駆け引き
面白いことになった、と暗にネヴェルネス国王ロドルフは思うのである。
「笑いごとではありませんよ、父上」
うっかり口元が緩んでしまったのだろう。それを目にした第二王子マリユスが苦言を呈し、甥のテオドールもまた険しい顔を向けた。
つつがなくと言えるかはともかくカスタリア国王ヘルメスとの会談を終えた今、今後の対策を練るためロドルフに呼ばれて執務室に集まった二人である。
「いや何、あれはアルフレッドと気が合わなそうだなと。最後は見事に振り回されておったではないか」
遂には堂々と意地の悪い笑みを浮かべたロドルフの耳に、父上、と再びマリユスの諌める声が届く。
「確かに兄上とヘルメス陛下の相性が合うか合わないかで言ったら、合わないの一択で間違いないでしょう。ですがそうも言っていられない状況です。何故父上は笑って、落ち着いていらっしゃるのです」
「陛下、もしディオーネ姫とカスタリア国王の婚約が事実であるならば、先約のあちらが有利になると思われますが」
「まあ二人とも座れ。オーバン、ひと息つく準備を頼む」
存外に余裕のない息子と甥を目の前のソファーへ誘導すると、侍従長がお茶の準備を整える間にロドルフは執務机から数枚の書類を取り出してテオドールに手渡した。
「手元でディオーネ姫を養育するにあたり、身辺の諸事情は既にあらゆる手立てを駆使して調べ上げておるわ。姫とヘルメス王との間に、正式な婚約の事実はない」
目を丸くさせるマリユスの横で、報告書を速読したテオドールが安堵の息を吐く。
「それでは、婚約はヘルメス王の虚言ということですか」
「カスタリアは閉ざされた国ゆえに、こちらは何も知らないと踏んだか。ともあれ、アルフレッドとディオーネ姫の間に揺さぶりをかける狙いであったことには違いない。姫をカスタリアに連れ戻したい、あわよくば虚言を真実だと押し通して自分の妃に迎えたい、というのが本音だろうな」
「傍系の血筋でいらっしゃいますから、ディオーネ姫との婚姻でご自分の正当性を証明されたいのでしょうか。会談での様子から察するに、ヘルメス王はお若いながらなかなか気概のある方のようにお見受けします」
「政治的な云々以前にディオーネ姫への恋慕はおそらく本物なのだろう。それが少々やっかいな点ではある。だがな、ヘルメス王の本質は極めて純朴な少年なのだよ」
え、どこが、と言わんばかりの二人を前に、ロドルフは用意された紅茶を口に運んで静かにカップを置いた。
何故こうも落ち着いていられるのか。マリユスからの質問を返すならば、確かに事態は一難ではあるがヘルメス本人の人柄に触れ、ディオーネとのやり取りを実際にこの目で見たからだろう。ディオーネへの信頼が確信に変わったのだ。
だがマリユスとテオドールはまだディオーネとの付き合いも浅い。全体的に薄い色合いの外見とたおやかな性格が、余計にか弱い印象を与えているらしかった。
「ディオーネ姫はお優しい心の持ち主です。原初の女神のお血筋は今となっては稀少、その重要性も理解しておいでのはず。もし強く帰国を迫られでもしたら、ネヴェルネスに残るという決断も揺れ動くのではないでしょうか」
あれだけナイアに忠告されたにも拘らずどうしても兄の目線で心配になるテオドールに続き、同じようにマリユスも沈んだ表情を見せる。
「ようやく念願が叶った兄上と板挟みになるでしょうし……姫はさぞかし思い悩まれるのでしょうね。私達で何か力になれることがあれば良いのですが」
口元から笑みを消したロドルフが、マリユス、テオドールと順番に名前を呼んだ。
「一国の王女が他国に嫁ぐということがどういうことか、お前たちは真に理解しておるのか。国の期待を背負い、民たちの生活を背負い、だが生まれ育った母国には二度と帰れぬ、その覚悟を秘めて見知らぬ土地で暮らすのだ」
述べながら、ロドルフの脳裏に若かりし頃のベッティーナの姿が鮮明に浮かぶ。殿下、と過去の自分に王女の覚悟の何たるかを教えてくれたのはこの最愛の妻だった。
「多少の事情は違えど、ディオーネ姫がカスタリアに二度とは戻れぬと覚悟を決めたのは同じこと。優しいと優柔不断は違う。多くの感情に蓋をして、アルフレッドとの婚約を承諾してくれたことを私は知っている。二人とも、あまり姫を侮るではないぞ」
返す言葉もない厳しい忠告にマリユスとテオドールが反省して頭を下げる。
「分かれば良い。問題は姫ではなくアルフレッドであろうな」
「……確かに。冷静沈着な兄上がああも感情を揺らすのは珍しかったです」
これまでのアルフレッドの努力と培った能力は周囲が十分に認めるところであるが、ディオーネ絡みとなるとどうも危うい。それを恋愛期の若さだと言ってしまえばそれまでで、世間一般の青年であったら微笑ましいのひと言で済まされるのだろう。
だがアルフレッドは大国ネヴェルネスの王太子だ。弟のマリユスや従兄のテオドールが側で支えるとしても、ゆくゆくは国王として独断しなければならない場面も出てくる。気が合わない相手に弱点を突かれたからといって、今回の会談のように主導権を渡してはいけないのだ。
「さてこの先は予定通り、お前たちにヘルメス王の対応を任せる。アルフレッドの指揮のもとマリユスは警備に万全を期たせ。テオドールは事の成り行きを見極め、適宜私に報告するように。そしてエミリエンヌ姫にはディオーネ姫の援護と両国間の緩衝に務めることを期待する」
「仰せのままに、陛下」
