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天覧試合

  

 湧き起こった歓声がすり鉢状の競技場を包む。まず初めに入場したのは王城と王都の守りを固める近衛師団で、次いで都市ごとに置かれた地方師団と東西南北の国境を警備する城塞師団とが一糸乱れぬ隊列を組んで後に続いた。軍部が主催し国王と王妃が臨席しての天覧試合はネヴェルネス王国で年に一度開催される剣技の大会で、隊列は各師団ともに選りすぐりの代表者で構成されている。そのおおよその総数は三百名ほどか。男女比率は八対二と意外にも女性軍人の活躍が目立つ。


 さて、早くも天覧試合の当日である。満員の一般観客席に列座するのは爵位持ちの貴族と王都でも取り分け裕福層にあたる一般の市民で、正面上階に常設の特別貴賓席は天幕と王家の紋章が入った横幕で覆われていた。やがて国王ロドルフと王妃ベッティーナの出座により競技場内にいる全てが起立して敬意を表し、軍部総帥たる王弟ラウルが高らかに天覧試合の開幕を宣言する。ここまでは例年通りの仕様だ。


 だが一つだけ例年とは異なる光景があることを、王太子アルフレッドと第二王子マリユスは見逃さなかった。


「あれ? 兄上、母上の隣にどなたかいらっしゃる様子ですね」

「そのようだな。あれは……」


 正式な軍装に身を包み帯剣した二人は最終の剣舞披露を控え、後学のため会場脇の吹き抜け通路から競技を観覧している。試合は参加者を数組に振り分けての勝ち抜き方式で、同時進行の初戦を終えた会場は応援と激励が飛び交う盛り上がりを見せていた。そのような中で、すり鉢状に伸びた観客席の土台となる柱の合間から貴賓席を仰ぎ見てみれば、横幕で陰になった部分へ両親がたびたび視線を移しているのが分かる。


 王太子アルフレッドは、じっと目を凝らした。ふと横幕の隙間から年若い令嬢が好むような明るい色の布地が見える。身に着けているドレスの裾だろうか。公式の場で父や母と並び貴賓席の滞在を許される人物となれば、思い当たるのは一人しかいない。


「どうやら例の父上のご側室も一緒のようだな」

 

 兄の判断にマリユスが軽く目を見張った。未だ自分たちも対面が叶わない父の寵姫と呼ばれる幻の側室が確かにそこに存在して、しかも正妃である母の横側に席を設けている。この場合はそれぞれを慮って父のロドルフ側に付けるのではないのか。


 ……いや、夫の後宮に対して、広い心を持つあの母だからこそ成り立つ関係なのかもしれないが。


 アルフレッドが隣に目配せをすれば、弟も同じ感想を抱いていることが分かる。その表情はとにかく信じられない、新たに側室という異分子が揃った貴賓席には違和感しかないということだろう。ごくん、とマリユスの喉が鳴った。試合の一つが決着でも着いたのか、わぁっと一際大きく上がった歓声がどこか遠い他所事のようにも聞こえる。


「どのような方なのでしょうね、父上のご側室は」


 マリユスからの問いかけで我に返ったアルフレッドは、余りの取り憑かれようだと自嘲するしかない。


「さてな。私も会ったことがない」

「こうして非公式にも表に出したのです。せめて王族内だけでもお披露目されれば良いと思うのですが……父上は私たちを警戒されているのでしょうか」

「警戒? 何故、そうする必要がある」


 え、だって、とマリユスの言葉が乱れる。


「ご側室は父上よりも私達とのほうが年回りも良いですし……恐らくお美しい姫君なのだと思うのですよ」

「それで父上が我々に悋気を起こしていると?」

「うーん、そう言われると全く想像がつかず否定したいところではありますが」

「……他に何か理由があるのかもしれないな」


 大歓声の競技場内は各組の試合が順調に進んでいるようだ。早くも中盤へと差し掛かった辺りだろうか。再びアルフレッドはちらりと貴賓席を盗み見た。父が観戦の合間に母と言葉を交わしている。普段と変わらない両親の姿に安堵を覚えたのも束の間、母を通り越して幕内に視線をやったロドルフが途端に相好を崩したのを見て胸中に波風が立った。


「っ?!」


 息を詰めるアルフレッドにつられて、貴賓席を見上げたマリユスも感嘆の声を洩らす。


「へえ。父上もあのようなお顔をして笑われるのですね。初めて見ました」

「確かに……そうだな」


 母に比べると遥かに感情が分かりやすい父ではあるが、国王として喜怒哀楽の全てに威厳を持ち合わせた顔しか知らない。これが男女の機微だと言われてしまえばそれまでだが、この消化しきれない歯がゆい感情は何なのだろうとアルフレッドは自身の胸に手を当てた。


