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身内へのお披露目 前編

 そこはかとなく薫る薔薇特有の芳香の中に、ほのかに優しくて甘い香りが混ざっている。少しずつ割合を増やしていくその香りは何とも心が安らぐもので、薔薇園に立つアルフレッドは気配を辿って視線を移した。


「殿下、お待たせいたしました」


 小さな品種の花弁をつけた薔薇のアーチを潜り、ディオーネが優しく微笑む。その容貌は変わらず無垢で愛らしく、周辺の薔薇が霞むほどに美しい。何より心が通じ合ったことで得た確固たる信頼関係が、今のアルフレッドには嬉しかった。


「急に呼び出してすまなかった、ディオーネ」

「いいえ。使いの女官長から大方の事情は聞きました」


 エスコートの為に差し出された手のひらにディオーネが手を重ねる。そのままアルフレッドは指を折り曲げて、ディオーネの指先を愛おしそうに擦った。


「あれから身体は大丈夫だったか?」

「……はい。良い具合に、治癒力が働いたようです」


 恥ずかしげに目を逸したディオーネの、上気する頬にアルフレッドのもう片方の手が触れる。滑らかな肌触りは昨夜の情事を思い出させるようで、どうにも自重が必要だった。


 おいで、とディオーネを薔薇園の小径(こみち)に誘う。


「弟と従兄妹、歳の近い三人が味方になれば今後はディオーネも過ごしやすくなる。四年前まで話が遡ると思うが、あらましを皆に説明して良いだろうか」

「ええ。皆様お身内の方々ですし、わたくしは構いません。ですが、あの……」

「うん?」

「その……離宮での出来事だけは、何となく誤魔化して頂けますか?」

「……そうだな」


 確かにあれは自分にとっても話しづらい。どうにか誤魔化す方向でいこうと心に決めたアルフレッドは、道すがらに足を止めてディオーネの耳元にある白銀の髪を撫でた。


 いけない、どうにも触らずにはいられない。それほどに愛しく大切な存在なのだ。自然とアルフレッドの注ぐ眼差しに慈愛がこもる。


 ごほん、と背後から咳払いが聞こえたのはこの時だ。わざとらしく咳を繰り返すのは付き添いのナイアで、確かに二人だけの世界に入りがちなこの調子では遅々として事態が進まないのだが、ごほんごほんと何とも煩い。


 興が醒める間合いを一段と身につけたように思えるのは、アルフレッドの気のせいだろうか。


「観賞用のテラスはこちらだ。既に皆、集まっているだろう。行こうか」

「はい、殿下」


 爽やかに晴れた空の下、ディオーネとアルフレッドはゆったりと、だが確かな歩みで先を目指した。

 

 


 時はやや遡る。 


 薔薇を好む王妃ベッティーナのために国王ロドルフが去る誕生日に贈った薔薇園は、満開の見頃は過ぎていたものの庭師の手により整えられ、残った返り咲きの花が麗しい芳香を放っている。


 指定された場所に指定の時刻より早く到着した第二王子のマリユスは、突然の招集を不思議に思いながらも、王弟公爵家の一人娘でテオドールの妹エミリエンヌと共に点在する小さな薔薇を見つけては鑑賞を楽しんでいた。


「殿下方、お茶の用意が出来ましたよ」


 庭園の奥まで進んだ二人に声をかけたのは、ベッティーナ付きの女官長エマである。マリユスは人懐っこい笑みでこれに応えた。


「エマ、久しぶりだね」

「はい。殿下が近衛師団棟に居室を移されてから、お目通りする機会も随分と減りました。時に王妃陛下も寂しくなされていますよ。以前の殿下のお部屋はいつでもお使いになれるよう整えておりますので、たまには公務を抜きにしていらして下さいませ」

「母上は息子が独り立ちして、清々していると思うけどね」

「お顔に出ていらっしゃらないだけでございます」


 そういうことにしておこうかな、と笑ったマリユスは女官長に促されて、エミリエンヌと来た道を折り返す。薔薇園の中央広場にある観賞用のテラスまで戻ると、そこには到着したばかりのテオドールが一人で佇んでいた。


「まあ、テオ兄様」

「あれ? テオ一人ですか?」

「ああ。お前たち、先に来ていたのか。……アルフレッドは遅れるがまもなく来るだろう。エマがお茶の用意をしてくれているみたいだし、とりあえず座ろうか」


 呼び出した張本人であるアルフレッドが遅刻だという。珍事だが忙しない時期柄、そういうこともあるかと特段深く考えることなく、マリユスは準備された屋外用のテーブル席に目を向けた。


 一、ニ、三、四、五脚。明らかに椅子の数が多い。この展開には覚えがある。


「……テオ。まさか二度目はないですよね?」

「そのまさかだよ、マリ」


 テオドールから囁き声で返されて、はっ、とマリユスは目を見開いた。


 もしや兄の悲願に進展があったのだろうか。兄と会うにあたり今日は開口一番に、自分の名前を騙って何やら良からぬ相談をテオドールに持ちかけたことを問い質そうと考えていたマリユスだったが、どうやらそういう状況ではなくなったようだと察しがついた。


 これで全く事情を知らないのはエミリエンヌだけとなった。しかも最も勘違いしているのがこの末の従妹である。


「え、ここにディオーネ様がいらっしゃるの? もう体調は宜しいのかしら?」

「ああ、エミリ。それについてだが」

「お会い出来るだなんて嬉しいわ。あら、あちらに人影が……お越しになられたみたいよ」

 

