神秘の究明
陛下、と普段より声を落とした女官長が王妃ベッティーナに取り次ぎを行う。
「お待ちかねの方がお見えになりました」
ここは国王ロドルフの寝室である。扉近くまで移動し耳打ちされたベッティーナが、通して構わないと返事をする。やがて現れた人物に目元を緩ませると自ら寄り添い、ロドルフの枕辺まで誘導した。
「午前中からご足労をかけましたね、ディオーネ姫」
「とんでもございません。陛下がお倒れになったと耳にしては、いてもたってもいられず……」
不安げに表情を曇らせたディオーネに、寝台で複数の枕を背に上半身を起こしていたロドルフが心配ないと穏やかに目を細める。言葉にして伝えないのは、どうやら声が出にくいらしかった。
代わりにベッティーナが今まで使用していた椅子を差し出し、手を取るようにディオーネを座らせて事情を説明する。
「姫。陛下は目を離すとすぐに執務をしようとするのです。倒れたとは少々大袈裟な周知なのですが、この際しっかりと体を休めて頂こうかと思いましてね。本日はわたくしも執務があります故、しばらくここで見張っていては貰えませんか」
「わたくしでお役に立てますならば、お見張り役を務めさせて頂きます」
「ありがとう存じます。寝室のすぐ隣に女官長が控えておりますので、何かあったら声をかけるようにしてください。宜しくお願いしますね」
挨拶のため立ち上がろうとしたディオーネを制して、ベッティーナが寝室を後にする。その背中を見送り振り返れば、どこから取り出したのかロドルフがその手に分厚い本を開いているではないか。
「駄目です、陛下」
にこっと笑って取り上げた本は表題から察するに、四年前に滅亡したランダル国の施政の変遷を纏めた歴史書である。
国際会議にて再建は不可能と判断されたランダル国は、戦争賠償のためその国土の南半分がネヴェルネス王国に、残り半分が隣接する北方の三国に接収される形で完全に消滅した。長らく不毛の地とされた大地は何とか作物が実るようになり併せて流通を整えたものの、今度は北国に帰属したはずの土地からの流民が深刻な問題となっている。賠償とは名ばかり、やはり大陸国間より厄介事を押し付けられたと言うほうが正しいのかもしれない。
ネヴェルネス王国の首脳陣はこの四年間、常に旧ランダルの統治に頭を悩ませてきた。だから手持ち無沙汰な時間に関連書籍を読もうという気持ちはディオーネも分からなくはない。分からなくはないのだが、治癒が優先される今は駄目だ。
「わたくし言いましたよね。お疲れのところにお酒を召されて、夜のバルコニーに出てはお風邪を引きますよ、と」
「……寄る、年波に、は勝てぬな」
掠れた声で反省を述べるロドルフだが、ああ、ちょっと怒ったような仕草も可愛らしいな、と内心で目尻を下げたことは内緒である。
十八歳になったディオーネは元来の整った見目に知性が加わり、丸みを帯びた頬も細くすっかり大人の女性へと変貌を遂げていた。小柄な部類に入るもののすらりと伸びた手足に細い腰つきはネヴェルネスで流行りのドレスを見事に着こなし、大陸国でカスタリア王族が唯一持つと言われる白銀色の髪と紫色の瞳がえも言われぬ気品を漂わせている。
他の形容詞など要らない。ただただ美しい。外見と内面の両方がこれ程に完璧な令嬢は大陸国中のどこを探してもいまいと、親心を抱くロドルフでも最近は見惚れてしまうことがしばしばである。これも本人には内緒の話だが。
「陛下、失礼いたしますね」
他愛もないことを考えていたロドルフの喉元に、そっと白い指先が触れる。ディオーネの手の平が喉を覆うとたちまちに温かい感触がロドルフに伝わり、呼吸をするたびに辛かった痛みが嘘のように鎮静した。
「……お熱を無理に下げることはしませんが、このくらいなら」
「あー……ははは」
言葉がすんなりと出る。ロドルフはいつもの調子で笑った。
「このくらい、か。相変わらず凡人には敵わぬ。姫の身に宿る女神のお力は尊大だな」
これにはディオーネも穏やかな笑みを浮かべるのみである。
「このまましばらく御寝なされませ」
「しかし、こうも日の高いうちから寝るというのは至難である。姫と少しばかりカスタリアについて語らいでもしようか」
「お熱は大事ございませんか」
「今のところは体調も、そう悪くはないのだよ」
分かりました、とディオーネが頷く。
これまでにディオーネの口から明かされたカスタリア王国の内情は、英雄視されている過去の王族の逸話に始まり、地理、伝統、風習、国民性、更には田畑の実りに至るまでと幅広く、どれをとっても学者として地史学に長けたロドルフの好奇心は尽きることがない。そうした中で少しずつ、カスタリア王女の「血に酔う」現象についても解明の道筋が見えてきた。
きっかけはカスタリア王国内の随所で湧く泉についてディオーネが語った時のことだ。
「カスタリアは泉の宝庫と言っても過言ではありません。豊富に湧き出る自然の恵みには古くから女神の加護が宿る、と見做されてきました」
