“適者”の覚悟
「……………………」
俺の目の前で、所在無げに立ち尽くす男。その身体は細かく震えており、強い恐怖感を抱いているのがわかった。
「……随分と、舐めた真似をしてくれたな?」
言いながら、俺は軽く睨み付けた。
それだけで男は肩をビクリとさせて縮こまる。
「武器と食料を盗んで逃げ出そうなんてよ」
俺の右手に止まった車――その荷台には、大量の食料と、常の日本では見ることの出来ない『銃器』を含む武器が積まれていた。
その中から大振りのナイフを取り出し、鞘から抜き放った。
刀身が月光を反射して、妖しくも危険な空気を放つ。
それを感じてか、男は更に顔色を無くしていった。
「ほらよ」
男の足元に抜き身のナイフを放り投げる。
俺の行動の真意が分からないのか、奴は困惑の表情を浮かべた。
「…………三本だ」
「えっ……?」
「指だよ。そいつで三本、切り落とせ。それで今回のことは水に流してやる」
「そんなッ……!」
異常とも言える要求に、男が非難の視線を向けてくる。しかし、俺は態度を変えることはしなかった。そうしてはならない理由があるからだ。
「早くしろ。一箇所に留まってられる状況じゃないんだからな」
「……………………」
催促する俺の言葉に、男が身を震わせて俯く。
恐怖からなのか、それとも……?
「ビビってるのか? だったら、誰かに頼めよ。そのほうが楽に――」
「……るなよ……」
俺の言葉を遮るように、男が何かを呟く。聞こえなかった部分を補おうと顔へと視線を向けたが、俯いているために表情すら見えなかった。
だが、次の瞬間――
「フザけるなよッ! ガキのくせに調子に乗るなッ!」
逆上した男が、地面のナイフを手にして突っ込んできた。
鈍色に光る刃が俺に迫る。
狙いは腹部。
避けなければ内臓まで抉られるのは間違いない。
しかし、俺の心に焦りはなかった。
何故なら――
『――――――――――ッ!!!』
連続した銃声。
その激しい轟音の残響が消える頃、俺の目の前から危険は消え去っていた。
「グッ……アアアァァッ……!!」
男が苦悶の表彰を浮かべながら、その場に蹲る。押さえてる太ももからは、夜闇にも分かるほど色濃い血が流れていた。
「……ありがと、華菜」
言いながら、左手へと視線を向ける。
「へっへ~、いいってことよ」
可愛らしく笑いながら現れる一人の少女。
ポニーテールに結われた綺麗な髪。
ネコ科の動物を思わせる切れ長の瞳。
小振りな鼻と口に、まだ幼さを感じさせる丸みを帯びた輪郭。それらが絶妙なバランスで成り立っており、彼女が相当な美少女である事を証明していた。
本来ならアイドルを生業としていて不思議ではない存在だが、その手には容姿に不釣り合いの無骨な【銃】が握られていた。
「……で、どうする? 殺っちゃう?」
言うが早いか、少女――『華菜』は男の後頭部に銃口を押し付ける。それが ただのポーズではないことを付き合いの長い俺は理解していた。
「やめときな。弾の無駄だ」
苦笑を浮かべて首を振る俺。ハッキリと止めておかないと、本当に躊躇いもなくトリガーを引くからだ。
「その通りです。と言うか、こんな所で銃を撃たないで欲しいですね」
そこへ、横合いから誰かが声を掛けてくる。
反射的に振り向けば、そこには俺と同年代の男が立っていた。
元々 色素が薄い茶色の髪。
知的な光を宿した男にしては大きい瞳。
その他のパーツも整っている上に、身長も高くスタイルも良い。こちらも華菜に負けず劣らずの美青年だ。
「おう、雅也か。どうした?」
「どうしたじゃありませんよ。銃声が聞こえたから心配になって見に来たんじゃないですか」
そう言って男――『雅也』は肩を竦めてみせる。戯けた態度だが、その目には本当に俺を気遣う色があった。
「大丈夫だって。アタシがバッチリ守ったからさ」
「守るのは結構なんですがね、銃を使うのは控えてください。『奴等』を呼び寄せてしまいますから」