 巧妙に隠された存在に対する好奇心なのか、それとも禁止された事柄に逆らう反抗心なのか。


「兄上?」

「父上は一度懐に入れた者に対して殊更に寛容になる傾向があるが、その分、懐に入るまでが狭き道だ。その父上に認められたご側室というのは興味深い存在だな」

「アルフレッド」

 

 思いがけず背後から声がかかり、振り向いたアルフレッドとマリユスの前に叔父のラウルが姿を見せる。軍部の正装から装飾を取り外した訓練服に着替えを済ませたラウルは、優勝者との最終戦に向けて観覧席から移動してきたようだ。大股で二人に近接してはアルフレッドの肩に気安く手を置いた。


「マリユスと二人して何を見上げているのかと思えば、姫さんか」


 国王の幻の側室について、姫さんかとあっさり告げてくる陽気な性分の叔父に面食らう二人だったが、それでも軍部所属のマリユスのほうが場数を踏んでいるのか早く回復したようだ。


「叔父上は父のご側室と面識があるのですか?」

「まあな」


 初っ端からはぐらかされそうな気配にアルフレッドも二の矢三の矢を放つ。


「ご側室を戦禍のカスタリア王国から救い出したのが叔父上だという噂ですが、その際にお会いになられたのですか」

「うーむ、どうであったか」

「まさか叔父上が後宮に推薦を? ここまで秘匿されるのには何か訳があるのですか」

「さて、陛下のお心は計り知れないからな」


 ……狸親父め。


 内心でアルフレッドは毒づいた。流石は海千山千の政敵を相手にしてきた叔父だけに、ロドルフに似て手強く簡単には口を割らない。その上、どちらかと言えば父よりラウルのほうが冗談交じりに人を弄ぶ傾向にある。ぐっ、と反撃に身構えたアルフレッドとマリユスの嫌な予感は見事に的中した。にや、っとラウルが口角を上げたのだ。


「そうだな、姫さんはなかなかに見目麗しい方でな。国王陛下の()()()()()なのだ。他の悪い虫を近づけさせたくないのであろう。……父の寵姫に其方達が興味を持ってはならぬぞ」

 

 正しく呆然とする二人に向けて、はははと豪快に笑い声を飛ばしたラウルが側近らを引き連れて場を離れていく。


「狸親父め」

 

 叔父の背中を睨めつけるアルフレッドの心の声が、今度ははっきりとマリユスの耳に届いたのは言うまでもない。




 一方の貴賓席では国王ロドルフと王妃ベッティーナ、そしてディオーネがひとしきり観戦談義に花を咲かせていた。ディオーネの滞在部分は横幕に囲われ陰となっているが、前面部のみ何層にも重ね合わせた細長の薄布を天幕から垂らした仕様で、指を掛ければ隙間から試合が覗けるように調整されている。


 当初、ディオーネが期待したミラベルの出場は本人たっての希望で貴賓席の警護に専従したため叶わなかったものの、競技場内の随所で行われた対戦はどれも卓越した剣技で見応えのあるものばかりである。各組を勝ち抜いた上位者には軍部の花形とも言える近衛師団への推薦が貰えるとのことで、地方師団や城塞師団の者は大いに発奮し、迎え撃つ近衛師団の者は矜持にかけて負けまいと全力を尽くす白熱した試合が展開された。


「どうだ、ディオーネ姫。ネヴェルネスの軍人は皆が逞しいであろう。これらの若者たちの中に姫のお好みの者はいるかな」


 終始にこにこと笑みを絶やさないディオーネに、多少は無理をしても連れてきた甲斐があったとロドルフの機嫌は上昇する一方である。ふと戯れに軽口をついて、隣に座るベッティーナから眉根を寄せられても気にする様子はない。


「姫を困らせて、仕方のない人ですね」

「早々にこのような機会はないのだから、姫の好みを知っておくのも良いではないか」


 毒にも薬にもならない話題だと呆れるベッティーナの隣で、競技場を一度覗いたディオーネはベール越しにロドルフへ視線を戻して首を傾げた。


「そうですね……どの方も素晴らしいのですが、わたくしには陛下以上に好ましいと思える殿方はいらっしゃいません」


 但し、父親のような、という形容詞が頭につくことをこの場の誰もが理解している。とは言え天然混じりの予想外の返答にロドルフは思わず相好を崩した。


「聞いたか、ベッティ。姫が何とも可愛らしいことを言ったぞ」

「ええ、それはようございましたわね」


 年頃の娘は時に難しく相手をするのに気を遣うと、ディオーネと同じく十四歳の娘を持つラウルがよく言ったものだが、それでも娘とはこのように愛らしい存在なのだなとロドルフは男親の心境を味わう気分だ。そうこうする内に割れるような大歓声が場内に響き、いよいよ今年の天覧試合も最終戦を迎える。


