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決着


 ネヴェルネス王城の奥まったところに、通称、星弓(ほしゆみ)の丘と呼ばれる場所がある。弓なりに張った地形から、夜空の星ばかりか建物の明かりが煌めく王都の夜景を眼下に望めるとして、いつの頃からかそう呼ばれるようになった高台のことである。


 今か今かと待ちわびて指定の時刻よりだいぶ早く到着したアルフレッドだったが、そこに夜の王都を眺望している父の後ろ姿を捉えて驚いた。


 周辺を警備する近衛師団は会話の内容が聞き取れない距離に配置されている。ぱち、ぱち、と篝火が爆ぜる音と虫の鳴く声だけが耳に残る、静寂な父子の対面だった。


 来訪者の気配を察知して振り向いたロドルフの前で、アルフレッドは片膝をつく。


「父上。離宮でのことは申し訳ありませんでした」

「……真っ先に謝る相手は他にいるであろう」

「理解しております。ですが、許しを請い、私の気持ちを伝えるには、まず父上からその機会を得なければなりません」

 

 頭上からの重圧が息苦しい。沈黙が鋭利な矢じりとなって四方八方から全身に突き刺さるようで、ぐっ、とアルフレッドは歯を食いしばった。


「簡単に許されると思っておるのか?」

「思ってはおりません。お許しいただくまで、父上を説き続けるのみです」

「……一応、お前の望みは何だと聞いておこうか」


 顔を上げたアルフレッドの真剣な眼差しが父を射抜く。


「ディオーネ姫を私の正妃に」

「親子間で一人の女を巡って争うと言うことか」


 ふん、とロドルフは鼻で笑った。


「王太子の地位は保証してやれぬ、と言ったら諦めるか」

「元より、その覚悟はできております」

「……それほどまでに姫に惚れたか」

「はい」

 

 二人が対峙する隙間を高所にありがちな一陣の風が、びゅん、と吹き抜きる。風はアルフレッドの前髪を巻き上げて、晒された茶色い瞳をより顕著にロドルフに印象付けた。


 アルフレッドは母のベッティーナに似て彫りの深い顔立ちだが、その青みを帯びた黒髪と瞳の色はロドルフから受け継いだ、ネヴェルネス王家を象徴するものだ。


 ぐっ、とロドルフは拳を握りしめる。アルフレッドは国王夫妻にとって結婚九年目にしてようやく授かった、待望の第一子でもあった。


「……もう良い。立て、アルフレッド」

「父上」 


 ―――ちちうえ。


 ロドルフの脳裏に幼い頃の無垢な笑顔のアルフレッドの姿と、ネヴェルネスに来たばかりの十四歳の可憐なディオーネの姿が交差する。


 もはや意地を張るのはこれまでか、と深く息を吐いたロドルフは、子供たちの新たな巣立ちを認めるのがこれ程に寂寥を伴うとは、らしくないと思いつつ、ようやく重い口を開いた。


「姫を……。ディオーネ姫を、お前の正妃に立てることを認める」

「……っ!」

「驚きすぎて言葉も出ぬか。それとも、喜びのあまりというやつか」

「……両方、です。ですが」


 何故こうもあっさりと。父を説き伏せるまで長期戦を見越していたアルフレッドは、豆鉄砲を食らったような表情で真正面から父を見返した。優等生だった息子が見せるにはそれがあまりにも滑稽で、してやったり、と悪戯心がロドルフに湧いてくる。


「はは、こうも恋に盲目となったアルフレッドを見られるとはな。女神の血に酔うとは、恐ろしいものだ」

「……は?」

「媚香のことがなくとも、あの姫を目の前にしたらどんな男でも心を奪われるに違いないが」

「は……」 

「お前も運が悪い。もう少し待てば、こうも苦労せずにすんなりと事が進んだものを。いや、それを言っても今となっては詮無いことではある」

「父上。一体、何の話をされているのですか」


 困惑する息子にロドルフはにやり、と笑って真実を一つ、決定打として放った。


「元よりベッティーナは、ディオーネ姫をお前の正妃に成さんと育てておったのだ」

「はい?」


 先程から相槌さえもまともに打てないアルフレッドは、いくらその優秀な頭を回転させようと父の言葉を理解するに及ばない。動力が切れたからくり人形のように動かなくなってしまった息子に対し、詳細はまた後日、と前置きをして、ロドルフはディオーネが持つ神力と媚香の関係を簡潔に語った。


「それでは、人目を避けるために父上の後宮に保護していただけ、だと?」


 愕然としながら、アルフレッドが呟く。


「そうだ」

「ディオーネ姫は父上の側室ではない、と。お互いに懸想もされていないということで合っていますか」

「姫は可愛いが、私もベッティーナも我が子同然の娘だと思うて接してきた」


 緊張の糸が途切れたように、つ、とアルフレッドの片方の頬に一筋の涙が流れ落ちる。都合のいい希望的観測に過ぎなかったものが、現実だった安堵も一気に押し寄せたせいかもしれない。慌てて頬を手の甲で拭う息子の肩に、ロドルフは手を乗せた。


