国王夫妻の意趣返し 前編
緻密な彫刻が施された天井に、国章入りのタペストリーが掛けられた壁。大理石の床には幾何学模様の重厚な絨毯が敷かれ、その濃紺と白を基調とした広間は国賓の歓迎の際にも使用されることから、格式高い調度が品よく並べられている。
濃く深い青を示す深縹色はネヴェルネス王国が国旗に掲げる色であり、白は世界信仰の頂点に立つ原初の女神を象徴する色である。
正装にこそ及ばないが十分華やかな準礼装に身を包んだアルフレッドは、同じく準礼装のマリユスと途中で落ち合い、共に侍従を連れて祝宴の会場へと足を運ぶ。
口の中が酷く渇いて仕方がなかった。それでも弟に取り留めのない話題を繰り出すのは、緊張を紛らわす為でもある。
「こうして身内が集まるのも久しいな」
「夜会などでは顔を合わせますが、内々にとなると確かにそうですね」
「それも晩餐ではなく午餐会とは珍しい」
「どうやら、食事の後に庭園で茶会を催すそうですよ」
「そうか……」
祝宴後の茶会の席であれば、多少は自由に動けるだろうか。ならば祝辞を述べるようにしてそれとなく父に近づき、今日こそは個人的な面談の約束を取り付けたいとアルフレッドの気持ちは逸る。
やがて広間に通されると、既に到着の叔父一家の姿がそこにはあった。庭園を一望できるテラス側の窓辺に集まっていたところをテオドールだけが離脱して、従弟たちにそっと耳打ちをする。
「二人ともテーブルを見たか?」
ちらり、と兄弟それぞれが一瞥し、先に反応を示したのはマリユスだ。
「椅子が一脚、多いですね」
そのまま窓辺に視線を移せば、両親の近くに控えるエミリエンヌもまた、出席者と座席数の不一致に気がついているようである。珍しく心もとない顔で首を横に振る様子から、事情通の彼女をもってしても情報は掴めていないらしい。
ひとまず、根拠は何もないが大丈夫だよという意味を込めて、マリユスはにこりと恋人に微笑んで返す。実際には国王ロドルフの生誕五十年を祝う身内の宴であり、この場にそぐわない人物が招かれているとは思えなかった。
かと言って、まさか、という推論には誰も辿り着かない。そのゆとりもないまま宴に侍る侍従たちから着席を促され、早々に国王夫妻の来駕が告げられたからだ。
参加者の視線が集まるなか、広間の両開きの扉が開かれる。本日の祝宴の主役である国王ロドルフが王妃ベッティーナをエスコートして正面中央に届けると、少し待つように皆に告げ、その足で扉の外まで取って返した。
親しい身内のみが集まる内輪の宴とはいえ、正式な午餐や晩餐の場で国王が軽々しく動くというのは非常事態に等しい。何事かと四人の若者たちは固唾を呑んで見守った。
その一瞬後、全員の時が止まる。
再び姿を現したロドルフがエスコートするのは、桁違いに麗しい一人の令嬢である。伏し目がちでも分かる整った顔立ちに、気品が溢れる所作は楚々として慎ましい。何よりも白銀色に輝く美しい髪は、原初の女神の末裔とされるカスタリア王族にしか発現しない固有のもので、言わずと知れたロドルフの幻の側室であることは誰の目にも瞭然だった。
共に正面中央まで案内されたディオーネのドレスがふわりと翻る。若草色の布地に乳白の薄布を何枚も重ね合わせたようなドレスは、上半身に可憐な花の刺繍が立体的にあしらわれていて、ベッティーナの次に豪奢な仕様と言えた。
加えて若草色はロドルフが好む色の一つであり、その寵愛の度合いが手に取るように分かる。皆と足並みを揃えて起立したアルフレッドは、なるべく感情を押し殺すようにして、離宮での出会い以来となる愛しい姫をひたすらに見つめた。
ベッティーナとディオーネを左右に置いて正面に立つロドルフが、一堂に会した面々を見渡し上機嫌に口を開く。
