神力の依り代
夜も七時を過ぎ、ネヴェルネス王城は新月の闇に包まれている。
妻の居室でロドルフは珍しく緊張していた。間もなく訪れる予定のディオーネとは、久方ぶりの対面である。
ベッティーナからの逐一の報告で療養が功を奏したことは知っているが、何しろ不調の原因となる無体を働いたのは己の嫡男だ。ましてや、心に寄り添うことも出来ない男親としてどのような顔で再会を果せば良いのか、不安がないと言えば嘘になる。
だがロドルフの心配は杞憂に終わった。だいぶ血色の良い顔つきで現れたディオーネが、ロドルフの姿を見つけるなり、やんわりと微笑んだのだ。
「陛下。ご心配をおかけしました」
「うむ、姫が復調して何よりだ」
自然に会話が始まり、目を細めたロドルフの隣でベッティーナがそっと言葉を添える。
「食事も摂れるようになりましたし、健康の面での心配は必要ないでしょう」
「そうか、それは良かった」
それでも離宮に出発する以前と比べると、少し痩せたディオーネの風貌だ。テーブルを囲んでそれぞれがお茶に口をつけたところで、本題とばかりにロドルフが涼やかな顔立ちを曇らせた。
「ディオーネ姫。此度は済まないことをしたな」
「陛下。既に王妃陛下からもお詫びの言葉を頂いております。これ以上のお気遣いは無用です」
「姫……」
割り切れるものだろうか。この純真で心根の美しい姫が。だが胸のうちはどうであれ、ディオーネが一国の王女としての矜持をもって前に進むと決めたのであれば、ロドルフもまたそれを一国の王として受け入れなければならない。
委細を飲み込むようにロドルフが深く頷いた。
「姫は、強いのだな」
微笑するにとどめるディオーネを、ベッティーナが優しい眼差しで見守る。こうして三者三様、それぞれが離宮での秘め事に折り合いをつけたのだった。
「一度、お茶を入れ替えましょうか」
機を見たベッティーナの計らいにより、女官長が手慣れた上品な仕草で給仕をする。
明日の午後一番に時間を作るので、改めて自分の居室に集まって欲しい。ロドルフがそう言い出したのは、ある程度の会話が広がり、三人での歓談に終わりが見えた頃だ。
「……陛下。もしもわたくしの進退についてでございましたら、カスタリアへと戻る覚悟が出来ております」
「何のことだ、ディオーネ姫」
予想だにしなかった発言に、ぎょっとしたロドルフが身を乗り出してディオーネに問う。首を傾げる拍子に、いつもの芳しい花の香りがほんのりと漂い出した。
「これまでのご恩を仇で返すような行いはしたくありません。わたくしの存在がネヴェルネス王家の厄災に繋がるのであれば、ご遠慮なく申し付け下さいませ」
「それ以上は言うてはならぬ。姫を放逐して日和見するような、情けない国王になど成り下がるつもりはない。そうではなく、日を改めて一つ確かめたいことがあるのだ」
気のせいかもしれぬがな、と続けたロドルフの視線を辿り、ベッティーナもまたディオーネを見つめる。だが夫が何をどう判断したのか、見当もつかない。
「何事かありましたか、陛下」
「ふむ、女性陣には分からぬか。確かなことは明日、実証してみなければ何とも言えぬ」
ディオーネの体から滲み出る花香は、神力を持つカスタリア王女の証でもある。その質が今までと異なる、とでも言おうか。今夜になって違和感を覚えたのは一度や二度ではない。そうなると、どうも気のせいでは済まない確率のほうがロドルフには高いように思えた。
「エマ、聞いての通りだ。明日は姫の他にも関係者を呼び揃えるように」
「畏まりました」
女官長が唯々諾々と頭を下げる。ディオーネを殊更に不安がらせないようロドルフが笑顔を差し向け、偽お渡りに伴う今宵のささやかな茶会は終了となった。
翌日の午後である。朝議を終えた国王ロドルフの居室に集う面々は、王妃ベッティーナと仮の側室ディオーネ、その侍女ナイア、護衛責任者のミラベルと四年前の布陣に変化はない。それだけ情報統制が取れているという証だ。
やや離れて、女官長エマがお茶の準備に取りかかる。手伝います、と横に並んだナイアが茶器を扱い始めたところで、ばんっ、と手荒に部屋の扉が開いた。
「すまない、兄上。少々遅れた」
