仮側室の正体
ネヴェルネス王城に祝砲が鳴り響く。大陸各国からの賓客を連日招き入れた王都の賑わいは最高潮に達し、軒先に掲げられた無数の国旗が澄み渡った空に向かってはためいている。
遂に国王ロドルフの五十歳を祝う式典が当日を迎えた。更に翌年は即位二十年の節目に当たるということもあり、合わせてこれを祝おうと周辺の友好国からは王や大公といった国家元首もしくは太子を含む王族らが慶賀に訪れ、遠方国からは有力な諸侯が大使となって一堂に会した。
これもひとえにロドルフが長年に渡って培ってきた友好関係の賜物であり、参列者の面子はもはや大陸国間の首脳らが集まる国際会議級だと言っても過言ではない。
まさに目論見通り、ディオーネの実の出自に触れつつ第一王子アルフレッドとの婚約について根回しを行うには絶好の社交場となったのである。
「陛下。王太子殿下、並びにマリユス殿下が参られました」
侍従長オーバンの取り次ぎで父の居室に入ったアルフレッドとマリユスが、準備を終えたロドルフを前に祝いの口上を述べる。華やかな正装に勲章を付けたリボン状の大綬を肩から斜めに佩用した二人の王子の姿は、王城に仕える女官たちのため息を誘うほどに麗しかった。
「では行って参る。ディオーネ姫よ、くれぐれも本日を無事に過ごすようにな」
「はい、承りました」
先に王妃ベッティーナに伴われて挨拶を済ませていたディオーネが、笑顔で国王一家を送り出す。
表向きは未だロドルフの秘蔵の側室という立場にある以上、ディオーネはこの祝宴に参加しない。国王夫妻が主軸となり、密かなりとその正当な出自を各国代表に打ち明けるのだ。なおのこと、今日一日を厳戒態勢が敷かれた王妃の居室で平穏に過ごすことが、ディオーネに課せられた使命であった。
時を刻む鐘の音がこれほどに待ち遠しいことがあろうか。鳴り響く特有の重低音が定数を終えるのを何度も繰り返して、ようやく王城は深夜を迎える。
華やかな余韻を残す祝宴会場から直に母の居室へと戻ったアルフレッドは、窓辺に立って夜の闇を眺めるディオーネを背後からふわりと包み込んだ。
「殿下」
「全て無事に終わった。このまま一緒に帰ろう」
腕のなかのディオーネが身じろいで、不安げな瞳でアルフレッドを仰ぎ見る。成果がどうだったのか問いたいが、緊張から口が頑なに引き結んで上手く言葉を発せられそうにない。
すっかり冷えてしまった頬に唇を寄せたアルフレッドは、そのまま耳元で甘く低く囁いた。
「ひと月後、婚約を正式に発表する」
「……認められたのですね」
「ああ、根回しは十分だ。何も心配はいらない」
全ては父上と母上のおかげだと続けたアルフレッドに、ディオーネは熱くなる目頭を両手で覆ってこくこくと頷き返す。かくして二人の婚約に向けた調整はロドルフとベッティーナの尽力により功を奏したのだった。
後日、参列者たちがそれぞれ帰国を果たす頃合いを見計らって、ネヴェルネス王国は国際機関に宛て声明を出す。
それにより、カスタリア王族の血を引く傍系の姫とだけ明かされていたネヴェルネス国王の側室の正体が、原初の女神の血を最も濃く受け継ぐ王位継承序列最高の王女ディオーネであり、側室とは匿うための仮の姿であったことが広く国内外に知れ渡ることとなった。
これに対し大陸各国は形ばかりの抗議文を連名で送りつけたものの、アルフレッドとの婚姻については既にカスタリア王国に新王が立っていることから、当人同士が望むのであればと暗黙の了解を示すに至ったのである。
「ひと仕事を終えたな」
ふぅ、と肩の力を抜いたロドルフが寛ぐのは夜の王妃の居室である。テーブルを囲んだ隣の一人がけソファーに座るベッティーナにワインを勧めると、珍しくその手がグラスを取った。
