国王夫妻の意趣返し 後編
「……兄上、さすがに見過ぎです」
真横に距離を詰めてきたマリユスが小声でアルフレッドに囁く。午餐が終わり、祝宴の会場を庭園に移した時のことだ。
茶会は気軽な立食形式となっていて、庭園の奥ではロドルフとラウルがグラスを片手に談笑を始めている。ベッティーナとディオーネはデザートが並ぶテーブルの向こう側にいて、それらを対面のテラス側からアルフレッドとマリユス、テオドールが傍観するという構図が出来上がっていた。
ある程度の距離とテーブルや植栽といった遮蔽物があるのをいいことに、ディオーネに目を奪われ続けるアルフレッドはやや自失しているようにも見える。
「兄上?」
「いや、珍しくアルが見惚れる気持ちは分かるよ。あの美貌は格が違う」
反応の薄いアルフレッドの代わりに、テオドールが話を差し挟む。
「うちの妹なんかも一応、世間からは“ネヴェルネスの花”と称される程だし、それなりに整った容姿だと思っていたのだけどね」
「エミリは十分に可愛いですよ」
「うん。それ、マリの恋人としての欲目もあるから。ご側室の姫君の美しさは反則だよ。あの清楚で慎ましやかなご様子も、男なら手の内で守ってあげたくなるものだ」
「テオ」
「伯父上が寵愛なさるのもよく分かる。これまで後宮の奥に秘めていらっしゃったのは、若くて悪い虫がつかないように警戒されていたのだろうな」
「テオ、そろそろいい加減に黙りましょうか」
じろり、とテオドールの背後で睨むアルフレッドを慮って、マリユスが強制的にテオドールの会話を終了させる。事情を知らないテオドールは、ただ肩をすくめるばかりだ。
「どうしたというのだ? ……おや。ちょうど妹がご側室様にご挨拶に行くようだよ」
マリユスが振り返ると、母のリゼットに付き添われたエミリエンヌがディオーネの元へ参じる場面だった。
「お初にお目にかかります、ご側室様」
歩み寄ったエミリエンヌの、緩やかに癖のある青みを帯びた黒髪がふわりと動く。兄のテオドールが母親に似た茶色い髪であるのに対し、エミリエンヌのそれは紛れもなくネヴェルネス王家の血筋を表すものだ。ディオーネの白銀色の髪と並べば対照的であるが、そのどちらも艶やかで美しい。
「ラウル公爵閣下のエミリエンヌ姫ですね」
ディオーネが親しみを込めて微笑むと、途端にエミリエンヌは顔を輝かせた。
「どうか私のことは、エミリとお呼びください。ご側室様のことも、お名前でお呼びしてもよろしいでしょうか」
「はい。エミリ様」
「私、ずっと同い年のディオーネ様にお会いしたいと思っていましたの。あの、私とお友達になって頂けませんか」
「お友達、ですか」
正直なことを言うと、ディオーネは友達の定義がよく分かっていない。生まれ育ったカスタリア王国においても遠縁にあたる前国王の娘たちと親しく交流した記憶がなく、ネヴェルネス王国に庇護された後は限られた人間関係のなかで過ごしてきた。これまで同い年で同じような身分の、対等に話が出来る令嬢と関わる機会がなかったのである。
だが、だからといって申し出を受けるのに何ら不都合があるわけではない。ラウルに似て明るく社交的なエミリエンヌとの交友はどんなに楽しいものだろうか。ディオーネは自然と胸をときめかせた。
「はい、是非。エミリ様、よろしくお願い致します」
「嬉しい! これからは、たくさんお話ししましょうね」
ディオーネの手を取らんばかりに喜んだエミリエンヌが、今度は忙しなく、くるりとベッティーナに体を向ける。後宮の管理は王妃の義務であり、何をするにでも許可を得る必要があった。
「王妃陛下。今後は登城して、ディオーネ様をお訪ねしてもよろしいでしょうか」
「ええ。ディオーネ姫がよろしければ、わたくしは構いませんよ」
「ありがとう存じます」
溌剌としたエミリエンヌにつられてディオーネが微笑むと、カスタリア王女特有の花の甘い香りが匂って、娘たちの交流を温かく見守るベッティーナとリゼットを何とも穏やかな心地にさせた。続いてリゼットがディオーネに挨拶をする様子を眺めながら、ベッティーナはふと、庭園奥の木陰に立つロドルフに視線を向ける。
ラウルとの歓談の合間にマリユスが祝辞に訪れ、入れ替わるように今はラウルの嫡男テオドールが挨拶をしている。ロドルフの手には給仕から新たに受け取ったグラスが握られていて、未だにワインを嗜んでいるようだ。