「本日は、私の五十の祝いに集まってもらい感謝する。この祝宴を開催するにあたり、王妃と私の姫が殊に気を配ってくれてな。こうして皆が集まる佳き日に、思い切って姫を披露することにした」
さあ、とロドルフに促され、これまで一貫して伏し目がちに控えていたディオーネが顔を上げる。
「皆様に御目文字叶い、嬉しく存じます。ディオーネと申します。今後ともお引き回しのほどを、よろしくお願いいたします」
微量だが花の香りがふわっと溢れて、宝石のように煌めく濃紫の瞳がこの場にいる者を等しく魅了する。同い年のエミリエンヌがようやく会えた喜びから満面の笑みを浮かべるのに対し、女性慣れしているはずのテオドールは顔を赤面させて息を呑み、マリユスは絵画から抜け出たような姿形のディオーネをただ茫然と眺めるしかなかった。
そんな最中、唯一アルフレッドだけが無表情を貫き、傍目からは何の動揺もしていないかのように取り繕っている。誰もがディオーネに気を取られている間に、一瞬だけ笑みを消したロドルフは鋭い視線をアルフレッドに向けた。
「……っ!」
その目線の含むところを理解できないほど、アルフレッドも鈍感ではいられない。やはり父は離宮での秘め事を知っているのだと、度重なる謁見申し出の拒絶理由をはっきり確信するのだった。
だとすれば、この時機でディオーネを披露するのは自分への当てつけに他ならない。アルフレッドは両手を拳にして強く握りしめた。ちりちりと胸の奥が焼け焦げるようだ。
兄上、落ち着いて。隣に立つマリユスがアルフレッドの動向に気を揉む。一体、兄は姫君に何をしでかしたのだろう。テオドールやエミリエンヌはうまく騙されているようだが、上機嫌に振る舞う父も、普段からあまり表情を変えない母も、この上なく兄に激怒しているではないか。
不安に駆られたところでベッティーナと目が合い、気圧されたマリユスは思わず視線を逸らしてしまう。兄の味方をするのかと責められる心地がして、その背中にぞわぞわっと悪寒が走った。
ほほほ、と優雅な声が広間の雰囲気を変えたのはこの時だ。
「このように美しい姫を今までお隠しだったとは、陛下も隅には置けませんね」
親子間による水面下での心理戦を知ってか知らずか、老宰相の娘で筆頭公爵夫人のリゼットがロドルフに声をかける。ラウルも妻に追随する形で、宴の初っ端から飛ばしすぎる国王夫妻を牽制した。
「姫さんの席はこちらかな。陛下、そろそろ午餐を始めましょうか」
「うむ、そうだな」
「皆さま方、どうぞご着席を」
ベッティーナの合図で担当の侍従らが椅子を引き、それぞれが席に着く。
席順は事前にディオーネが教えられていた通り、長方形のテーブルの短辺にあたる正面に国王ロドルフ、ロドルフから向かって左の壁側に王妃ベッティーナ、王太子アルフレッド、第二王子マリユス、公爵令息のテオドールが座り、対する窓側の側面に国王側室のディオーネ、王弟公爵ラウル、公爵夫人リゼット、末席に公爵令嬢のエミリエンヌが並んだ。
招待客を代表して年長のラウルがロドルフを言祝ぐと、いよいよ宴の始まりである。
一品目の食事が供されるにあたり、ディオーネは思わず目を丸くする。給仕に控える女官のなかに、揃いのお仕着せを身につけたナイアの姿を捉えたからだ。
どうしても当日は不安定になるだろうディオーネの心の支えとして、ベッティーナが密かに手を回したのだが、ナイアとしてもアルフレッドを間近で見定めたいという思惑から二つ返事で引き受けた経緯がある。何にせよ二人の心遣いがディオーネは嬉しい。
「陛下。ディオーネ姫はカスタリア王国の王族と聞き及びましたが、大層尊いお血筋のようにお見受けいたします。どのようなご出自か、詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか」
リゼットの質問に頷いたロドルフが口を開く。
