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救出と隣国の王


「……やってしまった」


 ネヴェルネス王国北西部の国境を守る城塞で、廊下を歩く男は思わず心の声を吐露していた。口から苦慮が漏れ出たことに気づき、バツが悪そうに短く整った口髭をポリポリと掻く。


 付き従う側近たちが笑いを堪えているのか小刻みに肩を震わせているのはご愛嬌だ。


 戦勝に沸く城内は高揚した雰囲気に包まれているが男の足取りは重たい。


 やがて目的の場所まで辿り着くと、右の手の平を左胸に当て敬礼した近衛たちが心得顔で両開きの扉を開いた。


 この先は国王の仮執務室である。王都から呼び寄せた執務官たちに囲まれて書類に目を通していた国王ロドルフ・ネヴェルネスは、来訪者を認めると片手を上げて人を払った。


「やってしまったな、ラウル」


 挨拶もそこそこに執務机から立ち上がったロドルフが、長椅子に座り直しながらククッと笑う。


 責めているのではない。どこか面白がるような口調に、対面の長椅子に腰を掛けた男は顔を引きつらせた。


「まさか自分の娘ほどの年頃の少女に魅せられるとは、天下の元帥閣下も形無しであったか」

「……揶揄(からか)わんでくださいよ、兄上」


 治世十五年でネヴェルネス王国に最大の繁栄をもたらした賢王は、他人の心の内を読み取るのが上手い。男に軽く睨めつけられて、してやったりと長椅子に背を預けた拍子に青みを帯びた黒髪を揺らした。


 同じく青みを帯びた黒髪を持つ男の名前は、ラウル・オルレアン・ネヴェルネスという。王弟公爵の身分を持ち、ネヴェルネス王国軍部の頂点に立つ最高司令官である。


「さて、本題に入ろうか」


 壮年の弟を思い通りに揶揄ったところで、声色を施政者のそれに変えたロドルフが目を鋭く光らせる。


 ネヴェルネスの黒獅子と他国から恐れられ、戦時においては殆ど冷静さを欠いたことのない弟ラウルが、珍しく動揺した顔つきでこの城塞に戻ってきたのは十日前の出来事だ。


「あの時はまだ交戦中だったからな。事がことだけに、一旦前線を離脱して()()()に付き従ってきたが……」


 様々な手配と同時に密談の形でロドルフに手短な報告を上げ、カスタリア前線へと取って返すしかなかったラウルである。


 戦いに勝利し国境まで陣営を引き上げてきた今、改めて目の前の兄に「姫さん」に関する事の経緯を話し出した。




 ネヴェルネス王国の北に、古くランダルという好戦的な民族の国がある。


 かつては北国の雄と評され広大な面積を誇る軍事国家であったが、二百年ほど前から突如として天候が狂い始め、国政は饑饉に次ぐ饑饉で混乱を極めた。やがて内戦が頻発するようになり下剋上によって王家が倒れて以降、この二百年の間に幾度となく王朝が変わった。


 徐々に領土を目減りさせながらも何度目かの統治者としてランダル国に新王が立ったのは五年前のことだ。しかし、もはや国土は枯れて穀物は実らず、民は貧困を極め天候は定まることを知らない。


 となれば残り僅かな軍事力を頼りに南下し、繁栄を築く隣国ネヴェルネスへ侵攻するしかない、というのが新ランダル王の政策路線らしかった。


 ネヴェルネス王国側からすると甚だ迷惑な話だが、元々が好戦的な民族のランダルとはこれまで幾度となく争ってきた歴史がある。接する北西部の国境警備は他の国境と比べて厚い。


 しかも新王に代替わり以降は国境線上で小競り合いが頻発しており、そろそろ本格的な動きがありそうだと警戒を強めていたところに(もたら)されたのが、ランダル王自らが軍を率いて南下を始めたという情報だった。