「ディオーネ姫。テオドールの挨拶が済みましたら、陛下にお茶を差し上げて貰えませんか。そろそろワインはおやめになるよう姫が申せば、陛下も素直にお聞き入れなさるでしょう」
「では、エミリエンヌ。あなたもディオーネ姫に付き添い、父上にお茶を勧めていらっしゃい」
はい、と口々に返事をしたディオーネとエミリエンヌが頃合いを見計らって、お茶を準備したナイアを伴い、仲良く木陰へと向かう。
テオドールが辞去した後、ロドルフは弟のラウルと神力の依り代が受ける影響について議論を再開していた。媚香に襲われ、理性を失うほどの衝撃を受けるのは初見のみなのだろう。確かにディオーネと顔を合わせるごとに理性を手放していたら精神が保たない。それでも、取り繕いに長けたアルフレッドが宴の終わりには動揺を見せ始めたことから、伴侶として追い求め、希う想いは並みの恋情よりも強いのかもしれない。
「禁断症状、というものかもしれんな。あれでアルフレッドはよく御しているほうではないか、兄上」
「認めたくはないが。そのようだな」
「このまま制裁だ何だで放置しておけば、いくら我慢強いアルフレッドでも心が壊れるかもしれん。姫さんとな、そろそろ二人が本気で向き合う時期ではないのか?」
「それもこれも、アルフレッドが誠意を見せねばならぬ。……話は終わりだ。私たちの花が来た」
ロドルフの低い声にラウルが顔を上げると、視線の先には親しげに連れ添うディオーネとエミリエンヌの姿があった。お茶をお持ちしました、と鈴を転がすような声でディオーネが微笑むと、ロドルフの険しく寄せた眉が緩む。
「ベッティーナが何か申しておったか」
「陛下のご体調を、王妃陛下もわたくしも案じております」
「さて、可愛い姫には従っておくか」
お父様もどうぞ、とラウルに勧めたエミリエンヌが、お茶を嗜むロドルフに嬉々として語りかける。
「伯父様。私、ディオーネ様とお友達になりましたの」
「それはディオーネ姫も嬉しいだろうな」
「はい。わたくしも今後のエミリ様との交流が楽しみです」
素直で可愛いディオーネと天真爛漫なエミリエンヌの様子に、ロドルフとラウルは目尻を下げる。他愛のないやり取りを続けて空気が和んだところで風に舞い、ディオーネの頭上にひらひらと降りてきたのは白い小花だった。
「あ……」
「どれ、取ってあげよう」
その滑らかな白銀髪に手を伸ばしたロドルフは、ディオーネの背中越しに遠くからこちらを凝視しているアルフレッドの存在に気づいている。にやり、と内心では勝ち誇った顔をして、ディオーネの頭からそっと花を取り除いた。
「おい、兄上」
「……? 陛下、ありがとう存じます」
「何のこれしき、容易いことだ。この可憐な花は何という名だったかな」
ディオーネが両手を合わせると、手慣れた仕草でロドルフがその白い花を乗せる。内情を知らない者の目には、国王とその寵愛を受ける側室という噂通りの麗しい光景としてよく映えた。
「白雲木、ですね。カスタリアでも見かけます」
「そうか、白雲木か。姫は博識であるな」
「小さくて可憐で、昔から好きな花なのです。陛下、今日の思い出に頂いてもよろしいですか」
「ああ、構わぬぞ」
まぁ、とエミリエンヌが一見すると甘いやり取りに頬を赤く染める。恐ろしいほどに上機嫌なロドルフの心に潜む悪い顔をディオーネもエミリエンヌも感知することなく、ただラウルだけが口の端を引くつかせていた。
一連のやり取りをばっちり目撃したのは、少し離れた場所に立つアルフレッドも同じだ。それも見せつけるような視線を向けられたことから、ロドルフがわざと自分の感情を煽り立てていることは明白である。
「……アル。アルフレッド」
「何だ」
元々が自失気味だったところに見せつけられたのだ。呆然としていたアルフレッドは、テオドールからの複数回の呼びかけでようやく我に返った。
「そろそろこの茶会も終わる頃合いだ。ご挨拶に行かなくてもいいのかい」
「……」
「アル、陛下と何があったのだ。今の体調不良と関係があるのか?」
ぶすっとしたまま不機嫌だったアルフレッドが僅かに瞠目する。
「……知っていたのか」
「まあ、あれだけ毎日一緒にいればな。アルの体調が日に日に悪化していることも、陛下から謁見を拒まれていることも気づいているさ。先ほど陛下はアルの体調を心配されていたし、思うほど陛下のご心証は悪くないのかもしれないよ」
