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離宮での出会い

 

 感冒により否応なく寝台へ送られたロドルフが一日を療養にあてた夜、ベッティーナの姿は再び夫の枕辺にあった。


「熱が引いたと侍従長より報告を受けましたが、喉の調子も戻ったようで安心いたしました」

「姫が神力を使ってくれたからな。しかし、こうも一日横になっていては体が鈍る」


 枕を背にするロドルフが強張った上半身をぐぐっと伸ばす。壁側に向かって寝台を降りると、寝衣のまま窓辺に寄り闇夜を眺めた。病み上がりのその肩にベッティーナが背後から上着を掛ける。


「ディオーネ姫の懊悩の件であるが、ベッティの見立て通りであった」

「やはり、お体のどこかに不調をきたされていましたか」

「ああ。だが正確には病というわけではない。歴代のカスタリア王族は神事を通して御身に宿る力を定期的に解放してきた。だがこの四年、ネヴェルネスにいる姫には力の使いどころがない。そうするとな、どうも体内にある神力が(よど)むらしいのだ」

「澱む、とは何やら濁った神力が蓄積するような印象を持ちますね」

「大筋では間違っておらぬ。姫も経験がないことゆえ、気がつかないまま少しずつ体に負荷がかかっていたようだ。今では指先に至るまでが重い、と申していたな。……そして周囲に影響が出た」


 後宮に女官を派遣するエマからの報告でこの数日間、ディオーネの側近くにナイアの姿が見えないことを国王夫妻は把握している。


「侍女殿もカスタリアから離れて久しい。その分、加護が宿る泉水を摂取しておらぬ。免疫が薄れたところへ過剰に澱んだ花香を受け続けたのだろう。体調を崩したとしても不思議はない」


 問題はどう澱みを解消するかだ。意見を求めて、ロドルフがベッティーナに振り返る。


「姫は今年で十八。こののち十年ほどは神力の絶頂期を迎える。まずは一度どこかで、姫が女神のお力を大きく解放できれば良いのだが」

「それで神力の澱みが正常に戻るのですか」

「ああ、今日たまたま私に神力を使ったことで姫も解決策に気がついたようなのだ」

「そうでしたか、理解いたしました」


 解決の糸口を探るベッティーナの脳裏に、一通の手紙の存在がよぎる。


「王都より東外れの里山に、王家所有の離宮がありますでしょう。まだ幼かったアルフレッドとマリユスを夏ごとに連れて行った避暑地のことです」

「あの離宮か、懐かしいな。もう何年も訪れていないが……なるほど。確かあの辺りは昨秋の野分(のわき)に荒らされ、離宮の庭園もだいぶ被害を受けたのだったな」

「今では殆ど利用することも無いため周辺の街の復旧を優先したのですが、痺れを切らしたのでしょう。近頃またわたくしの元に管理人から催促の手紙が届きましてね」

「ははは。じいやもまだ現役のようだな。あの離宮ならば管理を任せた老夫婦しかおらぬし、馬車で行っても王城から半日ほどの距離だ。姫が神力を発揮するのにうってつけの環境ではある。となると、あとは姫の予定次第か」

 

 ちらり、とロドルフが妻に視線を投げかける。ディオーネの教育日程は管理するベッティーナの匙加減でどうとでも繰り合わせることができた。


「姫の体調を思えば早いほうが良いでしょうから、三日もあれば調整がつくかと存じます」

「ではそのように手筈を整えよ。離宮のじいには私から連絡を入れておく」


 喫緊の課題が解決したと言わんばかりに、ロドルフがベッティーナの滑らかな頬に手を伸ばす。触れるか触れないかの瀬戸際で、その手をベッティーナが掴み取った。


「陛下」

「ん?」

「懊悩と言えば今日はもう一人、浮かぬ顔でわたくしを訪ねてきましてね」


 誰のことを指すのかご承知でしょう、とロドルフの右手を包む艶やかな両手に圧が籠もる。勿論、ロドルフは自室の廊下で繰り広げられた悶着を既に耳に入れている。


「一年前にも相談したはずですが、これ以上の先送りは難しいのではないですか。決断を下す潮時だと思うのです」


 妻の手の内から身を引いたロドルフが、感情を読まれまいと再び背を向ける。月がなく、すでに夜半前にもなろうかという時間帯だ。窓から見える夜空にはネヴェルネスの満天の星が輝いていた。


