隣国王との引見
国王ロドルフとの対面は城塞奥の応接の間で行われる。そう案内を受けてディオーネは十日ぶりに滞在部屋から出た。
道中で行き交う人の少なさからも、この引見が秘密裏であることが分かる。
だからこそ余計に警戒が必要で、無理を通して付き添いを願い出たナイアはそれが叶い、ディオーネの背後で微かに安堵の息を吐く。
だがこの先にネヴェルネス王国側が何人控えようと、招聘されているのはディオーネ一人だ。応接の間へ辿り着いてしまえば侍女であるナイアは扉前で見送るより他はない。
「お連れしました」
案内兼警護役のミラベルに促されて入室した応接の間は、出城ということもあって然程広くはない造りだ。
ミラベルとさえも入り口で別れたディオーネは、王座とその段下に二人の人物を認めて僅かに数歩、単身で進み出た。素早く優雅にその場に跪く。
「お初に御目文字叶い、光栄に存じます。この度は母国カスタリアよりランダル国軍を排撃し、またわたくしと侍女の命をお救い頂きましたこと、ネヴェルネス王国の国王陛下と王弟公爵閣下に心からお礼申し上げます」
「若きカスタリアの姫よ。此度のカスタリア王国の災禍は我々とて心を痛めているのだ。まずは見舞い申そう」
若年ながら立派に口上を述べたディオーネにロドルフは感心して頷き返す。次いで使い慣れた謁見時の定型句を、かつてないほど慎重に覚悟して言葉に紡いだ。
「さて、堅苦しい挨拶はこれまでにして……姫、顔を上げられよ」
はい、と返事をしたディオーネがゆっくりと姿勢を正す。
その紫色の瞳とロドルフの茶色い瞳が交差した瞬間、むわっと甘い花香がロドルフの鼻腔を襲った。
「……っ!?」
見えるはずもない空気が色を纏い、ディオーネを中心に広がっていく。それが幻視だと、錯覚だと分かっていても獲物を見つけた獣のような速さで迫りくれば、たとえ屈強な男であろうと狼狽えるに違いない。
よぼど老成した精神力が必要だと、ロドルフは鳩尾あたりに力を入れて誘惑に取り込まれないよう鉄壁を心の中に築く。
弟から助言を受けての対処法だが、軍人の弟とは体の鍛え方が違う。心臓が早鐘を打ち、玉座の肘置きに置いた両手が過度に拳を握り締める。痛い、と感じるまでに経過した時間はどれほどだろうか。
ふぅ、とロドルフは深く息を吐き出した。
ようやく周囲に視線をやるだけの余裕が生まれると、変化のない様子から苦悶は一瞬の出来事だったのだと自嘲する。
危なかった、事前に情報がなければ目の前の幼い少女に惹き込まれていたかもしれない。そう思ったところで、不快な冷や汗が首筋を伝った。
「あの……どうかなされましたか?」
きょとんとするディオーネの態度は何かを偽っているようにも見えず、なるほど、本人に自覚がないという見解も的を得ているようだ。
何故かそうすんなりと思わせる魅力が目の前の少女には備わっている。身を持って理解したロドルフが段下で立つ弟へ目線を流すと、ほら見ろ、と言わんばかりの小憎らしい顔つきである。
視線を受けて、兄王に代わりラウルが気さくに返答した。
「いやいや何でもないのだ。姫さん、まずはそちらの椅子に座られよ」
「はい。失礼いたします」
勧めに応じたディオーネが玉座の対面に置かれた椅子に着座する。一旦跳ね除けてしまえば媚薬に襲われることがないのか、ロドルフとラウルの体感的にはほんのりと花に似た匂いが漂うだけで、それ以外は何もない。
血に酔う。この不可解な現象は隣国とはいえ半鎖国的だったカスタリア王国の、おそらく神に繋がる王族の秘事だ。
他国に伝わる術はなく、どのような原理で発動するのかも判然としない。さりとて、この場での追求は難しいだろう。
ごほん、とロドルフが咳払いをして場を整える。ラウルが告げたように、何事もなかったのだと素知らぬ顔で会見を始めた。
「姫よ、美辞麗句は抜きにして腹を割って話したい。聖地であるカスタリア王国が壊滅に追い込まれたことに、今や大陸国中が衝撃を受けているのだ。今後の方針はランダル国の処遇も含め、緊急の国際会議にかけられ決まる。王家唯一の生き残りである姫の存在が明らかになれば、政治的な駆け引きの道具とされかねない」
「……はい」
「幼いあなたが各国の好奇の目に晒され、道具とされるのは忍びない。かと言って今すぐカスタリアへと帰すわけにもいかぬ。掃討したとはいえ、ランダル軍の残党がどこに潜んでいるかまだ分からぬからな」
はい、と短くディオーネの相槌は続く。
「事態が決着、もしくは好転するまで、私は姫をネヴェルネスにて保護したいと思うのだが、いかがだろうか。御身の安全と生活の保障は約束しよう」
「保護、ですか」
「うむ。我々の凱旋と共に姫にも王都へ移ってもらおうと考えている。だが保護するにあたり、こちらも姫の御身を詳しく知らねばならぬ。カスタリア王族内部のこともだ。もちろん他国には話せぬ、代々王族が秘匿してきた神事もあろう。そこは姫の判断で良い」
