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噂の独り歩き


 またか、と王太子アルフレッドは近衛師団の訓練場から執務室へ戻る道すがら嫌気が差した。遠巻きではあるが中庭を挟んだ向こう側から令嬢達の熱視線をひしひしと感じる。繰り返し響く甲高い声はもはや騒音にしか聞こえない。本当に耳障りだ。


 何の効果もないと知りながら耳から不快感を取り払うように、アルフレッドは長い溜息をついた。もしこの場に従兄のテオドールか弟のマリユスを同道させていれば、彼らがにこやかに手を振って令嬢達に応えている間にも難を逃れられたものを、と詮無いことにまで思いが及ぶ。自然と速まる足運びで廊下を突き進むと、心が伝わったのか正面の曲がり角からテオドールがひょっこりと姿を見せた。


「いい所に来たな、テオドール」

「うん、黄色い悲鳴が近づいてきたからね。アルフレッドが移動しているとすぐに分かったよ」

 

 王弟公爵家の跡取りでもあるテオドールの新たな登場に、きゃあ、と令嬢達がひと際高い声を上げる。どんなに寵愛を得ようと側室止まりのアルフレッドに対して、射止めることが出来れば正妻にもなれるテオドールは結婚相手として人気が高い。見目に加えて愛想も良いとなれば尚更で、にこりと笑顔を振り撒くテオドールの横をアルフレッドは無難にすり抜けた。


 さっ、とテオドールが来た道を曲がり中庭から死角になった通路へと姿を消す。目が慣れるまで若干の暗さを感じたが、アルフレッドの心を鎮めるには丁度良かった。


「困っているだろうと思って迎えに来てあげたのに、置いていくなんて酷いな」


 追いついたテオドールが背後で文句を言うが、軽快な口調からさして気にしていないことが分かる。それをアルフレッドはあっさり受け流すと、近衛兵士が守る大きな扉を潜り抜けてようやく自身の執務室に辿り着いた。


 室内にある二つの執務机にこれでもかと書類が乗っている。思わずアルフレッドは従兄を睨みつけた。


「テオ、どこで仕事を貰ってきた」


 ……確かに昨日、定時をだいぶ無視して殆どの書類を片づけたはずなのだが。


 半ば愕然としつつ執務机の椅子に腰をかけたアルフレッドの目の前に、傍目から見てもかなりの冊数だと分かる資料の束をテオドールが抱えてくる。


「先ほど呼び出されて宰相の元を訪ねたら、真っ青な顔をした陛下の侍従長と出くわしてね。何でも陛下が今朝方から発熱しておいでのようなのだよ」

「父上が、か?」

「そのようだね。だが大事には至らずお風邪との侍医の診断だ。過労から来たものだろうと侍従長は陛下に休息を進言したのだけれど、陛下はどうしても寝室に仕事を持ち込んでしまうようで、それを宰相の元に相談に来ていたらしい。まぁ、侍従長に泣きつかれでもしたら見捨てる訳にもいかないだろう?」

「まあ、そうなるな」

「こちら側で代務できるものは引き受けます、という流れになってね」


 無表情と然程変わらないが、淡々としたアルフレッドの目つきに諦観が見て取れる。


「納得し難いが、経緯は分かった。それはもう仕方が無いとして……その手に持っている冊子の束は何だ」

「ああ、これは本来の宰相からの用件だよ。ぜひ王太子殿下に目を通してもらうようにと、有無を言わさず渡されてね。全て君の側室候補の令嬢の釣書だ、アル」


 潔く告げたテオドールは手持ちの冊子をどすっ、といかにも重たげな効果音付きでアルフレッドの執務机に上乗せした。


「だから私が望んでもいないのに何故そうなる」

「何故って、アルがうっかり公言してしまったからだろう? しばらく正妃は要らない、と」

「それは……」


 それはただ他国から打診される縁談を対処するのにも疲れて、父のロドルフに今後は縁談話が持ち上がっても全て断って下さいと伝えただけに過ぎなかった。うっかり、偶さかその場に宰相も同席していたことが仇となって返ってきている。


「十五歳の若気の至りだったのだ」

「先の婚約から早くも六年が経つからね。宰相からしてみれば、後嗣が望まれる若くて健全な王太子殿下が女っ気もなくいつまでも独り身なのが嘆かわしいみたいだよ。せめて側室や愛妾なりと……ゴモゴモ、と言っておられた」

