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遠い日の恋の思い出

「姉上は僕と初めて出会った時のことを覚えていらっしゃいますか? 今のように日が沈もうとしている時分、侍女たちと庭にいらした」

「もちろんです。突然ヘルメス様が垣根から飛び出してこられて……ふふふ、蝶を逃がして、可愛いお声で叫ばれておいででした」

「そこはもうお忘れください」

「……あの時、本当はわたくし泣いていたのです」


 唯一の肉親であった父を亡くしたばかりのディオーネは当時十歳。王朝が改まり慌ただしい中に一人取り残されて、よく人目を忍んで泣いていたのだという。


「びっくりして涙は止まったのですけれど、幼いヘルメス様に心配をかけてしまったのでしょう。小さな花をいくつか摘んで、わたくしに贈って下さいましたのよ」

「そうでしたか? その辺りの記憶はどうにも曖昧です」

 

 観賞用のテラス席で薔薇を眺めながら照れるヘルメスに、くすりとディオーネが笑った。


 カスタリア王女特有の甘い癒しの匂いは、残念ながら薔薇の芳香でかき消されて感じ取れない。だがヘルメスが初めて足を踏み入れた薔薇園は不思議と居心地がよく、それはやはり隣にディオーネがいるからだろうと、改めてその美しい横顔を見つめた。


「あれからというもの、大人の目を盗んで時折ヘルメス様が遊びに来て下さって。姉上様と慕ってくれて、寂しい心に光が差し込むようでした」

「それは僕も同じです。急に“王子殿下”になりましたからね。実の姉は二人いましたけれど年が離れていましたし、母が末子の僕ばかりを構うのでどこか余所余所しく……優しい姉上様と過ごす時間は幸せだった」


 飽きることなくディオーネを眺め続けたヘルメスは、ふと視線を追って薔薇の群生に目を向けた。二人の間をゆったりと時が流れ、日が徐々に傾き始める。


 地平線上の空が橙色に染まり薄暗い青とくっきり二分した頃、姉上、とヘルメスが話を切り出した。


「僕は姉上に謝罪しなければなりません」

「どうなさいました?」

「母のことです。言い訳にしかなりませんが当時の僕は幼すぎて、姉上の周囲から人が消えていくことに気づいていなかった。仕える者がとうとう少女のような侍女一人となっても、僕は母の悪意を察することが出来なかったのです。元凶は僕にあるというのに……結果、姉上は王城から追われるように神殿へと移されてしまった。姉上を護る盾になれず、申し訳ありませんでした」

「それは……もう仕方のないことではありませんか」


 ディオーネの声音はいつもと変わらない。穏やかで、包み込むような優しさがあった。


「あの頃のわたくし達は子供で、抗う術もなくどうしようもなかったのです。ヘルメス様のせいでも元凶などとお恨みしたこともありません。だからそのような悲しいお顔をなさらないで。それに今となっては思うのです。南部の第一神殿へ出されたのはきっと……」

「天の配剤、でしょうか」

「ええ。そしてヘルメス様も、侵略者たちが十重二十重に取り囲むカスタリア王城から無事に逃げおおせられた。女神様のご意志が働いたのでしょう。……わたくし達は加護を受け、生かされている」


 選ばれた者がいるとしたら、選ばれなかった者も当然存在する。それは暗にカスタリア王城でランダルの凶刃に倒れたヘルメスの両親と二人の実姉のことを連想させた。悲劇を乗り越えて、生かされた者の意味を問う人生は続いていく。


「確かにわたくし達の立場は特殊で、課せられたものが多いのも事実です。ですが、女神様が第一に望むのは生かした者たちの幸福ではないかしら。ヘルメス様は先の戦禍で肉親を亡くされ、辛い思いをなされている。これ以上わたくしに後ろめたさを感じる必要はないのですよ」

「……僕は、そのお言葉に甘えても良いのでしょうか」

「もちろんです。女神様と同様に、わたくしもヘルメス様が憂いなくお幸せに過ごされることを願っていますからね」


 複雑な心境ながら過去の因縁と決別するためにヘルメスは笑ってみせた。それを受けてディオーネもまた表情を綻ばせる。わだかまりはもうこれで水に流そうと、ほんわかな空気が再び場を包もうとした、その時だった。


 ぱきっ、と後方の茂みの向こうで僅かに枝が踏み抜かれた音がしてヘルメスははたと現実に呼び戻された。


 ディオーネに気取られないよう意識を向けて動きを探れば、薔薇園に接した建物の陰からこちらを監視している人物がいる。気配からして人数は恐らく二、三人か。近くで待機する側近が牽制もせず見逃していることを鑑みるに、相手は害意を持たず、それなりに身分の高い者なのだろう。


 そうなると対象者は絞られてくる。鋭利な洞察力で状況を把握したヘルメスは、何でもないふりをしてディオーネとの会話を続けた。


「姉上。ネヴェルネスの王族方は……何と言いますか普段からあのように気安い間柄なのですか」

「そうですね。お歳も近いですし、幼少期から共に学ばれ遊ばれた仲だと伺っております。心を許せる部分が大きいのでしょう。皆様、品行方正で頭脳も明晰と優秀な方達なのですよ」

