側近の追求、そして衝撃
それは一般の官吏が登城するにはまだ早い、霧がかった朝ぼらけの時間帯だった。
王太子の執務室に足を踏み入れた側近のテオドールは、珍しくも異様な光景に思わず目を瞬かせる。
連日の激務にほとほと疲れ、昨夜はついに煮詰まって残業途中で下城したのだが、同じく疲労困憊であるはずのアルフレッドは夕食もそこそこに執務を続けるのだという。
今はこの難局さえ乗り越えれば、式典までそれなりの忙しさで過ごせるだろう折り返し地点で、その見通しはついている。居残るアルフレッドに気が引けながらも自邸で休息を取ったテオドールは、ならばせめてと今朝はいの一番に出勤した、はずだった。
「おはよう、テオドール」
「……おはよう。早いな、アルフレッド」
執務室に入ると既にアルフレッドがいて、早くも机作業に取りかかっているではないか。何気なく挨拶を交わしたところで、驚くべきは机に積み上げられた処理済みの書類の量だ。
まさかここで徹夜でもしたのか。
テオドールは書き付けに専念するアルフレッドを注視した。机に向かう体勢は退出時に見かけたものと全く変わらないが、着ている衣服は明らかに違う。どうやら部屋には一度、戻ったようだ。
「なぁ、アルフレッド。昨夜はきちんと寝たのかい?」
試しに聞いてみると、ペンを置いたアルフレッドが軽く背伸びをして答えた。
「いや、寝ていない」
「それは大丈夫なのか」
「問題ない。頭は冴えている」
不眠で気分が高揚するものだろうか。首を捻るテオドールの一方で、アルフレッドもまた昨夜の出来事に想いを馳せる。
愛する人と心が通じ合い、共に夜を過ごす歓びとは幾らばかりか。離れがたくも空が白む前にディオーネを帰したが、不思議なほど身も心も多幸感に満ち溢れていた。恍惚とした生命の充足さえ感じるのは、神秘な力の依り代だからなのかもしれない。
「本日の予定はどうなっている?」
早くもディオーネに会いたい。元々、今夕は逢瀬を再開するつもりで執務を進めていたのだ。アルフレッドが確認すると、テオドールは自身の執務机から大きめの革の手帳を寄せて頁をめくった。
「祝賀に出席するために、普段は領地にいる貴族たちが続々と王都に出てきているからね。そのうち名家から謁見の申し込みが数件あって、全て昼過ぎには終わるように組んでいるよ。午後はアルと私の机の上にある書類だけだけど……この分だと早めに終わりそうだね」
「そうだな。今日は書類が終わり次第、上がってもいいか」
「勿論構わないよ。はい、これが今日会う予定の貴族たちの資料。会談までに目を通しておいて」
「ああ、分かった」
それからというもの、テオドールは要所要所でアルフレッドを観察した。書類作業の切りがいいところで手渡した資料の熟読に入り、集中して頭に叩き込んでいる。
やがて王城に勤める官吏たちの登城で俄に騒がしくなり、それが一段落したところで予定していた謁見の時刻となった。代わる代わる顔を合わせる貴族たちと機嫌よく談笑を交わすアルフレッドは王太子の責務をこなし、特に睡魔に襲われるようなこともない。
会談が終わるとまた執務室に戻り、驚異の精神力で書類を捌く。今日のアルフレッドの仕事ぶりはもはや、超人級と言ってもいい。
遂にテオドールは、遅い昼食を取るために移動した王太子専用の食堂で詰問した。
「アルフレッド。理解しているとは思うが、念のための忠告。王太子の公務を管理するのが側近たる私の仕事で、だからアルの私的な部分にはなるべく口を挟まないようにしていたのだけどね。でもそろそろ限界」
「うん?」
「もし王太子であるアルフレッドの人生を左右するような出来事が起きているのなら、それはもう私的の範疇では無くなる。私の言いたいことは分かるよね?」
長いこと何かを隠しているだろう。そう言外に含めた視線をテオドールが送りつける。意図は伝わっているはずだが、食事を続けるアルフレッドは返事をしない。沈黙を押し通すのは大体が都合が悪い時だ。
ならば切り口を変えようと、続けてテオドールは情報通の妹から仕入れたもう一つの懸念について口にした。
「そうそう、話は変わるけれど。国王陛下の身の回りのことでアルフレッドは何か聞かされていないかな? こちらも私としては早めに知っておきたいのだよね」
「……何の話だ」
食いついた!
