二人の想いが実るとき
いよいよ国王ロドルフの慶賀まで日数が迫り、ネヴェルネス国中で祝賀の気運が高まる頃になると、多忙につきアルフレッドとディオーネの逢瀬も見送られる日々が続いた。
それ以外は何の変哲もない一日の、いつもの夜のことである。
寝支度を済ませてゆったりとした時間を過ごしていたディオーネの元に、珍しく足を運んだのは女官長のエマだ。
「国家機密、ですか」
ソファーへと案内し、ひと通り挨拶を終えた女官長から差し出された封筒に、ディオーネは半信半疑で視線を落とした。平たい書類が入っていると思われる無地の封筒はそれなりの厚みがあり、重さがある。
「ええ。国王陛下の祝賀に出席する国際要人の一覧で、添付された詳細な個人情報と警備の観点から機密文書扱いとのことです。王妃陛下より王太子殿下に本日中にお渡ししなければならなかったものを、お手違いがありまして」
「まあ、そうでしたか」
「そこでディオーネ姫様から直接、王太子殿下にお手渡し頂きたいと、王妃陛下よりのご伝言でございます」
女官長の演技力に背後でうんうんと頷くナイアとは対照的に、こてりとディオーネが首を傾げた。
「そのような大事なものでしたら、わたくしの手からではなく、ご側近の方から殿下へお渡しになられたほうが宜しいのではありませんか」
「それが、ご側近のテオドール様は既にご下城なされておいででして。かといって侍従に任せられる案件でもなく、また王太子殿下の居住区への夜間の立ち入りは限られた者にしか許されておりません。ここはぜひ、姫様にご足労を願えますでしょうか」
「ですが……」
正式に婚約もしていない身で、このような夜分に訪問しては非常識ではないのか。ディオーネがちらり、と背後に視線を送る。
もうひと押しだと心の中でぐっとこぶしを握っていたナイアは、それを隠して満面の笑みを返した。
「近頃は王妃陛下を補佐する姫様もご多忙で、王太子殿下とお会いできていませんもの。お菓子もご用意しますので、おつかいを口実に殿下と少し語られていらしてはいかがですか」
「ご迷惑ではないでしょうか?」
「ご迷惑だなんて! お疲れのところに姫様がいらしたら、王太子殿下もお喜びになると思いますよ」
やけに力説するナイアの笑顔に見送られて正面に視線を戻すと、いつもと変わらない女官長の柔和な笑みがディオーネを出迎える。前後からにこにこと微笑まれると、多少疑問が残ろうとそれが断る理由にはならなかった。
「分かりました」
「それでは、こちらを」
絶妙な間で、手元に残していたもう一つの箱を女官長が机の上に並べる。贈答用にかけられたリボンを解くように勧められ、ディオーネが素直に従うと、中から出てきたのは淡い桜色のドレスだ。
「ご無理をお願いするお詫びにと、王妃陛下から姫様へ贈り物でございます。折角ですので、こちらをお召しになって訪われてはいかがでしょう」
決して押し付けがましくない言い回しに、今度はナイアが卒なくドレスを広げてみせる。締め付けのないワンピースドレスの胸元には一面に小花の刺繍が施されていて、背面の首下あたりでやや大きめのリボンが結べるようになっている。
通常の締め付けがあるドレスほどの派手さはないが、質素な夜着より格段に上品で、内々に人と会うには程よい装いと言えた。
「ありがとう存じます。美しいドレスですね」
「はい。こちらは王都でいま流行りのものでして、若いご令嬢たちの間で大変人気だそうですよ。それを聞きつけた王妃陛下が、姫様にも是非と前々からご注文されておりました」
正確には新婚の年若い夫人たちの間で流行っている代物だが、女官長は顔色一つ変えず、しれっと言葉の綾で対応する。勿論、純粋なディオーネはそのままを真に受けるのだった。
「まあ。陛下御自らお手配とは、恐れ多いことでございます。陛下のお心遣い、有難く頂戴いたします」