「それでもいいじゃん。片付ければ済むんだし」
「無茶なことを……人員も銃弾も有限なんです。無駄遣いは出来ません」
確かに、その通りだ。
どちらも軽々しく消費していいものではない。
このような状況なら尚更だ。
「ううん……確かに弾がなくなるのはマズイか」
「人員はいいんですか?」
「うん、どうでもいい。アタシにとって大事なのは一人だけだもん」
そう言うと、華菜は笑みを浮かべて俺の腕を取った。相変わらずの排他主義――と言うか、全ての判断基準が俺に依存する『俺中心主義』に、思わず苦笑を浮かべてしまう。
「まあ、そこに異議はありませんがね」
雅也も同意するように笑みを浮かべる。
この男も華菜と同じ『俺中心主義』なのだ。
頼もしい仲間二人のやり取りに、いつの間にか胸の中にあった不快感は消え去っていた。
「よし……それじゃ、行くか」
言いながら、俺は踵を返した。
だが――
「ち、ちょっと待ってくれッ……!」
背後から、不快感の元が声を掛けてきた。
「なんだ、何か用か?」
「置いていかないでくれッ……こんな状態で放って置かれたら……」
懇願と呼ぶに相応しい態度。
先程、襲い掛かってきた気迫は完全に消えていた。
「都合のいいことを言うものではありませんよ。貴方は我々を裏切ったんです。守る理由はないでしょう」
「そんな……」
「というわけだから、達者でな。頑張って生き残れよ」
そう言うと、今度こそ振り返ることはせず歩き出した。後ろでは奴が何事かを叫んでいたが、もう俺の耳に届くことはなかった。
―――*―――*―――*―――
歩くこと1分弱――先ほどの整備中だった工事現場とは違い、すでに整備が進んで更地になった広い場所へと出る。
と、そこへ――
「……ボス、お疲れ様でした」
一人の屈強な男を先頭に、野戦服に身を包んだ男達が俺の前に進み出てきた。
服の上からでも分かるほどに鍛えられた身体と鋭い眼光――そこら辺に溢れている一般人と違うことは、一目で分かる容貌だ。
特に声を掛けてきた先頭の男が放つ威圧感は相当なものだ。
剃りこまれたスキンヘッド。
日に焼けただけではない天然の褐色の肌。
身を包む野戦服がはち切れそうな筋骨。
それらだけでも相当な迫力だというに、当人の身長は190センチに届こうかと言うほど大柄なのだ。小さな子供からしたらモンスタークラスだろう。
(やっぱり外国の血が入ると違うよなぁ……)
思わず、そんな事を考える。
それと言うのも、彼はアフリカ系アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれたハーフなのだ。だが、生まれも育ちも――当然ながら国籍も日本である。異国の血が半分 流れてはいるが、その心は日本人と言っていい。
「銃声がしましたが……大事がないようで良かったです」
そんな男が、俺に対して恭しく頭を下げる。いつ見ても違和感というか慣れない感じがするが、言っても止めてくれないので俺は軽く頷いて応えた。
「奴の処断は済みました。持ち出された武器は車の中にありますから、回収をお願いします」
「了解」
雅也の言葉に、男は短く答える。同時に、背後に控えていた男達に軽く目配せすると、先ほどの車を回収に向かわせた。
それを見届けた後、俺達は一緒に更地を進んでいく。すると、目の前に10台以上の車が現れた。
車種も豊富――と言うかバラバラ。中にはキャンピングカーや観光用のバスまであった。それらが一固まりになって止まっている様は壮観ですらある。
「……【トニー】、移動の準備は?」
先程のモンスター……ではなく、筋骨隆々の男に目線を向けながら問い掛ける。
ちなみに、"トニー"というのは本名ではなく、彼が学生時代に付けられていたニックネームなのだが、彼自身が気に入っているため ずっと自分の愛称として使っているのだそうだ。
「完了しています。ボスに指示を出していただければ、いつでも出発できます」
「そうか……奴等は?」
