夜空に浮かぶ2つの月
『ワォォォォォン!!!』
フェンリルがリルの後ろに現れると、即座にリルへ襲いかかった。
大きな右前脚から繰り出される強烈な一撃だ。
流石のリルでも、防御しないと痛手となるだろう。
俺が今すぐに走っても間に合わない。リルが避けなければ絶対に被弾する。
そしてリルが後ろへ振り返ると同時に、フェンリルの爪がリルの体へ食い込──
まなかった。
「ガハッ......痛ぇ」
「え......?」
久しぶりに身を挺して誰かを守ったが、かなり痛いな。
今はそんな事どうでもいい。リルが無事ならそれでいい。
あの一瞬で、よく行動詠唱に転移を選択したな、俺。褒めてあげよう。
「やぁ犬っころ。狼より犬の方がお似合いだぞ?」
『ガルルルルルゥゥ』
「唸ってねぇでさっさと来いや! このポンコツAIがよぉ!」
『ワフッ!』
フェンリルは人の言葉を理解する。そして行動も理解し、作戦を口頭で伝えようものなら先回りされ、口頭で伝えずとも先回りされる。
これは幻獣やサタンなどの、高性能なAIが積まれているモンスターに共通する事だ。
そしてフェンリルは幻獣として最初の関門だ。頭を空っぽにして戦わないといけない。
「フー......いや、辞めよう。ここは俺の力でやろう」
一瞬、俺が左手に刀を顕現させようとしたのを読んだのか、フェンリルが大きく後ろへ跳んだ。
「アホ犬が。ビビり散らかしてんじゃねぇぞ」
リルは一切臆する事無く戦ったぞ。それに対してこのフェンリル、人間に対して慎重になりすぎだ。
「おいおい、幻獣ってのは人間に後れを取る生き物なのか? 過去に神獣と呼ばれて、楽チンな勝利が息づいているのか?あぁ?」
『ガルルルルル!!』
「唸ってねぇで答えろよ! リルはちゃんと答えたぞ!
お前みたいに動かねぇで見ているだけじゃなく、俺を殺す気で遊んでたんだぞッ!!!」
あの時はお互いにヘラヘラして全力で『遊んで』いた。
デスペナルティも痛くない。ただ出会えた事に感謝し、お互いの命を奪い合った。
全く先の読めない互いの行動に、フェイントや小手先のテクニックだけで削りあった精神。
一撃が重い故に、喰らってはいけない体当たりを喰らって消えかけた俺のHP。
あの熱い、それこそ血が沸騰する様な熱い戦いはどこへ行った?
10メートル先で立ち竦む犬に、俺は吠えた。
「それがどうだ? お前みたいなただの狼がフェンリルを名乗るゥ? ハッ、バカじゃねぇの?
フェンリルってのは唸って吠えて、4本も足があるのに1歩も動かねぇヤツを言うのか??」
「そんなヤツ、もうフェンリル辞めろよ。リルに失礼だ」
コイツを見ていると、段々と何も出来ない自分と姿を重ねてしまう。
「お前もうダメだよ。狼を名乗るのを辞めてくれ。月を象徴するのは辞めてくれ。リルが可哀想になるだろう? なぁ」
「なぁ......動いてくれよ、俺......」
俺は涙を流しながら、1歩も動かない自分に絶望した。
「これじゃあ......リルの家族なんて......言えないだろう? 頼むよ、動いてくれよぉ! なぁ!」
自分の足をどれだけ叩いても、前へ進むどころか後ろへ振り返る事も出来ない。
そして目の前の犬は一頻り唸ると、大きな息を吐いて俺に近寄った。
『人間よ。1つ、昔話をしよう』
「......え?」
『ある女が言った。『月は2つも要らない』と。
そしてある男は言った。『月は2つ必要』だと。
女は夜空に浮かぶ、2つの半月が気に入らなかった。
『あの不完全な月は月ではない。全くの別物』だと。
だが男は言った。『月とは2つで1つ。我々の様な存在』だと。
しかし女は言う。『私達は満月同士の存在だ。あの様な欠けた存在ではない』と。
男は納得したように頷き、女を殺してから言った。『月は2つも要らない』と』
『人間よ。お前は私に月の象徴を辞めろと言ったな』
「......あぁ」
『それは本来、男が女を殺したように、月は2つも要らないからか?』
「いいや。お前は月じゃないからだ」
『して、それは何を指す? お前の月とは何だ?』
何なんだコイツは? 何故昔話をする? 何故俺に質問する? 何故俺と話したがる?
それじゃあまるで──
「フェンリルじゃないか.....昔の」
昔の。そう、リルだ。あの時のリルも、俺とおしゃべりをしてくれた。
『ならば私も月のはずだ。だがお前は否定した。何故だ?』
なんだコイツ。リルが居るのに、一丁前にフェンリル名乗やがって。
絶対にポリゴンに変えてやるからな。
よし、覚悟を決めよう。例えここで俺が死んでも、後ろに居るリルだけは守ると。死ぬ直前にバカみたいに魔法を撃ちまくって、絶対にリルだけは生かしてみせる。
「すぅぅ......はぁ。あのな、フェンリルってのはこの世に一体しか居ない」
『ほう? それは私だな』
「リルに決まってんだろ。バカかお前」
『......』
「それとな、俺の中では月は2つある。1つはリルという月。皆を優しく照らし、絶対に無くてはならない存在だ。そして月が照らすには、太陽が必要だ」
「太陽はもう居るんだ。リルの母親である、ソルがな。
ソルは全てを明るく照らし、月にパワーをくれる存在なんだ。俺の大切な婚約者だ」
「そして最後に、もう1つの月。それはお前でも、お空に浮かぶお月様でもない」
「俺だ」
「リルが優しく照らせなくなった時。ソルが皆に送るパワーが無くなった時。その光を浴びて育つはずのものが育たない時......そんな時に俺は居る」
「ステラ『癒しの光』『鼓舞の光』」
「その象徴がこの剣だ。お前はステラの錆にすらなれない、月の欠片以下の存在だという事を教えてやろう」
「本当のフェンリルはリルただ1人。元女神のアルテミスが育てたリルだけだ。お前の様なパチモン臭ぇ犬じゃない。本当のフェンリルだ」
「これで最後だ。いいか? よく聞け。お前みたいな紛い物のフェンリルがなぁ、本物のフェンリルである、リルを穢すなぁ!!!!!」
俺がどれだけの愛情を込めてリルと一緒に居ると思う?
俺がどれだけリルに救われていると思う?
俺がどれだけリルに感謝していると思う?
俺がどれだけ......
「俺がどれだけ、リルが好きか分かってねぇだろアホ犬がぁ!!!!!」
気付けば俺はフェンリルの方へ駆け出し、ありったけの力を込めてフェンリルの鼻をぶん殴っていた。
ただの八つ当たりパンチでごめんな。
『ぶふっうぅぅ!!!』
「はぁ......はぁ......」
痛みで後退するフェンリルを追いかけようとすると、突如左手を誰かに掴まれた。
「父様」
「リル」
リルは1度フェンリルの方を見ると、首を横に振って残念そうに言った。
「確かに、アレではフェンリルを名乗る事は許されませんね。フェンリルとはどういう存在であるか、今一度あの犬に教えてあげましょう」
リルの瞳には小さな闘志の炎が燃えており、俺はリルの頭をワシャワシャと撫でた。
「んんー!」
「行ってこい。フェンリルの力を見せてやれ」
「はい!......ですが、その前に父様」
後ろへ下がろうとした俺をリルが止めた。
「仲直り......しませんか?」
次回『半月はやがて満月となる』