 

 もはや後半からアルフレッドは聞いていない。否応なしに手に取ったロドルフの書類に目を通しながら、インク瓶の蓋を開けてペン先を突っ込んだ。


「いや、アルの気持ちも分かるのだけどね。せっかくの老宰相の気遣いだし、ひと通りだけ確認してみたらどうだろう。もしかしたら運命の女性がこの釣書の中から見つかるかもしれないよ」


 じと目でアルフレッドは従兄を睨む。


「お前は宰相の回し者か? もし運命の相手がその中にいるのなら、とっくの昔に出会っているさ。じじ様に伝えろ。今後このような気遣いは不要だと」


 じじ様とはネヴェルネス王国の政治を先代国王の時代から牽引してきた老宰相のことで、王弟ラウルの正妻はこの宰相を父に持つ侯爵令嬢である。つまりテオドールにとって宰相は母方の祖父というわけだ。


 しっしっと手で追い払われたテオドールは肩を竦めて自身の執務机に戻ると、補佐官としてアルフレッドが処理すべき書類の優先順位をつけるべく中身を黙読していく。互いにしばらく無言が続いた。静寂を破ってぽつりと言葉を洩らしたのは、書類の次の項を捲ったアルフレッドである。


「さっさと他国からの婚約打診を受け入れるべきだと、分かってはいるのだ」


 例えば一つ年下の弟マリユスが、既に結婚適齢期を迎えた従妹のエミリエンヌと未だ婚約の内定にも至っていないことや、目の前のテオドールに婚約者が定まっていないのも全て王太子である自分の結婚に見通しが立っていないことに起因するものだ。


 勿論、王統を絶やさないために後嗣を挙げることが王太子の責務だということも頭ではよく理解している。だがテオドールのように時々の恋愛を楽しんだり、マリユスのように一人の女性に一途な想いを寄せることが果たして自分に可能なのだろうか。アルフレッドの現状では困惑するばかりで、自信もなければ想像もつかない。


「お前達に対してもそうだが、特にエミリには申し訳なく思っているよ」

「ああ、それに関してはね。アルフレッドは気にしなくていいから」


 妹への謝罪をテオドールが何でもないことのように笑って受け流した。


「妹は十八になるけど子供っぽい所があるし、父もまだ手元に置いておきたい様子。というか、嫁ぐことになったらひと通り暴れて母上に叱られるまでが一つの流れかな。まあとにかく、本人もいつかはと思っているけど焦ってはいないみたいだよ」

「テオドールは誰か心に決めた女性はいないのか? 私より年上なのだから先に結婚しても不思議はないのだがな」

「年上と言ってもたったの一つだからね。それに第四位の王位継承権を持つ以上、やはりどうしても年近いアルフレッドが身を固めてからでないと様々な邪推を生むことになる。因みに将来を約束した令嬢はいないよ」


 あれ程、取っ替え引っ替えした時期もあるのに何故、とは敢えて突っ込まないアルフレッドである。


 折しもコンコンと扉が叩かれてどちらともなく入室を許可すると、噂をすればとはこのことで、テオドールの妹のエミリエンヌがひょっこり顔を覗かせた。ひょっこり具合が流石は兄妹と言うべきか、テオドールと似ていて既視感がある。


「アルお兄様、ご機嫌はいかが?」

「エミリか。ここに来るのは珍しいな、どうした」

「テオ兄様もお揃いね、ちょうど良かった」


 少し甘えたような照れ笑いを浮かべて入室したエミリエンヌの手には、大きく取っ手の付いた籐かごがあった。ああそうか、と来訪の背景を察したアルフレッドが口を開く。


「エミリも今朝のマリユスの訓練を見に来ていたのか」

「ええ。凛々しい姿が格好良くてドキドキしたわ」


 近衛師団に籍を置く第二王子マリユスは、軍部を率いる叔父ラウルが長年兼任した近衛師団団長の地位を正式に譲り受け、今日付で就任したのである。今朝は団長として初めて訓練場に立つマリユスの姿をアルフレッドが見学したように、エミリエンヌもまた一般観客席に足を運んでいたらしい。


「お母様が、王城に行くのならアルお兄様の執務室にも差し入れを持って行きなさいと準備して下さったの。男二人でさぞ陰鬱な雰囲気だろうからって」

 