「ディオーネ姫は先々代のカスタリア国王を父に、王妃を母に持つ惣領姫でな。皆も知っての通り、カスタリア王家は世界を創造したと言われる原初の女神の末裔にあたる。姫は女神の血を濃く受け継ぐ、至高の存在なのだよ」
「まあ。それではディオーネ姫は、一国の王女殿下であらせられるのですね」
リゼットの合いの手に補足を入れたのはベッティーナだ。
「カスタリア王国は女王もお立ちになる国。ディオーネ姫は直系の王女として、第一位の王位継承権をお持ちです」
「皆、くれぐれも姫を粗雑に扱ってはならぬぞ」
ロドルフの念押しに、食事の手が止まったあちらこちらで息を呑む気配がする。カスタリア王族の傍系の姫という公式発表を鵜呑みにしていた面々からしてみれば、まさに晴天の霹靂であったが、なるほど、実際に目の前にしてみれば傍系の取るに足りない血筋の姫だというのが信じがたいほどのディオーネの存在感である。
やはりそうであったか、と最も得心しているのは寡黙を貫くアルフレッドだ。食事の合間を縫って密かに斜め向かいの様子を伺うものの、ディオーネと目が合うことはない。どうやら次々と運ばれてくる皿にも少しカトラリーをつけただけで、殆ど食が進んでいないようだ。
顔つきは少し痩せたか。体調が悪いのではないか。そこまで心配したところで、元凶が己であることに結びついてアルフレッドは自嘲する。
「姫さん、大丈夫か」
祝宴が進むにつれ、隣に座るラウルが小声でディオーネを気遣った。
「はい。王妃陛下から、貴重な教訓を頂きましたので」
「教訓?」
「……皆様を、野菜だと思えと」
「はは。何だ、それは。義姉上が提案したのか」
「特別に気を配っていただいたのでしょう。色んな野菜が思い浮かんでしまいます」
「俺もか?」
「それは内緒です」
少しばかり、ディオーネの表情が緩んだようだ。それに気がついたロドルフが、手に持つグラスを置いてラウルに声をかける。
「お。我が姫と何の話をしているのだ」
「いや、兄上。大したことではありません」
「そう親密そうにしていると、弟に嫉妬してしまいたくなるな」
ざわっ、と驚愕する一同とは対象的に、ディオーネが可憐に微笑んだ。
「陛下。あまりお酒に酔われては、お体に障りが出ますよ」
「この程度では、まだ酔ってはいないさ」
「ふふ。先日のお風邪を召された時も、そうおっしゃられていました」
「あー、あれはどうしても、姫とバルコニーに出て夜景を見たくてだな」
ごほっごほっ、と末席のテオドールが飲み物を喉に詰らせてむせ返る。突然の惚気とも取れる会話にどう対処すればよいのか。尤も、恋愛話が好きなエミリエンヌの目は輝いているのだが、全くこれに動じないのは公爵夫人のリゼットくらいだ。
「まあ。世間の噂の通り、お仲のよろしいですこと」
それは何気ない発言だった。にもかかわらず動揺したアルフレッドの手から、からん、とカトラリーがテーブルを掠めて絨毯の上に落ちる。この時、ほんの一瞬であったが、心配そうに眉をひそめたディオーネとアルフレッドの視線が僅かに交差した。
「……失礼しました」
冷静を装いながら新たなカトラリーを受け取ったアルフレッドが歯を食いしばる。御せない感情が波立つ。ちりちりと焼け焦げるものが今や全身のあちこちに飛び火して、体が異様な熱を宿しているようだ。
辛くて、苦しい。これが重症と呼ばれる恋の病であるのならば、お前のものではないと突きつけられたことで更に悪化でもしたのだろうか。そうとしか思えないほど、アルフレッドの恋い焦がれる心は乱れに乱れていた。
こうした息子の逐一の反応をロドルフとベッティーナは見逃さない。媚香が依り代に与える影響をじっと眺めて裁定するのだった。
お読みいただき、ありがとうございました!
次話は、後編のお茶会場面です。