「今の所、姿は見えません。しかし、相変わらず声は聞こえてきます」
「だったら、早く動いたほうがいいか」
判断の遅れが、そのまま命取りに繋がる状況だ。決断を迷うわけにはいかない。
「よし、全員に移動の指示を出してくれ。雅也の車を先頭に、警戒しつつBポイントまで行くぞ」
「了解」
俺の言葉に短く答えると、トニーは自分の部下たちに指示を出して、移動する旨を車の持ち主たちへと伝えに行かせた。
だが、その直後――
「奴等だッ! 奴等が現れたぞッ!!」
そんな声が響き渡った。
俺たちは一瞬だけ視線を合わせると、急いで通りの方へと出た。
すると、そこには奴等が――『ゾンビ』が群れを成して迫り来ているところだった。
(……相変わらず、冗談みたいな光景だな)
未だに心が発する現実への拒否反応。しかし、逃避していられる状況ではない。食われる痛みで心に現実を教え込むなど、絶対に御免だからだ。
「ボス、どうしますか?」
俺の判断力を鈍らせないよう、敢えて落ち着いた声色を使って問い掛けてくれるトニー。そんな彼に向き直ると、俺は一瞬だけ考えてから口を開いた。
「警備隊の半数を移動する車の護衛に当たらせてくれ。残ったメンバーで奴等を撃退する」
「銃器の使用は?」
「許可する。どうせ離れるんだ、遠慮はいらない」
「分かりました」
俺の言葉に頷くと、トニーは部下を集めに走った。俺たちも、移動のため車へと向かう。
「僕たちは、どうするんですか?」
「雅也と華菜は車で皆んなの先導を頼む。先にBポイントまで行って、警備隊と周りの安全を確保しておいてくれ」
「貴方は?」
「俺は残ってゾンビ退治さ。ボスがケツ見せて逃げるわけにはいかねえだろ」
「じゃあ、私も残るッ」
華菜が意気込んで言う。
しかし、それは予想の範囲内。俺は即座に首を横に振った。
「ダメだ。お前も雅也と一緒に行け」
「ヤダッ、私も――」
「華菜ッ!」
「――――――――ッ!」
滅多に上げない俺の大声に、華菜がビクリと肩を震わせる。そんな彼女の頭を柔らかく撫でると、今度は落ち着いたトーンで語り掛ける。
「頼むから、先に行ってくれ。俺は大丈夫だから」
「……………………」
「な? 頼む」
「……うん、分かった」
不満そうな、それでいて寂しそうな口調ではあったが、華菜は素直に頷いてくれた。俺は安堵の溜め息を吐きつつ、彼女の背を押して車の助手席へと乗せた。
「それでは、僕たちは先に行ってますね」
「ああ、向こうでの指示は頼む」
「分かりました。任せてください」
俺の言葉に頷くと、雅也は車に乗り込もうとする。
だが、寸前で止まって振り返ると、真顔で俺を見つめてきた。
「絶対に無事で帰ってきてください……他の何を犠牲にしてもね」
否定は許さないと言わんばかりの口調。
そこに込められているのは、俺を案ずる純粋な気持ちだけだった。
「……ああ、分かってるよ。こんなところで死ぬつもりはない」
「だったら、いいです。でも、本当に気をつけてくださいね」
「そっちもな」
悲壮感のない笑顔で言葉を交わす。それで安心できたのか、雅也は最後に俺の手を握った後、運転席へと乗り込んだ。
直後、車がエンジン音と共に砂煙を上げて遠ざかっていく。その後ろ姿を見送ってから、俺はトニー達が待つ通りへと駆け戻った。
―――*―――*―――*―――
『――――――――――ッ!!!』
辺りに響き渡る銃声。どうやら、思っていたよりも団体さんだったらしい。
「ボスッ!」
「おう、トニー。どんな感じだ?」
「予想よりも多いですね。後から後から沸いてきます」
「そうか……とりあえず、みんなが逃げるまで踏ん張るぞ。それまで持ち堪えるんだ」
「了解!!」
そう返事をすると同時に、トニーが俺に自動小銃を手渡す。それを受け取り、俺はゾンビを睨みつけつつスライドレバーを引いた。
そして、鼓膜を震わせる銃声の中、俺もトリガーに指を掛けた。
―――*―――*―――*―――
~~1時間後~~