「おそらくヘルメス王はまだ切り札を持っている。二人とも心して当たれよ」
避けて通れない道ならば、逆に若い者たちの成長に利用しようではないか。転んでもただでは起きないネヴェルネスの賢王は最後に鋭く目を光らせて、意味ありげに口元を緩ませた。
ばたん、とアルフレッドの部屋の扉がいつもより大きな音を立てて閉まる。人払いが済んだ室内で立ち尽くすままディオーネを抱きしめたのは、アルフレッドに余裕がない証だった。
「婚約、していたのか」
息苦しいほど強く捕らえられて、その胸の内でディオーネがゆっくりと首を横に振る。
「知らない間に、周囲の大人たちが婚約を成立させていたということはないのか」
「そのようなことは王妃様……ヘルメス様のお母上がお許しになるはずがありません」
先帝つまりヘルメスの父の即位後、確かに重臣たちの間ではディオーネとヘルメスを婚約させようという動きがあった。だが当時は仮に婚約を結んだとしても血筋からしてディオーネが次期女王、ヘルメスが王配となることは必至で、それをヘルメスの母が快く思っていなかったことも事実だ。
王妃が強く望んだのは息子の王位で、決してディオーネの王配に納まることではなかったのだから。
「だがその王妃はもうこの世にいない。そして、ヘルメス王はディオーネの帰国を強く望んでいる」
アルフレッドには焦りがあった。ようやく手に入れたものが瓦解する感覚がして、抱きしめる力加減も分からないほど酷く心が揺さぶられている。
「大丈夫ですよ、アルフレッド様。わたくしはどこにも行きませんから」
はっとしたアルフレッドの腕の力が緩んだ。空間に余裕ができた隙に手を回したディオーネは、ぎゅっと精一杯の力でアルフレッドを抱きしめ返す。
「わたくしの居場所はアルフレッド様の隣です」
「……そうか」
「この先、ヘルメス様の滞在中に何が起きようと、わたくしを信じてくださいますか」
愛しくも真摯な声が無機質だったアルフレッドの目に慈愛の色を灯す。じっとアルフレッドが腕の中のディオーネを見下ろせば、じっと美しい紫の双眸が返ってくる。何を恐れていたのだろう。ただこうして見つめ合うだけで、カスタリア王女特有の花香など無くとも不思議と荒んだ心に穏やかな光が差し込むようだ。
「ディオには敵わないな」
ディオーネの頭を抱え込んだアルフレッドが甘えるように顔を擦り寄せてきた。今回ほど公務を放棄したいと思ったことはない、と溜め息をついて弱音を溢す様もまた珍しい。ディオーネは抱きしめる手でその背中を擦って、慰めつつも続きを促した。
「ヘルメス王だけではなく、あの側近の二人も食えなさそうだ」
「そういう時は相手を野菜だと見立てると良いそうですよ」
「野菜?」
話の流れに似つかわしい突飛な言葉に、ようやく擦り寄ることを止めたアルフレッドが興味深そうにディオーネの瞳を覗き込む。不謹慎だが甘えてくれたことが嬉しくて、ディオーネはふふふと微笑んだ。
「王妃陛下の直伝なのです」
「何だそれは」
過去に自分が野菜に見立てられたとはつゆ知らず、母は一体ディオーネに何を仕込んでいるのだろうと、アルフレッドの脳裏に疑問符が浮かぶ。次第に興が乗ってようやくソファーへ移動すると、二人であれこれと冗談交じりに野菜を当てはめては笑い合い、平穏に一日を終えるのだった。
どんなに気が重くとも朝は来るもので、会談の翌日はヘルメスとディオーネ、そして王太子アルフレッドを筆頭とするネヴェルネスの若い王族四人が一堂に会し、ささやかながら歓迎の昼食会が開かれた。
正直なところ、ヘルメスにしろアルフレッドにしろ共に食事をする気分ではさらさら無い。とは言いつつも非公式ながらヘルメスが国賓であることには変わり無く、仕方なしに始まった昼食会はただひたすら黙々と口に運んで最初の一品目を終えた。
あれ? と手に汗を握る思いでヘルメスを観察するのはマリユスである。
ネヴェルネス王城の料理は美味しいと他国の要人の間でも評判なのにな。気がかりを覚えたところで二品目が運ばれてきて、またもや沈黙の食事が進むのかと思いきやヘルメスがディオーネに雑談を持ちかけた。そこへディオーネの隣に座るエミリエンヌも加わると話は盛り上がりを見せて、緩やかに場の雰囲気が和んでいく。
情報通のエミリエンヌは提供する話題も豊富で聞き手としての切り返しも上手い。食事前の紹介の際、麗しいヘルメスがエミリエンヌの手を取って挨拶をする姿に若干の嫉妬を覚えたマリユスであったが、今となっては同席を指示した父の先見の明に感謝するしかなかった。
ちらり、と周囲を見渡せば、やはりテオドールも本領を発揮する妹に救われたと密かに胸を撫で下ろしている。兄のアルフレッドからはよく感情を読み取ることが出来なかった。
「こちらのソースはネヴェルネス特産の果実を使用していますの」
「うん、美味しい」
エミリエンヌの説明を受けて、遂に三品目にしてヘルメスの口から素直な感想が漏れる。そうしてディオーネやエミリエンヌとにこやかに笑う様子は、何の気取りもない純粋な十五歳の少年そのものだ。
本当にこのあどけない少年が、昨日の婚約者発言以上の衝撃を与えるような重大な切り札を持っているのだろうか。疑念と緊張を男性陣に抱かせたまま、やがてヘルメスを囲む昼食会は警戒すべき懇談の時間へと移るのである。
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