「これまで姫の父親代わりであったからな。私もなかなか折り合いが付けられずにいたが、お前も私の大切な息子だ」

「父上」

「母上にも感謝をするのだな。姫の、王太子妃としての教育は完璧に済ませてある」


 ロドルフが一歩、アルフレッドとの距離を詰める。角度が変わったことで、ぱちぱち、と近くで爆ぜる篝火がロドルフの顔の半分をより鮮明に照らした。


「さて、今後のことであるが。いくら正妃教育が完璧だとしてもディオーネ姫が望まぬのであれば、私はこの縁談を成立させるつもりはない。来たる五十の賀までに、本気で姫の心を落とすのだ」

「五十の賀までに、ですか」

「ディオーネ姫を我が国の王太子妃と成す以上は、その正統な出自を国内外に示さねばならぬ。姫はカスタリア王家の直系の王女だ。血筋においては新カスタリア国王より姫のほうが原初の女神に近い。それを今まで秘匿していたとなれば、我がネヴェルネスは国際的に批判の的となる」


 世界神話で人類の創造主とされる原初の女神は、大陸国間において共通の尊崇対象である。


「折良く、私の五十の賀には諸国の要人たちが多数来訪する。根回しをするには絶好の機会となるだろう。……アルフレッド。祝賀までのおよそ四ヶ月で、必ず姫の承諾を得よ。さすればその後、お前との婚約を認めて正式に公表することを約束しよう」

「お心遣い、感謝いたします」

「これより以後、姫への面会依頼はベッティーナを通すように」

「畏まりました」


 ひと通り決着がついたことでアルフレッドが丁重に頭を下げる。だが一筋縄でいかないのが、ロドルフのディオーネに対する仮親としての愛情だ。


「もう一つ、結婚を認めるにあたり重要な条件がある」

「……お伺いいたします」

「もし、ディオーネ姫がお前との婚約を受け入れたとしよう。だが婚儀までは手を出してくれるなよ」

「……」

「本来の婚約期間とは、そうあるべきなのだからな。もしもこれを破った場合、婚約は白紙となることを肝に銘じよ」


 何か言いたげなアルフレッドが、じっ、とロドルフを見たが、ここであれこれと反論して話が元に戻ったのではたまったものではない。思わずベッティーナ譲りの目つきが鋭くなるのに対して、ロドルフの険しい顔もまた篝火の明暗で一層迫力を増したのだった。




「それは難しい話なのではないでしょうか」


 一連の報告を居室で聞いたベッティーナが、最後に出した条件についてはっきりと断じる。


「アルフレッドには体内に熱がこもる媚香の中毒症状のようなものが出ている、とおっしゃいましたよね。女性のわたくしには分かりかねますが、それは大層辛いものではないのですか?」

「……そうだな」

「神力と依り代の関係は、お互いが惹かれ合う状態になるのではないのかと推察します。現に姫は、アルフレッドを悪しく思われていないご様子」

「姫の侍女はなんと申しておった」


 祝宴後のディオーネの様子を気にして、既にベッティーナはナイアより事情を聴取していた。


「何事もなかったかのように日常生活を送られていますが、時折考え込まれては、頬を赤く染められているそうですよ」


 はぁぁぁ、と特大のため息がロドルフから漏れる。


「仮に姫が婚約を承諾されたとして、婚儀は軽く見積もっても一年後です。その間、一切触れることなく清い関係のままでいろと言うのは、二人に酷な話ではありませんか」

「一年ならば律せるはずだ」

「ご自分の婚約時代は棚に上げて?」

「うっ……」


 ロドルフは自分を正当化しようと言葉を探したがどうにも分が悪く、憮然とワインを煽った。


「分かっておる。アルフレッドの手前、格好はつけたが、男親の心とは何とも諦めの悪い厄介なものなのだよ。どうせ最後の悪あがきだ。アルフレッドが言いつけを遵守するとは思っていないし、早くに後嗣を得られるのであれば王家にとっても喜ばしいことだからな」


 後嗣、と自ら発言しておいて心がどうしようもなく暗くなるロドルフである。見兼ねて、ベッティーナがロドルフの隣に座った。


「存外にあの子は生真面目なのですよ。裏目に出ないといいのですが……あなたも本当に意地の悪い」

「ああ、そうだ。自分でも認める」


 グラスを置いたロドルフは寝衣姿のベッティーナを抱き寄せる。どこもかしこも柔らかい。


「……寂しいものだな」


 まるで大きな子供のようだと、本音を零す夫の背中をベッティーナがぽんぽんと撫で下ろした。

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