寂しい女
よろしくお願いします!
私は寂しい女だった。
研究一筋で、浮いた話一つない。アルファだから許されていたけれど、本当なら、もう結婚していなければ行けない歳だ。
私は、大会社の社長令嬢と言う奴で、まぁ政略結婚の末に産まれた娘だった。
父と母は愛し合っておらず、どちらも外に愛人を作る始末。私は、いつも一人だった。
そんなんだから、人を愛するというのが、どんなものか分からなかった。友人も居ない私が、家族を作れるはずが無い。
私は、生涯を植物の研究に捧げようと誓っていた。
――それが、如何してこんな事になったのだろうか?
「咲様、今日から貴女の夫になる事になりました。城崎 彼方と申します。不束者ですが、よろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げた彼は、今どき珍しい風呂敷包を手にしている。
ふんわりとした雰囲気と、かすかに香る甘い香り、.........オメガだな。
「あの、来てもらって早々悪いんだけど、私は結婚するつもりは無いの。帰ってちょうだい」
「え、でも.........」
彼は、何かを言いたそうだったが、無視して扉を閉めた。
それから数時間後、私は外に置いてある植物に水をやろうと思い、外に出た。........そしたら、ちんまりと座り込む、自称夫が居るではないか。
「まだ居たの?」
私が呆れ混じりに言うと、彼は泣きそうだった顔を引き締めて、私に告げた。
「お願いです! ここに置いてください! 家政婦としてでも良いです! お願いします!」
元気よく、大きな声で言い終えると、腰を90度に曲げて頼み込んできた。プルプルと震えていて、何だか可哀想な気持ちになってくる。
.........仕方がない。私も鬼では無いのだ。家政婦としてなら置いてやっても良い。
「ご主人様! 朝ですよ! 起きてください! 」
城崎君は、今日も元気に私を起こしてくる。
目を薄く開くと、いつか景品で当てた、ヒラヒラのエプロン(私は1度も使ったことがない)を付けた彼が見える。城崎君は、栗色のフワフワな髪に、タレ目の童顔だから、よく似合っている。
寝起きが悪い私は、中々開かない目でリビングまでフラフラとしながら行くと、お味噌汁のいい香りが漂ってくる。
「今日は、ご主人様が好きな赤味噌ですよ!」
可愛らしい笑顔で、私の前に朝食を揃えてくれる城崎君。めちゃくちゃ美味しそうです。毎日、ありがとうございます。
住み込み家政婦として雇った城崎君は、非常に万能だった。
掃除、洗濯、料理、などなど家事全般がパーフェクトなのだ。私の研究室も見違える様に、綺麗になった。大事な書類等は、捨てられることなく、ゴミだけを片してくれる彼に、私は何度、ありがたやーと拝んだことか.........
城崎君は、植物に興味があるようだった。私は、植物だけなら誰にも引けを取らないほど知識を持っていたので、色々とうんちくを垂れた。彼は、そんな話を面白そうに聞いてくれ、時々質問もしてくれた。私は、それに嬉嬉として答え、二人で楽しく会話をした。
私は他人と話していて、初めて楽しいと思った。
城崎君は、私より背が低い。肌も白くて女の子のようだ。
けれど、やっぱり男の子で、外出したら車道側を歩いてくれるし、冗談でスカートを履かせようとしたら、顔を林檎のように真っ赤にして怒った。ヒラヒラのエプロンについて聞くと「エプロンがあれしか無かったんです!」と怒りながら言った。確かに私は料理なんてしない。だからエプロンなんて、いくつも持ってるわけないのだ。
.........彼が来るまで、コンビニの弁当ばかり食べていた。彼が来るまで、部屋は散らかり放題だった。彼が来るまで、食生活について怒られたことがなかった。彼が来るまで、要らないものはちゃんと捨てなさいと怒られたことがなかった。彼が来るまで、喧嘩をしたことがなかった。彼が来るまで、怪我をして本気で心配された事が無かった。彼が来るまで、人と居るのが楽しいと思ったことがなかった。彼が来るまで、.........人の為に泣いた事が無かった。
「ご主人様、泣かないで」
ここは、病院だ。
買い物帰りに、城崎君は襲われた。
ちゃんと抑制剤を飲んでいたらしいが、どうやら効きにくい体質らしく、丁度、発情期が始まりそうだったのも災いした。
