少年王からの警告
「それでは本題に移らせていただきますね」
食後の喫茶も終わり午餐がひと段落ついたところで、主賓のヘルメスが改めて口火を切った。それも、一括りに若い世代とはいえ全員が年上のネヴェルネス王族相手に不敵に笑うのだから、肝が据わっているとしか言いようがない。
「承ります」
硬い表情ながら昨日とは打って変わり落ち着いた対応をみせるアルフレッドに、ちっ、と内心で舌打ちをしたヘルメスは自らの背後に合図を送った。
控えた二人の側近のうち年嵩で怜悧そうな男が恭しい仕草でヘルメスに手渡したのは、金粉で草花文様があしらわれた艶のある黒塗りの文箱である。
「カスタリア王家の系図ですよ。本来ならば門外不出だけどね」
紫色の房付紐を丁寧に解いたヘルメスが、文箱から取り出した巻物の正体をあっさりと明かす。却ってそれが同席のネヴェルネス王族達の驚愕を呼び、より注目を引き付ける結果となった。
「姉上も実物はご覧になられたことがないと思う。他国では詳細を省くけれど、カスタリアには国王の即位時に神代から伝わる宝物を継承する儀式があるのです。これもその中の一つ」
そこで話を区切ると、ヘルメスは側近に指示して皆が囲むテーブルの上に惜しげもなく巻物を広げてみせた。カスタリア王家の系図という説明のとおり、悠久の歴史を感じさせる質感の巻物には最終にディオーネとヘルメスの名が記載され、テーブルの端から広げてもなお半分以上は余りある状態だ。
ヘルメスの隣にディオーネ、その傍にエミリエンヌ、テーブルを挟んだ反対側にアルフレッド、マリユス、テオドールと全員が起立したまま巻物を覗き込む。どれほどの世代を遡っただろうか、人差し指を遡上させるヘルメスが最後にまたふた巻ほど系図を解いた。
「燃えやすい紙の史料であるにもかかわらず、先の戦火で消失せず残ったということは何か意味があるのかもしれない。カスタリア復興の一助となるならばと、王城に現存する書物は全て目を通しました。この巻物もそうした経緯で手に取ったのですが、読み解くうちに気になる記述を見つけて……ここです」
系図上の人物には小さな文字でそれぞれ注釈が書き加えられている。具体的には名前の左側に生没年と配偶者名、生涯で何を為した等々が、更に国王であれば右上に即位順を示す数字が記されており、諸所で手跡が違うのは歴代国王の直筆によるものだからだ。
だがヘルメスが指で示した人物だけ規則性が異っていた。王女であろうその女性名の注釈には黒っぽい朱色の墨が用いられ、よくよく見ると文字の種類も違う。どう目を凝らしても極めて難解だった。
「これはカスタリアの古代文字です。姉上ならば読めるのではないでしょうか」
ヘルメスに促されて注釈を解読したディオーネの顔色が変わる。心配したアルフレッドの問いかけにひと呼吸を置いて、ディオーネは冷静に言葉を選んだ。
「……攫われた、と書いてあります。それもランダル国に」
会場の空気が不穏にざわめく。既に裏付けを済ませているらしいヘルメスは淡々と隠された真実を語り継いだ。
「彼女は二百五十年ほど前の王女で、その頃のカスタリアは現在のような鎖国主義ではなかった。聖地を守るため大っぴらに行き来ができるわけではないけれど、国王の代替わりには他国から祝賀の使者を受け入れたりもしていたのです。彼女の兄が国王に即位した時も、ランダル国から若い太子が奉祝に訪れている」
衆目を集めながらヘルメスは系図上の王女の名前をそっと指で撫で下ろした。
「この姫も王家の多分に漏れず美しい方だったに違いない。偶然的に二人は出会い、ランダルの太子が心を奪われた。……カスタリア王女の媚香が飛んだのだと思う」
媚香の存在を知っていたのかと驚くディオーネに、ヘルメスは柔らかくもどこか寂しげな笑顔を向けた。
「知識として得たのは殆ど最近です。そうしたら姉上のご生存が判明して、しかもネヴェルネスの王太子と婚約なさるというのだから驚きました。歴史は繰り返すのだな、と」