「姫を手放したくないお気持ちは分かりますが、アルフレッドも二十一歳になりました。王太子がいつまでも独り身では国民に不安を与えましょう。婚姻について目こぼしをする期間は終わりです」

「姫の媚香はどうするのだ」

「一年前にもそう言われて解決の道を探るとのことでしたが、もはやわたくしたちには打つ手がないのではないですか。ならばいっそのこと、アルフレッドを巻き込めばいいのです」

「精神が老熟していなければ姫の媚香を躱しきれないぞ」

「こればかりは天の采配がどう出るか分かりません。賭け事ですので、本人たちの意志に任せるしかないでしょう。まずは姫に縁談を打診し色よい返事を頂けましたら、アルフレッドに姫の姿を垣間見せたいと存じます」


 せめて窓ガラスに映り込まないように、ロドルフは露骨に嫌悪を滲ませた顔を片手で覆う。


「遠目だろうと、姫に落とせぬ男はいない」

「それで良いではありませんか。アルフレッドには荒療治が必要ですし、姫を正妃に迎えると承諾させることが狙いなのですから」

「アルフレッドの覚悟が決まれば媚香のことを打ち明け、改めて二人を出会わせるのか。はぁぁ、気が重いな」


 深いため息は、手塩にかけた愛娘を他の男に奪われたくないという詮無き願望の現れでもある。だが側室を隠れ蓑に客分扱いを続けたところで、このままネヴェルネス王城に留まり続けることをディオーネは良しとしないだろう。


 何故ならばカスタリア新国王の統治が思いのほか好調な滑り出しをみせているからだ。近い将来、直系王女が帰還したところで王政に揺るぎがないとなれば、責任感の強いディオーネは帰国を望むことが容易に想像できる。


「そうか潮時か。……神力の件が落ち着いたのち、姫にはアルフレッドとの縁談を打診するとしよう。だがその先は、あくまでも姫が受け入れたならばの話だ」

「勿論でございます。姫に無理強いするつもりはありません。もしカスタリアへの帰還を選ばれるのであれば、その通りに整えてみせましょう」


 それはそれで複雑だと難解な心情を抱くロドルフに、ベッティーナは口の端を緩ませる。


「むしろ貴方は、アルフレッドを応援しなくてはいけないのでは?」

「はは、それを言うではない」


 愛情をもって育て上げた大輪の花を前にして、アルフレッドが陥落しないとは国王夫妻は微塵にも疑っていない。要はディオーネがアルフレッドを将来の伴侶に選ぶかどうかである。


 ロドルフは毎年の天覧試合で必ずどちらの息子が贔屓かと尋ねていたが、ディオーネの返事は相変わらずでアルフレッドとマリユスの間に優劣の差はない。とどのつまり、どちらの王子に対してもディオーネが興味関心を持っていないことは明白だった。


「アルフレッドが本領を発揮して落とさなければ、姫はわたくし達の手元に残りませんよ」


 横に並んだ愛妻からまるで駄々っ子を窘めるように背中を擦られ、とうとう観念したロドルフである。苦笑を浮かべながらも、その茶色の瞳にこれまでの迷いはない。


「私がアルフレッドの応援、か。子供たちが幸福を得ることは親としての確かな願いだ」

「ええ。互いに想い合ってくれるといいですわね」


 ベッティーナが窓から闇夜を覗く。その視線を追ったロドルフと見上げる星空に、ネヴェルネスの次代の繁栄を祈った。




 雨が降っていた。王城を出立する頃には晴天であったものを、やはり山場は天気が移ろいやすいのだろうか。そんなことを徒然に考えながらディオーネは馬車に揺られている。


 雨はやがて本降りとなって景色を曇らせたが、年中行事の天覧試合にこっそりと出席する以外は初めての下城、そして遠出である。ディオーネの心中は朗らかで明るい。護衛のため馬車に同乗するミラベルもまた、王城で過ごす時よりも感情が発露するディオーネを微笑ましく見守るのだった。