(ふう……やっと落ち着いたな)
俺とトニーたちを乗せたバスがBポイント――緊急時の集合場所である駅前広場――に着いたのは、ゾンビとの戦闘が始まってから30分後だった。今は、全員が腰を落ち着けて夜食を作っている。
しかし――
「むぎゅ~~ッ」
ゾンビ襲撃の緊迫感を払拭し、何とか穏やかな空気を取り戻した中で、俺は別の意味で疲れる状態に陥っていた。
「なあ、華菜……そろそろ離れてくれないかな?」
「や~だ。もっとハグハグするの」
言いながら、華菜が俺に抱き付く力を更に強める。そこには離してなるものかという強固な意志が感じられた。
(はあ……こういうところは変わらねえな)
溜め息を吐きながら、俺は心の中で呟いた。
俺と華菜はガキの頃から一緒に過ごしてきた。
互いの両親が仕事人間で家を留守にする事が多かったこともあり、顔を合わせていた時間は誰よりも長いぐらいだ。
そんな環境で育ったためか、華菜は俺に凄く懐いていてくれた。俺も、一つ年下の華菜を本当の妹のように可愛がっていた。
そのためか、華菜は俺から離れることを極端に嫌う。
それこそ、一分一秒の間も許せないほどに。
だから、こうして抱き付いているのだ。
離れていた30分を取り戻そうとして。
「はあ~、やっぱ兄の腕の中は最高~」
まるで風呂に浸かった時のような台詞。
実際、華菜にとっては同じぐらいの心地よさなのだろう。
「相変わらず、緊張感のない人ですね、貴女は」
そんなことを言いながら、雅也が現れた。
口調こそ呆れているものの、そこに嫌悪感は含まれていなかった。
「よお、お疲れさん。どうだった?」
「周囲に奴等の姿は無し。今のところは安全ですよ」
「そうか……悪いな、任せちまって」
「構いませんよ。そうなったら動けないのは、みんな知ってますから」
俺に抱き付く華菜を指差す雅也。確かに、こうなったらテコでも動かないので、俺に出来ることなどないのだ。
それを理解してくれている雅也という友人は、俺にとって本当に頼りになる存在だった。まあ、コイツも華菜並みに付き合いが長いので、それが互いにとって当然のことではあるが。
と言うのも、雅也も華菜と同じ俺の幼馴染みなのだ。出会ったのは華菜より少し後――小学校の高学年ぐらいか。
当時、気弱だった雅也はイジメの標的にされていたのだが、それを俺が助けたのだ。
その行為自体は全くの気紛れだったのだが、以来、雅也は俺に恩義と憧憬を抱くようになり、一緒に居ることを望むようになったのだ。俺としても、妙に馬の合う所がある雅也を気に入っていたので、自然と華菜を含めた三人で行動するようになったのである。
詰まるところ、俺達三人は腐れ縁というやつなのだ。
「それにしても――」
「……………………?」
「未だに信じられませんね。ゾンビって奴等が」
「……ああ、そうだな」
雅也の言葉に、俺は溜め息を吐きつつ頷いた。
ゾンビ病――そんなフザけたネーミングの病が爆発的に広まったのが、今から遡ること半年ほど前のことだ。
人が死に、蘇り、人を食らうようになる――映画やゲームの中でしか起こり得なかった事態が、俺たちの目の前で繰り広げられたのだ。
原因は不明。分かっている事と言えば、病に侵された人間は必ず死に至り、ゾンビとして蘇るということだ。そして、ゾンビに襲われた人間も同じ状態になるということである。
そんな状況下に置かれて一般市民は大パニック。
国の対策も後手に回った挙句、首脳陣の中にも発症者が出たことで指揮系統が乱れ、日本の防衛機能は一週間と経たずに総崩れとなった。
結果、生き残った者たちは自衛を余儀なくされ、瞬く間に治安国家であるはずの日本は荒んでいったのだ。
「まあ、今の僕たちならば、焦らない限り対処は出来ますけどね」
言いながら、雅也が辺りを警戒する屈強な男たちを見る。その手には例外なく銃が握られており、一瞬、ここが日本であることを忘れてしまう。
「精鋭部隊が味方に付いてくれてるからな」