ディオーネを映した薄づきの紫色の瞳が今度はアルフレッドを捉える。
「大昔に繁栄を築いたランダルがなぜ衰退の一途を辿ったのか。約二百年前に天候が崩れ始めたことが起因だと言われているけれど、その発端はね、カスタリアから戻った太子が政道を踏み外したことによるんだよ。そして女神の加護を失った」
「それはどういう意味ですか」
「攫われたと系図には記されているけれど、もしかしたら本当は合意の上での駆け落ちだったのかもしれない。今となっては当人たちの心理を知る術はないのだけれどね。カスタリアを出た彼女は太子妃として暮らしたことが古い記録にも残っていたよ。だけど幸せはあまり続かなかった。依り代となった太子が彼女との閨房に溺れるようになって、国王に即位後も政務を顧みなかったらしい。当然、ランダル国内は荒れ始めた。そこかしこで内乱が頻発するようになって、心を痛めた彼女は失意のまま若くして亡くなったようだ。そこからだよ、ランダル国の天候が徐々に狂い始めたのは」
閨房に溺れる。誰にも気づかれない程度の小声で口にしたテオドールが、ちらりとアルフレッドを流し目で見た。
「訃報を聞いたカスタリアの兄王はさぞかしランダル国を恨んだだろうね。以後、カスタリアは完全な鎖国政策に切り替えて、悲劇を繰り返さないためにも未婚の王女は城の奥から出さないようにしたんだ。……姉上の前であまり言いたくはないけれど、カスタリア王女が他国の王族に嫁ぐということはその国を滅ぼす危険因子を孕んでいる。姉上が不幸になればネヴェルネスは天の加護を失う」
真剣な話の途中ではあるのだが、テオドールに続いてマリユスまでもが無言で兄に視線を向ける。それに気づいたエミリエンヌが後を追い、結果的にアルフレッドは身内の三人から痛いほどの注視を浴びることになった。
「貴国が滅びる前に姉上をカスタリアに返していただきたいのですが。……って、あのね! 人の話を聞いているの?」
ここぞという説得の場面で話の腰を折られて、麗しい顔に若干の苛つきを浮かべるヘルメスである。それについては申し訳なく、気まずい雰囲気を一掃しようとアルフレッドは咳を払った。
「失礼。……お前たちは何故こういう時だけ連携をみせるのだ」
「いや、だってもう十分に」
閨房に溺れているではないか。そうテオドールは言いかけたがディオーネやエミリエンヌの手前でもある。そこへすぱっと、音が鳴るように歯切れ良くエミリエンヌが核心に切り込んだ。
「それはアルお兄さまが過ぎなければ良い話でしょう?」
「確かにそうですね。兄上が程々にされて、道を誤らなければ済むことです」
弟と従妹からの弁護は全く有り難みがない。アルフレッドが不機嫌混じりの低い声で反論する。
「私は執務を疎かにしていないし、この先も政道から外れるつもりはない」
「いや、アルはこのままだと危険だぞ。日々の睡眠がまともに取れていない」
「テオドール、お前はどちらの味方なのだ」
「いくら二人に特殊な事情があろうと、後々付けが回ってきたらどうする? 何事も適度が肝要だと言っているんだ」
「……依り代の体質はそう寝なくとも問題ない」
「そこが恐ろしいところなんだよ」
ここでエミリエンヌが隣で恥ずかしさに打ち震えるディオーネに気づいて、その背中を擦った。
「まあどうしましょう。お兄様方、そこまでですわ」
「……ありがとう存じます、エミリエンヌ様」
随分と差し置かれたヘルメスがディオーネの声ではっと正気を取り戻すと、本当にどうしようだよ、と心の中で毒づいて頭を掻いた。
「そろそろ話を本筋に戻してもいいかな、アルフレッド王太子殿下」
「もちろんです。天の加護を失うとのことですが真偽はともかく、要はディオーネを悲しませる選択をしなければ良いのではないでしょうか。それに……そうだな、道を踏み外そうとは思わないが万が一に気が迷ったとして、いざとなれば私の後継にはこのマリユスとテオドールが控えている。国が傾く前に王太子の地位は彼らに譲るので懸念は無用です」