返答に窮して僅かに細められた深紫色の瞳が、高価な宝石のように濃く煌めいた。腰まである白銀髪はこの十日間の手入れで美しさを取り戻したのだろう、光の加減で艷が波のようにうねり、ディオーネの美しさを際立たせている。
ロドルフも知るそのカスタリア王族特有の容姿は、より血が濃いほどその色合いもはっきりしていると言うが、目の前の少女のそれは正しくカスタリア王族内でも高貴な血筋であることを窺わせるものだった。
「……王都へはカスタリアからの侍女を伴っても良いでしょうか」
「構わぬ。そうしたほうがよいとの報告も受けておる」
すんなりと快諾され、ディオーネは人となりを探るようにじっと壇上のネヴェルネス国王を見つめた。
四十代半ばかと思われる顔立ちは涼やかに整っており、穏やかな茶色の瞳からも品の良さが滲み出ている。その口調にはどこか温かみが含まれ、最上位者にありがちな居丈高で高慢な様子はない。
信じてみようか、とディオーネの心情が傾く。
初対面の場で判断材料が乏しく殆ど直感に頼るしかないが、自分とナイアの行く末を託すに値する人物のように思えた。
「陛下からのご温情、謹んでお受けしたく存じます。……わたくしの名はディオーネ・ティア・カスタリア。前カスタリア国王を父に、王妃を母に持つ第一王女でございます」
ほう、と国王でありながら歴史学者としての肩書きを持つロドルフが目を光らせる。ティア、とは古代語で「神聖な」を意味し、名前に冠するのはカスタリア王族でも直系のみだという知識が掘り起こされる。
「ディオーネ姫よ。お父上は前カスタリア国王と申されたが、現国王とはどのような間柄になるのか」
「父が亡くなったのが今から四年前、わたくしが十歳の時でした。元々体が弱かったのですが、母に先立たれてからは気力も落ちた様子で……。父が身罷った折、直系の子女は幼いわたくしのみ。そこで王統を遡りまして、先々代のカスタリア国王、わたくしにとりましては曽祖父に当たる方の弟王子のご子孫が王位に就かれました。それが現カスタリア国王でございます」
「……つまり現カスタリア国王は、姫の血筋からみれば傍系の王族だったという訳なのだな」
ということは、目の前にいるこの幼い姫はカスタリア王国の正当な第一位王位継承者ではないか。より丁重な庇護が必要だと思考を整理しつつ、ロドルフは質疑を続けた。
「姫は今年で十四におなりか」
「はい」
「現国王には妃と王女が二人、で間違いないかな」
これにはディオーネが戸惑いを見せる。
「……いえ、二人の姉姫さまに続き、末に十一歳になる弟君がいらっしゃいます」
「王子がいらっしゃったか」
カスタリア王城は現在、ネヴェルネス王国軍の管理下にある。壇上のロドルフに名前を呼ばれたラウルは、軍部元帥として状況報告に身を乗り出した。
「姫さん。カスタリア王城に入城した部下からの報告によると、半焼した王城内で国王夫妻と見られる亡骸が確認された。その傍らに二人、既に息絶えた若い娘の姿もあったとのことだ」
身なりや年の頃からして、二人はおそらく現国王夫妻の王女たちであろう。他にも高位貴族や官吏、城に仕える侍従侍女と多数の遺体があったが、国王の息子と思しき少年の姿は発見されていない。
「更に城内周辺を詳しく調べさせるが、幸いにも生き延びた使用人たちも多い。それらに紛れて難を逃れ、運良く城外へ落ちた可能性もある」
「そうだな。もし国内に潜んでいるのであれば、姫と同様に保護を申し出ても良い。この度の現カスタリア国王一家の訃報には、改めてお悔やみ申す」
「勿体無いお言葉でございます」
哀悼の意を受けたディオーネは一瞬だけ複雑そうな微笑みを浮かべる。
もっともそれはすぐに取り繕った表情に変わるのだが、ロドルフは瞬間の変化を見逃さなかった。やはりこれは何かあるな、と兼ねてからの疑問を投じることにする。
「……姫が救出された経緯はこのラウルから聞いた。直系第一王女であるあなたが何故、あのような辺境の神殿にいたのだろうか」
「それは……」
「秘事に触れるか」
秘事に触れる。思ってもみない言葉で返されてディオーネはしばし床に視線を落とした。
幾度か反芻してみるも、秘事に触れる事情など何もない。ただ、今となっては故人となった人の不行状を告げ口するかのようで逡巡するだけだ。
催促するでもないが、まっすぐに向けられたロドルフの視線がディオーネの答えを待っている。
「……わたくしは王妃様に快く思われていなかったのです」
何とか血に酔うことを免れたロドルフ。
ほらみろ、人を揶揄えないだろう、と弟のラウルは内心でニヤリとしています。兄の精神力を信じているので、取り込まれる心配はしていません。
次は、カスタリア王国の秘事、です。