第二十一話『白魔導士の辞書は順風満帆を知らないです』
めちゃくちゃなことして颯爽と帰っていったレウシスの背中を見つつ、口を開く。
「さてと。俺はここでお別れってことでいいのかね?」
「えぇぇ、嫌ですよぉ。もっと一緒に冒険したいですぅ」
「ニーヴェ――いや、ニーヴェルング、と呼んだ方がよいかの?」
二ーヴェルング……生まれた時につけられた名。しかし俺は自分の姓を覚えていない。「ヴァイス」というのは、あとからもらった姓だ。
「いや、ニーヴェでいいよ。長いし、それに……長いし」
「長いしかデメリットがなかったんですね?!」
こいつらに過去を話すには、あまりに親密度が低いかな。
「それでニーヴェよ、お主はなぜこのパーティに残らんのじゃ? そんなに一人がよいのか?」
いや、あまりこのパーティに長居してるとバカが移りそうで恐いから。そんなこと言ったらギタギタにされて吊るし上げられそう。おそらくこいつらはそれくらいならする。これ以上の辱めには耐えられないので自粛しよう。
「まぁそんなとこ。短い間だったけど、ありがとう。じゃあね」
いつもなら、何も感じなかった。だけど今回は少し……寂しい、かな。それでも俺は日雇い白魔導士。切り替え、切り替え。
さて、アズを探すか。
歩いて二十分くらいだろうか、食堂で丸パンを美味しそうに頬張るアズを発見。
「やっほー、アズ」
「ひゃうっ!」
後ろから声をかけたので、アズは飛び上がった。比喩じゃなく、座った状態で本当に飛び上がった。そんな身体能力があったとは。俺の代わりに戦ってくれても――ダメじゃん、それじゃ当初の目的達成できない。
「わぁ、ニーヴェ! よかった、生きてたんだね!」
死んでると思ってたのか。
「生きてるわ。アズはどうだった?」
「何が? 寂しくなかったかっこと? ニーヴェって表面上悪口言うだけの地味な白魔導士だけど、本当はとっても優」
「いや、この一日でいくら使ったかなって」
パチンッ。フシュゥゥゥゥ。
「いってぇっ! アズそれで魔獣倒せるんじゃないの?!」
なんだかんだアズって戦闘強かったりする? それともこういう弱い人間へのビンタだけは湯気出るくらいに強い系女子?
「…………」
無言やめて。怖さ百倍なんだが。
「…………百三十ゴールド」
「さっきまでの無言は計算中ってことだったのね?! しかも百三十ゴールドって、昼夜朝の三食と宿賃でそれはめちゃくちゃ安くない?」
俺の二食分とほぼ同じなんだが。
「ほんと?! いやぁ、私節約得意なんだよね〜」
図に乗るなよ。あと四日もすれば、売り払った家の代金がもらえるんだ。そうすりゃまた湯水のように使えるんだよぉ、ぐひゃひゃひゃひゃぁ!