 半日の道のりをかけて到着した里山離宮は古くから王族の避暑地として愛用されてきたが、近年では足を運ぶ貴人は殆どいない。ただその建物が朽ちないように近隣の里から選出された夫婦がおよそ三十年間、住み込みで管理を任されていた。


「まあまあまあ、これは何ともお美しいお姫様じゃ」


 ディオーネ一行を出迎えた管理人の老婦は、絶えて久しい貴人の訪問に諸手を挙げて喜んだ。何しろ国王から直々に、王家ゆかりの姫が滞在する旨を早馬で知らされたばかりである。たったの三日と準備期間は少なかったが、もてなしに気を張ることさえ懐かしいとディオーネたちに全面的な好意を向ける。


「数日の間、お世話になります」

「どうぞ数日と言わず、姫様のお気の向くままご滞在してくださりませ」

「そう言ってくださり嬉しいです。ありがとう存じます」


 ふわりと舞う芳しい花の香りは果たしてどこから来たものか。目の前の煌びやかな存在に、老婦は陶酔する心地を覚えた。一歩前に出たミラベルが咳を払い、老婦の注目を自分に逸らす。


「すでに国王陛下より通達があったものと存じますが、我々がここに滞在していると里の者には気取られぬように動いてください。またこの数日間で見聞きしたことも内密に願います」

「よくは分からぬが口を噤むことには慣れっこじゃ。それはそうと、姫様が到着したら真っ先に庭園まで案内するよう陛下の手紙にはあったが、どうされますかの?」


 既に雨は横なぐりとなっていた。ミラベルと老婦からの視線を受けて、ディオーネが頬に手を当てる。


「それほど疲れてもいませんし、雨が降っていますが庭園を見せていただいてもよろしいですか」

「ではこのままお越しくだされ」


 回廊で建物を繋げた離宮は広く、老婦の案内がなければ迷ってしまいそうなほど入り組んでいる。ディオーネはミラベルと数人の女性兵士を護衛に庭園が一望できる回廊まで辿り着くと感嘆の声を上げた。


「まあ……! ミラベル、とても広い庭園ですね」

「ええ。野分による被災がなければ見事な景観でございましたのに」


 ミラベルも惜しんだ目の前の庭園は、里山から水を引いた池泉の中島に歴史の趣を残す古い石橋が架かり、それを回遊できるように緑の丘陵と樹木とが絶妙な塩梅で配置されている。里山の山裾に広がる森と溶け込む様は、人工でありながら自然美を追求した圧巻の庭園だった。


 ただ残念なことに昨秋の野分きによって植物は荒れ、新緑をたたえるはず木々には無残にもへし折られた枝振りが目立つ。石橋や東屋といった庭園付属の建物に大きな損傷がないことがせめてもの救いと言えた。


「ふふ、これは腕が鳴りますね」


 正しく今の自分にうってつけの環境だと、ロドルフの言葉を思い出したディオーネは何事にも楽しげに笑う。


「ですがこの大雨です。姫様のご活躍は明日に日延べして、お部屋で寛がれてはいかがでしょう」

「大気の具合と雲の流れを見る限り、夕刻には止むのではないかしら。雨は天からの恵みであり生命の源、わたくしが力を発揮するのに最善の環境なのですよ。しばらく部屋で休ませて頂き、様子を見てまたここに足を運ぼうかと存じます」


 了承しました、と敬礼するミラベルを改めてまじまじとディオーネは見つめた。


「いかがなされましたか、姫様」

「ミラベルにお願いがあります。雨が上がり次第、わたくしはこの庭園にて大きな力を使います。通常ならば人に無害ですが今回は勝手が違う……澱んだ神力が人体にどのような作用を齎すのか想像がつかないのです。わたくしが力を使い終えるまで、配下の方と共に建物の向こうまで避難していただけませんか」