衆目を集めて最後に入室したのは王弟のラウルである。どうやら急ぎ足で王城の最奥まで闊歩したらしく、弾む息のまま空いている椅子に腰を下ろした。
「いや、ちょうど揃ったところだ。用事で城外に出ていたのであろう? 急がせたな」
ロドルフがカップに口をつけたのを見て、女官長から差し出されたお茶を一気に飲み干したラウルは、持ち前の体力ですぐに回復してハハハと豪快に笑った。
「軍部の部下は優秀だからな。残りの仕事は思う存分、ぶん投げてきたから大丈夫だ」
思う存分とは一体、どれ程の無茶振りであろうか。今頃はげっそりしているだろう同僚たちの顔が事も無げに浮かんできて、ミラベルはもぞっと体を引くつかせた。部下の反応に薄ら笑いを浮かべながら、ラウルは視線をベッティーナとディオーネのほうへ向ける。
「義姉上におかれましては、お変わりないようで何よりです。姫さん、会うのは久しぶりだな」
「はい、ラウル様」
再会を喜ぶディオーネに、昨晩のうちに兄から事情を知らされているラウルは憐憫の情を覚えたが、本人に悟られるような下手は打たない。一瞬後にはいつも通りの飄々とした態度で顎髭に手を当て、右に左にディオーネをしげしげと眺めた。
「どうだ、ラウル」
「うーん。おそらく兄上の言う通りだと思う。だがこれまで慎重を期してきた事案だ、博打をするよりも難しい」
「そうだな」
一拍置いて、エマ、とロドルフが女官長を近くに呼び寄せる。
「侍従長をこの場に連れてくるように」
「……よろしいのですか、国王陛下」
暗に、ロドルフとラウル以外の男性をディオーネに会わせて良いのか、と正面に上げた顔が問うている。
「致し方あるまい。もし推測が外れたならば、オーバンには後で私が心を尽くして詫びる」
侍従長という職業柄、基本的には命令に忠実で嘘偽りを吐くことがない。加えて十代の頃からの長い付き合いで御しやすく、後々、うまく言い含めることも可能。となれば、やはり人選は彼で間違いないだろうと、組んだ片膝の上を指先で叩きながら思案するロドルフである。
「お呼びして参ります」
「あの。陛下、それでは侍従長が……」
「なに、姫には何の責任もないことだ。案ぜずとも良い」
そうこうする間にも、近くの小部屋に控えていた侍従長をエマが連れて戻ってきた。年齢はロドルフより幾分か年上なのだろう。いかにも内官らしい痩せ型の体格に、きっちりとお仕着せを着こなしている。
状況を把握しようと、ひと通り室内を見渡したオーバンは、そこに白銀髪の姫の姿を認めて即座に頭を下げた。
「これは! ご側室様が同席とはつゆ知らず、大変失礼をいたしました」
「よい、私が其方を呼んだのだ。こちらに来て、隣に立て」
「はい」
「ディオーネ姫。これは私に長く仕える侍従長のオーバンだ」
侍従長としてロドルフの身の回りの世話をするオーバンは、ベッティーナにおける女官長と同等の立場だが、男性である以上、多分に漏れずディオーネと対面した事は一度も無い。勿論、神力や媚香といった事情は知らされておらず、側室の姫君に目通りが叶わないのはロドルフの寵愛の深さ故と、世間への公表を信じて疑わない一人である。
それが唐突に、ロドルフ直々にディオーネを紹介されるものだから、さしもの侍従長も目を白黒させた。
「ディオーネと申します。以後、良きようにお取り計らいください」
「何と勿体なきお言葉でございましょう」
顔を上げた侍従長とディオーネの視線が難なく交わる。ラウルが手に汗握る思いでそれを見届け、ロドルフもまた観察の目を緩めることなく侍従長に質問した。
「オーバンは、私の姫をどう思う」
「大変にお美しい方で驚きました」
「それだけか」
「は……ご聡明かつ気品が溢れるお姿に、感銘を受けております」
これ以上の賛辞を求められているのだろうか。オーバンがしどろもどろになりかけたところで、侍従長の名前をベッティーナが呼んだ。
「王妃陛下、申し訳ありません」
「いや、わたくしに謝らずとも良い。其方、体調に変わりはないのですか」
「はい。至って健康でございますが……」
ざわっ、と室内の気配が大きく揺れる。数人が目を丸くするなかで、ロドルフと顔を見合わせたラウルがもう一度、侍従長に念を押した。
「オーバン、本当に何もないのだな。動悸がしたり、目がくらんだり、異様に体が熱を持ったりはせぬのか」