笑い方気持ち悪っ。
「ま、まぁそれはありがたいとして、そろそろナリアトに行った方がいいと思うけど」
一日だけ過ごす予定だったのに、ついつい二日過ごしてしまった。いやぁいい街だよここは。サイコパスはレストランを残骸にするし、住民は俺のことを惨めなもの見るような目で見てくるし。さっさと離れさせてくれ。
「そうだね。スケイオがいなくなったナリアトがどれだけ栄えてるか、今から楽しみだなぁ!」
フラグという聖塔の建築をこうも簡単にしないでください。
ともあれ俺たちはお世話になったソロップを離れ、ナリアトに向かった。なんだかんだ徹夜してるから体が思うように動かないニーヴェ氏だった。
今回の移動は午前中ということで、涼しいし明るいしで快適すぎて最高。
「なんだか気持ちよさそうだね、ニーヴェ」
「うん、ほんと気分よくて昇天しそう。今風が吹いたら俺確実に天に昇」
涼やかに風が吹いた。それはとても広いこの草原に満たされた爽やかな大気を、俺たちに届けてくれるような風だった。
「…………嘘は良くないよ、ニーヴェ?」
なんで嘘を吐いただけで両の拳を組み合わせてパキパキするのを見せられにゃならんのだ。
アズって危険思想すぎて野放しにしとくと三日くらいで獄に繋がれそうで恐いよね。
「まぁまぁ。そんな殴ってまで昇天させようとしなくてもよくない?」
俺が嘘を吐いたパターンの場合もニーヴェ昇天が実行されるような算段してやがった。こういうとこだけ頭回しやがって。
「ちょっと最近調子乗ってるから叩き直そうと思って」
物理的に叩いて直そうとするのやめてください。
ソロップからナリアトまでの道のりは、あまり魔獣出現の報告はされていないから実家のような安心感で歩いて行ける。所要も歩いて二時間と割と近い。
「落ち着こうアズ。そのテンションじゃナリアトまでもたないよ?」
涼やかな風が吹いた。否、それは熱気を伴った、作為的な風であった。頭上で何かが陰をつくる。視線を上へと向け、俺はそこに見えたものに絶句する。眼を見開き、これ以上動けない。
「ま、魔獣…………」
俺たちの頭上に現れたのは、大翼を持った飛龍、エルレクド。金色の鱗を陽の光に煌めかせ、翼をはためかせて空中で俺たちを見つめる。体長は、先程までこれでもかと見てきた二階建て住居の高さと同じくらい。感じたのは恐怖――それだけだ。
なぜ。目的地であるターニュの周囲にはたくさん棲息していることは知っていた。しかしここはまだソロップの近く。ターニュまで歩いて八時間ほどあるし、エルレクドが飛んで移動したって一時間はかかるはずだ。
ターニュの住民やそこに近づく者たちを狙っては一呑みを繰り返す、王国の厄介な魔獣の中でも五本の指に入るほどに強い。
テンションだけじゃない。まずナリアトまで命が持たねぇ。
「グルルルルル…………」
「エル……レクド……? 何で……?」
「わからない。けど、逃げなきゃ。このままじゃ食われて終わりだ」
まずい……何か、嫌な記憶があった気がする。心の奥底に封印していた記憶が。まだそれを解くことを俺の理性は許可していない。しかし本能はこじ開けようと必死だ。
「行くぞ、アズ。刺激しないように……でもとにかく素早く」
「……わかった」
少しずつナリアトへと歩を進めていく。しかしエルレクドから目は離せない。恐怖が、俺に視線を逸らさせない。
「なぁアズ」
「今から俺のことお姫様抱っこできる?」
腕力強化の魔法もあるけど、詠唱している暇はない。
「……は? 何言ってんの? 来世に期待しなよ」
「なるほど死ねと申すか」
いやぁいいと思うんだけどなぁ、ニーヴェちゃん抱っこ。我ながら気持ち悪っ。
「なんだかこんなに緊張しなきゃいけない場面でこんなこと言えるのニーヴェだけだと思う」
「緊張してないわけじゃないよ? むしろ緊張してるからこそのこの軽口だと思ってる」
こう言いながらも、何も仕掛けてこないエルレクドに少し不信感を抱く。鋭く光る眼が俺の眼を捉えたまま、ここまできても離さない。
「グルルル……」
「くそ、逃げ切れるか……っ?!」
今更迷いは要らないことはわかっている。アズとアイコンタクトを取り、魔法の詠唱を始める。
エルレクドとは少しだけ距離がある。遠距離攻撃はしてこないし、それほど素早いわけでもないから、まだ攻撃される心配はない。
詠唱完了。今回は速度上昇の魔法を弱めにかけるだけだったので、すぐに詠唱が済んだ。
「行けっ!」
俺の掛け声とほぼ同時に、いつその時が来てもいいように神経を研ぎ澄ましていたアズが俺の手を取って駆け出す。
「ギィヤァァァァァアッ!」
なんでこう魔獣ってどいつもこいつも鳴き声がアホなの? こいつは悲鳴かと思ったわ。
視界は飛ぶように過ぎ、半ば引っ張られているだけの俺はそれでも何とか足で地をつかもうとする。
「もう少しスピードを上げてもいい?」
「上げられるならそれに越したことはな――」
まずい。記憶の喚起は緊張の水面下で着々と進んでいたようだ。




