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ディオーネの進む道


「姫様!」


 ディオーネの常の住まいである、国王ロドルフの後宮に戻ってからのことだ。部屋の扉を閉めた瞬間、ナイアはディオーネの両上腕を掴むと、上から下まで明け透けに視線を巡らせて全身を隈なく検分した。


「お泣きになられたご様子でしたが、王太子殿下に何か嫌なことでも言われたのですか? ああ、わたくしたちの見えないところで、不本意に触られたりしていないでしょうね」


 付き添いのナイアとミラベルは王妃ベッティーナからの指示で二人の監視を兼ねていたが、アルフレッドの身分を尊重して、それなりに節度のある距離を保っていた。つまるところ、会話の内容までは把握できていないのである。


「大丈夫よ。ミラベルも見守ってくれてありがとう」

「姫様をお守りすることが、護衛たる私の務めでございますので。王太子殿下との直接のご対面、さぞやご緊張なされたことでしょう。この後はどうぞごゆっくりお過ごしなされませ」


 と言いながら、隣で事情を知りたそうにナイアがソワソワと身体を揺らす様子には、ミラベルも苦笑するしかない。


 これには、ふふふ、とディオーネも微笑んだ。離宮での出来事以来に見せる、翳りのない笑顔だった。


「ミラベルはこのあと時間はあるかしら? あなたとナイアの二人に、話を聞いてもらいたいの」

「よろしいのですか?」

「ええ……長らく心配をかけてしまいましたね」


 アルフレッドとの関係や自身の神力の在り方について、これまで悶々と自問を繰り返すに留めていたディオーネが、ようやく他人に打ち明けようとしている。それを一歩前進だと捉えたミラベルはこの先もディオーネに寄り添い、力の及ぶ限りを尽くそうと心に誓った、のだが。


「あの……不躾な質問なのですが、ミラベルはこれまで恋愛をしたことがありますか?」


 いそいそとナイアがお茶の用意を整え、各自ソファーに着席したところで、あまりにも予想外の角度から切り出された話にミラベルは目を点にして言葉を詰まらせるのだった。


「え……わ、私の話ですか?」


 隣に視線を移せば、ナイアにとっても不測の展開だったにもかかわらず、以前から興味があったと言わんばかりに目を爛々と輝かせている。これはもう助け船を出してくれそうな気配ではない。


 ミラベルは密かに心の中で「ナイア殿!」と裏切り者を叱責すると、何かしらディオーネの決断の一助となるのであれば、と腹を括った。


「……そうですね。私もいい歳ですし、軍部も今でこそ女性の登用が進んでいますが、昔はかなりの男所帯でしたので。恋愛の一つ二つは経験があります。若かりし頃の話ですよ」


 興味本位を隠しきれないナイアとは対照的に、ディオーネの瞳に益々の真剣味が帯びる。


「その……男の人を好きになる、というのは、どのような経緯でなるものなのでしょう」

「経緯、でございますか。これは私の経験というよりは一般論なのですが。出会った瞬間に好意を抱く一目惚れというものも、徐々に信頼関係を築き上げてからの恋心の芽生え、というものもあります。逆に、最初に失望したり、この人とは絶対に相容れないなと思った相手であっても、最終的には結婚に至り、今でも仲睦まじく暮らしている知り合いもいますよ。つまり経緯というのは恋人や夫婦の数だけ形があって、それが正しいとか、上手くいかなかったから間違った選択だった、ということにはならないと思うのです」

「そう、ですか」

「……王太子殿下は、何と仰せでしたか?」

「あのような出会いでしたが……殿下は、わたくしを正妃に迎えたいと。すでに国王陛下もご了承済みらしいのです」


 目を丸くするミラベルの一方で、ナイアの驚いた表情は少々嘘くさい。おそらく王妃側からすでに何らかの情報を得ていたのだろうと、長年の付き合いからピンとくるディオーネである。


 これに対して、ごほん、と咳払いをしたナイアが改めて主人と向き合った。


「姫様は王太子殿下のことを憎いと、恨めしいとは思われていないのですか?」

「殿下に対して、そのように思ったことは一度たりともありません。ただ……」


 語りかけられた言葉。

 重ね合わせた両手。

 そして、触れられた頬。


 今日のアルフレッドのどの仕草を取っても、全く嫌悪感を抱くことがなかった。


 だからこそ疑ってしまう。身のうちにけぶるのは恋慕と呼ぶには程遠い淡い感情でしかないのに、アルフレッドの何もかもを受け入れてしまいそうになるのは、依り代に縋ろうとする神力が精神に関与しているのではないか、と。


「……分からないのです。王太子殿下は、わたくしへの感情が媚香に影響されたものではないと、はっきり告げて下さいました。ですがわたくしは自信がありません。この先、殿下をお慕いする気持ちが芽生えたとして、それが神力によって形成されたものでないとは言い切れない。もしそうであったのなら、殿下に対して不誠実だと思うのです」


 そっ、とディオーネがその長い睫毛を伏せた。折しも静寂が訪れた室内に、時刻を知らせる鐘が響く。


 鳴り終えた音の余韻が残る最中、ディオーネは静かに目線を二人に戻した。


「ですが、もう悩むのはやめます」

「姫様」

「この先、神力と感情の相互性をいくら悩んだところで、結論が出ることはないのでしょう。分からないものは分からない。それで良いのだと、殿下に対する自分の感情に素直に向き合うことにしました。……わたくしは、この縁談をお受けしようと思います」


