後のまつり
「愛華ーっ早く起きてきなさーい」
狭い階段を見上げて、ため息をついた。
今日3度目のその言葉は最終通達だ。
愛華の動く気配を感じて、リビングに戻った。
「母さん、洗濯機止まったみたいだよ」
朝食を食べ終えて、後は登校時間を待つだけの長女の麗華が教えてくれた。
1学年しか違わないのに、どうしてこうも違うんだろう。
しっかりものの長女にマイペースな次女。
一般的にも長女はしっかりしているというけれど、これ程違うとは。
廊下を通って洗濯機へと向かうと、ようやく階段から降りてきた眠そうな顔の次女と目があった。時間が無いというのにどうしてこうのんびりしているのかしら。
そんな事を思っている私に
「おはよう、今日も布団が離してくれなくて」
なんて、言い始める始末。
「はいはい、テーブルに朝食用意してあるから早く食べちゃいなさいよ」
半ばあきれながら、いつもの遣り取り。
洗濯機から、洗濯物を取り出して2階にかけあがる。
ベランダに出ると、日差しはあるものの、刺すように冷たい空気が頬を直撃した。
生乾きの洗濯物は指先にまでも、容赦ない攻撃を繰り出す。
その攻撃に耐え一枚一枚洗濯物を掴みながら、干している最中だった。
先ほどの私のように、次女が階段下から大声をあげた。
「母さーん。今日図工で箱持って行かなくちゃいけないんだったの忘れてたぁー何かある?」
本当にこの子ってば、どうしてこう今頃言うかなぁ。さっき壊してゴミに出しちゃったじゃない。そうは思うが一応頭をフル回転。そして、閃いた。
そっか、この前買った化粧品の箱が確かあるはず……
一度、上がったベランダから降りる気もなく、私も負けじと大声を張り上げた。
「寝る部屋にある、母さんの化粧台の引き出しにお化粧が入ってる箱がいくつかあるから、どれでも好きなの持っていきなさい」
私の声と同時に、勢い良く階段を上る音を聞いて”急ごうって気もあったのね。”なんて呑気な事を思ってしまった私がいかに馬鹿だったのかを思い知らされる事を私はまだ知らなかった。
その日の夕方――
「ただいまー」
次女が荒れた声を出し帰ってきた。
今にも泣きそうというか悔しさいっぱいの顔をしている。
「お帰り、誰かとケンカでもしたの?」
出来るだけ優しい声を掛けて、顔をのぞきこんだ。
「母さん聞いてよ。今日の図工でね」
堪らなくなったのだろう、大粒の涙が零れだした。
「うん。図工で?」
しゃくりあげそうなのを堪えようと必死で歯を食いしばる次女が愛おしく思えた。
「私ね、一生懸命、可愛いお家作ったのに先生がね。作りなおせって言うんだよ。皆も可愛いねって褒めてくれたのにだよ。それでね……”嫌です”って言ったら色紙を貼れだとか、色を塗れだとか、クラスで私一人だけやり直しって言うんだよ。頑張って作ったのに」
その話を聞いて私も悔しくなってきた。
確かに、この子の発想は他の子とちょっと違うかも知れない。絵を描かせれば私にも理解不可能なものを自慢げに見せにくることだってある、だけどそれも個性のうちとそう思ってきたのに……。
そして、ぽつりと次女が漏らした言葉。
「来週の授業参観日に飾られるから。だから一生懸命作ったの、お母さんに見せたくて」
その言葉に私も目頭が熱くなってきた。
「お母さん、先生に言ってあげるから。」
私の言葉を聞いて、嬉しそうに頷く愛華。
よしよしと頭を撫でながら、電話を手に取ろうとした時。
「だって、あんなキラキラピンクの箱なんて、誰も持ってこなかったよ。皆がいいなって言ってくれて。だからお母さんにありがとうって思って。」
電話に伸ばした手が固まった。
キラキラのピンク?
はて?そんな化粧品を買った……覚えは無い。
背中に一本氷の柱が突き刺さったかのような、猛烈な寒気がした。
ちょっと待ってて。
そう愛華に告げて、階段を駆け上がる。
寝室のドアを開けてドレッサーの引き出しを開けるとそこには。
真四角の銀色のフィルムに包まれた何連にも連なるゴム風船が無造作に突っ込まれていた。
言わずと知れた家族計画ってのだ。
あっちゃー。
これじゃ、先生もやり直せっていうかも知れない。
私はどうやって、次女を説得しなくちゃいけないのだろう。
そして、この先学校に行くのが堪らなく恥ずかしいんじゃないだろうか。
「お母さんどうしたの?」
私の後を着いてきた愛華が不思議そうな顔で私を見つめた。
愛華の性格は私が一番良く分かっているつもりだ。
今までで一番の難問をどうやって切り抜けるか途方に暮れる私だった。
誰だよ、コンドームをドレッサーにしまったのは。
……私だよ。