予期せぬ出来事
「ええと……ここを少し攻めてやれば……」
試行錯誤していた将吾の手元から、軽い金属音が響き渡る。どうやら、それは鍵が その役目を果たせなくなったからのものらしい。
「よし、これでいい。さっさと出よう」
将吾の言葉に、俺は無言のまま頷いた。ここから先で必要なのは、お喋りではなく行動だからだ。
「大丈夫そうだね……」
耳を澄ませてみるが、奴等の話し声や足音は聞こえてこない。将吾の読み通り、早朝は活動を停止しているのかもしれない。
「行こう、こっちだ」
彼の先導で構内を小走りで進んでいく。
順調に事が運んでいる実感。
だがーー
「動くなッ。動いたら容赦なく撃つぞ」
威圧的でマジな口調。俺達は揃って足を止めると、ゆっくりと声がした方へと振り向く。
そこに立っていたのは一人の男。手には自動小銃を持っており、銃口は俺達に向けられていた。
どうする――問い掛けるように将吾を見る。すると、彼は自分に任せてくれと言うように、俺にだけ見えるように親指を立てて見せた。
(そういう事なら……)
お手伝いはしなくちゃならない。奴の気を逸らさなければ、対処することも出来ないのだから。
「お前ら、どうやって部屋を抜け出した? 鍵は掛けておいたはずだぞ」
「……ハッ、あの程度の鍵なら すぐにでも外せるさ。と言うか、あんなもんで閉じ込めておけると思ってるなんて、随分とおめでたいな」
「何だとッ……!」
男の怒りと共に意識が俺の方に向けられる。
少しばかり背中に冷たいものを感じながらも、俺は言葉を続けた。
「まあ、見た目からして馬鹿っぽいからな。満足に閉じ込めておけなくても無理ないか」
「テメェッ!」
とうとうキレたのか、男の銃口が俺に向けられる。
だが、その瞬間ーー
「俺を無視しないでもらおうかッ!」
言うが早いか、将吾が男の懐に潜り込む。
そして、高速のジャブを2連発で放つと、その距離を更に詰めての右ボディ。あまりの威力に男の身体が折れ曲がる。
「これで終わりだッ!」
決めのアッパーが男の顎にヒットする。それが意識を奪ったのか、後ろ向きに倒れたまま動かなくなった。
「ふう……上手くいったね」
「ああ、そうだな……ボクシングか?」
頷きながらも問い掛ける。すると、少しばかり照れ臭そうにしながらも将吾は肯定した。
「そうだよ。一応、インターハイの覇者さ」
「インターハイって……日本一ってことじゃねえか」
「あれだけ階級が細かく分けられてると、そんな感じもしないけどね」
そんなものだろうか。まあ、今は そこらへんの感覚を論じている場合ではないので、事を進めることにした。
「とりあえず、武器は頂いていこう」
「ああ、そうだね。小銃とハンドガンがあるけど……どっちにする?」
「お前が小銃を使えよ。俺は こっちで構わない」
「いいのかい?」
「ああ。お前ほどのエピソードは無いけどな、コイツの扱いには自信があるんだ」
トニーに散々 仕込まれたのだ。そこらへんの奴には引けは取らないはずである。
「すまないね。それじゃ、行こうか」
男のポケットから予備のマガジン(弾倉)を取り出すと、俺達は本来の目的であるパイプ室を目指した。
薄暗い室内に響き渡る、唸るような低音。
そして、圧倒されるような複数のパイプ。
ワクワクするが、同時に長居したくない場所だった。
「なんか……独特な雰囲気だね」
将吾も同じような感覚を抱いたのか、そんなことを呟く。
俺も同意するように頷いた。
だが、次の瞬間――
「あぁああ…………!」
「うえあぁぁ…………!」
奥からゾンビの声が聞こえてきた。
ここにも居たのだろうか。それにしては鍵が壊れたまま放置されていたが……。
(いや、今は気にしてる場合じゃねえな)
気持ちを切り替えると、俺は後ろ腰に差していたハンドガンを抜き取って構えた。
「じゃあ、さっきのお返しで俺がやるかね」
装弾数から考えると将吾に任せた方がいいのかもしれないが、ここは空間的に狭い。下手をすると《跳弾》と言って銃弾が壁などに跳ね返る現象が起こるかもしれないのだ。
(仲間の銃撃で死ぬなんて馬鹿らしいもんな)
そんなことを考えながら、俺は将吾を伴って足を進める。すると、奥からゾンビが姿を現した。
相変わらずのノロノロとした動き。
俺は焦らずに照準を合わせると、トリガーに指を掛けた。
『―――――――――ッ!!』
狙い違わず、俺の放った銃弾はゾンビの頭を打ち抜いた。
「へえ~、本当に得意なんだね」
「得意って言うか、徹底的に教えてもらったからな」
「誰に?」
「元自衛隊員」
「なるほど、それでか」
納得したように将吾が頷く。
しかし、俺には解けていない謎か一つあった。
「それにしても、どうしてゾンビがいるのに放置してたんだ?」
「ううん……多分、こんな奥まで調べなかったんじゃないかな? パッと見は ただの配管室だからね。線路に続いているとは誰も思わなかったんだと思うよ」