 テオドールが訂正しかけるも間に合わず、おいでになりましたと女官長がアルフレッドたちの来訪を告げる。三人は改めて身なりを整えると、一同に園内の小径へ視線を集中させた。


 薔薇の茂みの向こうで、世にまたとない美しい白銀の髪が揺れる。その隣に並ぶのは、ネヴェルネス王家特有の青みを帯びた黒髪を持つアルフレッドだ。


 密接とまではいかないが、アルフレッドとそのエスコートを受けて歩くディオーネの絶妙な距離感はいかがなものか。国王の側室と王太子という立場を超えた、えもいわれぬ甘い空気が二人を包んでいる。


 過程を知らずただ結果のみを告げられたテオドールは大きく目を見開き、兄から恋心を相談されながらも結末を知らないマリユスは息を呑んだ。二人の関係性を全く予見していなかったエミリエンヌだけが、釈然としないながらもいち早く気を取り直してドレスの裾をつまむ。


「ご機嫌よう、ディオーネ様」

「エミリ様、陛下の祝宴以来ですわね。今日はお顔が見れて嬉しく存じます」

「私もです。それにしても、あの……」

 

 ちらり、とエミリエンヌがディオーネの横から離れないアルフレッドを一瞥した。ほんの少し見せた表情だけで何か悪い予感がしたのは、従兄として長い付き合いのアルフレッドのなせる技だろうか。


「ディオーネ様、悪阻は大丈夫ですの?」

 

 瞬時にアルフレッドの両手がディオーネの耳を塞ぐ。いまだかつてないほど鋭い目線で従妹を牽制するも、少々手遅れだったようだ。


「悪阻、ですか?」


 上目遣いにアルフレッドを見上げたディオーネが、きょとんと宝石のような紫色の瞳を瞬かせる。

 

「え……ええ。違うのですか?」


 エミリエンヌとしては本来ならばあの身内の祝宴以降、そう日を置かずディオーネを訪ねて友好を深めたいと考えていた。それを母からの、今はディオーネさまの大事な時期だから控えなさい、のひと言で留まっていたのである。


 ディオーネの大事な時期とは何だろう。


 思案に暮れるエミリエンヌのもとに、今度こそご側室さまが懐妊したらしい、という情報が舞い込んできたは最近の出来事だ。なるほどそういうことだったのかと早合点し、すっかり噂を信じてしまったのも無理からぬことであった。


「エミリ、それは根も葉もない流説だ」

 

 横から慌ててテオドールが訂正に入る。それ以上は何も言うなとアルフレッドが首を横に振って両手を離すと、ディオーネには何でもないと穏やかに微笑んでみせた。


「……う」


 うわ。普段からアルフレッドの無愛想を見慣れているテオドールとマリユスは、その変わりように驚愕するばかりである。エミリエンヌは何をどう切り出そうかとそわそわし、結果、若い王族たちが一堂に会したものの収拾がつきそうにない。


 それを打破すべく老練な女官長が働きかけた。


「王太子殿下。まずは皆様、ご着席されてはいかがですか」

「そうだな。皆に改めて報告することがあり、こうして集まってもらったのだ。話も長くなる。ひとまず落ち着こうか」


 それぞれが頷いたところで着席すると、手際よくエマとナイアが紅茶やお菓子をテーブルの上に並べた。先にアルフレッドが口をつけ、各々が喫茶してひと息つく。


「兄上。ご報告とは、ご側室様……いえ、ディオーネ姫とのことで父上からお許しが出たのですね」


 屋外用の丸いテーブルにはアルフレッドの隣にディオーネ、そこからエミリエンヌ、マリユス、テオドールが並んで一周している。そのなかで真っ先に話を切り出したのは弟のマリユスだった。


「ああ。父上の五十の賀が終われば、佳き日に婚約を公表すると約束していただいた」


 婚約、とひと言呟いたエミリエンヌの茶色い瞳が、左右交互にアルフレッドとディオーネを見つめる。


「ではディオーネ様が、アルお兄さまのご正妃になられるということ?」

「そういうことだ」

「でもディオーネ様は……」


 国王の寵姫ではないのか。本人の手前、今度はしっかりと口を噤んだエミリエンヌにディオーネが微笑みかけた。


「わたくし、陛下の本当の側室ではありません」

「本当の……え?」

「えっ!?」


 びっくり仰天とはまさにこのことを指すのだろう。ディオーネの衝撃発言にマリユスとエミリエンヌは目を点にして固まってしまう。辛うじて取り乱さずに済んでいるのは二人が国内最上位の王族であり、幼い頃から訓練を重ねた努力の賜物と言える。


「ディオーネ様は陛下の後宮にお住まいなのですよね。ですが、ご側室ではない、と?」

「事実だ。ディオーネは側室という名目で、父上の後宮で保護されていただけに過ぎない」


 首を傾げたエミリエンヌにアルフレッドが答えると、今度は冷静さを取り戻したテオドールが年長者らしく代表して疑問を呈した。


「そこだよ。なぜ我々や世間を欺く形で、姫は陛下の側室として後宮に据え置かれたのだ?」


 これにマリユスとエミリエンヌが頷き返し、皆の総意を受けてアルフレッドが口を開く。


「皆が知ってのとおり、話の始まりは四年前のランダルとの戦争まで遡る」


 心細くなったのか、テーブルの下で密かにディオーネがアルフレッドの衣服に触れる。そこに手を伸ばしたアルフレッドが、か細い手をぎゅっと握り返した。

更新遅くなりました。

次回、お披露目の続きです!

ディオーネが皆と仲良くなることを願っています(*^^*)

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