第二話『漂着者』
ぬるりとした、変な感触。
少しずつ、意識が覚醒していく。
全身を、凄まじい倦怠感が包み込んでいる。
水に濡れた不快な感覚。
日の光が眩しく、中々眼を開けられない。
僕は一体……?
「えっ……はっ!?」
バシャと音を立て、身体を起こす。
濡れた身体が空気に当たり、ヒンヤリとした。
僕は、生きているのか?
思わず両手のひらを見て、握ったり開いたりする。
生きている。
僕は助かったのか。
海に落ちて、溺れて、そこまでは覚えている。
その後気絶してしまったのだ。
本当に、本当に死んだかと思った。
自己の生存を確認し、安堵の溜息が漏れる。
不幸中の幸いか、どうやら僕は陸地に漂着したらしい。
浅瀬に流れ着いた様で、下半身はまだ水中に浸かっていた。
よく見ると、水中には濃い緑色をした海草がビッシリと生えている。
何時までも海に浸かっているわけにもいかないので、僕はゆっくり立ち上がった。
身体の節々が痛い。
漂っている間に、どこかにぶつけてしまったのかもしれない。
そう考えると、僕の運の良さをさらに感じざるを得ない。
もし、あの浅瀬が岩場だったら。
考えるだけでも恐ろしい事になっていただろう。
水を吸って重くなったズボンの裾を引き摺って、歩いていく。
水草だらけの浅瀬を抜け、陸地に上がった。
地面は湿った土の様で、砂ではなかった。
辺りを見回す。
目の前には青々と茂った草木が集まり、林を作っている。
左右を見ると林はずっと続いており、海岸に沿っていた。
海岸も、視界に入る範囲では何も変わった様子は無く、特徴も無い。
此処は一体どこなのだろうか。
空を見上げ、太陽の位置を確認する。
僕が船から落ちたのが、確か夜中の二時頃だったはずだ。
太陽は現在、僕の頭上で眩しく輝いている。
つまり、あれから約十時間は経過したのと考えるべきか。
ここが、何処かの島なのか、大陸なのか、解らない。
日本近海で落ちたのだから、海外ではないと思うが。
日本国内であれば、人を探して助けを求めればいい。
だが、もし、無人の島だったら……?
僕が船から落ちた事で、捜索届けが出されるとして……。
そんな事を思案しながら、ふと、海を見る。
青い海。
鮮やかな水色に光る水面が、一面に広がる。
そして、恐ろしい水の透明度。
まるで漫画に出てきそうな程透き通った水は、海底の様子が良く見える。
海底には幾つもの建物が沈み、見たことの無い魚が……。
「……は?」
思考が、停止する。
僕は今、何を見ている?
沈んだ建物、見たことの無い魚、凄まじく透明な海。
何だ、これは。
走って、再度浅瀬に入っていく。
海草に足を取られながら、前に進む。
そして、僕は足を止めた。
否、止まらざるを得なかった。
「う……あぁ」
思わず声が出てしまう。
浅瀬はいきなり終わり、一歩前から急激に深くなっていた。
僕が今立っている所は、膝下までしか水かさが無いのに。
すぐそこからは、恐ろしく深い、海になっていたのだ。
まるで、崖際に立っているような、そんな感覚。
そして、そこから見える光景の異様さと言ったらなかった。
底に沈む街並み、一番下まで目視が出来るほどの透明な海。
その海を形成する水は、まさに薄水色と言っていいほど、明るく、鮮やかだ。
そしてそんな海中を泳ぐ、僕の知らない生物。
黄色い身体をくねらせて泳ぐ、巨大なヘビの様な生物や、遠くの方で海面から飛び跳ねる、奇妙な形の魚等。
「は、はは。あは、は……」
足の力が抜け、ふらりとその場に尻もちをついてしまった。
バシャと大きな水音、身体が水に浸かる。
僕は引き攣った、渇いた笑いを止める事が出来なかった。
少し、時間が経った。
僕は大きく息を吐き、大きく吸う。
落ち着くんだ。
こんな時こそ、冷静に物事を考えるんだ。
まず、目の前の光景について。
僕の知る限り、こんな事はあり得ない。
少なくとも、日本の近くにこんな所があるわけがない。
いや、世界の何処にもない光景だろう。
つまり、そこから導き出される結論は……。
ここは、僕の知っている世界ではない、という事。
考えついておきながら、思わず笑ってしまう。
そうすると僕は、地球外に来てしまったということだ。
あり得ない。
まだまだ人生経験は豊富では無いが、それでも解る。
こんな事はあり得ない。
しかし、現状は、その有り得ない事が起きているわけであって。
「僕は、何処に来てしまったんだ……?」
誰が聞いている訳でもないのに、僕は一人呟いた。