そう呟きながら、俺は彼らのボスである褐色の男――トニーへと視線を向けた。
俺が彼らと出会ったのは、2ヶ月ほど前のことだ。
当時の俺たちは、ただの生存者の集まりだった。
生き残る可能性を少しでも高めるために集まった、寄せ集めの共同体に過ぎなかったのだ。
そんな中で、トニーが率いる元自衛隊員のグループに出会った。
彼等は俺たちと出会う直前まで、国の指揮下にあった正規の部隊員だったらしい。だが、連絡の途絶えた別部隊の救出を命じられたトニー達は、ゾンビによって壊滅させられた仲間達を目の当たりにする。
その上、自分達が所属していた支部がゾンビの襲撃を受けて壊滅。完全に孤立する事となった。
本来、そうなったら本部と合流するべきなのだが、連絡が付かない上に、本部へと辿り着く前に自分たちが殺られる可能性が高いのは明白だった。そのため、この街に留まり生存への道を模索することを決めたのだ。
だから、出会った時の彼等は ただの武装集団だった。しかし、俺にとっては渡りに船とも思える存在だった。
生き延びるためには武力が必要だと感じていた俺は、即座に協力を申し出た。トニー達も生存者は纏まるべきだと思っていたらしく、俺たちと行動を共にすると言ってくれた。
その際、俺はトニーにリーダーとなるよう勧めたのだが、アッサリと断られた。自分達のような人間は、何かの為に命を懸けたほうが実力を発揮できると言って。
結果、俺は50人を超える武装集団のリーダーとなった。雅也とトニーに支えられてばかりなので、その肩書きに意味合いは薄いが。
「ボス」
そんなことを考えていると、トニーが声を掛けてきた。
「警備隊の配置が完了しました。後は自分が指揮しますのでお休み下さい」
「そうか……んじゃ、そうさせてもらうわ」
軽い感じで言うと、俺は腰を上げた。
本来ならリーダーとして付き合うべきなのかもしれないが、トニー達は夜間の警備をするため日中を寝て過ごしている。なので、そこは気にすることはないのだ。
「モーニングコールは頼むな」
「OK、ボス」
笑顔で答えるトニーに俺も笑みを返すと、そのまま自分たちの車であるワンボックスカーへと向かった。
だが、その途中――
「…………………………」
一人の男が俺たちの前に立ち塞がった。
歳の頃は16歳ぐらい。涼やかな目元と細い鼻に薄い唇など、整った顔立ちをしている。学校の制服に包まれた身体も細身で良いスタイルのため、こんな状況でもなければ女の子に囲まれて楽しんでいそうな風貌だ。
「……………………」
そんな優男が、道を塞ぎながら言葉もなく俺達を――いや、俺を睨み付けてくる。それだけで、コイツが俺に対して強い敵意を抱いていることが理解できた。
コイツの名前は【細野 修一】
1ヶ月前、グループに加わった男だ。
その時から、俺に突っかかってばかりいる。
その理由は――
「どうして、あんな事をした?」
「あんな事?」
「田山さんの事だよッ」
修一が激昂したように声を荒げる。
一瞬、田山というのが誰の事か真剣に考え込んでしまったが、すぐに武器と食料を盗んで逃げようとしたアイツであると思い出した。
「足を撃って放置するなんて……何で、あんな酷いことをしたんだッ?」
酷いこと――確かに、常識的に考えれば当然の感想だ。誰もが、そう思うだろう。
だが、俺は眉一つ動かさず修一に向かって言い放った。
「そうする必要があったからさ」
「必要だと……?」
「ああ。あんなことしておいて何も無しってんじゃ、同じような奴が必ず出てくる。そうなれば、残された俺たちの身が危なくなるからな」
武器も食料も無い――そんな状況下で生き残れるほど、生易しい世界ではなくなってしまったのだ。
「だからと言って――」
「ああ、もうッ。相変わらずうっさい奴だなぁ」
尚も言い募ろうとする修一だったが、それよりも早く華菜が言葉を遮った。
「兄のやり方が気に入んないなら、さっさと出てけばいいでしょッ。そんな善人ぶって説教を垂れてないでさッ」