 おい、と即座に兄のテオドールが妹に突っ込む。アルフレッドは兄妹に冷ややかな視線を送った。


「何というか、君達の母上は相変わらずだね」


 余談ではあるが、王弟ラウルはその豪快な見かけと性格によらず、実は恐妻家の一面を持つことは身内でも有名な話である。

 

 ふふ、と微笑んだエミリエンヌは執務室の中央に配置された休息用の長椅子へ移動すると、籐かごから焼き菓子を机に並べ始める。次に取り出した紅茶ポットはまだ熱を持っていて、どうやら顔なじみの王太子付き女官に願い、整えてもらったものらしかった。


「それでね、お兄様方。女官達がこっそり話しておりましたのよ。毎年必ず流れる例のお噂」

「噂?」


 それぞれが思い思いに長椅子に座り、エミリエンヌが注いだお茶にアルフレッドとテオドールが手を伸ばしたのが運の尽きである。


「もうすぐアルお兄様に、弟か妹が生まれるのですって」

 

 げほげほ、と思わずお茶を吹き出しそうになったところをどうにか王族の体面と兄としての威厳をもって堪えた二人は、隠しからハンカチを取り出すと口元を押さえた。どうせなら冷や汗も存分に拭ってしまいたい。


「エミリ。話の運び方が悪い」


 冷静を装うテオドールの言葉に、末っ子のエミリエンヌは全く悪びれる様子もなく話を続けた。


「ふふ。従兄妹の中で私が一番年下ですもの。もし小さな王子様か王女様がいらっしゃったら私、たくさん可愛がるわ」


 ……ああ、厄介なラウル叔父上に性格がそっくりだな。


 エミリエンンヌの目には本気とも冗談とも取れない輝きが満ちている。アルフレッドは将来この従妹と結婚するだろうマリユスに、さぞかし手を焼くことだろうとやや同情めいたものを覚えた。そうとも知らないエミリエンンヌがこてっと首を傾げ、癖のあるネヴェルネス王家ゆかりの青みがかった黒髪がふわりと揺れる。


「でも、やはりただの噂なのですよね?」

「こちらには何も伝わってきていないからな。真実味のない話だ」


 アルフレッドの断言に、焼き菓子を一つ食べ終えたテオドールが反応する。


「しかし例のご側室も十八になられるのだね。陛下のご寵愛は深まる一方のようだし、もしかしたらその噂も近々現実になるのかもしれないよ」

「そうか? 父上はもう五十だぞ」

「うーん、そこはあまり関係ないと思うけれど」

「……」

「定期的な夜のお渡りも続いているし、陛下も存外にお若いということさ」


 存在を消したかのごとく静かにお茶を嗜んでいたエミリエンヌが、それにしても、とここで二人の会話に口を挟んだ。


「不思議ですよね。私、同い年のご側室様と仲良く出来たらと対面の日を心待ちにしておりましたのよ。ですが、未だにお顔を拝見したことがありません」


 これにはアルフレッドも同意を含めて頷き返す。国王の姪であるエミリエンヌどころか息子の自分とマリユスでさえ、十四歳で国王の側室に上がったカスタリア王族の姫を一度も目にする機会がなかったからだ。せいぜい身内の間で判明したのは名前くらいで、世間一般には曖昧な出自以外は謎に包まれたままである。


「エミリ、ご馳走様」

「ありがとう。叔母上にも宜しく伝えておいてくれ」


 暗にテオドールが休憩の終わりを告げると、同じく謝辞を口にしたアルフレッドは自分の執務机に戻るではなく出入り扉の取っ手を掴んだ。


「アルフレッド、どちらへ?」

「休息のついで、と言ったら父上に悪いが。ご判断を仰ぎたい執務の内容もあることだし、居住区へ見舞いに渡る」

「分かった。この急ぎの書類を王妃陛下に渡してもらえると有り難いのだけど」

「お兄様、噂について新情報がありましたら私に流してくださいね」

「私は小間使いではないのだが……まあいい。エミリは気をつけて帰りなさい」


 王太子など国の公僕に過ぎない。ふっ、と口の端を上げたアルフレッドは執務室を後にすると、最も警備が厳重な王城の最奥へと向かった。

お読みいただきありがとうございます!


次は、神秘の究明、です。

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