細胞の記憶を取り戻すように
目の前に人智を超えた魔物が現れる。
魅火が俺に襲いかかってきた時と似たような、生物としての危険信号が俺の本能に警告を出している。脂汗をかいて、体感の不快さに拍車がかかる。
ヴァルザーギは敵を確認すると、一瞬で背中に納刀されてある槍を抜いた。太陽に照らされて美しく輝いている。
「大きく迂回して馬車に向かえ!その間、俺が時間を稼ぐ!」
勇ましく堂々と構えている姿に頼もしさを感じる。俺は「わ、わかった。」と言って、後ろにある十字路を曲がり、走った。
曲がった瞬間に激しい衝突音が聞こえた。ヴァルザーギは無事なのか、俺は一抹の不安を覚えた。それと同時に一種の情けなさを痛感した。俺よりも二回りほど若い男に庇われて、本当に情けないと思った。
距離にして大体150メートルくらい走った。もうそろそろ曲がって、もといた道に戻ろうと考えた。その瞬間だった。
少し先に、8本の足を持つ蜘蛛のような体駆をした魔物が見えた。目が紅く、体の紋様は鬼を彷彿とさせる。脚が鋭く尖っているからか、地面に脚が接した瞬間にカツンッという音が聞こえてくる。
それよりも、その先に人間の少女がいることの方が問題だった。ボロ雑巾のような布を着ていて、遠目から見ても痩せほそっているのが分かる。
幸い、蜘蛛のような魔物は俺に構う様子もなく、一直線に少女を見ている。少女は微塵も動く様子はない。
俺はやばいと思ったが、その思考とは裏腹に、体は曲がり角の方を向いていた。その体を必死に止める。
「流石に逃げちゃダメだろ……。俺……。」
深呼吸して、自分の手に描かれた紋を見た。今度こそきっと大丈夫だと自分を無理矢理信じ込ませる。
紋を見てそう念じた時、俺の中で何かが外れた気がした。
俺の体は昔の自信に満ち溢れたのを思い出したかのように活気だつのを感じた。
この時、俺は自分自身に催眠をかけるという方法を、危機の中で学んだ。
あぁ、懐かしい…。今なら、いける!!!
俺は魔物に向かって全力で走り出した。気持ちばかり先行していて、速度はあんまり出ていないとは思うが、それでも自分の出せる最速を意識した。
魔物は少女を手にかけようとしていたが、俺の気配を察してか、急に手が止まる。
目標を俺に切り替えたのか、鋭い脚が俺に飛んでくる。俺は魔導書を盾のようにして構えた。魔導書は自身だけを守るかのようにドーム状の防壁を張った。見事に蜘蛛の脚は魔導書を捉えたが、弾かれる。
それどころか、防壁に当たった瞬間に蜘蛛の脚が剥がれた。
「チャンス!!!」
俺は軽い少女を抱えて走り出した。