「親征軍か。なり振り構わなくなってきたな」


 そう漏らしたのは軍部の最高司令官にして近衛師団元帥である王弟ラウルで、ランダル国の一縷の望みをかけた最終決戦になるだろうとの見解は国王ロドルフとも一致する。


 ……いよいよランダル国の終焉か。


 となるとネヴェルネス王国側も指揮を王太子から変えて、引導を渡すためロドルフとラウルが揃って出陣する。


 着陣早々に軍を展開し、侵攻してきたランダル軍と対峙すること数日。のらりくらりと戦っては退くを繰り返すランダル国軍の動きに違和感を覚えた矢先だった。


 ランダル王が少数の精鋭隊を率いて密かに別働し、闇に紛れて両国の西にあるカスタリア王国を奇襲したというではないか。


 カスタリア王国が聖域と称されるのは、人類の祖を生み出した原初の女神が天上より最初に降り立った大地に建国されたが所以である。


 ランダル国との国境沿いの延長、ネヴェルネス王国の北西にある外洋湾に突出した形で成り立つその小さな国土は、海洋以外の三方を高い山々に囲まれた天然の要塞とも言えるのだが、武勇を誇るランダル国と隣接しながら千年単位という大陸随一の歴史を有するのには最も明確な理由が存在した。


 大陸中の伝統ある国も新興の国も大中小、そのすべての統治者の系図を遡れば、原初の女神が創造した人類の祖へと繋がるからだ。


 もちろん真偽のほどは定かではない。歴史とは勝者が編み出すもので、大陸国の統治者は己の血筋の正当性を示すために人類の祖の子孫を名乗る。神に連なる者だと系図を紡ぐ。ネヴェルネス王家とて例外ではない。


 そのため女神の子孫と言われるカスタリア王族が住む国土を侵すことは、己の正当性を覆す禁忌、というのが大陸国共通の不文律だった。


 後先のないランダル王が強襲に出るまでは。


 絶対不可侵にして永世中立を謳うカスタリア王国には軍事力が皆無だと予測がつく。狂気の沙汰とも取れる急報の衝撃から立ち直ったロドルフは、すぐさまネヴェルネス王国軍の半数を弟に預けて救援に向かわせた。


 ラウルが進軍したカスタリア南部の辺境にはすでに王城を落としたランダル兵が押し寄せ、世にも無残な有様であったが、不可解なことに民らしき死体は殆ど無い。


 おかしい、民たちは一体どこに行ったのか。


 疑問に思いながらもラウルが交戦を指示したところで、ふと森の手前の丘陵にランダル兵たちが集中していることに気付く。


 丘陵の上には古く格式高い、神殿らしき建物がそびえ立っていた。


「まさか避難した辺境の民たちが神殿に立て籠もっているのではないか、と思ってだな」


 神殿配属の護衛兵だろうか。辛うじて生き残ったというような満身創痍のカスタリア兵士たちが、神殿の正門を死守せんと抵抗している。


 そこへ援軍を差し向ける一方、ラウルは自ら部下を率いて丘陵の裏手へと回った。


 民たちの救出と正門にひしめくランダル兵を挟み撃ちにする狙いがあったが、何故だろう、神殿の背後にある森が酷く気にかかった。


 森に踏み入り獣道に沿って進軍することしばし、小さな泉がある開けた場所が見えたところでラウルは部下たちに止まれと目配せをした。大木に身を忍ばせ、息を潜める。


 十人程のランダル兵の姿が確認できた。取り囲まれたのか少女が二人、中央で身を寄せ合っている。


 そのうち庇うように背に隠された少女はカスタリア王族特有の白銀色の髪で、生き残っていたかという安堵で目を凝らせばラウルの娘と同じような年頃である。


 自然と体が救助に動き出す。ラウルが率いる部下たちは少数と言えども精鋭部隊だ、一気に畳み掛けてしまえばランダル軍の雑兵など赤子も同然に等しい。


 圧倒的な戦力差で広場を制圧したラウルは改めて少女と向き合い、身分を明かそうとする。その時だった。


「……っ!!」


 美しい紫色の双眸と目が合った途端、むせ返るほどの甘い花の香りがラウルの鼻腔を襲った。


 濃霧が体に纏わり付くような湿気た不快感と、理性をはち切らんとする熱が全身を駆け巡ろうとしている。


 野生の勘で鳩尾に力を入れ咄嗟に熱を遮断したラウルは、我にかえって呼吸を整えては額から流れ出る汗を乱雑に手で拭った。


 背後に目をやれば麾下の男性兵士たちが蒸気を昇らせ、その足取りは不確かで覚束ない。自分と前後してカスタリア王族の少女の瞳を覗いてしまったのだろう。ラウルは心の中で舌打ちした。