 ひと時の休憩後に優勝が決すると、ロドルフとベッティーナはその場に立ち上がって惜しみのない拍手で優勝者の剣技を称えた。満員の観客と一緒にディオーネもまた天幕の陰から心よりの賞賛を贈る。表彰後は軍部元帥のラウルと優勝者による特別試合が行われ、案の定、ラウルが圧巻の強さを見せつけて終わるのであるが、会場の興奮が冷めやらぬ中で残すは王太子アルフレッドと第二王子マリユスの剣舞奉納のみとなった。


 二人の王子の入場に伴い、再び観客席から歓声が巻き起こる。今度は貴族令嬢たちの黄色い声援が大部分を占め、若く麗しい王子たちの余りの人気ぶりにディオーネは目を丸くしてベッティーナへと振り向いた。


「王子殿下方は大人気なのですね」

「そのようですね。ディオーネ姫、あれに見える黒髪の息子が王太子である第一王子のアルフレッド、栗毛の髪をした息子が第二王子のマリユスです」


 ベッティーナからの紹介を受けて、ディオーネはもう一度薄布に隙間を開けて競技場に立つ二人の王子を交互に見つめる。王太子アルフレッドの青みを帯びた黒髪と茶色の瞳は、国王ロドルフと王弟ラウルに共通するネヴェルネス王族の特徴を受け継いだものだが、その容貌は母のベッティーナに似て目鼻立ちがはっきりしている。逆に第二王子のマリユスは母親譲りの栗毛の髪に琥珀色の瞳が印象的だが、顔つきは涼やかで若かりし頃のロドルフを彷彿とさせた。どちらの王子も容姿の部類は異なるが、しなやかに伸びた肢体に王族としての気品を纏わせる美少年だ。


 学士の演奏を受けて二人の剣舞が始まった。規定の型に沿って時に激しく時に緩やかに、緩急をつけた剣技の舞で観客を魅了する。その攻守の立場が入れ代わる度に令嬢たちの悲鳴じみた歓声がひっきりなしに漏れ、奏でられる音楽をかき消す勢いである。


「わぁ、美しいですね」


 例外なくディオーネも今日で一番の喜びの声を上げる。何となくそれがロドルフには面白くない。


「うむ。因みに姫は息子たちのどちらがご贔屓かな」

「どちらの王子殿下も、お慕いする両陛下によく似ていらっしゃいますもの。優劣のつけようがございません」

「そうか。間もなく剣舞の奉納も終わる。私が閉幕を宣言すれば観客も一気に動くことになるだろう。今より姫はここを出て、先に王城へ戻られるが良い」


 はい、と素直に頷いたディオーネを見て、ロドルフは横幕の外で控えるミラベルを招き入れる。


「ミラベル。後宮に辿り着くまで姫の警護を怠るではないぞ」

「はっ。肝に銘じます」

「それでは両陛下、お先に退出させて頂きます。本日は格別なご配慮を賜り、ありがとう存じます」


 辞去の挨拶を終えたディオーネはミラベル以下、護衛を務める第三分団の女性兵士らに取り囲まれて競技場を後にする。裏門に密かに横付けされた馬車へ乗り込む頃に王子たちの剣舞が終わったのだろう、一斉に拍手が鳴り響いた。こうして世間で言うところの幻の側室は、殆どの衆目に触れることなく帰路に就いたのだった。ただ一点、王太子アルフレッドと第二王子マリユスの心に混迷を齎したことは知る由もない。


「両陛下。元帥閣下がお越しでございます」


 閉幕を目前に控え、ディオーネと入れ替わるようにラウルが貴賓席へ到着した。一段低いところに並び立ったのを見て椅子から腰を上げたロドルフが、天覧試合の閉幕を競技場内に告げる。


「今年も無事に終わったな。ご苦労であった、ラウル」


 ベッティーナと共に観衆へ手を振るロドルフに、無事ではなかったがな、とラウルが不穏を漏らした。


「どうした」

「アルフレッドとマリユスが姫の出座に気づいていた。そわそわしていたぞ」

「何とも不愉快だな。私は娘を持つ親心を自覚したばかりなのだ」


 茶番はやめてくださいとラウルに睨まれ、ロドルフは軽く肩を竦める。


「姫の護身のために情報規制したことが裏目に出たかもしれん。まぁ、釘は刺しておいたがな」

「ならば良い。因みに、特に興味を示していたのはどちらだ」


 考える間もなくラウルの返しは即答だった。


「アルフレッドだ」


 どちらかと言えばマリユスのほうが恋愛対象と見なさずとも興味を持ちそうだと考えていたロドルフは、まさかの第一王子の名前にようやく顔つきを緊迫したものに変える。一連のやり取りを傍らに立つベッティーナが静かに見定めていた。

まだ後宮に入って日が浅い側室が父親の素の表情を引き出したことに、驚きいっぱいのアルフレッド。マリユスはどちらかと言えば、どんな方かな、恋人である従妹と友達になってくれる方だといいのに程度の関心です。


次は、国王夫妻の望み、です。

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