「今日はマリユスとテオドールに加え、エミリエンヌ姫も呼び出されたとお聞きしましたが」
「念には念を入れたのよ。世間に姫の正体を明かしはしたが、神力については聖地カスタリア王国の秘事に値するゆえ、姫やアルフレッドとも話し合い隠匿を続ける方針となったからな。呼び出した三人には厳重に箝口するよう命じた」
神力の存在が明るみに出れば、どの国も手中に収めたいと躍起になるだろう。ようやく漕ぎ着けたアルフレッドとの婚約がご破算になるばかりか、ディオーネ自身に危険が及ぶ恐れがある。今後も厳重な情報統制が必要だった。
「次はいよいよ婚約発表ですか。そういえばアルフレッドから、ディオーネ姫の居室を移すよう再三の催促がありましたよ」
「ふん。アルフレッドめ、調子に乗りおって」
「しかし、姫がいつまでもあなたの後宮に住むというのもおかしな話でしょう。未来の王太子妃を客室に移すのもどうかと思いますし、警備と引っ越しの手間を考えればアルフレッドの隣室で良いのではないですか」
赤ワインを嗜むベッティーナの横で、不貞腐れたようにロドルフがグラスを回す。
後宮の住まいも偽のお渡りの演出も今後は必要ない。もうこの夜更けにこの部屋でディオーネと時間を共にすることがないのだと思うと、不貞腐れて誤魔化さなければ物寂しさに囚われそうになる。
もちろんそんなロドルフの心情はベッティーナに見抜かれていて、互いの寂寥を埋めるように二人の祝杯はしっとりと続くのだった。
いよいよ佳き日が巡りに巡ってきた。ネヴェルネス王国の第一王子にして王太子アルフレッド・ネヴェルネスと、カスタリア王国先先代国王の第一王女ディオーネ・ティア・カスタリアの婚約が正式に発表されたのである。
続く慶事にネヴェルネス王国中が沸き立つ。国民はようやく訪れた王太子の春を口々に喜び、将来の王妃が世界神話の頂点に立つ原初の女神の末裔であることに王家の繁栄を謳った。
その一方で、アルフレッドの周囲を騒がせていた貴族令嬢たちが傷心のあまり次々と寝込んだことは言うまでもない。
そうした世間の動静に比例して、ここ王太子の居住区もまた人の往来が忙しなく続いている。どの侍従や女官も手に大荷物を抱えているのだが、たまたまそこへ王弟公爵家の嫡男テオドールが通りかかると近頃よく目にする新顔を見つけて声をかけた。
「ナイアちゃん」
まさかのちゃん付けでひらひらと手を振るテオドールに、ナイアと移動してきた女官たちが一礼してそそくさと立ち去っていく。ナイアは仏頂面に少し愛想を足したくらいの表情で、手に抱えていた大きな荷物ごと畏まった。
「これはテオドールさま」
「大荷物だね。いよいよディオーネ姫のお引っ越しかな」
「はい。身の回りのものはほぼ運び終えましたので、明日には移られるかと存じます」
テオドールからしたらディオーネの秘密を共有する数少ない仲間のような感覚で、生来の女性受けの良さとも相まって砕けた笑みをナイアに向ける。
「アルフレッドは明日まで待てず今日の午後にも、と言い出すかもしれないね。王太子妃の部屋の改装が終わってからというもの、毎日が落ち着かない様子だよ」
「急な予定変更は迷惑……ごほん、対応しかねますのでご留意ください」
「うん、そうだね。アルフレッドが暴走しそうな時はやんわり止めてみるよ」
おや、とナイアが視線で探りを入れた。補佐という立場上、アルフレッドに振り回されている気配がするのは間違いではないだろう。しかし年長の従兄という関係から、いざとなったらアルフレッドを制御できるのもテオドールだ。ここは伝手として交流を深めておくべきかしらと損得勘定が働く。
