秘密の三者会談
さて、カスタリア王国外におけるディオーネの媚香は今後、アルフレッドにしか作用しないのではないか。出した結論を証明するのに最も簡単な方法がある。
もう一度、ディオーネとアルフレッドを引き会わせれば良いのだ。
当然ながら、二人きりで対面させて離宮の二の舞いに繋がりかねない事態を招く謂れはない。判定者として、或いは監視者としての衆目があるなかで、おいそれとアルフレッドが手出しできない環境を再会の場に整える必要があった。
「なるほど、陛下の五十歳を祝う内宴ですか」
侍従長オーバンを呼んでの検証から数日を経たある日のこと、ロドルフの居間に再び集ったベッティーナが全てを理解したというふうに頷く。一を聞いて十を知る妻の反応は素晴らしい。ロドルフが満足気に嗤うと、もう一人の来訪者である弟に視線を向けた。
「以前、王妃から提案があったのだ。国を挙げての祝賀の前に身内だけで集まり、内々に祝宴を開いてはどうかと」
「それは是非にと言うところであるが、祝宴と姫さんの今回の件がどう関係するのだ?」
「姫の媚香が闇雲に発動しないということは、誰の前にも立てるということ。……身内が揃う宴で、姫を皆に紹介しようと思う」
驚くラウルが、ネヴェルネス王家特有の茶色い目を見張った。
「そうか、ついに、か。うちの娘なんかは、姫さんに会える日を心待ちにしているから喜ぶと思うが……依り代を証明する為とはいえ、姫さんのほうはアルフレッドに会わせて大丈夫なのか」
「私とて、いつまでもこのまま手の内で守ってやりたい。だがそれでは姫の為にならぬ」
「それもそうだが」
音も立てず、三人が囲むテーブルに女官長がお茶を給仕する。それぞれがカップを手に取って一息ついたのち、まず初めに口火を切ったのはベッティーナだ。
「ディオーネ姫は聡いお方です。推論を裏付けるためにはどう動けばよいのか、既に覚悟はされておられましょう。陛下。宴の準備、及び姫への打診はわたくしにおまかせ下さい」
「そうしてくれると有り難い」
「義姉上がそうおっしゃるのであれば、姫さんは安心ですかな。となると当日の問題は、アルフレッドに媚香の効果がどう現れるか……」
ラウルが途中で口を噤まざるを得なかったのは、目の前で向かい合わせに座る兄夫婦が同時に、ふっ、と一癖も二癖も含めた黒い笑みを口元に浮かべたからである。
「アルフレッドへの媚香の影響など、些末なこと。極端に申せば、生命が脅かされない限りどうでも良いのです」
「義姉上?」
「確かにな。選ばれた依り代である以上、命に関わるほどの影響は出ないはずだ。検証さえ済めば全くもってどうでもいい」
「兄上まで、どうしたんだ?」
不穏な空気の流れに警戒するラウルをよそ目に、ロドルフは軽く世間話でもするような調子でベッティーナと語り合う。
「内宴で姫の披露はする。だがそれは国王の側室……私の寵姫としてだ。さて、アルフレッドはどう反応してくるかな」
「腑が煮え返る思いでしょうね。どこまで澄ました顔でいられるか、見ものですこと」
「ははっ、人のものに勝手に手を出すとはどういうことか、心の底から敗北を味わえばいい」
「ええ。貴方との仲を存分に見せつけて、姫を泣かせた報いは受けてもらわねばなりません」
空恐ろしい計画を練りながら優雅にお茶を嗜む国王夫妻に、ラウルはおいおい、と心の中で突っ込みを入れた。
つまり言い方は悪いが、相当に焦らされているだろうアルフレッドに対し、ロドルフとディオーネの絆を一方的に見せびらかそうとしているのだ。今や押しも押されぬ大国となったネヴェルネスの頭脳とも言える兄夫婦にしては、あまりにも稚拙に過ぎないだろうか。
「媚香の証明とはあくまでも表向きで、意趣返しが本来の狙いなのだな。だがアルフレッドの心が折れてしまったら元も子もないぞ」
「建前は大事だからな。心が折れて姫を諦めるのならば、それまでの男だったというだけだ」
「とは言うが、兄上。本来は姫さんをアルフレッドの正妃にと考えていたのだろう? ちょっとばかり手順を誤っただけで、結果的には変わらないではないか。媚香が作動したのだ、程々のところでアルフレッドを許してやってはどうだ」