相手のアルファは、無罪放免で謝罪もなくどこかへ行ってしまった。
「項が噛まれなかっただけ良かったじゃないか」
医者が、彼に放った言葉に私は我を忘れそうになった。何が良かっただ。何も良くないじゃないか。
暴れそうになった私を、城崎君は目で制した。それで、何とか理性を取り戻したけど、怒りは収まらなくて、医者が去るまでずっと手を握りしめていた。爪がくい込んだせいか血が垂れた。
「僕、これが初めてじゃないんです。もっと昔にも、同じようなことがあって.........だから、そんなに辛くないんです。慣れちゃったんですよ! ハハハ! 」
私は辛くて、悔しくて、なんで笑ってるんだという怒りで、グチャグチャになって、気付いたら泣いていた。幾つも幾つも雫が流れ、頬を濡らす。終いには嗚咽まで漏れていた。恥ずかしいけど、止められなかった。
城崎君は、私の不細工な顔を隠す様に、胸を貸してくれた。頭を優しく撫でられて、また涙が流れた。
今までの人生で、頭を撫でて貰ったことなんて1度もなかった。彼はこんなにも、私に初めてをくれる。優しくて、照れ屋で、可愛くてかっこいい人。.........だから悔しい。彼が仕方ない様に笑っているのを見ると悔しい。彼に冷たい世間が憎い。何もできなかった自分が憎い。やり切れない思いが胸を巡って、中々涙が止まらなかった。
彼は、家族の中で唯一のオメガだった。
家族は、彼を家の恥だと言って、冷遇したそうだ。
そんな彼に優しく接してくれる人がいた。それは彼の叔父らしく、小さい頃はよく飴をくれたらしい。
しかし、それは発情期が始まってから変わったそうだ。
次第にスキンシップが激しくなり、中学に上がる頃には、性行為を強制されていた。
彼は初めの頃は、苦しくて苦しくて、抵抗していたようだった。けれど、力の差は激しく、赤子の手をひねる様に封じ込まれてしまったようだった。ひどい時には、頬を殴られた事もある様で、次第に従順になって行ったようだ。
叔父は、彼と同じ家に住んでいるようで、避けたくても避けられない。辛い毎日だったようだ。
そんな彼に、転機が訪れた。私と結婚するように、父親から命令されたのだ。
私と結婚すれば、この家から出て行ける。もう、叔父に襲われることも無い。彼にとっては救いの手だったようだ。
私は、全て聞き終えて後悔した。
何故、自分の都合だけで彼を追い返そうとしたのだろうと。
きっと、私の父と彼の父が取り付けた契約だったのに。彼の叔父の事が無くても、肩身の狭い城崎君が、家に帰ったとして居場所がある訳ないのに。
オメガという性だけで、こんなにも過酷な生き方をしなければいけないのか?
.........答えは、否だ。世間が変わらないのなら私が変えてやる。城崎君、いや、彼方の生きやすい世界に変えてやる。
――50年後
僕が彼女の元へ嫁いで、50年という月日が経ちました。この長い様で短い間に、色々な事がありました。初めは、夫として認めて貰えず、家政婦として雇って頂きましたよね。ご主人様だった頃の貴女は、本当に生活がなっていなくて目にあまりました。時には喧嘩もしましたよね。けれど、最終的にはどちらともなく謝って仲直りしましたよね。可愛らしい思い出です。
貴女は、僕の人生での初めてを沢山くれました。
貴女と夫婦になれた時は涙が沢山零れました。嬉し涙はあの時が初めてです。
子供ができた時、手放しで喜んでくれて、本当に嬉しかった。貴女がいたから僕は初めて子供を産めて、父になれました。
貴女は、沢山オメガのための薬を発明しましたよね。そのおかげで、僕は発情期を苦しまずに乗り切れました。まぁ、薬がなくても、貴女のおかげで全く苦しまなかったんですけどね。
貴女はいつしかオメガに対する世間の目を変えてくれました。沢山の偉い人に褒められたのに、僕に褒められたのが一番嬉しいと言ってくださいましたよね。甘えん坊な貴女を彼等が見たらどんな顔をするだろう?
子供達も元気に巣立っていき、今では一人前に家族を作っています。もう僕達は何もしなくて良いんです。
咲さん、お休みなさい。
その日、一人の女が夫の膝で息を引き取った。その顔は安らかなもので、ちっとも寂しそうでは無かった。
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