 ディオーネが周囲を惹きつけるのは、何も外見の優美さだけではない。わずか十四歳で母国の滅亡と生命の危機に晒され、死線を掻い潜ったディオーネの根底には、他の令嬢にはない逞しさを内包していた。


「殿下に対して明確な答えとなる感情があるわけではありませんが、得てして王族の婚姻とはそのようなもの。それをお命じにはならず、わたくしに選択権を与えて下さった両陛下と殿下には心から感謝をしています」


 強く美しいディオーネの紫色の瞳に魅せられて、ミラベルは深く頷いた。


「よいご決断だと思いますよ。最初のご質問に戻りますが、人を好きになるのに正解となる経緯はございません。これから少しずつ王太子殿下との距離を縮めていかれるなかで、信頼に足るお方だと姫様がご判断された時に、お気持ちをお伝えなさればよろしいのではないでしょうか。私は姫様のご意思を尊重いたします」

「ありがとう。ナイアは、どう思いますか?」


 唐突に微かな嗚咽が耳に入り、ディオーネとミラベルは同時に視線を移した。


「姫様……!」


 泣きながら席を立ったナイアが、ディオーネの目の前で膝を崩す。のろのろとソファーに縋るように体勢を立て直すと、膝立ちのままディオーネを抱き締めた。


「ナイア、はしたないですよ」

「いいのです。今日だけは、いいのです。わたくしは、わたくしは……」


 長年、苦楽を共にしてきたナイアの泣きじゃくる背中は存外に幼くて、ディオーネは苦笑しつつもそれを優しく撫で上げる。


 主人が懊悩する姿を目の当たりにしながら、口を出すことも、助けることも、励ますこともできず、ただひたすら歯痒い日々を送ってきたナイアである。せめてもの敵討ちと言わんばかりにアルフレッドを恨めしく思っていることを、誰よりもディオーネは理解していた。


「ナイア、これからもわたくしの進む道を応援してくれますか?」

「姫様、その言い方は……ずるい、ずるいです」


 ディオーネに背中を擦られながら、ナイアが何度も頷き返す。その様子にミラベルが微笑み、和やかな時間が過ぎゆくなかで、この二人に打ち明けて良かったとディオーネもまた安堵するのだった。




 そこは一時(いっとき)の通り雨が止んだ、雨露を含む庭園だった。


 待ち合わせの時刻、先に到着していたディオーネのもとへアルフレッドが歩み寄る。城内の王族居住区には人目を忍んで落ち合うことが可能な場所がいくつかあって、これまでアルフレッドは執務の合間を見繕っては幾度かディオーネを誘い、短い時間を共有してきた。


 と言っても、初日の東屋のような甘い展開はない。


 不必要に触れ合うがために情に流され、ディオーネの判断に支障をきたすことはアルフレッドの本意ではなかったし、公平性を保とうとするその配慮は十分ディオーネにも伝わるところで、ただ連れ立って庭をそぞろ歩くだけ、という場合が殆どだった。


 今日もまた付き添いのナイアとミラベルが見守るなか、ディオーネはアルフレッドと庭を散策する。未だ途切れることの多い二人の会話であるが、不思議とその沈黙を苦だと感じることはなかった。

 

 そのうち、殿下、と呼び止めたディオーネをアルフレッドが振り返る。


 雨露を乗せた庭の植物が日差しを反射させてキラキラと煌めく様は、奇しくも最初に出会った離宮庭園を彷彿とさせた。アルフレッドは輝きのなかに立つディオーネの清純な姿に、息を呑んで見惚れるのである。


「……。いかがしましたか?」

「あの、先日からのお返事をする前に、わたくしから一つ、質問してもよろしいでしょうか」

「何なりと」


 余裕のある態度を演じつつも、アルフレッドの心臓が早鐘を打つ。それはディオーネも同じで目を瞑って小さく呼吸を整えると、意を決してアルフレッドを正面から見上げた。


「わたくしに、王太子妃という重責が務まるでしょうか」


 不平不満があっての質問ではない。ただ、下した決断の最後の後押しを、アルフレッド本人の口から聞きたいと願ってのことだ。


 ディオーネの想いは十分に伝わったようで、パチパチと瞬きをしたアルフレッドはその目を細めた。


「姫はすでに、王妃(ははうえ)の補佐もこなされていると聞く。ならば王太子妃の務めなど、容易いものではないだろうか。だがそれ以前に、何よりも私があなたを望んでいる」

「わたくしも……殿下を望んでも良いですか?」

「それは、つまり」

「謹んで、このご縁談をお受けしたいと存じます」


 それはアルフレッドが長く恋い焦がれ、待ち望んだ答えだった。恥じらいながらも可憐に微笑むディオーネを、アルフレッドが力強く抱き寄せる。


 その耳元で、ありがとうと簡潔に囁くと、不意に唇を重ねてディオーネの動きを奪った。


 国王ロドルフが提示した期限まで残り三ヶ月。若い二人が決断を下すのに、長く、間だるい期間は必要なかった。

ようやく二人が前進しました(*^^*)!

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― 新着の感想 ―
[一言] お帰りなさい!待っていました。 更新、とても嬉しく思います。 好きな作品ですので、こちらでも読めて嬉しいです。 完結したらイチオシしたいなぁと思っているくらい長らく気になる作品でした。
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