「……血に酔ったか」


 経緯を聞いたロドルフが静かに口を開く。


 「血に酔う」その不可思議な現象について思い当たるのは、父である先代の国王が病床で語った言葉だ。


 一つ、神聖なるカスタリア王国を侵してはならない。一つ、カスタリア王国ないし王族に非常の事態があれば、ネヴェルネス王家はこれを守護し導くことが使命である。


 驚くロドルフに続けて父王は忠告する。


『カスタリア王族が白銀色の髪に紫色の瞳を持つ原初の女神の末裔であるのは言わずと知れたこと。注意すべきは、王女の血……王女の血は人を酔わせる』


 それは代々のネヴェルネス国王に受け継がれる口伝とのことだったが、最後の文言についてはどうやら父王自身も詳細は不明らしかった。


 程なくして王位を継いだロドルフは、政情を安定させると国中の文庫を漁ってカスタリア王国に関連する書物を調べ上げたが判然としない。


 「血に酔う」という表現が遠回しに何かを示すのか、それとも直截的な言葉なのか、遂に真実に辿り着くことは出来なかったのである。


 ゴホッっと気まずげにラウルが咳き込む。


「なるほど、血に酔う、か。……あれがそうかと問われたら、そうなのだろうと確信できる。あの甘ったるい花の匂いは媚薬の類だ。明らかに姫さんの体から漂っているのだが、厄介なことに当の本人には自覚がないようなのだ」


 体に纏わりつく媚香を撥ね退けた後の、ラウルの行動は素早いものだった。


 女性将校を同道させていたことが幸いして、呆然と佇む少女らの四方を配下の女性兵士で囲ませると、護衛を兼ねた人壁としてそのまま前線の陣中へ避難させる。ある程度敵軍を叩いたところで、ネヴェルネス王国軍を一度カスタリアとの国境沿いの山裾まで退却させ自身は戦列を離脱。本陣営がある北西部の城塞に少女らを隠匿して、再び前線へと取って返した。


 ランダル王がカスタリア国内に軍を集結させたことを受け、ネヴェルネス国王ロドルフも本軍を率いて前線へ合流する。


 総力戦、とは言っても戦力は明らかにネヴェルネス王国軍が勝っていたのだが、激闘の末にランダル王と主だった将兵を討ち取り、ランダル国は事実上消滅したのだった。


「カスタリア王国が侵され、ランダル国は滅亡。これからの大陸各国との駆け引きを考えただけでも頭が痛い。だが一番厄介なのは、姫の処遇だ」


 面倒だな、と珍しく後ろ向きな発言をするロドルフに、ラウルもやってしまったという感情を否めない。


 救出し囲い込んだものの、非常に扱いが難しい。だがカスタリアの王族として女神の力がどうのという以前に、自分の娘とそう変わらない年頃の少女なのだ。命を救ったことに後悔はない。


「まずは姫さんと引見を、兄上。これまで秘匿されてきたカスタリア王家の内情も少しは分かるのではないか」

「うむ。ではそれまでに、姫には此度の経緯を説明しておくように。互いに事情を擦り合わせておけば引見時の話も早かろう。女性で誰か適任の者はいるか?」


 思案のため目を伏せたラウルの脳裏に、一人の部下の姿が浮かぶ。


「ミラベルに任せようと思う。兄上、ご許可を」


 鷹揚に頷いたロドルフが、許す、と短く返事をする。少女との対面を最も早く準備が整う明日の午後と決めた。

往年の宿敵ランダル国とネヴェルネス王国の攻防。それに巻き込まれた形のカスタリア王国。


次はディオーネが登場。囚われ人か客人か、です。



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