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鉢合わせとすれ違い


 アルフレッドが父の私室の扉を叩く。取り次ぎに出てきた人物がロドルフ付きの侍従長ではなくベッティーナ付きの女官長であったことに多少の違和感を覚えながら、母が見舞いに来ているのだろうと考え直して立ち位置をずらした。


「これは王太子殿下」

「エマか。父上が体調を崩されたと聞いて訪ねたのだが、通してもらえるだろうか」


 名前を呼ばれた女官長が扉の前で深く腰を折る。


「お通しすることは出来かねます。申し訳ございません」

「風邪であろう? 感染するものでもないし、現に母上が見舞っているのではないか。ひと目お顔を見て、いくつか執務の判断を仰ぐだけだ。時間はかからぬ」

「只今は難しいかと存じます。お諦め下さいませ」


 女官長から否定される度にアルフレッドは我が耳を疑った。理由が分からない。


「もしや……風邪とは表向きの病状で、父上は重篤なのか?」


 いや、だとしたら王太子である自分には真っ先に知らせが来るはずだ。ここに人の往来もなく緊張感が漂っていないことからも重病であるはずがない。その証拠にエマも首を横に振る。


「ご病状は快癒傾向にございます。先程、王妃陛下も執務へとお戻りになられました」

「ならば何故、其方がここにいる? 侍従長はどうした」


 対応に出てこないだけで居間に控えているのだろうか。埒が明かないと扉の取っ手に伸ばしかけたアルフレッドの右腕を、女官長がそっと押し留めた。


「……ご側室様が王妃陛下に代わって看病においででございますれば」


 事情を察してご遠慮下さい、と暗に女官長の瞳が語りかける。


「ご側室。……っ!」


 ゴソクシツ、と頭の中で幾ばくか繰り返した後で単語を呟き、ようやくその名称と存在が結びついたアルフレッドは目を見開いた。自分でも驚くほど感情が揺れ動いている。


 幻と言われる父の側室がこの扉の向こうにいるのだという不思議を飲み込むと、その後に襲って来たのは戸惑いと不快感だった。


「実の息子で王太子でもある私より、一介の側室の見舞いが優先されるとはおかしな話だな」

「どなたもここをお通ししてはならぬと、両陛下より固く申しつけられております」

「王命だと言いたいのか」


 冷たく棘を含んだアルフレッドの声に、女官長も恭しく頭を下げる。無言は肯定の証であり、王城の女官を束ねる長にまで登り詰めたエマが一歩も譲らない姿勢を見せれば、事態は膠着するしかない。


 引くか引かないかアルフレッドが決断を迫られた時だった。間が悪く、ロドルフの朗らかな笑い声が扉を越えて廊下にまで微かに届く。アルフレッドは余計に拳を強く握り締めた。


「もういい。声をお聞きした限り、回復傾向にあるというのも嘘ではないと分かった。……母上は私室にいらっしゃるのだな」

「はい。ご在室にございます」

「母上も面会謝絶だとは言ってくれるなよ」

「そのようなことにはなりますまい」


 赤子の時から知るアルフレッドの皮肉など何のその、女官長が柔和な微笑みをたたえて見送りの姿勢を正す。ちっ、と内心で舌打ちしたアルフレッドは踵を返した。完敗である。

 

 どうにも折り合いが付かない心で廊下を進み、今度は母の私室の扉を叩いたアルフレッドは、エマに代わる若い女官からの取り次ぎで入室すると挨拶も遠慮もそこそこに手前の長椅子へ座り込んだ。


「貴方は全く……。そこへ無遠慮に腰を掛ける様が父上に似てきましたね」


 居間の奥に配置された執務机からベッティーナが呆れて声をかける。父と似ている、は今のささくれ立ったアルフレッドには禁句であった。


「……病床で若い側室とお過ごしの父上と、ですか? 全く似ていませんが」


 感情の赴くまま発言したところで、たちまちに自分を取り戻したのだろう。おや、とベッティーナが反応を示すと同時にアルフレッドは自戒の言葉を述べた。


「口が過ぎました。申し訳ありません」

「何があったのかは想像がつきますが、この場所以外で陛下の批判に繋がるような発言は控えるようにしなさい」

「肝に銘じます」


 ベッティーナの目配せで周囲の女官たちが退出したのに合わせて、アルフレッドは手にしていた封筒をやや乱雑に目の前の机に乗せる。移動中の加圧により既に封筒には皺がついていた。


「それは?」

「テオドールから頼まれた書類が入っていて、後は母上の承認待ちです」

「分かりました。後ほど目を通すことにしましょう。それで? わたくしに何か言いたいことがあって来たのでしょう?」


 その為の人払いだと、執務机の文具を片付けたベッティーナがそのまま鋭く息子を見据える。一度大きく息を吐いて感情を抑えたアルフレッドは、それでも払い切れない不信感を顔色に滲ませた。


