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侍女の立ち回り

 一線を画すと言っても、ディオーネと全く会わないわけではない。むしろそうなると自分が耐えられないだろう。


 ただただ不必要には触れない。だから、せめてひと時の逢瀬だけは二人きりで話をしたいと、アルフレッドは間近で給仕をする侍女に横目で合図を送った。


 カスタリアから唯一付き従ってきた忠義の厚い彼女の存在は、これまでのディオーネとの会話から十分に知るところである。だが、視線の意図を理解しつつも当たり障りのない笑みを浮かべている様子から、一癖も二癖もありそうだと何やら底意地の悪さを感じるアルフレッドだった。


 ―――席を外せ。


 アルフレッドからの無言の圧力に、一方のナイアも負けていない。そもそもの出会い方は勿論のこと、ディオーネが縁談を承諾した際の、強引に持ち込んだような口づけも許せなかった。


 ―――二人きりにしたら、うちの姫様に何をしでかすか分からないでしょうが。


 給仕を終えてディオーネの背後に回ったナイアが、すん、と表情から当たり障りのない笑みを消す。冷ややかな目つきは徹底抗戦の構えだ。


 ふわっと笑うディオーネを挟み二人が水面下で応酬の火花を散らすここは、決して国境沿いの粉塵舞う戦場でも、国政の議論が飛び交う会議室でもない。大理石仕様が美しい静謐な庭園に建つ、緑の蔦が絡んだ麗しい東屋である。


「ディオーネ」


 先だっての査察での出来事を求められるがまま話していたアルフレッドは、ある程度の区切りが付いたところでふと、正面に座るディオーネの異変に気がついた。興味を示していたはずの瞳は輝きを失い、心ここにあらずといった表情で不安定にこちらを見つめ返している。


「どうした?」

「あ、いえ。失礼しました」

「午前中は母上の執務の手伝いをしたのだったな。その疲れが出たのだろうか」

 

 そっ、とその頬に触れて労ってあげたい衝動に駆られるアルフレッドだったが、それを抑え込むように、伸ばしかけた利き手を軽く握りしめた。そうした一連の動作はややぎこちなく、傍目から見たら素っ気なくも感じる。


 ディオーネが視線を横にずらしたのは、しばらく間が空いてからのことだ。


「あの、殿下」

「うん?」

「いえ。……その後、体調はお変りはありませんか?」

 

 本音を回避したような、何とも歯切れの悪いディオーネの物言いである。であるが、ひとまずアルフレッドは調子を合わせて頷いてみせた。


「ああ。短い時間ではあるが、こうしてほぼ毎日ディオーネと会っているからな。依り代の身体としてはそれだけでも随分と違うらしい。以前の、体内に熱が籠もるような不調は殆ど感じられない」

「それは安心しました」


 そうして、沈黙が続く。そのうち東屋の中を風が吹き抜けて、夕方の外気が少し肌寒いと感じる季節になったことをアルフレッドに知らせた。


 疲れを拗らせて、それこそ風邪でも引かせてはいけないと、アルフレッドは東屋の椅子から腰を上げる。


「今日はもう切り上げよう。先に戻るといい」  

「……いえ。わたくしはもう少し、ここで風に当たって帰ります」

「そうか。では先に行くが、日が暮れるのも早くなった。くれぐれも長居はしないように」


 城内で人目に触れることを避けるため、逢瀬の終わりは時間差をつけて別々に退出することが、これまでの暗黙の決まりである。


 挨拶を交わして立ち去るアルフレッドの背中を目で追ったディオーネは、やがてその姿が見えなくなると居住まいを正した。途端、こらえ切れなくなったかのように両手で顔を覆ったディオーネに、驚いたナイアが正面に回る。


「姫様!?」

 

 どうしよう。そう呟いたのか、ディオーネが何らかの言葉を短く発したが、顔を覆う手が邪魔をしてナイアの耳には届かない。


「姫様、何と仰ったのですか」

 

 膝をついて聞き返すナイアに、しばらく逡巡したディオーネはくぐもった声を発した。


「わたくし……本物の痴女になってしまいました」

「えっ」


 さすがのナイアも我が耳を疑った。清廉なディオーネの口から出た、まさかの似つかわしい単語である。


 そもそも、痴女の分類に本物と偽物が存在するのだろうか。思考回路の一時停止により、明後日の方向に考えが及びかけるナイアだったが、慌てて自分を取り戻すと努めて冷静にディオーネを見た。