「湧き出る泉にも神力が含まれる、と?」
「その通りでございます。泉水はカスタリアの大地を潤し作物の成長を促すので、民が飢えることはありません」
「民が飢えないとは……確かに神力で作物はよく育つのだろうが、その年の出来不出来は天候にも左右されるであろう?」
「天候、でございますか? カスタリアは年中温暖で、雨は降りますが大きく天候が乱れることはないのですが」
「何と! 道理でカスタリアは建国以来、数千年にも渡って飢饉を知らないはずだ」
旧ランダルという不毛の地を抱えるだけにロドルフが受けた衝撃は大きく、この時ディオーネがきょとんと首を傾げた仕草までありありと思い出される程である。そこから泉水の有用性について話が派生する。
神の水と目される泉水は赤子の産湯に始まり、飲み水や洗い物などの生活用水、田畑を潤す農業用水として活用される。つまりカスタリア国民は生涯を通じて泉水に触れ、飲料水として直接的に、作物から間接的に体に摂取し続けることになる。そうして女神の加護を体内に蓄積することで、カスタリア王女特有の力に対してある種の免疫が構築されるのではないかとロドルフは仮説を立てた。
基本的に女神の魅力は異性である男により強く影響が出るのだろう。それが中和され、カスタリア国内では王女の特質が男女等しく花の香りとして認識される。だが免疫を持たない国外の男性は魅惑に抗えず女神の血に酔う、という構図である。
しかしこれを証明するには手段がない。いっそのこと下級兵士に特別手当を出して人体実験でもするか、とぼやいたラウルにディオーネが拒否を示して以降、おそらくそうなのだろうという見解で止まったまま時だけが進んでいた。
「媚香について、これ以上の真相を究明するのは難しいかもしれぬな」
「わたくしも他国の男性に対しこのような仕儀になろうとは考えもよらないことでございました。お忙しい陛下方の手を煩わせてしまい、申し訳なく思っております」
「なに、カスタリアはここ二百五十年程の間、鎖国政策をとっていたために人や情報の行き来がなかったのだ。仕方のないことではある。ははは、姫を責めているのではないぞ」
病床とは思えないほどロドルフの朗らかな笑い声が響く。困ったように微笑むディオーネの憂いを取り払うと、ところでだな、と話題を変えた。
「姫は以前、カスタリア王国内には大水源となる神泉が二つあると申されていたな。勿論、このことは私の胸の内だけに留めておる」
もしその二つの大泉水を同時に穢されてしまえばカスタリア王国の神聖性が失われるという重要機密にあたるのだが、新王が立ったとはいえ引き続きネヴェルネス王国から復興支援のための政務官らがカスタリアへ出向いている状況である。隠したところでロドルフには報告が上がるものとして、警備のためにも予めディオーネが明かしていた内容だった。
「はい。一つはカスタリア王城が、残り一つはわたくしが神官長を務めておりました南の第一神殿が内部で管轄し、守護する役目を担っておりました」
「確認だが、その大神泉にてカスタリア国王以下の王族方による伝統神事が何かしら行われていたのではないだろうか。いや、具体的に神事の何たるかを暴こうという意図はない」
「……と言いますと」
少しだけ身構えたようなディオーネの気配に、ロドルフもまた表情から笑みを消した。
「カスタリアの王族は、大泉水に祈りを捧げることでその身に宿る女神のお力を定期的に解放してきた」
ディオーネの紫の双眸に、じっと自分を見つめるロドルフの姿が映る。多少の体調不良はなんのその、探られているとも試されているともとれる視線は駆け引き慣れしていて、流石はネヴェルネスの賢王と称されるだけのことはあると改めてディオーネに知らしめた。
「陛下のご慧眼には頭が下がる思いでございます」
無意識に張り詰めていた息を吐き出したディオーネは、静かに、そしていつもの柔らかい面差しで答えを返す。
「お気づきでございましたか」
「何となくではあるがな」
「隠しだてをいたしまして、申し訳ありません」
「私は怒っているわけではないぞ。姫は周りに心配をかけまいと何気ないふりをしていたのであろう、謝ることはない。だがやはり、何も相談してもらえないのは寂しいことだな」
危うく再び、申し訳ありませんと口から出そうになったディオーネをロドルフの慈愛の籠った目線が押し留める。
「さて姫よ。近頃、私とベッティーナに隠しているものがあるだろう? 話して頂こうか」
我が身に起きた事象と経緯、対する自身の解釈。それらを素早く纏め上げたディオーネは、ようやくロドルフに事の次第を打ち明けるのだった。
「実は……」
そして時間は少し遡る。喉の痛みが失せ、話をしようとロドルフがディオーネに持ちかけた頃、その私室の扉前では次の来訪者による一つの悶着が起きていた。
ありがとうございました♪
アルフレッドとディオーネが出会う日が近づいております。
次は、鉢合わせとすれ違い、です。