今後何とも気の合いそうなこの二人は、先日のアルフレッドとディオーネの会話で同い年であることが判明したばかりである。
「引っ越しが終われば、国内の貴族たちを集めて婚約披露をしないといけないね。晴れてディオーネ姫も我が国の社交界入りを果たすわけだけど、少し心配だな」
「何がですか?」
「娘をアルフレッドの側室にしたい貴族たちの反応だよ。婚約発表直後は寝込んでいた令嬢たちも気力を取り戻したようで、婚約披露会では何かと姫を敵視するのではないかな。……ん?」
妹であるエミリエンヌばりの死んだ目をナイアから返されて、テオドールは慌てて訂正した。
「いや、私がアルフレッドに側室を勧めているわけではないよ」
「まさかとは思いますけれど、王太子殿下にはいずれ側室を迎えようなどという魂胆がおありなのでしょうか」
「断じてそれはない。ディオーネ姫を溺愛する今の姿からは想像がつかないかもしれないが、アルフレッドにはもともと女性不信の傾向があってね。特に、幼少期から何かと周囲で持て囃す令嬢たちには辟易としているんだ」
「それでしたら、特には心配しておりません」
予想外の返答にテオドールの目が丸くなる。
「令嬢方の悪意に晒されるだろうディオーネ姫のことが、気がかりではないのかい?」
「ディオーネ様をただのか弱い姫君だと思っておいでなのでしょう? それが間違いなのでございます。確かにうちの姫様は可憐で美しく、清楚でお心映えも素晴らしい。頭脳明晰でいらっしゃる一方で努力を惜しまず、血筋の尊さはもとより全てにおいて至高のお方でございます」
「ナイアちゃんも大概だね」
「つまり外見から判断すればか弱く思われがちですが、その実、しっかりとした強い芯をお持ちです。温室育ちのご令嬢方が敵う相手ではございません。姫様はその存在自体が神の領域なのでございます」
神の領域。何やら最後にカスタリア王国の秘術のような言葉が出てきたぞ、とテオドールが圧倒されている間にナイアは辞去の挨拶を述べてさっさと立ち去っていく。仕方なくテオドールも逆の方向へ歩き出したものの、その心はいささか陰鬱だ。
おそらく婚約披露会でディオーネに注がれる視線は、祝福と、好奇と、逆恨み。そのうち悪意の割合は少々どころではないだろう。
エミリエンヌの情報によるとアルフレッドを慕う令嬢たちの間では、国王の寵愛を得てもなお王太子を誑かし、まんまと正妃の座を手に入れた強かで浅ましい姫だと、およそ真実からかけ離れた憶測が飛び交っているらしかった。
ディオーネは王妃候補として、ゆくゆくはネヴェルネス王国の社交界を掌握しなければならない立場にある。ナイアは心配無用だと言ったが、これからの苦難を考えるとどうしてもテオドールは妹と同い年のディオーネの行く末を案ぜずにはいられなかった。
だがこうした周囲の不安は杞憂に終わる。アルフレッドの強い要望により怒涛の日程で執り行われた婚約披露会は、隣に立つディオーネが絶対的な気品と感性を見せつけて列席者の全てを魅了し、圧巻の完全勝利を収めたのである。
その日のカスタリア王国は雷雨に見舞われ、珍しく天候が荒れていた。
雷鳴轟くカスタリア王城にて、夜更けに火急の用件だと側近から奏上を受けた人物が大きく目を見開く。踵を巡らせて窓枠に手を置くと、まだ幼さの残る少年の顔が窓の玻璃に映った。
「じゃあ、本来のあるべき場所に返してもらおうかな」
森のように茂った王城の庭木の上を稲光りが走る。その雷光が玻璃にも射し込んで、振り向いた少年の白銀の髪を美しくも怪しげに煌めかせた。
駆け足で進みましたが、アルフレッドとディオーネが無事に婚約しました(*^^*)