「何だと……!!」
「こっちはアンタなんか必要としてないの。文句があるなら、とっとと消えちゃいなよ」
「クッ、言わせておけば……」
バッサリと斬り捨てる華菜に、修一も目を鋭くして睨み付ける。なかなか面白そうなので見物していたいが、面倒なことにもなりそうなので俺は止めることにした。
「華菜、止めとけ。時間の無駄だ」
「でも、兄――」
「いいから、放っておけよ」
言いながら華菜の頭を撫でてやる。
彼女の場合、大概のことはコレで済んでしまう。
「むうう……分かった」
唇を尖がらせつつも、華菜が俺の傍らに戻る。
「じゃ、俺たちは行くぜ。お前も夜更かししないで寝ろよ」
そう言いつつ、俺は修一の隣を通り過ぎようとした。だが、それを黙って見過ごすはずもなかった。
「待てよッ、まだ話は――」
口論の口火を切ろうとする修一。
それを見越していた俺は、すかさず口を開いた。
「終わったよ。俺の言いたいことは、華菜が言ってくれた」
「なに……?」
「このグループを率いてるのは俺だ。独裁者を気取るつもりはないが、俺のやり方に付いていけないなら出て行ってもらうだけさ」
ブラフでも何でもない口調に、さすがの修一も言葉を失う。奴にしても理解しているのだ。自分一人で飛び出しても生き残れないことは。
「まあ、お前の意見も気には留めておくさ……一応な」
それだけを言うと、俺たちは歩みを再開させた。
背中に修一の刺すような視線を感じながら。
「……彼も、段々と目障りになってきましたね」
歩きながら、俺の隣で雅也が呟く。その表情は常と変わらず柔和だが、瞳の中に宿る光は凍えるほどに冷たかった。
「もうさ、殺っちゃえばいいじゃん」
雅也とは違い、感情と表情が一致してる華菜。まあ、明確な敵意が込められてる時点で同列だが。
「どうします? 貴方が許可を出してくれるなら、すぐにでも始末しますよ……分からないようにね」
「うん、そうしようよ。兄に逆らうようなバカはいらないって」
相変わらずな『俺中心主義』の二人に苦笑が浮かぶ。
「まだいいさ。口答えだけなら、そんなに害もないしな」
宥めるように言う。
まあ、それ以上の事をしでかすなら黙ってはいないが。
そもそも、修一が俺に楯突くのには二つの理由がある。
一つは、アイツの潔癖な倫理観だ。子供染みたヒロイック性と言ったほうがいいかもしれない。つまり、現実を理解してない平和主義者なのだ。
そんな人間にとって、まさに俺は悪人だ。必要ならば仲間の処断も、強奪にも似た方法で物資を調達することもある男など、奴からしたら許容範囲外の存在なのである。
しかし、それだけで正面切って敵意を向けるほど修一も馬鹿じゃない。ああするだけの理由が、もう一つあるのだ。
それは――
「あっ……リーダー君、お疲れ様」
親しげな口調で話し掛けてくる一人の女性。
キッチリと着込まれたスーツ姿は理知的な雰囲気を感じさせるが、ゆるふわ系の髪型やタレ気味の大きな瞳などは、逆に子犬のような可愛らしさを演出していた。
そんな彼女が、満面の笑みを浮かべて俺の傍に寄り添ってくる。それだけで、彼女の俺に対する友好感が伺えた。
しかし、それを俺は素直に喜ぶことが出来なかった。何故なら、修一が突っ掛かってくる最たる理由が、この女性にあるからだ。
彼女の名前は【細野 楓】――そう、修一の実の姉である。
性格は至って温厚で穏やか。分類するなら、修一と同じ側の人間だ。だが、職業が高校教師ということもあり、リアリストな一面も持ち合わせている。
そのため、彼女は俺の悪どい面にも理解を示し、友好的に接するのだ。まあ、お人好し故に【俺が必要悪を一人で背負っている】と勘違いしている節が強いが。
何はともあれ、そんな風に"楓が俺を理解する"のが修一は気に入らないのだ。【お姉ちゃん大好きっ子】の修一には。
(まあ、それも分からないでもないけどな……)