慎重にテオドールが噂の真偽に迫る。
「ご側室様だよ。あの身内の祝宴以来、ぱったりと夜のお渡りが途絶えたらしいね。宴の席には侍従たちもいたから、陛下と仲睦まじいご様子の麗しいご側室様が、長く後宮に籠られていることに様々な臆測が飛び交っている。その最たるものが……ご懐妊されているのではないか、という噂だ」
「は?」
食事の手を止めたアルフレッドが露骨に嫌な顔を見せる。
「いや、あまりにもアルフレッドや私が結婚に対して前向きでないから、遂に陛下が次代のために本腰を入れられたのではないかと、今度ばかりは私も妙に納得してしまってね。アルフレッドは本当に何も知らないのかい?」
何に本腰を入れるというのだ。考えただけでも虫唾が走る。そして妙に納得するなと、アルフレッドは冷たい視線をテオドールに向けた。
「それはない」
「なぜ言い切れるの?」
勢いに乗ることなく、アルフレッドが口を噤む。これも都合が悪いのかと、食事を終えたテオドールが諦めの境地で紅茶に口をつけると、アルフレッドは食器を下げさせて不意に周囲から人を払った。
「テオドール」
「何だい?」
「先程の話だが」
「先程……ああ」
「正妃が決まった」
「誰の?」
「私の、正妃が決まった」
そうかアルフレッドの、と呟いたテオドールの思考が凍結する。完全に油断していた。
一瞬の後、椅子を鳴らして立ち上がったテオドールは、勢いのままテーブルに手をついて前のめりに身を乗り出した。
「何だそれは。いつ決まった? お相手は? どこの国の王女?」
「ディオーネ姫だ」
「ディ……え……ええっ!?」
王族は人前でむやみやたらと叫び声を発してはならないと、幼い頃から研鑽を積んでいるテオドールは、叫んだ瞬間、反射的に自らの手でぱっと口を塞いだ。人払いをしたはずの室内を意味もなく探り終えると、テーブルを挟んだ反対側で事も無げにカップを口に運ぶアルフレッドに詰め寄った。
「何故、そのような大事なことをいま唐突に告げるのだ」
「お前が、王太子の人生を左右する出来事は業務内だから教えろ、と言ったのだろう」
「いやそうだが。いやいや、それはもうどうだっていい。アルフレッドのお相手がディオーネ姫? 確かにご側室様は王太子妃としての資格をお持ちだけど、父親の寵姫を正妃に迎えるのか?」
テオドールは軽く錯乱した。頭が切れるだけに、様々な憶測と現実がいっぺんに脳内で交差したようだ。聞くだけ聞いておいて、アルフレッドの返事を待つことなくその両肩を力強く掴む。
「国王陛下のことを信頼していないわけではない。が、噂通りご側室様は懐妊していて、アルフレッドに下賜しようとしている可能性だってあるだろう? いや、あの姫君なら押し付けられても別に嫌ではないし、正式なご側室様だからそもそも御子が出来ても何ら問題ないのだけれど。つまり何が言いたいのかというと、私はアルフレッドが陛下から上手く言いくるめられて、将来の王位継承争いに巻き込まれないか心配なのだ」
大方、妹エミリエンヌが所蔵する愛憎塗れる恋愛小説でも読んだのだろう。何をごちゃごちゃと、と迫りくるテオドールの両手をアルフレッドは肩から払いのけた。
「それはない。父上は手を出されていない」
「四年も陛下の後宮にいて、そんなわけがないだろう? 根拠はあるのか?」
「察しろ」
「察しろと言われても、何を……」
睨みつけるアルフレッドの首筋にテオドールの視線が行く。強く肩を掴んだことで若干だが襟元が乱れ、何やら赤い筋が痕になっているのが見えた。
アルフレッドは王太子だ。鍛錬でも急所である首を怪我することは滅多にない。怪我というよりは爪で引っ掻いたのか。それにしては細い傷痕だ。
そこまで考えが及ぶと、ぶわっと一気にテオドールの体温が上がった。それまで何とも感じなかったのに急に物事を理解した途端、アルフレッドから凄まじい色気を感じる。
「……うん、察した」
自分の席に戻ったテオドールは、寝ていないと口にした今朝のアルフレッドを思い出す。
つまり、そういうことなのか。
そういうことなのだな。
意外と手が早い。
そして、陛下は手を出されていなかった?
行儀悪くも頭を抱えたテオドールは、気を取り直して問題の従弟と向かい合った。
「……野暮なことだけど、一から色々と説明してもらってもいいかな」
「ちなみに、ディオーネの懐妊云々とお前に伝えてきたのはエミリか」
「そうだよ」
はぁ、と今度はアルフレッドが盛大にため息をつく。なぜいつも、王城で暮らす自分や毎日登城している実兄よりも早く、城内の噂に精通しているのか。以前、筆頭公爵令嬢の嗜みだと平然と答えた従妹の姿が目に浮かぶ。
身内の一人に説明するのも、三人に説明するのも理屈は同じだ。手間が省ける分、後者の方が圧倒的に効率がいい。どうやらディオーネとの関係を後押ししてくれているらしい母がいれば、婚約公表前だが父も文句を言わないだろう。
「分かった。急だが、どうせ今日は執務を早く終わせる予定だったからな。マリユスとエミリエンヌにも集まるよう伝えろ。場所は選べよ。都合が良ければディオーネにも同席してもらう」
「それはつまり」
椅子から立ち上がったアルフレッドが、テオドールに目で頷く。
「ディオーネが許す範囲で、これまでのこと、そして私たちのこれからのことを、お前たちに話すよ」
次回、衝撃が続く従兄妹会です(*^^*)