あの嫌味な視線だ。それはない、とアルフレッドの直感が訴えた。多分に賢いテオドールであるが、一枚も二枚も上手な父から何らかの情報を聞き出すためにうまく丸め込まれたのだろう。
そう、ネヴェルネス王国中興の賢王と評される父は、なかなかに狡猾で腹黒いのだ。その意思に反するものを望むのであれば、全てを投げ打つ覚悟で対峙しなければ意味が無い。
「今は挨拶に行かない。次に父上とお会いする二人だけの機会に、改めて全てを伝えようと思う」
そして恐らく、ディオーネを諦めろととどめを刺されるのだ。それでも構わない。自分が諦めなければ済むことだから。
「アル、体調のほうは侍医を呼ばなくても良いのか?」
「体に熱がこもりやすいだけで、病ではないのだから問題ない」
「……そうか」
これ以上、アルフレッドは何も言わない。アルフレッドを信用するテオドールも追求をやめて、いつか仔細を打ち明けてくれる日を待とうと決めた。
「それでは御前を失礼いたします。母上、叔母上」
マリユスが辞去の挨拶を述べて立ち去ると、徐に扇を広げたリゼットが肩越しにベッティーナに囁いた。
「王太子殿下が随分と姫を眺めておいでですね」
宴でのリゼットの態度から、もしや、という予測が済んでいたベッティーナは、さほど驚くことなく事実を受け入れる。
「おや、リゼット殿はご存じでしたか」
「ラウル殿はわたくしに隠し事が出来ませぬゆえ。……姫のご事情は四年程前から全て知っております」
「これは、力強い味方が身近にいたものです」
ふ、とベッティーナが口元を緩める。
現宰相の娘で軍部の頂点に立つ王弟ラウルの正妻リゼットは、昔から男勝りな令嬢として有名だった。率直に物を言う性格だが口は硬く、度胸がある。十分に信用に足る人物だと、長年の付き合いからベッティーナは理解していた。
「ディオーネ姫は本当に愛らしい方ですわね。両陛下がお可愛がりになるのもよく分かります。……王妃陛下はこの先、若いお二人をいかがなされるおつもりですか」
そうですね、と思案するように言葉を繋いだベッティーナの琥珀色の瞳が、自失から我を取り戻したアルフレッドの姿を捉える。
「わたくしは本日をもって事態の収拾にあたる所存です。アルフレッドも十分、煮え湯を飲まされたことでしょう。媚香がきっかけであったとしても、ディオーネ姫に対する想いが本気だということも分かりましたので。あとは国王陛下のお心次第ですね。父親代わりとして過ごしてこられた四年間の感情に、どう折り合いをつけられるかだと思います」
ベッティーナの意見を支持するように、リゼットは頷いた。
「娘に対する男親の心情とは、少々厄介ですからね」
「誠に、その通りなのですよ」
ロドルフとアルフレッドがどのような形で雪解けを迎えるのか、この時点でベッティーナにはまだ予想がつかない。ただ、この先どんな未来を二人が選択しようとしても、万事が国とディオーネにとって最良となるよう誘導するだけだ。
そして事態は、無事に祝宴を終えたこの日の夜に動くのである。
ベッティーナの部屋で過ごすロドルフの元に、何やら物言いたげな女官長が近づいてきた。
「どうした、エマ」
「ご夫婦でお寛ぎのところを申し訳ありません。侍従長のオーバンが大層困り果てておいででして。ただ今、火急の用件があると王太子殿下ご本人が陛下のお部屋の前でお待ちでございます」
ほう、とロドルフが軽く目を見開く。
「少しは落ち込んでいると思ったが、意外と早かったな」
「陛下、いかがなさいましょう」
「火急という程ではない。後日でもよかろう」
「ですが、謁見はならぬ、のひと言では、今夜ばかりは王太子殿下もお引き下がりにならないのではないでしょうか」
女官長に諭され、ロドルフは事態を静観する妻に視線を移す。永久に引き延ばしたい案件ではあったが、決断の時が迫っていた。
「……よかろう。今宵はもう遅い。改めて明日の夜、星弓の丘で待つ、とアルフレッドには伝えろ」
「畏まりましてございます」
遅くなりました!
お読みいただき、ありがとうございます。
次話はいよいよ、ロドルフとアルフレッドの直接対決です。
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