「ほう?」
ロドルフの目が、鋭利な刃物のように怪しく光る。
「それでは何か。仮にエミリエンヌ姫が婚儀はおろか婚約も待たずして、あまつさえ同意をするでもなくマリユスから手を出されたと知っても、お前は既定路線だから仕方がないと寛容な心で許すのだな」
「それはもう、殴り倒すだけでは済まないな」
即座に反応を示したところで、うっ、とラウルが気まずげに口髭を掻く。
「つまりな、そういうことだ」
「……そういうことだな、理解した。来たる宴で、私はどうすれば良いのだ」
「何も。素知らぬ顔で、ただ食事と会話を楽しんでおれば良い」
「それでいいのか。義姉上はどう思われますか」
そうですね、と相づちを打つベッティーナが、手に持つカップを静かに置いた。
「宴での席次を考えますと、ラウル殿とディオーネ姫は隣同士になるかと存じます。何か姫がお困りの際には、それとなく手助けをお願いできますか。参加者の半数は姫とは初対面です。皆からの視線避けにもなって頂ければ幸いです」
「了承しました。後はまあ、多少はアルフレッドに手心を加えてやってください」
「稚拙であろうと、殴り倒すよりはよっぽど平和的です」
「はは、そうですね……」
これは夫婦共に手加減をする気はないな、とラウルが諦観したところで、ロドルフが会合の解散を告げる。珍しく真っ先に椅子から立ち上がったのはベッティーナで、優美な所作ながらも動きは素早い。
何か急ぎの要件でもあるのかと尋ねる夫に、ベッティーナは心持ち得意げな顔を向けた。
「ディオーネ姫が執務を補佐すべく、わたくしの部屋でお待ちなのですよ。祝宴の日取りにつきましては後ほど、改めてご相談させて頂きます」
ネヴェルネス王城には、個別に王妃の執務室というものは存在しない。歴代王妃の職掌に書類決裁といった国務は含まれていなかったからだ。
それをベッティーナが王妃に冊立されて以降、国王の補佐という形で一部の権限を譲り受け、常時における王妃の公務として確立させた。おかげでロドルフは新たな国家事業に着手することができ、建国以来となる最大の繁栄を現在のネヴェルネス王国に築き上げたのである。
その陰の立役者とも言えるベッティーナは、可能な限り次代にも同じ執務を引き継いで貰いたいと考えていた。
「お帰りなさいませ、陛下」
「お待たせしましたね、ディオーネ姫。……おや、あちらは」
執務机の手前でベッティーナを出迎えたディオーネの後背には、大きめの花瓶に色とりどりの花が活けられている。
ディオーネが後宮の庭で手ずから摘んでくれたというその花々は、どれもが華やかすぎず楚々とした花冠の品種ばかりで、その絶妙な色の掛け合いが微かに匂うディオーネの香りと相まって、ベッティーナの心を穏やかに落ち着かせた。
その間にも留守を任せていた女官たちから話を聞いた女官長が、ベッティーナに纏めて報告を上げる。
「陛下よりご指示のあった執務は、全てお済みだそうでこざいます」
「そうですか。姫、ご苦労様でした。美しい花々にも癒やされましたし、ありがとう存じます」
「いえ、とんでもございません」
照れたようにはにかむディオーネの白銀色の髪を、ベッティーナは優しく撫でた。
当初は、執務の補佐と称して少しずつ王妃の仕事を理解してもらえたらという思惑のもと、一年ほど前から始まったディオーネの手伝いであるが、今ではすっかり貴重な戦力として頼もしい。今後のネヴェルネス王国に無くてはならない存在だと、改めてベッティーナも認めるところである。
「ディオーネ姫。今後のことで、折り入って話があります」
「お伺いいたします、王妃陛下」
ディオーネは既に何らかの覚悟を胸中に秘めているようだ。それを好ましく思うベッティーナは、応接用の長椅子にディオーネを誘導して横並びに座らせると、先程の会談で取り決めた内容を慎重に吟味しながら告げた。