「……ご側室と二人きりになるよう万難を排せと、父上だけではなく母上の指示にもよると耳にしましたが」


 廊下にて対峙している時、確かに女官長は言ったのだ。()陛下から誰も部屋に通さないように申しつけられている、と。


「ええ。わたくしがそうエマに命じました」

「母上は、嫉妬はなさらないのですか」

「嫉妬?」

「父上が若い側室に入れ上げ、あまつさえ二人で過ごせるようお膳立てまでして、母上は心が乱れないのかと聞いているのです」

「そうですね……」


 僅かにベッティーナは過去を振り返る。外遊や国内の視察で不在時を除けば殆ど毎夜、ロドルフはベッティーナの私室に押しかけて来る。まるで自室のように寛ぎ、週に一度程度のディオーネの偽お渡り時には三人で交流を楽しむものの、それ以外は俗な言葉で表現すると割と甘々のベタベタで出来ればもう少し距離を保って欲しいとベッティーナは思っている。


「嫉妬はしませんね」

「悋気を起こさないと?」

「悋気。全くありません」


 これが熟年夫婦の域というものだろうか。信じられないと驚愕したアルフレッドは、そもそも父の側室に関しては不可解なことが多すぎると思考に沈んだ。


 最も不条理なのは、その存在を隠匿しすぎる点である。ロドルフとベッティーナ、そしてアルフレッドとマリユスの家族四人が一堂に揃った食事会でも、両親の口からカスタリア王族の姫について語られることはまず無い。まるで最初からいない者のように、この四年間で徹底して名前すら出ないのだからもはや異常としか言えなかった。


 それ程に父は寵姫を囲い込みたいのか、と思えば何故か腹立たしく、母に遠慮して話題に出さないだけなのだろうという当初の考えは年中行事の天覧試合にて母とも談笑を交わす様子から既に霧散している。何もかもが歪であり不自然な状況だと英邁な両親は気づいているはずなのに、周囲と齟齬のあるこの茶番劇をいつまで続けるつもりなのだろうか。


「アルフレッド」

「……何でしょう」

「妬いているのは貴方ではないのですか」

「は?」

「尊敬する父親を姫に取られて、妬いているのは貴方のほうではないのですか」


 否が応でも思考の沼から引き上げられたアルフレッドは、姫、と初めて母親の口から出た側室の呼称を呟き返すと、荒む感情をひたすらに押さえ込んだ。


「そのようなわけが、あるはずもありません」

「では逆に、若い姫を溺愛する陛下が男として羨ましいということですか」

「全く違います。国王としての父上はご立派だと常々敬っておりますが、ことご側室に関しては不信感以外の何も感じていません」


 はっきりと言葉にしたことでアルフレッドは自分が抱く感情に決着をつける。父の側室の存在を厭わしいと、不快だと思っている。その理由を辿れば母から指摘を受けた内容へと堂々巡りになりそうで、これ以上の言及は放棄することにした。


 息子の様子を見て取ったベッティーナが話の流れを帰結へと誘導する。


「お二人に対して貴方に疑念が芽生えるのは仕方のないことだと思います。しかしこれだけは覚えておいてほしいのです、アルフレッド。貴方やマリユスがどう思おうと、陛下も姫も決して不誠実な方ではありません」

「正式な側室となれば、不誠実な関係とは言い難いでしょうね」

「今はわたくしの言葉を理解できなくても、必ず貴方にも分かる日が来ます。この状況をいつまでも放置しておくようなお父上でもないでしょう」


 それは一体どういう意味なのか。真意を問いかけるアルフレッドに被せる形で、ベッティーナは強制的に話を終わらせた。


「現状でわたくしの口から言えることはここまでです。陛下の分の仕事を抱え、テオドールも困っていることでしょう。執務室へ戻りなさい」


 女官を呼ぼうと振り鈴に手をかけた母を制止して立ち上がると、アルフレッドは短く辞去の挨拶を述べて部屋から出た。何かを期待して母の元を訪れたわけでは無かったが、ただただ釈然としない思いだけが胸に残る。


 来た道を戻り自身の執務室まで帰り着いたアルフレッドを、明快に迎え入れたテオドールは事情を何も知らない。


「お帰り。陛下のご容態はどうだった……って、急に机の書類を捌き始めてどうしたの?」

「三日だ」

「うん?」

「三日間で今ここにある全ての執務をやり終える。その後は互いにしばらく休暇を取るぞ、テオドール」

「それはもちろん構わないけれど、過労気味の陛下から休むように言われたのかい?」


 アルフレッドは何も言わない。返答を諦めたテオドールはこめかみに手を当てながらこの三日間の予定を急速に組み直した。思えばここ数年間は旧ランダルの処遇に右往左往し、余暇はあれど休日らしい休日を過ごした記憶は皆無だ。


「どうせ休むなら数日は捻出できるように働きかけるよ。それで……アルフレッドの休暇の予定は決まっているのかい?」

「そうだな。気晴らしに王城を出て、遠駆けでもするか」

「まさか一人で、とは言わないよね」

 

 書類上で走らせるペンを止めたアルフレッドが、呆れたように従兄を見た。


「休日までお前と顔を合わせる趣味はない」

「私もないよ。そうではなくて、王太子が護衛も付けないで遠駆けに出るつもりなのか」

「帯剣はしていくし、そこそこの腕前は持っている。別に構わないだろう」

「駄目ではないかな」

「では他に言うなよ」


 何があったのかは知らないが、どうしても一人になりたいほど煮詰まっているのだろう。察したテオドールは仕方がないと、滅多に希望を言うことがない従弟を甘やかすことにした。

お読み頂きありがとうございました♪

ブックマークも嬉しいです。


次は、離宮での出会い、です。

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