「では姫さま! 早速お召替えいたしましょう」
ナイアの号令で早急に始まった訪問の準備は、女官長の介助も加わりあれよあれよと進んでいく。ディオーネがワンピースに袖を通し終えると女官長が背中のリボンをたわわに実った房のようにきゅっと結び、ナイアが下げ髪をふわりと軽く編んで片方の肩に流す。
「ディオーネ姫様、こちらへ。王太子殿下の居住区までは、わたくしが先導させて頂きます」
改めて畏まった女官長の目が、何やら意味深に光った。
ああ、癒しが足りない。執務室から出たアルフレッドは、疲労感が抜けない身体を引きずるように自室へと続く居住区を歩いていた。
いよいよ父ロドルフの五十の賀が迫り、通常の業務に加えて式典関係の決裁が増えた。書類はそのまま裁可できるものもあれば、再考を要するものも意外と多い。
またそれとは別に、王太子として数百人規模の招待客の名前と外見の特徴、特に他国の要人ともなればその背景にあるお国事情など、これまでの記憶を更新して頭に詰め込む必要があった。
知らず、アルフレッドはため息をつく。
ディオーネとの逢瀬を一日でも早く再開させるべく、ここ数日は集中して公務に励んだ。特に今日は夕食も執務室で取るほどで、テオドールを下がらせた後も残りの机仕事をあらかた片付けてきた。
その甲斐あって、どうにか明日にはディオーネとの時間を捻出できそうだ。このままテオドールが新たな仕事を持ち込まなければ、の話だが。
「ん?」
自室前まで帰り着いたアルフレッドは、扉の隙間から部屋の明かりが漏れていることに疑念を抱く。
掃除に入った女官が消灯し忘れたのだろうか。だが王太子付きともなると女官たちも優秀で、これまでそういった粗相に出くわしたことがない。
手元に剣がないのは痛かったが、アルフレッドは最大限の警戒で扉を開けた。人の気配を感じるほうへ視線を動かし、我が目を疑う。
会いたいと強く願うゆえの幻か。
「殿下。お帰りなさいませ」
愛しい幻がソファーから立ち上がった。相変わらず花がぱっと咲き開いたような、それでいて少し照れたような笑顔で迎えられて、ようやくそれが本物であることを認識させられる。
「……ディオーネ」
愛しい名前を呼ぶと、必要以上にアルフレッドの鼓動が跳ねた。久しぶりの再会だ。自分の鼓動を無視して、そのまま座るように促したアルフレッドは、自らもまたディオーネの隣に腰を下ろす。
「この夜更けに、どうしたのだ?」
「それが……これをぜひ殿下に手渡しして欲しいと頼まれまして。国家機密に相当する祝賀関係の書類で、急を要するらしいのです」
何だそれは。アルフレッドはディオーネが手に持つ胡散臭い封筒に目を向けた。と同時に視界に入ってきたのはその淡い桜色の装いだ。
しまった、と自分の迂闊さにアルフレッドは頭を抱えた。何故、真横という至近距離にうっかり座ってしまったのか。
ディオーネの装いはこれみよがしに露出のある夜着でも、艶かしく派手なドレスでもない。胸元にあしらわれた小花の刺繍は可憐で、紗を使っているのか若干透けた両袖から腕の輪郭が見え隠れしている。
薄着ではあるが清楚な仕様がディオーネの雰囲気に良く合っていて、総力を上げて男の本能を刺激してくるのだ。
「はぁ……」
「殿下?」
目頭を押さえるアルフレッドに、こてりと傾げたディオーネの首筋が顕になる。何故、今夜に限って髪を編んでいるのか。見えそうで見えない鎖骨と滑らかな素肌の白皙がより際立ち、目のやり場に困って仕方がない。
「まさかその格好のまま、ここまで来たのではないだろうな」
「いえ。流石にこの髪色ですし、闇夜に紛れやすい色合いの外套を頭から羽織って秘密裏に参りました。他の者には気づかれていないと思いますが、あの……いけませんでしたか?」