「あのー。姫様、順を追ってご説明いただけますか?」


 顔を隠した手の甲までもが、熱を持ったかのように赤いのは錯覚だろうか。ナイアがそっとその両手を引き剥がすと、案の定、涙ぐむほど顔を真っ赤に火照らせたディオーネの顔が露わになった。


「お熱が出ているわけでは、ないのでしょう?」


 先程アルフレッドは風邪を引かせることを懸念していたが、そもそも原初の女神の末裔として治癒の力を身に宿すカスタリア王女は、感冒などの軽い病とは生涯無縁である。


 ディオーネの口が小さく開き、何かを言いかけてまた閉じる。先程は咄嗟に破廉恥な言葉が口から出てしまったが、滅多にない感情の高ぶりからそれを上手く説明できそうになかった。


 とにかく落ち着いてとナイアに促され、ディオーネは紫の瞳を伏せる。順序立てて整理すべきはアルフレッドに対する心証の変化で、その出発点を模索しようと意識を集中させた。




 思い起こせば、始まりはディオーネがアルフレッドとの縁談を承諾し、国王夫妻に揃って報告をした日だったと振り返る。


 少し寂しそうに笑ったロドルフと、おめでとうと優しく声をかけてくれたベッティーナがそこにはいて、敬愛する二人からの言祝ぎが純粋に嬉しく、ディオーネの心の奥に小さな温もりが生まれた。


「これからは、名前で呼んでも構わないだろうか?」


 そうアルフレッドから尋ねられたのは、次の逢瀬の時だ。


 敬称を外して呼ばれるのはいつぶりだろう。近しい者は「姫」「姫様」と呼び、一般的にカスタリア王国では「直系第一王女殿下」、ネヴェルネス王国では「ご側室様」と呼称されてきた。


 ディオーネ。そうアルフレッドから声をかけられる度に、幼い頃に亡くした父母の懐かしい思い出が蘇る。


 生まれつき身体は弱かったが、いつも優しい眼差しで名前を呼んでくれた父王と、王家の血を引く南の辺境伯の娘で、お転婆すぎるほどの頑健を理由にその妃に選ばれた母。


 母は明るい性格で、よく笑う人だった。


 それなのに、何の因果か父より先に身罷ってしまった母の顔を当時幼かったディオーネの記憶では繫ぎ止めることができず、残念ながら今では朧げな面影でしか思い出せない。


 郷愁に駆られる心に、ディオーネ、と呼ぶアルフレッドの声はよく染みた。アルフレッドの声音は平均的な男性の声と比べて一段と低く、色気と艶がある。余計に女性の心に深く響くのだ。


 それに気がついてしまってからというもの、ディオーネはアルフレッドの一挙手一投足を意識せずにはいられなかった。


 やや彫りの深いアルフレッドの整った容貌と、悠然と構える茶色の瞳。それらを近づけられる度に心が騒ぎ、会話が終われば、その魅惑の声をもっと聞いていたいと心が願う。


 波打つ感情とは裏腹に、不思議と充足感がディオーネを満たしていった。深い場所に芽吹いた小さな温もりが、少しずつ面積を広げてディオーネの心の中核を優しく包み込む。


 ただ純粋に、アルフレッドに恋をしているのだとディオーネが自覚するまで、そう時間はかからなかった。

 

