアルフレッドを見つめた。


「問うまでもなく、どうやら貴方も正妃を迎える者としての覚悟が決まったようですね」

「今回のことで自分の余裕の無さを痛感しきりでしたが。今後もディオーネの立場を尊重し、力の及ぶ限り支え続けることが私の役割だと再認識しました」

「ならばこれ以上、わたくしの口から既婚者の心構えなどをあれこれとは申しますまい」


 息子だからこそ分かる程度にベッティーナが口元を緩ませる。その表情は王妃でも執政者でもなく、幼少期に覚えのある母親としての顔だった。


「貴方はわたくしに似て感情表現が苦手ですから、結婚については少々案じておりました。ディオーネ姫と想いが通じて本当に良かった。生涯を共にする妃を得られたことに、心から安堵しています」


 そう言って距離を詰めたベッティーナは、アルフレッドの目の前で自らの手から指輪を一つ抜き取った。


 そこに高価な宝石が煌めく華美さはない。落ち着きのある上質な青いラピスラズリが埋め込まれた、ネヴェルネス王妃から王太子妃へと代々受け継がれる指輪だ。


「わたくしも輿入れの際に先の王妃様、つまり陛下の母君から譲り受けたものです。……アルフレッド。陛下とわたくしはディオーネ姫を実の娘とも思い、これまで大切に養育して参りました。それは決して姫の幸薄かった幼少期や、戦禍に見舞われたことに対する同情からではありません。あの可憐な微笑みの裏で、誰よりも努力する姿を知っているからです」

「はい」


 俄かにベッティーナが息子の手を取った。その手のひらに指輪を握った自身の手を置く。


「今、貴方の手に委ねましたからね」

 

 ことり、と古き良き時代の指輪がアルフレッドの手のひらに落ちた。小さな金属と石のはずだがずっしりとした重みを感じる。


 ネヴェルネスの歴史と両親から託された想いをアルフレッドは堅く握りしめた。


「しかと承りました」




 当夜、王城で開催されたのは小規模な夜会である。警備担当の近衛師団としてではなく第二王子として臨席したマリユスは夜会服を身につけ、夜風に当たろうとエミリエンヌを誘ってこっそり中庭へ中座した。


 手を引かれるエミリエンヌが楽しそうな笑い声をあげる。


「幼い頃の夜会は周りが全て大人達でつまらなくて、こうしてよく二人で抜け出しましたわね」

「エミリは眠たそうにしていたしね」

「それに最初に気が付くのがマリユス様でした」


 いつだってそうだ。王城内の庭で一緒に遊んでいた兄のテオドールと従兄のアルフレッドが競うように駆け始めた時も、本当はそれに混ざって行きたいだろうに、置いてけぼりのエミリエンヌを気遣っていつも後ろを振り返ってくれるのがマリユスだった。


「あら?」


 懐かしい思い出に浸りすぎたのか、現実に戻ったエミリエンヌはいつの間にか人気のない木陰に連れられていた。


 辛うじて夜会の灯りが届いている程度の明るさで、これは夜会で出会った男女が甘い時間を過ごすのにうってつけとされる場所なのでは、と他人事のように首を傾げる。


「あのう、マリお兄様?」

「うん?」


 思い出のままつい昔の呼び名で語りかけてしまったエミリエンヌは、恥ずかしさのあまり両手で口を塞いだ。


 それをマリユスがゆっくりと剥がしていく。


「その呼び方、懐かしいね」

「今日のマリユス様、何だか変ですけど……」


 エミリエンヌの心臓が跳ねた。マリユスの体温のお陰で寒くはなかったが、逆に言えばそれほど互いの身体が接近している。


 向けられているのはいつもの優しい笑顔のはずなのに、やけに色気を感じて今夜は少し怖い。そして怖いと感じながら、そこから目が離せない自分がいた。


 マリユスの顔が徐々に近づいてきて、軽く唇が触れ合う。


「……え?」


 筆頭公爵令嬢のエミリエンヌはその社交的な性格とマリユスという公認の恋人の存在により、友人の令嬢達から恋愛相談を受けることが多い。


 的確だと恋する乙女達に定評のある助言だが、実体験に基づいたものは何一つなく、もっぱら愛読する恋愛小説から得た知識の引用に過ぎなかった。


 つまり何が言いたいかというと、これがエミリエンヌとマリユスの初めての口づけなのである。


「ごめん……嫌だった?」


 暗がりでも分かるほど顔を赤く染め上げたエミリエンヌを、心配そうにマリユスが覗き込む。


 ふるふると小刻みに首を横に振る仕草はまるで小動物のようだ。そうして潤んだ瞳で見つめ返されると、無自覚にもその先を誘っているようで危険だとマリユスは警戒した。


「そういう顔はね、他の男に見せてはいけないよ」

「え、はい。あの……」

「どうしたの?」


 嫌だったかと聞かれると、即座に違うと反応することは出来る。だけど初めての口づけは余りにも唐突で一瞬だったこともあり、エミリエンヌが呆然としている間に終わってしまったという実感しかない。


「マリユス様、さっきのはよく分からなくて……」


 普段はっきりと物を言うエミリエンヌがもじもじと口籠る仕草は新鮮で、可愛らしいなとマリユスは目を細める。


 いいよ。くすりと笑った口元がそう動いたようにエミリエンヌには思えた。


 ふわり、と夜に溶けていきそうなエミリエンヌの癖っ毛が揺れる。ネヴェルネス王家特有の青みがかった黒色の美しい髪だ。


 対するマリユスの髪は母であるベッティーナ譲りの栗毛で、肩口で切り揃えた髪型は幼い時から変わらない。


 マリユスの絶妙な力加減で優雅に反転したエミリエンヌの背中が、背後の木の幹に軽く押し当てられる。やんわりと追い詰められて、逃げ場はもうどこにもなかった。


「婚約発表の日にちが決まったよ」


 そう言いながらもう一度、マリユスが顔を寄せる。今度は少し長くて少し大人の、エミリエンヌが憧れた小説に描かれているような甘い口付けだった。

マリユスとエミリエンヌも一歩前進。

師団所属で気さくなマリユスと明るく社交的なエミリエンヌは友人も多いので、多方面からたくさんお祝いされるでしょうね。


エミリエンヌ、良かったね(*^^*)


お読み頂きありがとうございました!

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