「いや、いけなくはない……」
居住区の出入り扉には夜勤の守衛たちがいる。この姿を彼らの目に晒すなど以ての外で、一応の安堵を得たアルフレッドは徐々に調子を取り戻すべく状況の整理に乗り出した。
「書類は誰から頼まれたのだ?」
「女官長からです」
「エマか。ということは、母上の指示だな。ここへもエマが案内したのか?」
「はい。実はこの衣装も王妃陛下にご高配頂いたようで、明日、お礼に参上しなければと思っておりますの」
「……母上が。他に何か変わったことはなかったか?」
「そうですね……。そういえば、いつにも増してナイアに気合が入っていたような気がします」
はあ、と今度はディオーネに気取られないように、内心でアルフレッドはため息を漏らした。完全に内通しているではないか。
ついに母も参戦しての罠か。それとも上げ膳据え膳なのか、いや、さすがにそれは都合が良すぎる。疲労困憊の局面で困難をどう切り抜けるのか、新たな試練の意図もあり得ると、ありとあらゆる可能性の裏の裏まで深読みするアルフレッドである。
視線を戻せば、ふんわりと隣で笑うディオーネが堪らなく可愛い。
「少しですが、ナイアがお菓子も持たせてくれたのですよ」
「ではお茶を運ばせよう。私もまだ外套のままだったな」
ややぶっきらぼうな言い方になってしまったが、素早くソファーから立ち上がったアルフレッドは、そのままディオーネから距離を取った。
手を出したら破断。今や呪いの言葉のように脳内に組み込まれた父の囁きに、外套を脱ぎかけた背中がぞっとする。
そうだ、油断してはならない。これは母から与えられた試練であり、状況に負ければ元も子もないぞと自分に言い聞かせた。自ずとアルフレッドの表情も険しくなる。
その時だ。外套を脱いでややひんやりしたのも束の間、アルフレッドの背中を柔らかな温もりが包み込んだ。
やはり愛しい姫は幻ではないのか。顔を埋めるようにして、背後からディオーネがしがみついたのだ。
「ディオ……」
「アルフレッド様は、わたくしのことがお嫌いになってしまわれたの?」
「……なっ」
それは今にも泣き出しそうな、か細い声だった。
嫌いになるだと?
こんなに、狂おしいほど恋い焦がれているのに。
「そのようなことが、あるはずもない」
ぎゅっと衣服を掴む手を後ろ手で外したアルフレッドは、振り返りざまにディオーネを抱き寄せた。視線を下ろせば、腕の中のディオーネはつむじまでもが紅潮しているように見え、心配になって顔を覗き込む。
泣いているかと思ったが予想に反して、ディオーネは幼子のように小さく口を尖らせていた。拗ねているのだ。その愛らしい仕草に魅せられて、ますますアルフレッドの腕に力が入る。
どうかこれ以上、最後の砦を壊さないでほしい。
「ディオーネ。婚約を控えた間柄とはいえ、夜に男の部屋を訪ねるということは、どういうことか分かっているのか」
これでディオーネが怖がればいい。そうしたら、まだ間に合う。
二人とも罠に落ちなくて済む。
「……て……ますよ」
「うん?」
強く抱き締めるがあまり、腕の中で声がくぐもってよく聞こえない。それ以前にディオーネの声は呟き程度で、もう一度と優しく催促をすると、目線を外しながらもディオーネははにかんだ顔をアルフレッドに向けた。
「分かって……いますよ」
白皙の首筋が今度は牡丹のように染まって美しい。そこに吸い寄せられそうになったところで、ディオーネ特有の花香が周囲にふわりと舞った。
際どく保っていたアルフレッドの理性が限界を超えた。もう罠でも構わないと、唇を寄せて重ね合わせる。
「んっ……」
始めは優しく緩やかに。だがそれだけでは物足りず、少しずつ深く長く、何度も奪う。
二人の夜は、これから更けていく。
お読み頂き、ありがとうございます(*^^*)