「兄上! 本当にそれだけはやめて下さいね」
「頼むから私たちの継承順位を上げてくれるなよ」
ぎょっとするヘルメスに続き、指名されたマリユスとテオドールが慌てて横槍を入れる。
何一つ思い通りにいかないヘルメスは理解に苦しんだ。今やネヴェルネスは大陸でも一・二を争う発展国ではないのか。そしてここに集うのは将来、国の中枢を担う王族達のはずだ。自国の大事を忠告しているのに、この紛雑ぶりはどうしたことだろう。
だが呆れとも苛つきとも違う、何か特別な感情が芽生えかけて、ヘルメスはそれを否定するかのように強く拳を握りしめた。
扉の向こうで人の動きがあったのは、その時である。
ネヴェルネスの王妃ベッティーナが愛でる薔薇園は、季節をずらして開花するように管理された薔薇が新たな見頃を迎えていた。
「ヘルメス陛下にはご足労をかけてしまいましたね」
ベッティーナが呼び立てた非礼を詫びると、ヘルメスはよそ行きの玲瓏な笑みを浮かべて応対した。
「いえ、話し合いは混迷を極めていたので。大変助かりました」
「それはようございました」
まるで昼食会でのやり取りを見抜いていたかのように、ベッティーナが嫣然と口元を緩める。この方も油断が出来ない人だなと印象を受けるヘルメスだったが、脳裏でアルフレッド王太子は母親似かと漠然と考えられるほどには肩の力が抜けていた。
どうやら強行軍に次ぐ会談で随分と心身が疲弊しているらしい。ようやくそう自覚したヘルメスの鼻先を濃厚な薔薇の香りが掠める。
「これが薔薇の花ですか。初めて目にしました」
「ディオーネ姫も初見の折にそうおっしゃっていました。カスタリア王国には無い花でしたね」
「ええ、そうです。さぞかし姉上も驚かれたのでしょうね。厚みのある独特な花弁と濃い色付きが何とも艶やかで美しい」
華麗でありながら触る者を拒む棘がある。衆目を集め、崇め奉れながら人を寄せ付けない有り様が孤独で、何だか自分に似ているとヘルメスは思った。
「もし陛下が宜しければ株分けいたしましょうか」
「良いのですか? カスタリアは自然を好む国民性ですので、民の皆が喜ぶと思います」
カスタリアで根付いた薔薇を囲み談笑する国民の姿が思い浮んだのだろう。何の駆け引きもないベッティーナの提案を即答で受け入れたヘルメスに、年相応の表情が見て取れる。
すぐに手配を、とベッティーナが近くに控える女官長エマに視線を送った。
「ヘルメス陛下は統治者としての責務をよくご理解されているようですね。お若い身柄でご立派なことだと存じます」
「王国の復興のため粉骨邁進してきましたが、まだまだ頼りない若輩者です。それにたったの一人ですし、こちらの王族方が羨ましい……」
言いかけて、はっ、とヘルメスの瞳が大きく見開いた。呆れとも苛つきとも違う、何かこそばゆいような温かな感情はネヴェルネス王族たちへの憧憬だったのだろうか。
動きを止めたヘルメスの視線の先に、更なる動揺が現れる。時間差で薔薇園に招待されたディオーネが姿を見せたのだ。
「お二人には親族としての時間が必要では無いかと思いまして。わたくしはこれにて失礼しますので、夕暮れに姫とゆっくり語られてはいかがでしょう」
アルフレッド主導の外交では、まずもってディオーネとヘルメスを二人きりにするような時間は設けられないだろう。ベッティーナの気遣いに、ヘルメスは礼を尽くして別れの挨拶を交わす。
ざわっ、と 数多の薔薇が風に揺れた。
「王妃陛下に釘を刺されてしまいましたね」
ディオーネの美しい白銀の髪をも靡かせる夕暮れ時は、ヘルメスに幼き日のカスタリア王城を彷彿とさせた。風に舞い上がる珍しい蝶を無心に追いかけた七歳のヘルメスが、偶然にも奥深いディオーネの宮に足を踏み入れてしまう。
そこは決して近寄ってはならないと母王妃から言われていた秘匿の場所だった。
いつもお読み頂きありがとうございます(*^^*)