「国王陛下の五十歳を祝う式典が、約五ヶ月後に迫っていることは姫もご承知のことと存じます。それに先立ちまして、身内だけで内々に祝宴を催すことになりました。その準備を姫にも手伝って欲しいのです」
「勿論でございます。国王陛下のお祝い事に携われますことを、大変嬉しく存じます」
「では主催者の一人として、私と共に宴に出席して下さいませんか」
「……え?」
軽く見開いた紫色の瞳が揺れる。極力、動揺させるのは最小限で済まそうと考えたベッティーナは、宴では国王の側室という立場でアルフレッドと顔を合わせることになること、徒らにディオーネの心の傷に触れるのは本意ではないが、媚香の検証が第一の目的であることを説明し、アルフレッドへの仕置きといった裏事情は一切を心の内に留めることにした。
正直に全てを話したところで、ディオーネは反対するだろう。アルフレッドを庇い、気に病むことは目に見えている。
この一瞬の間をディオーネはどう捉えたのか。逆に気遣うような表情で、いつもの、離宮から帰ってきてよく見せる割り切ったような微笑みを浮かべていた。
「陛下。どうぞわたくしのことは、お気になさらないで下さい。むしろ国王陛下の大事な祝宴をわたくしごとで利用する形となってしまい、申し訳ない思いでございます」
「国王陛下もお認めになったことです。姫が気にする必要はありません。それよりも」
隣に座るディオーネの両手を、ベッティーナが優しく拾い上げる。
「宴の参加者で事情を知る者は皆、姫の味方です。忘れよ、などとは申しません。ただ心を平静にして、姫はそこに居るだけで良いのです。あとは周りの者たちがどうとでもいたします」
「……初めてお目にかかった幼い日にも、陛下はそうおっしゃってくださいましたね」
あとは周りの者がどうとでもする。その頼もしいベッティーナの言葉に支えられて、右も左も分からなかったネヴェルネス王国で安心して示された道を歩いてこれたのだ。
そして今まさに、大きな転換点が迫ろうとしている。そこへ踏み出す一歩は、せめて自らの決意をもって臨みたい。もはや涙を浮かべる兆候もないディオーネの瞳に、宝石のような輝きが戻った瞬間だった。
ひと区切りとばかりに、ベッティーナが執務机へと向かいペンを取る。やがて一枚の書き付けを持って長椅子に戻ってきた。
「当日の席次表は、このようになるかと思います」
食事が供される長方形のテーブルを囲み、正面奥の短辺の席に国王ロドルフ、出入り扉より遠い側面に王妃ベッティーナ、王太子アルフレッド、第二王子マリユス、王弟公爵家嫡男のテオドールが上から順に並び、その対面に国王の側室ディオーネ、王弟公爵ラウル、公爵夫人、そして一人娘のエミリエンヌと、美しい手跡で名前が書き連ねられている。
じっ、とその図解を見つめるディオーネの視線の先には、アルフレッドの名前があった。
「アルフレッドは姫の斜め向かいの席となります。不安はありましょうが、姫の隣に座るラウル殿が助力を約束してくれました。あとは、そうですね。わたくしより左にいる者たちとは目を合わせず、いない者として扱うか、野菜にでも見立てると良いかもしれません」
「野菜、ですか」
皓々としたカスタリア南部の田畑を思い起こしたディオーネの脳裏に、図らずもそこで見た様々な種類の根菜や葉菜が浮かんでは消え、ついには、ぷっ、と吹き出してしまう。
「いけません、陛下。当日も思い出して、笑ってしまいそうです」
「ええ。その意気で参りましょうか」
ふふふ、と無邪気に笑うディオーネを見て、ベッティーナは密かに胸を撫で下ろした。やはりディオーネには心からの笑顔がよく似合う。
この笑顔を守るためなら、打てる布石に労力を惜しむ事はない。この日の夜、ディオーネの侍女ナイアを私室に呼び出したベッティーナは、口外禁止とした上で意趣返しも含めた全ての計画を周到に打ち明け、ナイアの助力を勝ち取るのだった。
未だ父への目通りが許されず、手をこまねいていたアルフレッドの元にロドルフの五十歳を祝う内宴の招待状が届いたのは、それから半月後のことである。
お読みいただき、ありがとうございました!
次話、いよいよ身内の祝宴です。