「姫様は、王太子殿下に特別な想いを抱かれているのですか?」

「……はい。ですが」


 ディオーネはドレスのふわりと広がった部分を、ぎゅっと両手で掴んだ。


「それだけで良かったのに。今のわたくしは求めすぎてしまうのです。だから……殿下に嫌われたのかも、しれません」


 それは絶対にあり得ない、とナイアは声を大にして猛反論したかったが、まず何よりも気になるのはディオーネの「求めすぎてしまう」の内容である。


 そこを問い質すと、顔を伏せがちのディオーネがポツリ、またポツリと呟いた。


「殿下に想いを告げて頂いたとき、触れられた手も、頬も、嫌ではなかった。縁談を承諾した際の……」


 やや強引な口付け。酷くディオーネの心を揺さぶりはしたが、やはり嫌悪を感じることはなかった。


 だがディオーネが恋心を自覚した途端、アルフレッドはそれまでの付き合い方に一線を引いた。


 連れ立って庭を散策し休息だと隣り合わせに座っても、一切、ディオーネに触れることはない。それどころか、二人の間に甘い雰囲気が漂うことさえ避けるような節が見られた。


 ディオーネは密かに意気消沈した。


 共にそぞろ歩けば、いつだってアルフレッドと手を握りたかったし、隣に並んでベンチに座れば、優しく撫でられたいと求めてしまう。


 満たされない想いはやがて、強い願望となってディオーネに蓄積されていく。


「殿下の態度が以前より余所余所しくなったのは、きっとわたくしの心を見透かされて、はしたないと幻滅されたのでしょう。もしくは……やはりわたくしへの想いは媚香の影響によるもので、夢から覚めたお気持ちなのかも」


 なるほど、とナイアは合点した。ディオーネは十四歳でこのネヴェルネスに移った際、自身の神力が男性に対して媚薬の作用を持つと聞かされて強く恥じ入っていた。


 王妃ベッティーナが取り成すまでは、自分は痴女というものに相当するのではないか、と考えが至るほどに、だ。


 そこから今回の「本物の痴女」発言に繋がったのだろう。肩を落とすディオーネにナイアがきっぱりと断言する。


「王太子殿下が姫様を厭われるなど、そのような心配は全く必要ございません。それに、姫様が恋心を自覚された以上、殿下に対してあれこれと求めてしまうのは普通のことで、決して痴女の部類に入るものではありません」


 そう言い切った後で、今度は自分に言い聞かせるかのように小声で付け加えた。


「ただ……姫様がそのようにお望みだったとは、わたくしの誤算です」

「ナイア?」


 言われてみれば、確かに最近のアルフレッドは不必要にディオーネに触れたがらない。それを捉えようによっては素っ気ないと感じ、愛情が無くなったのではないかと疑うのも当然のことのように思えた。


 牽制しすぎたかしら、と反省を試みるナイアであったが、権力を持たない一侍女の抵抗がアルフレッドの抑止に繋がったとは到底考えにくい。


 これは、然るべき方に助力を願い出る案件ではないのか。そう確信したナイアはディオーネを慰めて、早々に部屋へ戻るよう段取りをつけた。




 自室でナイアから報告を受けた王妃ベッティーナは、はぁ、と一つため息をついて目頭を押さえた。


「全くあの人は。だから無理なことだと、わたくしは申し上げたのです」


 あの人、とは誰のことを指すのか。疑問の表情を浮かべるナイアにベッティーナが応える。


「国王陛下のことですよ。ディオーネ姫を取られた腹いせに、婚約を認める代わりに婚儀まで手を出してはならぬ、とアルフレッドに条件を出したのです。どうせわたくしの居ないところで、事あるごとにネチネチと釘を刺していたのでしょう。結果、それが姫を惑わせることになると、どうしてご理解頂けないのか」


 敢えて口には出さないが、一度は肌を交えた二人である。そこに神力が介在する以上、常の恋人同士とは異なり、より深く互いを求め合うであろうことはベッティーナの予測の範疇だ。


 その辛辣な物言いにナイアが若干の冷や汗をかいたところで、目の合図を読み取った女官長のエマが進み出てベッティーナの眼前にナイアと並んだ。


 美しくも怪しいベッティーナの琥珀色の瞳が、二人を見据える。


「致し方ありません。ナイア、ここはひとつ、このエマと共に芝居を打ってもらいますよ」

「芝居、ですか」

「ええ。ディオーネ姫の幸せを一番に望む者として、これからはアルフレッドのことは割り切りなさい」

「……畏まりました」


 一礼したナイアに頷くと、ベッティーナは再び二人を近くに寄せて計画の内容を密かに耳打ちした。


「……よろしいのですか、陛下」 


 女官長の念押しに、ベッティーナの口角が上がる。


「良い。誰でもない、王妃たるわたくしが許します。この芝居の主役は貴女たちですよ」

「それでは。王妃陛下のご期待に添えますよう、万事抜かりなく準備を進めさせて頂きます」


 主役に抜擢された女官長が鋭く目を光らせた。普段が常に温厚な笑みを浮かべているだけに、その老獪な変化は見事なもので、今まさにナイアは、側仕えとしての経験値の差をまざまざと思い知らされたのであった。

ディオーネの心の変化の回でした。

次話、周囲のお膳立てが始まります(*^^*)!

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