 驚いたミラベルが勢い良くその場に片膝をついて懇願する。


「承服しかねます! せめて私だけでも姫様の護衛に控えさせて下さい」

「あなたをナイアのように病ませてしまったらと思うと、怖いのです。それに……察して下さい。この力は本来、カスタリア王家の秘事にあたります」


 はっ、と目を見開いたミラベルは渋面を作った。これから行使するのはカスタリア王族にしか踏み込むことが許されない神域にある力だと言われてしまえば、苦渋の選択をするしかない。


「……仰せのままに従います。幸いにもこの離宮の出入口は正門のみですので、姫様が庭園においでの間は私と部下で正門付近の警備にあたりたく存じます」

「ありがとう、ミラベル。よろしくお願いしますね」


 女性兵士らと隅で控えていた老婦が、今度は離宮の本棟にある貴賓室へ一行を案内する。最低限の護衛を残して各自が休息を取ることしばし、ディオーネの見立て通り夕方には雨が止んだ。


 庭園の中央に造られた池泉のほとりにディオーネは一人で立っている。ドレスの裾が雨露に濡れるのも構わず膝を折ると、淑やかな所作で右手を泉水に沈めた。戯れにひと掬いしてはそれを跳ねさせる。里山から流れ込む水が循環しているのだろう、池泉は程良い鮮度を保っているようだ。手に馴染んだ感覚を確かめて、これなら大丈夫だとディオーネは頷いた。


 もう一度、冷たい水の中へ右手を差し入れて目を瞑る。かき集めずとも溢れんばかりの神力を指先に集中させることは造作もない。古く折り重なった神力が出口に向かって流れ出すと、右手の指先を中心とした円弧が水面をじわりと制していく。


 柔らかな風が吹いた。ディオーネの体を穏やかに包み込む風は白銀色の髪を巻き上げる一方で、力強く周囲の雨露を宙に浮かせた。雲の隙間から差し込む夕日に照らされ、風に翻弄される露と草木に留まった露とが虹色に反射し煌めきを放つ。ざわざわと庭園全体の植物が騒ぎ始めるのは間もなくのことだ。


 どれ程の時間が経過したのだろうか。すぅっと息を整えたディオーネが徐々に瞼を持ち上げる。風が収まると同時に空中を舞う雨露が眩しく弾けて飛散し、辺り一帯を瞬間的に光が覆った。神力の解放の成功である。もはや野分の被害は庭園のどこにも見当たらない。


 チチチ、と上空を飛ぶネヴェルネスの国鳥が鳴いて、ディオーネは茜さす夕空を見上げた。さすがに疲労感はあるものの、重かった体が嘘のように軽い。澱みが晴れて澄み渡った心に、どこかカスタリアの自然を思い起こさせる風情は望郷の涙を誘った。


 それを堪えるように視線を落とせば、池泉の水際に植えられた竜胆の花が見事に花弁を蘇らせている。瞳の色と同じ紫の花冠の、得も言われぬ気高さにディオーネは優しく微笑んだ。


「元気になって良かったわね」

 

 その時である。


 ガザリ、と人為的に揺れた茂みは意外にも近い。俊敏に振り返ったディオーネは四年前の戦時を思い出して顔を強張らせたが、殺気立つ敵兵の残像は一瞬にして打ち破られる。思いがけない展開に目を見張った。


「えっ……?」


 茂みから姿を見せたのは尊敬するロドルフと同質の青みを帯びた黒髪に、敬愛するベッティーナの面影を持つ顔立ちの背の高い男である。言葉を交わしたことがなくとも、年に一度の天覧試合でディオーネには見覚えがあった。


「……っ!」


 男が息を呑む。風に乗って二人の間に甘い花の香りが匂い立った。不可抗力という名のもと、男の茶色い瞳とディオーネの深い紫色の双眸が交ざり合う。


 それは国王夫妻の望む計画が瓦解した瞬間でもあった。

思いのほか国王夫妻の会話が弾みまして、なかなかの難産でした。


いよいよ出会いました!

次話はアルフレッドの回です。

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