つまり、軽く室内を調べた限りではゾンビの気配がしなかったから放置したって事か。何とも間抜けな話だ。まあ、そのお陰で俺達の逃げ道が残されていたのだから感謝すべきなのかもしれない。
「でもよ、そうなると線路上はゾンビとの戦闘が避けられない状態ってことか?」
ここまで乗り込んできた奴が居たのは事実。
ならば、線路上にゾンビが居る可能性は否定できないはずだ。
「今となっては、多分ね」
面倒な話だ。しかし、ここ以外に脱出路がないのも事実。危険だろうと何だろうと、今は進むしかない。
「よし……じゃあ、行くか」
気を取り直したように言う。そんな俺に将吾も頷き、俺達は揃って線路に向かって歩き出した。
だが、一歩を踏み出そうとした瞬間――
「きゃあああああああッ!!!!!!!」
いきなり悲鳴が聞こえてきた。
こんな場所まで響くぐらい、痛切な色合いと必死さが込められていた。
「……どうする?」
将吾の中では答えが決まっていそうだが、確認として聞いてくる。俺としても、このまま放っておくのは気が引けるため、どういった状況なのかだけでも見に行くべきだろう。
「行こう。もしかしたら、ただの痴話喧嘩かもしれない」
その可能性は限りなく低いとは分かっていたが、希望的観測を抱きながら俺達は走り出した。
だが、現場で見た光景は、俺の予想を飛び越えるものだった。
「離してッ……離してくださいッ!」
抵抗しながら連れ去られる少女。
その顔には見覚えがあった。
学校に隠れていたメンバーを統率していたクラス委員長の彼女は――
『沙苗ッ……!?』
何故か、俺と将吾の声がハモる。
その事に疑問を抱いて彼の方へと視線を向けたが、それより早く将吾は沙苗を追って走り出してしまった。
「馬鹿、殺られるだけッ……」
俺の制止は虚しく霧散した。
しかし、だからと言って無視するわけにもいかない。
「クソっ……どうすっかな……」
一瞬、すぐにでも追いかけた方がいいという考えが浮かんだ。しかし、策を練らずに突っ込んでも殺られるだけだ。何か手を打たなければ。
(切り込んでも武装と人数で圧倒されて殺られる……だとしたら奇襲しかないんだけど……)
そのための人員も道具も時間もない。
だから、俺に出来るのは即席で その場凌ぎの策だけだ。
(とりあえずはコイツからか)
そう心の中で呟きながら、俺は近くにあった非常用のボタンを押した。
『―――――――――ッ!!!』
鳴り響く警告音。だから何だと思われそうなレベルだが、少なくとも注意を引くことは出来たはずだ。
(でも、これだけじゃ弱いな)
そう思って、何かないかと辺りを見渡す。
と、そこへーー
「げへははははぁ~ッ!!」
パイプ室へと続くドアから〝半熟〟が飛び出してきた。恐らく、警告音に誘われて姿を現したのだろう。
思わず、反射的に銃へと手を伸ばしてしまう。
しかし、これは使えるのではと思い直し、俺は銃を握りながらも踵を返して走り出した。
「ゲハは……肉肉ニク~ッ!!」
半壊させた肉体からは想像もつかない俊敏性で俺を追い始める半熟。その姿に嫌な汗を浮かべながらも、俺は必死に走り続けた。
そして、気が付けば――例のタイマン・パーティー会場に辿り着いた。
「おい、アイツ新入りじゃねえのかッ!?」
「へっ、馬鹿が! アイツもブチ殺せ!!」
パーティーの観客席となっている昇降口の階段に陣取っていた連中が声を荒げる。
その前には、銃を向けられ身動きを封じられた沙苗と将吾の姿があった。二人とも何とか無事だったようだ。
しかし、安心するのは早い。このままでは、3人まとめて撃ち殺されるだけだからだ。
「くけけけ~ッ!! 肉肉、食べる~ッ!!」
その時、半熟が奇声を上げながらジャンプした。恐らく、俺を一気に仕留めようとしているのだろう。
それを見て、俺は瞬間的に横へと飛んだ。
目標を失って地面に不時着した半熟が、自然な動きで集まっていた連中へと視線を向ける。
「ぐへへ~ッ!! こっちにも肉ニク~ッ!!」
瞬間、ご馳走を見つけた子供のように、集まっていた男達に向かって飛びかかった。
「うわっ、何でコイツがッ……!!」
「クソッ……ぶっ殺せ!!」
響き渡る銃声と怒号。
そんな中、俺は将吾と沙苗に向き直った。
「二人とも、走れッ!!」
「…………ッ!!」
俺の言葉を受け、弾かれたように駆け出す二人。
そんな彼らを見ながら、俺は銃を構えた。
「待て、逃がすかッ!」
一人の男が銃口を二人に向けようとする。
「――させねえよッ!」
俺の撃ち込んだ銃弾が男の小銃を弾き飛ばす。
それを見てから、俺も二人に続いて走り出そうとした。
だが――
『―――――――――ッ!!!』
バチバチと独特な音が鼓膜を震わせると同時に、ふくらはぎに強烈な痺れが走る。それにより足の自由を奪われ、俺は思わず転倒してしまった。
「手間取らせやがって……!」
その言葉と共に、またもスタンガンを押し付けられる。激しい電流に抵抗力を失うのと、半熟が倒されるのは同時だった――