世間一般から見ても、楓は美しい容貌をしている。それに加え、人好きのする性格も持ち合わせているためグループの中でも結構な人気者だ。修一がシスコンになるのも無理はない。
「リーダー君、大丈夫? 怪我はない?」
「何だよ、いきなり?」
「だって、みんなを逃がすために残ったんでしょう? 私、心配で心配で……」
「問題ないさ。トニー達もいたんだから」
「そうだけど、アナタはトニーさん達みたいに訓練を受けたわけじゃないから」
確かに、元々の俺たちはタダの学生で、トニー達のような戦闘訓練は受けてない。しかし、彼等と行動を共にしてから徹底的に銃器の扱いを習ってきた。そのため、今はゾンビ相手なら落ち着いてヘッドショットを狙えるほどにまで上達している。
「ともかく、心配ないさ。怪我もしてないしな」
「ええ……でも、それだけじゃなくて……また辛い決断を押し付けてしまったわ」
辛い決断――田山とか言う男のことだろう。
恐らく、彼女の中では、グループのために俺が苦渋の処断を行ったことになっているのだ。
彼女には申し訳ないが、俺は そんなに殊勝な人間じゃない。必要だと思ったなら、どんなことでも迷うことなく断行する人間だ。余計な感情など挟まずに。
だが、それを敢えて訂正することはしない。先程も述べたように、彼女はグループ内でも人気が高い。そんな人物の不興を買うような真似をしても得がないからだ。
「楓さんが気にすることじゃない。リーダーとして当然のことをしたまでさ」
柄にもないことを口にする。
少しばかり、辛そうな表情のオマケ付きで。
「リーダー君……」
それを見聞きして、楓の瞳に同情の光が強まる。しかし、やり過ぎても何なので、俺は ここらで引くことにした。
「俺のことは気にしなくていいから、楓さんも休みなよ。寝ないと明日が辛いよ」
「……ええ、そうね」
気に病んでも自分に出来ることはないと悟ったのか、楓は素直に頷いた。そんな彼女に笑みを返すと、俺は『おやすみ』と言葉を残して立ち去った。
そして、俺の背中を見送っていた楓の視線を感じなくなった頃、隣で雅也が笑みを浮かべた。
「フフッ……それにしても、貴方も役者ですね。見ていて笑いを堪えるのに必死でしたよ」
からかうように突っ込んできた。
それに対し、俺は憮然とした表情を浮かべる。
「楓のご機嫌は取っておいて損はない――って言ったのは、お前だろ?」
「まあ、そうですけどね」
グループ内の俺に対する感情を調和するのに丁度いい――そう進言したのは、他ならぬ雅也だ。
「むうう……私は気に食わない」
面白くないという感情を前面に押し出す華菜。俺が他の女に良い顔をすると常から不機嫌になるのだ。
そんな彼女に対して苦笑を浮かべつつも、俺は頭を撫でてやりながら自分たちの車へと歩みを再開した。
―――*―――*―――*―――
~~~30分後~~~
「すぅぅ……すぅぅ……」
「すぴ~……ふわわぁ……」
車内に小さく響く二人の寝息。
それを何ともなしに聞きながら、俺は一人で考え事に耽っていた。
こんな事態になる前――ただの学生だった頃、俺は もう少し人間味のある奴だった気がする。修一のようなとは言わないが、年相応の人間だったはずだ。
しかし、世界と常識が一変してから、俺の中で着実に何かが変わっていった。いや、変えなければならなかったと言うべきだろうか。
別に、それを不快に思ってるわけじゃない。変わったからこそ生き残れてきたのは確かだからだ。
だが、それで良いのかと思う気持ちがあるのも事実だった。このまま変わっていけば、ただのケダモノになるだけではないかと。
(どうなっちまうんだろうな……)
そんなことを心の中で呟きながら、右手に繋がれた華菜の小さな手を握り返す。伝わってくる温もりに、少しだけ心が軽くなったような気がした。
適者生存――その言葉を、どう受け止めていくのか……それを、これからの日々で真剣に考えていかなくてはならないのかもしれない。俺は一応の覚悟を決めると、ゆっくりと目を閉じた――