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散りゆく孤高の姫

 

 ―――生きたい、と思った。


 高台から平野を見下ろせば、無数の敵国兵が波のごとく押し寄せている。


 今年の豊穣を祝ったばかりの田畑は見る影もなく踏み荒らされ、民家は炎を上げて激しく燃え盛り、延々と昇り続ける黒煙が辺りを染めた。


 火の粉と灰が混じった粉塵、建物が焼け焦げる異臭。徐々に近づくのは母国を蹂躙する侵略者たちの足音と、戦いに昂った野太い声、声、声。


 神殿を背にする少女は眼下に広がる無残な光景に、震える自分の体を強く掴んだ。いっそのこと気が遠くなる感覚に身をゆだねて、次に目を開けた時には何て酷い悪夢だったのだろうと寝覚めの悪い朝を迎えて済むのならば、どんなに幸せなことか。


 だがこれは現実なのだ。


 ……怖気づいてはいけない。まだ守るべき者がここにはいるのだから。


「あなたも逃げなさい、ナイア!」

「嫌でございます!  わたくしは姫様のお側に」


 毅然と振り返った少女に、涙を滲ませつつも強固な眼差しを向けた侍女が決意を訴える。幾度となく繰り返された問答でもある。時間の余裕が無くなった今、これ以上の説得はできないだろうと少女はキュッと唇を引き締めた。


 侍女が真摯にひとつ頷く。侍女にしてみれば生涯をかけて仕えると忠誠を誓った(あるじ)だ、最期まで供をするのは当然の帰結であった。


 少女の名前はディオーネ・ティア・カスタリア。世界神話に語られる、人類の祖を生み出した原初の女神が天上より最初に降り立った大地、神聖カスタリア王国の第一王女である。


 いや、正確には「元」と言うべきか。


 再び平野を一瞥して顔を上げたディオーネは、遥か遠い王都の方角へと目を細めた。王都の最奥には森に囲まれ屹立するカスタリア王城がある。殊更華美ではないが悠久の歴史を感じさせる造りの荘厳な城は、建国以来、長らく国民の誇りであり心の拠り所であった。


 その王城が燃えている。


 常ならば青く美しい王都上空が、黒煙で灰色に塗り替えられている。異変を目視できたのは前日のことだ。侵略は城が位置する王国の北から始まり、幸か不幸か、最南の神殿に敵国兵が押し寄せるまで一日あまりの猶予を得た。


 王女の盾となるべく残る、と言い張る神殿領内の民をディオーネ自らが説得し、あるいは誘導して、その(ことごと)くを周辺の山中に逃がすのに十分な時間だった。


 それでも足腰の弱い年寄りや子供は、まだ山中の深くまで分け入れないでいるかもしれない。


 国が侵されたのだ。どのみち王族の自分が生きて逃れられるとはディオーネも思っていない。ならば自ら囮となって神殿に敵を引きつけ、僅かでも多くの時間を稼ぐことができるのならば命を散らすのも無駄ではなくなる。


 最期の刻まで王女としての責務を果たす。その信念のもと、ディオーネは数百の神殿領民の命を背負い高台に立っている。


「姫様、前門が破られます! 後園に退避いたしましょう。脇から下る小道なら敵もまだ気づいていないはずです」


 神殿を護衛する兵士と敵兵らが交戦を始めた気配に、侍女が慌ててディオーネの体を揺する。


 神殿兵士の数は多くない上に戦い慣れていない。すぐに突破されるはずだ。最期まで供をするにしろ、このまま容易に主の命を散らせてなるものかと侍女は必死に窮状を訴えた。


 そっと瞳を閉じたディオーネは、焼失したであろうカスタリア王城に思いを馳せ、別れを告げる。


「姫様……」

「行きましょう、ナイア」


 いずれ捕まり奪われる命だとしても、儚く諦めることはしたくない。白を基調とした衣装の口の広い袖を翻すと、ディオーネは侍女の先導に従って神殿の建物を迂回し後園へと抜けた。


 森の木々を掻い潜って脇から伸びる小道を下れば、小さな神泉がある広場に出る。領民も滅多に迷い込むことがない、神殿関係者のみが知る憩いの場所だ。


 少しだけ戦闘の気配が遠のいた環境に侍女と二人で弾む息を整える。束の間の安堵だった。


 ガザリ、と近くの茂みが踏みにじられる音がやけにはっきりと耳に届いた。敏捷に振り向いたディオーネの目に、下卑た笑みを浮かべた雑兵たちの姿が映る。


「ほう、こんな所に獲物がいたとはな」


 その数はおよそ十人程だろうか。明らかに異国のものと思われる武器を抜き身にして、身動きが取れないでいたディオーネと侍女をあっという間に取り囲む。


 そのうち隊長と思しき男が、見開いた目を更にギラリと興奮させた。


「その髪色と瞳……さては王族の姫だな! 王族は皆殺しとの命令だ。だがその器量、慰みに献上すれば喜ばれるかもしれん」


 生け捕りにしろ、との号令に異常な熱気を纏った兵士たちがじわりじわりと包囲網を狭めていく。咄嗟にディオーネを庇い前へ出た侍女に、一人の敵兵が剣を振り翳した。


「駄目……ナイア!」


 侍女の背に手を伸ばしながら、間に合わないとディオーネは顔を強張らせる。ぐちゃぐちゃな感情が一気に頭の中を席巻した。


 ……助ける、助けたい、あなたは死ななくていいのに。私も……生きたい。


 一瞬だった。


 ヒュッと風を切る音がして、目の前の男が呻き声を上げる。どさり、と地面に伏した男の背には数本の矢が突き刺さり、恐る恐るよく見てみればすでに絶命したようである。


 それを皮切りに次々と新たな手勢が茂みから飛び出し、取り囲む男たちと一斉に交戦を始めた。予想もつかない展開にディオーネたちが呆然とする間にも、新手は見事な連携で優勢を勝ち取っていく。


「間に合ったか!」


 叫んだ指揮官らしき長身の男が、剣を払ってディオーネたちの前に闊歩してきた。


 年は四十を過ぎたあたりか。他国の紋章が入った鋼の鎧にマントを纏った身なりは、それなりに高位の身分であることを窺わせるものだったが、敵兵を一掃したからといって新たな手勢が味方である保証はどこにもない。


 ディオーネは侍女と身を寄せ合いながら、より一層の警戒を強める。それを余裕そうな表情で、ふっ、と男が笑った。


「そう睨みなさんな、って……」


 距離が縮み、男の視線とディオーネの視線が交差する。


 一転して男は表情を無くした。言葉を詰まらせて足を止める。いや、自分の意志で止めたのではない。不可思議な力に惑わされるように、一歩も動くことができなかった。


 男はゴクリと喉を鳴らす。


 この地を統べるカスタリア王族は、天上より降り立ち人類の祖を生み出した原初の女神の末裔である。数千年もの時を経てなおも受け継がれる容貌は、白銀色の美しい髪と至高の宝石のような深い紫色の瞳―――


 深紫色に輝くディオーネの双眸に、不覚にも男は射抜かれていた。

おーい! 司令官、おーい!


そんなこんなで始まりましたこの物語、以前別サイトで掲載していたものを大幅に加筆修正しての再録です。話の大筋は変わりません。


次は救出と隣国の王です。

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