「へえ、頭脳明晰で優秀……」


 ややおざなりな返答となってしまったのは、先頃の昼食会でのやり取りを思い出したせいだ。聡明であるのならば、あの話し合いの果ての混迷ぶりは何だったのだろう。そう思う一方で、外交相手に仕掛けた計算上での応酬ではなかったことも理解している。


 それぞれが立場に囚われず忌憚なく意見を交わすには、確固たる信頼関係が必要になってくる。それだけネヴェルネス王族は結束力も絆も強いということか。


 ふと、ヘルメスは茜色に染まる薔薇園を一望した。


「姉上はお優しすぎるので、ネヴェルネスへの恩義から期待に応えようとご無理をされているのではないですか」


 テラス席から立ち上がりざまに言い残したヘルメスが、数歩歩いて手近にあった大輪の薔薇に右手を翳す。


「カスタリアでは原初の女神の特性を受け継ぐ王女ばかりが目立つけれど、男性王族にだって及ばずながら神力はある。それが国王ともなれば尚のこと」


 監視者たちの耳にも聞こえるよう、良く通る声で前置きをしたヘルメスは右手に力を集中させた。ゆっくりと真紅の薔薇が萎み、終いには変色して枯れ果てるのである。


「姉上がカスタリアにご帰還なさるのにネヴェルネスの王太子の存在が足枷になっているのであれば、僕はカスタリア国王としてどうとでもしてみせる」

 

 いつの間にか隣に立ったディオーネが、思いのほか俊敏にヘルメスの右手を掴み取った。


「その領域に踏み込んではいけません、ヘルメス様」

「ただの脅しですよ、姉上」

 

 枯れた薔薇が風で寄る辺なく揺れる。そこへディオーネが右手が翳すと、みるみるうちに薔薇は真紅の色を取り戻して再び大輪の花を咲かせた。


「やはり直系の姉上には敵いませんね。原初の女神は生命と豊穣……再生を司る神であるにも拘わらず、僕の神力は不安定で再生の力を使うことが出来ない。制御がうまくいかないのです」


 淡々と打ち明けたところで、今度はヘルメスが丁重にディオーネの手を取った。


 大陸国一の長い歴史を誇るカスタリア王国で白銀の髪のみ、もしくは紫の瞳のみという外見を持つ王家筋の生き残りは貴族の中にもいる。だが双方を備えるのはもはや、ディオーネとヘルメスの二人の王族だけになってしまった。


 ヘルメスは孤独だった。ネヴェルネスを訪れてからというもの、アルフレッド達の在り方に触れてより顕著に孤独を感じるようになってしまった。それを埋めようと、どうしても心がもう一人の存在を求めてしまう。


「ヘルメス様?」


 手を取ったままのヘルメスが片膝をついて、ディオーネを正面から見上げる。


 似通った容姿でありながら、自分より正統な血筋であることを表す濃い白銀の髪に高貴な紫色の瞳。長い間、失ったと思っていた。それが今こうして温かみを携え、目の前にいるのだ。


 ここで何を為すべきなのか。判断を誤ることはヘルメスには許されない。


「姉上の心が僕に向いていないことは分かっている。だけど、どんなに卑怯な手を使っても僕は諦めきれないのです。このまま共にカスタリアへ戻りませんか。そして……どうか僕の妃になって欲しい」


 がざがざ、と茂みの向こうにある建物の陰で本格的に監視者の気配が動いた。




 あ、とテオドールが思った時にはもう遅かった。柱に背中を預けて薔薇園内を覗いていたアルフレッドが、何も言わずその場を立ち去っていく。


「待って、アルお兄様!」


 咄嗟に追いかけようとするエミリエンヌの肩をテオドールが掴んで引き止めた。


「エミリは最後まで薔薇園の二人を見守るんだ。マリユスが周辺を警護している。急を要することは起きないと思うが、困難が生じたら助けを呼べ」

「任せていいのね、テオ兄様」

「ああ。役に立たないかもしれないが、アルフレッドは私が追う」


 年長者らしく指示を終えたテオドールが足早にアルフレッドの背中を追いかける。


 その姿は既に視界には無かったが、先を行くアルフレッドは走り去ったわけではない。結果的に王太子宮へと続く廊下で追いついたテオドールは、歩幅を合わせる形でアルフレッドと肩を並べた。


「アルフレッド、大丈夫か?」


 テオドールは知っている。アルフレッドが改めてディオーネに求婚したいと計画を練っていたことも、日頃の執務に婚約披露会とディオーネの引っ越しが重なり、未だその望みが叶っていないということも。


 神の領域にあるカスタリアの力を初めて目の当たりにしただけでも驚愕だったのに、他の男、それも随分と年下の少年に求婚を先越されてしまったのだ。その衝撃は大きかったに違いない。


「さっきのことは不可抗力だ。ディオーネ姫を問い詰めるのは筋違いだからな」

「ああ、それは分かっている」


 心配ないからと追随を拒んだアルフレッドが王太子宮の入り口の扉を潜る。相変わらず表情からは何も読み取れなかったが、深追いは出来ないと判断したテオドールはそのまま扉が閉まるのを見守るしかなかった。

更新が遅くなってしまいました。


いよいよ年の瀬ですね! 

2週ほど更新をお休みします。

皆様、よい年末年始をお過ごしください(*^^*)

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