始まり-3
悪夢がキシュを襲う。たくさんの血。うなだれる腕と包丁。誰かが笑う。笑い声が恐ろしくて堪らない。やめてと懇願するのに願いは届かない。
やめて…やめて!!
目が覚めた。
あたりを見回すが、暗く見覚えのない場所。
どうもあたりが騒がしい。キシュは寝化けたまま窓の外を見る。隣に併設されている酒場からのようだ。
ちょうど扉を開ける音が聞こえた。
「やっと起きた。飯は机の上にあるよ。顔色悪いけど大丈夫?」
仕事中だったことを思い出す。
不安な夢はすぐにかき消された。
明るくなる部屋、あがらない瞼をこすって目を調整する。
「私何時間寝てたの?」
「6時間くらいかな?」
「そんなに…。」
サマーティーは落ち込むキシュに机の上のクラブサンドを手渡す。
「気になってたんだけど、なんでそんなに急いでるの?今回の仕事は特に期限があるなんて聞いてないけど。」
受け取ったクラブサンドは決しておいしい!とは誰も言わないだろう。パサパサして口の中の水分を奪われる。
「私は仕事に対していつも目標を決めて取り掛かってるの。今回は2週間で終わらすつもりだったのよ。」
「そんな無茶な目標立てて、達成できそうもなくなったら焦らない?」
「焦らないわよ。私も馬鹿じゃないんだから…。目標よりも、安全・確実が第一!…ところでなんなの?外がうるさいんだけど…何かあったの?」
サマーティーは少し驚き呆れて答えてくれた。
「あれだよあれ。アベド教の…」
「…え??」
「こないだのセドの爆破事件あったろ?あれで被害にあった親族とアベド教の人が出くわして…」
「お酒でたかが外れ…喧嘩か…」
二つのため息が漏れる。
数週間前、レルエナ帝国の第5の都市と言われるセドで発生した爆破テロ。5箇所に爆破が起きた。
時間差に発生したことで、保安部隊は混乱を極め、対処が遅れてしまい、レルエナ帝国史上最悪の死者数を弾き出し続けている。まだ安否が確認できていない人が数千人以上いるらしい。犯行声明は数年前から目にするようになった、アベド教の過激信者たち。
アベド教…。古の時代錯誤な宗教…。
選民意識が高く、祈るしかなかった宗教がなぜこんなことができるのかは、まだ誰もわかっていない。
「親族のやりきれない思いもわかるんだけど、事件を起こしたのは全ての信者じゃない…。そこらへんがな…」
「そうね…。難しい問題ね…」
酒場にいたのは善良な信者なのは明白だ。狂信者達はあの刺青をしていないのだ。その方が動きやすいからと言われている。もはや信仰もへったくれもない…
最後のクラブサンドを口に放り投げて、キシュはバスルームへ向かった。
「私シャワー浴びるけど覗かないでよ」
サマーティーはいやらしく笑う。
「そんなことしないよ。」
嘘くさい。
けれど今はどうでもよかった。鼻をつく臭いとベタベタから解放されたかった。シャワールームにはいり、服を脱ぎ捨て蛇口をひねる。
頻繁に悪夢が魔物のように襲ってくる。深く考えようとすればするほど頭が痛む。
アベド教のことを少し考えてみる。けれども神の存在など信じないキシュにとっては全く理解の範疇を超えていた。一体何が人々を殺戮者に変えるのだろう?不思議でたまらない。
シャワーを浴び終え、いつもの調子で下着姿のまま戻ると、サマーティーはベットで地図を広げていた。こちらを向くなり、鼻から血がたれる。やりづらい。キシュはホットパンツを履いて、地図を囲んだ。
「ダラスから森までに街がふたつ。この、エンバで泊まった後向かうってどう?」
「今日みたいにぶっ通し歩くのは勘弁よ。確かに早く着くけど、次の日に影響がでそうで嫌だわ。」
「それじゃどうする?ホホトで休憩して、エンバで泊まる?」
「泊まんないわよ。金が勿体無いわ。エンバで買い出しして、<静寂なる森>で野宿しながらターゲットに進むの。」
「ストイックだね…。そっちの方がキツくない?」
「なにがよ?」
「いや…風呂とか入りたいんじゃないの?」
チラチラする視線は本当に鬱陶しい。
「そこらへんで水浴びするわよ。」
またサマーティーの鼻から血がたれた。
「覗かないでよ。」