様々な疑うべき症状を並べ立てたところで、外見的にも侍従長に異常がないことは明らかである。答えを待たずして、ラウルは独白のように結論を口にした。
「……そうか、其方は。カスタリアの血に酔わなかったのだな」
「はい?」
「いや、気にしないでくれ」
兄上、とラウルが続きをロドルフに投げる。
「オーバン。後でな、休暇でも特別手当でも褒美を取らすぞ。詳細は打ち明けられぬが、其方は大きな貢献を果たしたのだ。感謝しておる」
「は……左様なことが?」
「いずれは話せる日も来よう。だが今はまだ他言無用だ。特に……分かっておるな」
話の流れが一向に理解できないオーバンだが、主君であるロドルフの言葉を否定する要素はどこにもない。ひとまず頭のなかの疑問を全て空にして、侍従としての職務を遂行することに力を尽くすのだった。
「そのことで陛下、ご報告があるのですが」
「待て。少し席を外す」
侍従長の話しぶりに不穏を察知したロドルフは、続き間にある資料室へオーバンと連れ立ってから、改めて先を促した。
「本日も朝一番に、王太子殿下から謁見願いが届いております。……私めが口を挟むのは大変恐縮でございますが、そろそろ殿下をお許しになられてはいかがですか」
父子の間で何があったのかオーバンは知るよしもないが、激高してアルフレッドを夜半に呼びつけようとしたあの日から、度重なる謁見願いをことごとく却下するロドルフの様子には察するにあまりある。
「お前に泣きついてきたか。私はまだ当分の間、アルフレッドの顔を見るつもりはない。適当にあしらって今まで通り、放っておけ」
「……本当によろしいのですか」
「正念場なのだよ。私にとっても、アルフレッドにとってもな」
「畏まりました」
ロドルフの指示で侍従長のオーバンが退出した後も、新たな局面に対する話し合いは続く。
「皆、さぞ驚いたことであろう。それぞれ思うところはあるだろうが、まずは率直な姫の見解を聞きたい」
ロドルフから意見を求められて僅かに震えるディオーネの手を、同じ長椅子に座るベッティーナが上から包み込むように握りしめた。
「契約、のようなものかと存じます」
「姫さん、契約とは何だ?」
「分かりません。ただ……澱みを解放しきった後とはいえ、体内の神力が安定しすぎているような気がするのです」
出口が定まってしまった。感覚的な表現でしかないが、端的に言ってしまえばそういうことになるのだろう。出口とは、これから絶頂期を迎える膨大な神力の、向かう先である。
契約相手として、その出口に選ばれたのは言わずと知れたアルフレッドだ。困ったな、と窮するディオーネから引き継いだロドルフが、持論を展開させる。
「契約、か。私も似たような別の言葉を探り当てたところだ。今後は姫の媚香が闇雲に飛ぶことはない。それは、神力が『依り代』を得たからだと推察される」
神力の依り代。
初めて耳にする言葉である。ディオーネがそっと背後を覗えば、ナイアもまた首を横に振る。
それも仕方がないのでは、と声をかけたのはベッティーナだった。
「先の大戦のような非常事態でなければ、カスタリア王女が他国へ出ることはまずないでしょうからね。何事も手探りとなってしまうのは、無理からぬことだと存じます」
「その通りだ。どれが最適解かは天のみが知ることで、姫が全ての前例である以上、おそらくそうだろうという推測の域を出ることはない。皆にはこれを念頭に置いて判断してほしい」
ロドルフが前提を語ったところで、ポリポリとラウルが髭を掻く。
「あー、つまり。現段階では、姫さんの媚香は依り代となったアルフレッドにのみ発動する、という解釈でいいのだな」
「物的証拠は何もないが、そういうことだ」
だが人的に証明する方法はある。そこまで考えて、ふと、証明を兼ねた仕置きという画期的な意趣返しを閃いたロドルフは密かに口の端を上げた。
夫からの目配せが意図するものを、ベッティーナが見逃すことはない。
ありがとうございました♪
次話は、保護者三人組による仕置きの検討です。アルフレッド、頑張れ!
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